2010年10月27日 (水)

トイレット

この間の日曜日、荻上直子監督の映画『トイレット』を見てきました。

最高に良かった〜。

すぐに、「もう一回見たい」って思った映画、『善き人のためのソナタ』以来かなあ。


全くご存知ないかたに、チラシに載ってた文章を紹介します。


【「人生は退屈の繰り返しに耐え忍ぶことだと思う」そう信じて生きてきたプラモデルオタクの青年レイ、引きこもりピアニストの兄モーリー、エアギターで自分のスピリットを表現しようとする大学生の妹リサ。

バラバラに生きてきた3兄弟が、生前母親が日本から呼んだ“ばーちゃん”と一緒に暮らし交流していく中で、次第に心の扉を開いていく・・・。】


その“ばーちゃん”を演じているのが、もたいまさこさんなんです。唯一の日本人出演者。


“ばーちゃん”は、映画の中で、たった一回口を開くのですが、そのひと言に、心が震えました。


チラシには、【みんな、ホントウの自分でおやんなさい】と、あたかもばーちゃんが言ったかのように書いてあるのですが、そういう台詞はでてきません。

でも、ばーちゃんのありかたは、そのことばそのものなんです。


多くを語らなくても、言葉が通じなくても、孫を受容するばーちゃん。


私も、こんな“ばーちゃん”になれたらなあ。


そんなことを思って、帰宅してから、なるべく口数を減らそうと試みている私ですが、う〜む、難しい。すぐ、思ったこと、ぽんぽん口に出してしまう〜〜。すぐには無理かあ。


まあ、みなさま、ぜひぜひ『トイレット』見てみてくださいませ。

他県では、まだ上映しているのかどうかわかりませんが、大分では、シネマ5で上映中です。


公式HPはこちらです。
http://www.cinemacafe.net/official/toilet-movie/

ここ開くと、予告編が見られるのですが、すでに映画を見ようと決めておられるかたは、予告編を見ない方が楽しめるじゃないかと思います。

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2008年4月27日 (日)

重くて、暗いです

2週間ほど前に、映画 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を見ました。

最初は使命感に溢れていた若者が、いつのまにか、仲間同士でリンチをはじめ、どんどん仲間を死なせてしまうことになってしまいます。

見ている最中は、延々と続くリンチの映像に、胸が悪くなり、「なんで誰も止めないのよ!」とムカムカしていたのですが、映画が終わってから考えてみると、もし自分があのなかにいたら、私もリンチに加わっていたかもしれない、そんな気がしてきて、一週間くらい、そのことが頭を離れませんでした。

ネットでも、関連記事を読みまくったりして。

読めば読むほど、正義感が強い、と思っていた自分のことに自信がなくなってきて、とても気持ちが重かったです。


その心の澱が薄くなってきたころに、今度は、光市の母子殺害事件の死刑判決。

私が何か考えても、どうしようもないのですが、これも、頭から離れません。

なんといっても被害者とそのご遺族の悲しみ、つらさは言葉にできないほどだと思うのですが、いっぽう、加害者の生い立ちを知ると、この元少年も、気の毒なことだと思ってしまうのです。

まだ死刑が確定したわけではないのですが、これから最終的な判決がでるまで、彼は、なんらかの、人間的な教育を受けたり、心を受け止めてもらったりする機会はあるのでしょうか?

子どもの頃から父親に殴られ、母親は自殺。そして事件を起こして死刑、では、彼の魂は来世でどうなってしまうのでしょうか・・・。


だいぶ昔の事件ですが、吉展ちゃんが誘拐されて殺され、犯人は死刑になりました。犯人は刑務所の中で、教誨師と話し、深く反省し、短歌にその気持ちを書くようになったそうです。

執行後の母親の言葉が、あるサイトに出ていましたので、転載します。


【一方、吉展ちゃんの母親・豊子さんは小原の死刑執行後の週刊誌の取材で彼の遺した歌を読み、次のように語っている。
「あの人がこんなきれいな気持ちになれた代償が、吉展の死だったとしたら、やはり私どもにとっては大きすぎる犠牲ですね。まあ、あの人がこんな人間になって死んでいったことは、せめてもの救いですけど・・・・天国で、吉展をかわいがってほしいですね」】


最終的にどんな判決がくだるにせよ、光市の加害者には、人から暖かく受け入れられる経験をしてもらいたいし、そのうえで、自分が犯した罪を心から後悔できる人間になってもらいたいと思います。

彼も、先日紹介した、伊藤重平さんのような人と出会っていたら、人生が変わっていただろうと思うのです。


それと、彼の弁護士に批難が集まったようで、「身の危険を感じる」という談話を読みました。

今回の公判での、彼の主張は、一般人からすると、荒唐無稽に感じるのはもっともだし、私もなんてこと言い出すのだろうと、びっくりしました。でも、弁護士が、一般人、というか、「私が遺族だったら」という感覚になってはダメなんだし、どんなにおかしな主張でも、彼がそれを言ったのなら、それをもみ消すことはできないと思います。

うちはテレビがないので、その弁護士さんの話す様子を映像で見たことはないので、新聞やネット上で見る記事だけをもとに判断していますが、あんなに、身の危険を感じるほど、批難されることをしたかなあ、という気持ちです。

逆に、事件の被害者、加害者、どちらとも直接関係のない一般人が、「死刑にしろ!」と声高に言うことのほうが恐いです。陪審員制度になったら、どうなってしまうのでしょう。


こんなことを、ず〜っと頭の中でぐるぐると考え、こんなことをブログに書いてもどうしようもないし、と思いつつ、無視して次へ進めないし、という感じでした。

そして、とてもデリケートな話題なので、私の書いたことで、誰かをとても嫌な気持ちにさせたりしたらどうしよう、という気持ちもあって、ブログ更新できずに今日になりました。


おまけに昨日は、「いのちのたべかた」というドキュメンタリー映画を見てしまい、お肉が食べたくな〜い、気持ちです。


といっても、ずっと、どよ〜んと過ごしていたわけではなく、お仕事してるし、ベリーダンスのレッスンも行ったし、フランス語の勉強は(ちょっと)してるし、いろんなことでたくさん笑ったし、と、相変わらずではあるのですけど。


ふ〜。読んでくださって、ありがとうございました。

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2007年5月29日 (火)

善き人のためのソナタ

『善き人のためのソナタ』というドイツ映画、みなさまはもうご覧になりましたか?当地では、ただいま公開中でして、先日の日曜日、一人で見てきました。もう最高の映画でした!


舞台はベルリンの壁崩壊少し前の東ドイツ。国家保安省の優秀な局員であるヴィースラーは、反体制の疑いのある劇作家ドライマンと、その恋人クリスタを完全監視することになります。24時間態勢で、すべてを盗聴するのです。

ヴィースラーは、盗聴器を通して、ドライマンとクリスタの愛を感じ、西側の思想に触れ、ドライマンがピアノで弾くソナタを聞きます。

家では一人で食事をし、売春婦を呼んで、ひとときの安らぎを買うヴィースラーは、次第に自分の硬い心が変化するのを感じるのです。

敵だと思っていた相手に、共感を覚えてしまったら、どうなるのでしょう。

この先はぜひ映画をご覧ください。


最後の最後のシーンが、胸にグッときて、エンドロールが全部終わっても、まだ心のなかで波だっている感動を、味わい尽くせないような感じでした。


私が言葉で表現すると、なんだか安っぽく、陳腐になってしまいそうですが、人間のほんとうの強さを見せられたような気がしました。そして、人は変われる、という希望・・・。う〜ん、どう書いても、伝えられない〜。とにかく多くのかたに見て欲しいです。

Nは残念ながら、公開中は帰宅しないので見られないけれど、Fは今週見に行くそうです。


それにしても、ベルリンの壁崩壊が1989年11月。まだ20年もたってないのですね。その頃私は20代半ばでした。壁崩壊は知っていたけど、それまでの東ドイツが、こんな恐ろしい監視国家だったなんて、全然知りませんでした。社会のことに、あまり関心もなかったし。なんてぼんやりと過ごしてしまったんだろう、と忸怩たる思いです。


ぼんやりしてたら、自由な日本も、いつ監視国家になってしまうかわからない!

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2007年3月 5日 (月)

不都合な真実

3週間ほど前、このパソコン(Power BookG4)を、オープンしたまま室内を移動していて、電気カーペットのコードにつまづいて、思いっきり落っことしてしまいました。

そのとき、フレームがずれたらしく、ちゃんと閉まらなくなったのですが、中身は問題なくほっとしていました。

が、3日前より、画面が突然暗くなってしまいました。見にくいことこのうえなし。書きたいことはいろいろあれど、ド近眼がさらに、チョード近眼になりそうなので、直るまで、ちょっと更新が滞りがちになるかもしれません。


さて、昨夜はかねてから話題の、『不都合な真実』を見に行きました。


数年前、「一瞬アメリカ大統領になりかけた」アル・ゴア氏が、環境問題を研究し続け、講演活動をしている、その様子を映画にしたものです。


私も、環境問題には関心があり、スーパーのレジ袋を断る、というのは、かなり前から試みていました。

でも、私一人がこんなことやって、何になるの?という気もしてくるんですよね。


ゴア氏の講演を聞いて、まだまだできることはあることに気がついたし、こういう映画がつくられること自体、希望が持てます。


Fが小学校二年生のときに買った車は、そろそろ限界に近づいているのですが、大型なので、Nの卒業のとき、寮から荷物を運び出すのに、まだ働いてもらわなくてはなりません。それが終わって、買い換えのときは、見かけやブランドではなくて、とにかく燃費で選びたいです。ハイブリッド車がいいかなあ。


夏はあちこちで冷房が効きすぎて、私はそれが大嫌いなのですが、今年も「冷房が効きすぎてます。緩めてください。」と、あちこちで言い続けたいと思います!

(昨年夏の、きのくにでの教育講座では、冷房がなくて、とてもうれしかった!)


映画の最後に、「あなたができること」がいくつかあげられるていたのですが、「この映画を人に勧める」というのがありました。


なので、みなさんにお勧めします。ぜひ見てください。

当地では、2月24日に公開されたのに、3月9日で、もう終了です。興行成績、よくなかったのかなあ。

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2007年2月 1日 (木)

お熱いのがお好き

ビリー・ワイルダー監督のこの映画、今、我が家でブームです。

以前、レンタルで見て、すっかりはまり、また見たいなあと思っていたのですが、Amazonでは7000円くらいの値段がついていました。それが最近1980円に値下がり、即買いました。(多分、そのうちもっと安くなるんでしょうけれど・・・。)


もう、最高のコメディなんです。


こんなあらすじです。

【場所は禁酒法時代のシカゴ。酒場でサックスを吹くジョー(トニー・カーチス)と、ベースのジェリー(ジャック・レモン)はギャングが密告者を殺す場面を目撃してしまい、一味に追われるはめになってしまいます。そこで女装して女ばかりのジャズバンドに潜り込んで、マイアミへ脱出するのですが、二人はバンド歌手のシュガー(マリリン・モンロー)に一目惚れ。その上ある大金持ちの初老のおじさまは、女装したジェリーに夢中になり、求婚します。そこへギャング一味が現れて・・・。】


白黒のせいか、どぎつくないし、ちょっとエッチな会話やお色気場面も、最近の映画に比べてとてもおしゃれなんです。


息子と一緒でも、落ち着いて(?)見ていられます。(- -")


こういう昔の映画(1959年製作)を見ると、現代はなんでもかんでも刺激的になってしまってるんだなあ、と感じます。今の映画でレンアイの場面っていうと、すぐ服ぬいじゃうし。そういう場面を盛り込まなくても、イイ感じは、十分だせるのに・・・。(その意味では、「或る夜の出来事」の最後の場面も好き!)


それと、お金がなくても楽しそうにサックスとベースを抱えて、ノリノリで演奏する様子も、見てて幸せ気分になります。なんたって、雪の降るシカゴで、コートを質に入れてしまうくらいお金がない!


仕事で疲れた時、なんか気がめいったとき、ぜひこの映画をご覧ください!


最後におじさまが言う、

「Nobody is perfet」  (完全な人間なんていないよ)

っていう台詞も、見ている人の気分で、爆笑したり、ほんわかしたり、じ〜んとしたり、暖かい余韻が残ります。

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2007年1月21日 (日)

権力に負けない

ここ最近、ちょっとド〜ンとくる映画を二本見ました。

『麦の穂をゆらす風』 と 『それでも僕はやってない』 です。


『麦の穂をゆらす風』は1920年のアイルランドが舞台。冒頭、いきなり、イギリスの武装警察が、理不尽な理由で、いとも簡単にアイルランドの若者を暴行し、殺します。
彼の友人で、ロンドンで医者として働くことになっていたデミアンは、独立戦争をたたかうことを決意するのですが、簡単にはいかない、それはそれは悲惨な戦いに突入してしまいます。


『それでも僕はやってない』は、痴漢に間違われた青年が、身の潔白を証明するために、裁判で闘うもので、実話をもとに作られたそうです。これはまだ公開されたばかりなので、詳しくは書かないでおきますね。


両方を見て思ったのは、権力に弱い人間がのさばる限り、平和から遠ざかる、ということです。


『麦の穂・・』では、イギリスの武装警察隊の、権力を笠に着た横暴な態度に、ムカムカしました。その人自体が偉いわけでもないくせに、警察の制服を着ただけで偉そうな気分になる。こういう人、いますよね。20才そこそこで「先生」と呼ばれて、すっかり自分が偉いような気がしちゃうカンチガイオトコとカンチガイオンナ。


『それでも僕は・・』では、痴漢に間違われた青年の弁護士が、こんなことを言います。

「裁判官が無罪判決を出すのは、検察の判断を否定るすこと。それは国家権力にたてつくことになるんだ。」

今の社会は、結局、信念や勇気とは無縁の、自己保身しか考えてない、権力におもねる輩が勝つような構造になってるんでしょうか?


今朝の朝日新聞に、首都圏で中学受験が5万人を越える、という記事がでていまして、その中で、【塾でのクラス分けなどを通じて「あの子はすごい」「この子はたいしたことない」と「ランクづけが進みがち】という話しがありました。

こういう教育をしていては、素のままの、その人の良さを見いだすことが難しくなります。常に自分より上か下か、という視点が入ってきて、「下」の人を見下す気持ちがおきます。「成績がよい」「偏差値の高い学校に入った」自分が、そうでない人より偉い、と思ってしまうのです。


いつも上下関係で人を見ていると、権力におもねる人間ができあがります。また、暗記中心の詰め込み教育は、社会に目を向ける余裕を奪います。

数週間前の、朝日新聞の投稿欄に、高校生の文章が載っていました。

高校の歴史の授業中、先生が、ある事件の話しをしたのだか、それは簡単な説明にとどまり、「これは試験にでるから覚えておけよ」と言っただけだった。えっ?それだけ?私はどうしてその事件が起きたのか、それをもっと詳しく知りたかったのに、という内容でした。


18日の『口うるさいのは最悪ですね』の中で紹介した、堀さんの著書『ニイルと自由な子どもたち』の中に、こんな文章があります。


【ニイルの教育思想に共鳴し、サマーヒルの実践に学びながら自分自身の教育理論を構築しようとするときに、私がもう一つ重視したいのは、政治や社会の実態を見つめ考えるような活動を子どもに用意することである。 

    ー略ー

私たちはだれでも、詰め込み教育を批難し、その弊害について警告する。しかし、イギリスでは考えられないほどのこの詰め込み教育が、だれによって要請されているのかを考えてみようとする人は少ない。

私の結論は、これを求めているのは、日本の産業界だということである。産業界は職場における「徹底した能力主義管理」を遂行するために、学校においても落第、飛び級などをも取り入れた能力主義教育を実行するよう率直に(つまり露骨に)文部省に働きかけているのである。

   ー略ー

現在の日本において、詰め込み教育に反対する教師は、必然的に政治的社会的な関心をもたないわけにはいかない。詰め込み教育は、単に教育学だけの問題ではない。むしろ政治や経済の問題なのである。】
(P.258,259)


今回私は映画を見、この堀さんの文章を読んで、息子たちがきのくに子どもの村で学んできたことは、ほんとうに価値のあることだったと思いました。

たまたまきのくにに出会い、なんとか行かせることができた、それは、自分の家族だけの平和にとどまらないと思うのです。


社会を良くするのも悪くするのも、教育の力はものすごく大きいのだと、実感しています。


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2007年1月 1日 (月)

謹賀新年

気候も気分も、穏やかな元旦です。

息子たちがきのくに子どもの村学園に入学してから(長男はもう卒業しましたが)、長期のお休みは、とても貴重なものになりました。

普段離れて生活しているので、たまにゆっくりできるお休みには、「まず、Nと何をしようかな」と考えてしまいます。


この冬休みは、Nが今興味を持っている、人種差別や戦争、紛争などを扱った映画のビデオを借りて来て、一緒に見ることにしました。


まず、『ホテル・ルワンダ』。N以外は映画館ですでに見ていたけれど、全員でもう一度。

映画の中で、ある赤十字の女性が、孤児院での虐殺の様子を語るのです。子どもが、「殺さないで。私、ツチをやめるから。」と哀願した、という話しを聞いた時には、号泣してしまいました。そして、「こんなひどいことをするフツ族のやつらを殺してやりたい!」と思ってしまったのですが、それじゃあ同じことなんですよね。


で、映画を見た後に、同じ1994年の大虐殺のときに、3ヶ月近くもトイレに隠れていて生き残った、ツチ族の女性が書いた本、『生かされて』(イマキュレー・イリバギザ著 PHP出版)を読んだのです。イマキュレーは大変な恐怖と苦痛の中で生き延びましたが、親や兄弟は殺されてしまいます。それでも、彼女はフツ族を許すのです。


この本もNに勧めてみたら、没頭して、一日で読んでしまいました。
「最後に、家族を殺した人を許すところがすごいな」と、一緒に本の感動を分かち合いました。


あとは、11月24日に書いた、『ミシシッピー・バーニング』と、『ゴースト オブ ミシシッピー』を見ました。

『ゴースト オブ ミシシッピー』は、1963年に起こった実話をもとに作られました。公民権運動家の、メドガー・アンダーソンが射殺され、犯人の白人男性は無罪。メドガーの妻は、30年近くたったけれど、裁判を要求します。彼女の熱意は、最初は協力的でなかった検事を動かし、陪審員に黒人も含まれた、やっとまともな裁判が開かれるのです。


「黒人差別」という言葉は知っていても、なかなか実際にどういうことがあったのかを知ることはできません。、映画は、つくりものではあるけれど、やはり、心に深く入ってくるものですね。


Nも、中一の頃は、私が「この映画よかったよ」と言っても、「お母さんがいいと思うものと、俺が面白いのは違うんや」と言って、あまり興味を示してくれなかったのですが、最近は、社会問題に関心が強まっているようで、一緒に見るようになりました。

Fは、「わらじ組にいるんだから、そういう本を読んだりするやろ。興味もでるよ。」と、自らわらじ組だったときのことを思い出して、Nの変化をそんなふうに言っていました。


社会のことに関心を持つ、というのは、とても大切なことだと思います。

自分の成績が上がること、志望校に受かることばかりを考えて過ごしていた私の学生時代は、なんだか醜かったなあ、と、感じる今日この頃です。


今年一年の目標をまだたてていないのですが、このブログでは、自由教育のすばらしさを伝えるとともに、お勧め本、映画なども、またちょこちょこご紹介していきたいと思います。

本年も、どうぞおつきあいのほど、よろしくお願い申し上げます。

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2006年11月11日 (土)

ホテル・ルワンダ

今年6月、この映画を見ました。

映画の中で、あるジャーナリストが、「このニュース(大虐殺)をテレビで見て、ああ、ひどいわね、と言いながら、みんなディナーを食べるんだよ。」というところが、胸にぐさっときました。自分のありかたをみられてしまったような、そんな気持ちでした。

ところで、『ホテルルワンダ』とは・・・。

舞台は1994年のルワンダ。長年続いていたフツ族とツチ族の民族紛争が大虐殺になり、100日で100万人もの市民が惨殺されます。四つ星ホテルに勤めるポールはフツ族、妻はツチ族。彼は愛する家族を守りたい一心で、ホテルマンとして培った人脈や話術を使って行動します。

その気持ちは、結果的に他の多くの人々をホテルにかくまうこととなり、世界中に見放されたルワンダで、たった一人で1200人もの命を救うことになったのです。その奇跡の過程を描いた実話です。


2004年12月にアメリカで公開され、大ヒットし、『アビエイター』や『ミリオンダラーベイビー』と並んでアカデミー賞やゴールデングローブ賞の主要部門にノミネートされました。それなのに、なぜか日本で公開される予定はなかったのだそうです。映画のチラシには、こう書いてありました。

【公開のめどがたっていなかった日本にもその興奮は飛び火し、「この映画を日本でも観たい!」と20代の若者たちが立ち上がり、ネットで署名運動を展開。5000通もの署名を集め、その熱意でついに日本公開が決定した!】


私、それを読んで、「ネットで署名運動って、どうやってするんだろう。誰が始めたんだろう」と思ってました。そしたら、昨日、その人が載っている記事を見つけました。こちらです。↓(多分直接飛べないので、このアドレスをコピーペーストしてください。)

 http://www.mammo.tv/interview/185_MizukiY/

この頃よく耳にする、mixiという、紹介制のネット交遊場(こんな説明でいいのかなあ?)で呼びかけたそうなのです。現代はこういうこともできるんですね。

いつも、なにか気になる問題があったとき、「じゃあどうすればいいの?」「私に何ができるの?」と、壁にぶつかってしまうのですが、とにかくなにかやってみる、そうしたら道はひらけるのかな。ネットはそのツールとして、効果的な場合がありますね。


一方、最近のニュースでは、足立区の「テスト点数に応じて予算配分をする」という方針が、電話による批難が殺到し、中止になった、というのがありました。

これも、一人一人の、「これはおかしい」「このままにしておけない」という強い気持ちが集まって、ほぼ固まっていた方針を中止させたのですね。

まだまだ、いろんなことをあきらめてはいけないなあ、と思ったことでした。

*『ホテル・ルワンダ』はDVDになっています。まだのかた、どうぞご覧ください。机に向かって世界史の授業を受けるより、よっぽど勉強になるし、忘れられないものになると思います。

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