2009年10月 9日 (金)

水源の森 トラスト 

健康が取り柄の私が、不覚にも、数日ダウンしておりました。

といっても、風邪でもインフルエンザでもありません。


ジンマシン  だったのです。 きゃ〜、今思い出しても、恐ろしくて鳥肌がたってしまいます。


10月4日、日本熊森協会が主催する、東京でのシンポジウムに参加してきました。そのことも書きたかったのに・・・。


朝一番の飛行機で行き、シンポジウムの前に、20年来の友人と、久々に会って一緒にランチしました。1時間しかなかったので、近場で目についたところに入りました。

私が頼んだのは、『明太子シラススパゲティ』・・・ああ、これ、書くだけでも、なんか、いや〜な気分。

食べてすぐ、「う〜ん、おいしくない」と思ったものの、友だちとの会話に夢中で、全部食べてしまいました。


13時からのシンポジウム、始まって15分くらいしたら、腕、肩、膝の裏あたりが、チクチクかゆくなってきました。

もともと肌が弱く、アトピーの気もあるので、「足早に歩いて汗かいたから、かゆくなったのかなあ」と思っていたのですが、かなりかゆい!


合間に、そっと、腕をまくって見てみたら、たくさんの蚊にさされたみたいに、肌がぼこぼこになってる〜〜!

途中休憩でトイレに入り、足やお腹を見てみたら、もう、真っ赤でぼこぼこ。卒倒しそうになりました。weep


今から16年くらい前、父の葬儀に向かうときにも、ジンマシンがでたことがあります。そのときは、電車のなかで、チクッときて、それからどんどん広がり、夜には顔まで。夜間救急で病院に行き、注射一本で治りました。あのときは、多分、疲れとストレスだったんですね。


食べ物ででたのは初めてでした。


必死にかゆみと闘いながら17時までシンポジウムに参加し、後はひたすら、薬局で薬を買うために帰りを急ぎました。

でも薬ではおさまらず、月曜日、なんとか仕事はしたものの、頭はぼーっとした状態。早々と布団に入ったものの、身体があたたまったらさらにヒドくなり、とても寝られず、夜11時、病院に行きました。

キョウミノ(ってどんな漢字?)という、肝臓のための注射をし、飲み薬、塗り薬ももらい、それから3日かけて、徐々におさまってきました。

この数日、仕事だけして、あとは寝る、という生活。もう、読書も、勉強も、ブログも、なにもできなかった〜。(泣)


でも、自業自得なんです。

もともと、そんなにお酒に強くないのに、8月から9月、ストレスがあって、毎晩ちょこちょこお酒を飲み、ジンマシンがでる1週間前は、二日酔いになるほど飲んでしまったのです。このときは楽しいお酒だったのですが・・・。

肝臓が弱ってると、悪いものが入ったとき、解毒できず、こういうことになってしまうそうです。←夫が解説してくれました。


来週末はきのくにに行きます。もうお酒は飲みません。(ホントですよ!)自分の身体は自分で守って、やるべきことをドンドンやっていかなければ!


はい、では、気を取り直して、シンポジウムのときの話しです。


現在、日本熊森協会は、水源の森を買い取って永久保全すべく、トラスト活動を進めています。↓こちらをご参照ください。

http://homepage2.nifty.com/kumamori/okuyama-trust-top.htm


シンポジウムのときには、三重県大台町の森、676haの買い取りを決定したとの発表がありました。


その土地の持ち主さんも来て、経緯を話してくださいました。


「おじいさんがなくなったとき、相続税が1億円。それを払うために土地の一部を売ったけれど、今後も相続税の問題は起きてくる。企業から、買いたいという申し入れも来たが、企業に売ると開発される。自分としては、このまま残して、動物の棲める森を残したいので、日本熊森協会さんにトラストしてもらうことにした。」


ということでした。

企業に売ったほうがよほど高く売れるでしょうに、「動物の棲める森を残したい」という言葉が、とてもありがたく感じました。


でも、熊森も、購入を決定したとはいえ、まだ9000万円足りないそうです。

そのため、現在寄付金を募っています。振込先は、上記HPの一番下に記載されていますので、ぜひ、ご協力をお願いいたします。


日本は海に囲まれていますし、国際河川(たくさんの国にまたがる川)がないので、水の問題に疎いところがあるかもしれませんが、水源を守ることは、次世代のために、大切なことだと思います。


水ジャーナリストの橋本淳司さんのお話に、なるほどなあ、と気づかされました。

「現在日本の食料は多くを輸入に頼っています。食料をつくるにはたくさんの水が必要です。牛肉を作るにはその2万倍の水が必要です。現在、アメリカ、中国、オーストラリアは水不足に陥っています。そうすると、食料生産がおぼつかなくなる。日本は 食料を買う=水を買う ことができるのか?」


国連は、「21世紀は水を取り合って戦争になるだろう」と言ったそうです。


その言葉を裏付ける情報も入ってきています。


トラスト地購入資金の寄付、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

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2009年2月20日 (金)

予備校日誌

先日、棚のなかを片付けていたら、予備校時代の日誌がでてきました。

予備校時代、だから、今から25年以上前のことです。

そのときは必死だったのでしょうけれど、今、読み返してみると、「この人、アブナくない??」という感じです。

8月くらいまでしかつけていないのですが、少し抜き書きしてみました。


4月9日(金)
授業中は大丈夫だったが、自習しているとき眠くてたまらなかった。睡眠時間6時間。これ以上ふやすと家庭学習できなくなるし・・・。集中力をつけなければ。


4月12日(月)
Bクラスは成績の悪い人を集めてあるのだろうか。熊高(私の出身高校)の人はほとんどAクラスだ。こんなことでがっかりしていてもしかたないけど、同じくらい成績が悪い人でも、頑張らない人は大嫌いだ。私はそんな人になりたくない。


4月15日(木)
本当に私は口先ばかりの人間だ。今日はせっかくの休日というのに、11時間くらいしか勉強できなかった。なさけない。学生生活の中で、一番うれしかったときというのは、精一杯勉強できたときであるように思う。それが十分わかっていながら、なかなかできないものである。自分に強くならねば。


4月28日(水)
毎日が自己嫌悪の連続です。勉強していると、すぐ他のことが気になりだして、ちっとも集中できない。私は大学に落ちるべくして落ちたので、浪人生としての意地が足りないのだと思う。


5月10日(月)
ひどい点数の答案がかえってくるたびに泣きたくなる。私ってこんなにも馬鹿だったのか・・・。母はさぞかしがっかりするだろう。親のために勉強しているわけではないが、やはり好成績をおさめて、喜ばせてあげたい。


6月1日(火)
自分がいやになってきた。またも世界史はひどい結果になってしまった。


6月29日(火)
私はどちらかといえば一人でいるほうが好きで、席に座るのも一人だし、昼食をとるのも一人。私が一人でいるのが好きなのは、気を遣わなくて済むから。それに、話しているうちに私の性格をみられて、相手に失望されるのが恐いから。エゴイストで臆病だと思うけど、今はわずらわしい友だち付き合いなどしたくない。


7月3日(土)
私はだめな人間だ。つい小説やマンガに手が伸び、ふとんに足が向かう。入塾式の日に誓ったじゃないか、死にものぐるいで頑張ることを・・・。わかっていながら、どうしてこんなにだめなんだろう。


7月5日(月)
近頃、人とほとんど話しをしないので、何だか心配になってきた。というのは、なんとなく、自分の性格がゆがんできたように思うのだ。家に帰っても、家族と顔をあわせるのが、なんとなく嫌だ。特に、父や姉が家にいると、おもしろくなくて、しゃべる気がしなくなる。本当にすまないとは思っているのだ。それなのに、このいらいらする気持ちははどうしようもない。情けないとも思う。誰も信じる気になれない。


7月14日(水)
最近、私はテストの結果ばかり気にしすぎているようだ。それに、友人の成績と比較してばかり。ライバル意識を燃やすのもいいが、それが、嫉妬心になってはいけないと思う。もっとマイペースを保つようにしよう。


8月16日(月)
もう全然だめだった。数学は30点くらいだろう。政経は、勉強したつもりだったが、わからなかったし。夏休みは私なりに頑張ったのに・・・。友だちはみんな、「ちっとも勉強せんかった」と言う。それなのに、どうして私より成績が上なのか。恨みたくなる。


なんか、自己否定感のオンパレードで、我ながら、笑ってしまいます。

息子も笑ってました。
「一日11時間も勉強したん!?でも、お母さん、今、全然覚えてないよな。」って。

ほんとにねえ。

それにしても、なんて狭い世界の中でもがいてたんだろう、と、痛々しく感じもします。

結果的には志望校に受かったわけですが、それも、「○○を学びたいから」という、志があったわけではなく、「家から出たい」というのと、母親が、「これからは英語よ!」「○○大学なら、お母さん、うれしいな〜」、というのに従ったというだけのことですから、展望がないわけです。


こういう生活、やっぱりおかしいと思う。そのときは、親も子も、周りが見えなくなっているのだろうけれど、つくづく、受験ってなんだろう、と思う。

10代のうちから、「人と全然しゃべらない」とか、「友人関係がわずらわしい」なんて・・・。

やばかったなあ、私。

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2009年2月13日 (金)

豊かな森を次世代へ

日本熊森協会会長、森山まり子氏の講演会が、3月7日に大分で行われます。


日時  平成21年3月7日(土) 18:30〜20:30(開場18:00〜)
    講演会終了後、書籍販売予定
場所  コンパルホール(文化ホール)
講演  『日本熊森協会』 会長 森山まり子
    ※2008年3月『第11回地球倫理推進賞(国内部門)』受賞、
     並びに文部科学大臣より『奨励賞』受賞          
テーマ 『豊かな森を次世代へ』
チケット  当日¥1,500(前売り¥1.000)小冊子含む ※中学生以下無料


日本熊森協会は、中学校の理科教師をしていた森山まり子氏が中心になってつくられました。HPには、森山氏の、こんな挨拶が載っています。


【わたしは自然のしくみを教え研究している者のひとりとして、人類に絶望していました。人類の欲望はとどまるところを知らず自らの生息環境まで破壊しており、近い将来滅びるに違いないと確信していました。

思いがけなく、クビを覚悟で生徒たちと「クマ保全活動」に立ち上がるはめになって、行動することの大切さを知りました。

欧米ではものすごい数の大人たちが自然の保全に立ち上がっています。「先生、大人って、ほんまはぼくらに愛情なんかないんとちがうかな。自然も資源もみんな使い果たして、ぼくらには何も置いとこうとしてくれないんやな。」生徒がさびしそうに言った言葉が今も忘れられません。

このままではいけません。外国の大人たちに負けないよう、日本の大人もがんばりませんか。】

詳しくは、日本熊森協会のHPをご参照ください。↓

http://homepage2.nifty.com/kumamori/


なお、翌日8日には、北九州でも行われますので、九州のみなさま、ぜひ、おでかけください。(北九州の詳細は下記をご参照ください。)

http://www7.plala.or.jp/kumamori_fukuoka/index.html


熊森協会のことは、昨年の春頃、このブログにもときどきコメントをしていただいていますYOKOさんが教えてくれました。協会が出している小冊子をプレゼントしてくれまして、それを読んで、私も何かしなければ、という思いに突き動かされました。

早速200冊購入して、医院に置いたり、知り合いに差し上げたりしていましたが、やはり一度は森山氏の話しを聞いてみたいと思っていました。

HPを見ていたら、大分で講演会が行われるという情報が載っていて、早速主催者に連絡をとりました。そのかたは、『いとしや』という、寝具や快適な睡眠のためのものを扱うお店の社長さんでした。そのお店には、だいぶ前になりますが、何度か行ったことがあったのです!

お会いしてみると、扱っている商品もさることながら、ほんとうに穏やかなすてきなかたでした。話しも弾み、楽しいひとときを過ごしました。チラシやチケットをお預かりし、私も、熊森の活動をもっともっと頑張らねば、という気持ちを強くしました。

↓「いとしや」さんのHPから、社長のブログに飛べます。講演会の話しも載っていますので、ごらんください。
http://www.nemuriya.jp/


友人に講演会のことを話したら、「ぜひ行きたい」ということで、しかも、「ちょうど最近腰が痛かったから、いとしやさんにも行ってみたい!」とのこと。社長のブログのことは、彼女が教えてくれたくらいです。

ほんとうに。わらしべ長者みたいに(?)どんどんご縁がつながって、楽しく元気な今日この頃です。

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2009年2月 4日 (水)

毒になる親

秋葉原での無差別殺人の犯人は、逮捕後、親への恨みを口にしたという。

江東区の事件、同じマンションに住む女性を殺してバラバラにして下水に流したり捨てたりした犯人も、「ずっと親を憎んでいた」と言う。

秋葉原事件の犯人の母親は、とても厳しく、作文の宿題では親がよいと認めるまでなんどでも書き直しをさせられたという。


江東区の事件では、公判記録がネットに出ていたので読んでみた。

星島被告は、「幼いころに負ったやけどの傷のせいでいじめられることが多く、泣いて帰っても親が気持ちを受け止めてくれたかったので、両親を恨むようになった」というようなことが書いてあった。

「ケロイドのところに膿がたまるので、それを耳かきでかき出していたら、母親に、耳かきが臭くなるからやめろと言われた」。また、小学校の制服が半ズボンだったので、傷をさらすことになり、つらかったそうだ。


証人として出廷した父親の話しが載っていた。

「やけどの傷に負けないよう、厳しく育てた。社会人になってから、連絡が途絶えたけれど、自分も“一番の敵は親だ”という気持ちでやってきたので、息子も自立してやっていっているんだろうと思った。」

この文章だけでは意味がよくわからないかもしれないが、多分、星島被告の親も、自分の親に心から愛された経験がないのだろうな、と感じた。

もし、両親が、「私たちの不注意でこんなケガをさせちゃってごめんね。」と心からあやまり、傷のことで息子をいじめないように、学校や他の子どもたちに働きかけをしていたら、彼の人生は変わっていたのではないだろうか。


どんな理由があろうと、人の未来を奪うことが許される筈はない。私がもし被害者の親だったら、犯人を、そして、その親をも殺してしまいたくなるだろう。


しかし、成人の犯罪に関して、親の養育態度が問題にされることはあまりないように思う。社会人になってしまえば、あとは本人のみの責任ということか。

そして、上記二例程度の家庭の冷たさ、厳しい教育は、問題にするほどのことでもなく、当たり前のことなのか。

どちらの事件に関してだったか忘れてしまったが、親の養育態度について、「どこの家庭にでも見られるようなこと」と言及してあり、驚いた。どこの家庭にでも見られることなのか・・・。


先の、星島被告は、「自分は、人の幸せをよろこべない人間でした」と言っていた。

ものすごく孤独で、寂しい人生だったのだろう。


どんな事件でも、犯人の生育歴を、きちんと調べて記録に取り、ある程度公表することが大事なのではないかと思う。

この世に起こることは、自分と全く無関係なことではないと思う。公表された生育歴から学べることがたくさんあると思う。自分も、子どもに対して同じ過ちを犯していることに気がついて、軌道修正できる人もいるかもしれない。
犯罪の背景、特に親子関係を知ることは、次の事件を防ぐための第一歩になると、私は思っている。

特に、一見「どこにでもある」「普通の親」がくせ者なんだ。明らかな虐待とかネグレクトは、人に話せばわかってくれる人も多いし、「親が悪い」と思ってくれる場合が多いが、非受容的態度の厳しい親、自己中心的な親は、人から批難されることはない。

逆に、そんな親を「恨んでいる」とでも言おうものなら、「暴力をふるわれるわけでもなく、教育熱心で、何不自由なく育ててくれて、何が不満なんだ。甘えるな。」と、子どものほうが批難されるのがオチである。しかし、そういった親が与える悪影響は非常に大きい。だから、犯罪者の生育歴を、丁寧に調査して、明らかにすることが必要なのだ。


それから、もし、親が子どもの心を理解できない人であっても、その後に出会った人によって、暖かい気持ちが持てるようになったなら、全然違う人生を歩めたかもしれない。

それを考えると、小中時代に星島被告のいじめた人にも、それをとめなかった教師にも、腹が立つ。


ここまで考えてきて、ふと、我が身を振り返ると、やはり、人に冷たくしたことがあった。つらそうな人の立場にたって考えてあげることをしなかった。いろんなことを思い出してきた。


みんなみんな、つながっているのだから、やっぱり、私にも責任がある。加害者に対しても、被害者に対しても、「ごめんなさい、傍観者でいて、ごめんなさい、何の力にもなれなくて、ごめんなさい」、そんな気持ちになった。


実際、私だって、もし、今の夫と出会わなくて、ずっと東京で一人暮らししていたら、どうなっていたかわからない。自己否定感いっぱいで生きていたかもしれない。今のご時世だったら、浮浪者になっていたかもしれない。

そして、きのくにに出会わなければ、自分では、そうとは気づかず、愛のない親のままだったかもしれない。

子どもを愛しているつもりになっている、非受容型の、最悪の親になっていたかもしれない。

*『毒になる親』というタイトルで本がでています。私はこれを読んで、今まで何が問題だったのかがよくわかりました。

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2009年2月 1日 (日)

あまのじゃくかしら

最近、「えっ?それ、いつの間に決まったの?」と思うことがいくつかあって、妙に腹がたちます。


今日、免許の更新に行ったら、なが〜い列に並んでいる最中に、係の人から、「暗証番号を二つ決めてください」と言われ、???

でも自分の順番がきて、もたもたしてたら後の人にも迷惑がかかるので、わけのわからないまま入力しました。後で説明の紙を見たら、こんなふうに書いてありました。

【金融機関で身分証明書として使用する際にICカード免許証の読取装置で免許情報を提供できるようになるため】

釈然としません。それに、あちこちでパスワードや暗証番号を要求され、もう、記憶の限界越えてます。みなさん、どうしているのでしょう。今でも記憶力に不安があるというのに、年取ったら、どうなることやら・・・。


次にびっくりしたのは、今年のカレンダー。9月に4連休になってます。いつのまに決まったのですか?それでなくても、祝日が月曜日になることが多くなって、いろいろと不便を感じているのに。

それに、祝日に休める仕事の人ばかりではないでしょう?

当地は観光地なので、小さな子どもさんがいて、旅館などで共働きのところなど、仕事は忙しいのに保育園、学校は休みになってしまい、とても大変そうです。

休みまでお国に決められて、「お金を使って景気回復に貢献しなさい」と言われているみたいで、とても不愉快です。

うちはこれまでも、祝日でも診療して、他の平日を休みにすることもありましたが、今後もカレンダーの赤字にとらわれすぎないでやっていこうと思います。ほんと、腹立つ!


三つ目は、テレビのこと。うちはテレビがないからあまり関心なかったのですが、先日母が、「うちのテレビ、どっこも悪くないのに、そのうち使えなくなるから、買い替えなくちゃならないらしいのよ。」というので、ああ、そういえば、そんな報道があったな、と思い出した次第です。

プラズマテレビ、でしたっけ?なんか、そういうのに買い替えないと、今までのじゃ見られなくなるのですね?

そんなバカなことってありますか?

どれだけのゴミがでることでしょう。

どれだけの出費になることでしょう。


この際ですから、できるだけ多くの人が、テレビを買わないで我慢したらいいんじゃないかしら〜、と思うのですが、無理かしら。

もう、テレビ大好きだった私、十数年前の深夜、「こんなことしてたらあっという間に人生終わってしまう!」と思い、コンセント引っこ抜いてテレビを二階の屋根裏部屋へしまってしまいました。数年後、子どもたちが、サッカーのフランスワールドカップを見たいというので、よっこらしょ、と降ろしてきたら、温度変化の激しい屋根裏生活で、テレビちゃんはすっかり壊れてしまいました。

それから今日まで、静かな時間を持てています。

いい番組もいっぱいあるのでしょうけれど、くだらない番組も多すぎるように思います。


まあ、テレビの善し悪しは置いておくとして、「全員新しいものを買え!」という方針が許せない気持ちです。


私、あまのじゃくでしょうか?

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2008年12月10日 (水)

平野虎丸さんのお話

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この本は、熊本に住む、平野虎丸さんが書かれた本です。

たった今読み終え、改めて、政府、林野庁の無策ぶりとずるさに、ムカムカしています。それとともに、たった一人で地道に、勇気をもって活動を続けてこられた平野さんに対し、尊敬の念と感謝の気持ちでいっぱいになりました。


平野さんと出会ったのは、11月22日。きのくにのシンポジウムを断念して参加した、熊森協会福岡支部主催の講演会でのことです。

講師のかたは二人で、お一人はドイツ在住の環境ジャーナリスト、村上敦氏。もうひとりが平野虎丸氏でした。

村上さんのお話はドイツのフライブルグ市の町づくりについてでした。将来を見据えた政策が、ほんとうにうらやましくなりました。

市街地で広葉樹なら1.5mまで成長した樹木は伐採してはならないという法律があるそうです。理由は、空気清浄作用、保水作用、日陰を作る温度調整作用があるから。

また、傾斜10度以下の平屋根には、法律によって屋上の緑化が義務づけれらています。コストのかからない工法を支援しており、見栄え悪いけれど、環境的貢献を重視しています。見栄え優先のどこかの国とはだいぶ違います。


平野さんは、「熱い、行動のヒト」、という感じでした!

平野さんが理事を務めるエコシステムでは、自分たちで山を購入して、そこで自然復元による実生の森づくりをしています。そこでは、ツリーハウスに宿泊できたり、プレーパークとして子どもたちがおもいきり遊べたりします。
私の好きな「たき火」だって、できちゃいます。

詳しくはこちらのホームページをごらんください、

http://www.ecosys-jp.net/


話しの前に、配られた資料に目を通しましたが、日本の林業のことは、全然知らなかったので、「えっ、どういうこと?」と、大変興味をそそられました。

まず、その資料の、冒頭の部分を抜粋します。


【国民の皆さんへ

日本の奥山が税金で破壊されていることをご存知ですか。

治山治水のために自然林として残すべき奥山を、林野庁や県の森林関係、森林組合の方々が、シカ、サル、イノシシなど、野生動物の棲みかを木材生産のために破壊しています。

棲みかを奪われたシカやサル、イノシシたちは、里山へ降りてきて、その降りてきたシカ、サル、イノシシたちを国や県の皆さんの税金で殺しています。

国民の大多数は実情がわからぬままに、農林業被害が出るなら仕方がないと思っておられると思いますが、野生動物には何の罪もありません。
*事実をここで明らかにします。

農林業被害は、林業関係者の奥山での林業暴走が原因です。

皆さんの血税を使って森林破壊を繰り返し、野生の命を無駄に殺し続ける公務員の横暴を一刻も早くやめさせましょう。森林環境税も森林破壊やシカ殺しに使われています。真実を知ってください。】

私のように、「ん?どういうことだ?」と思われたかたは、ぜひ、平野さんの本をお読みください。
『日本政府の森林偽装』 中央公論事業出版 税別1300円です。


講演会では、実生の木と挿し木の根の違いを見せてもらいました。

実生の木の根は、下のほうへしっかりと伸びています。一方、挿し木の根は、ひょろひょろと細いものが、横にだけ少し伸びています。このような木は、大きくなっても根が下にしっかりはっていないので、倒れやすく、土砂崩れの原因になり、また、水源涵養の役目も果たせません。

そういえば、当地でも、おととしの台風のとき、あっという間に大水がでて、あちこちで土砂崩れが起きました。古くから住んでおられるかたも、「こんなことは今までなかった」と言っていました。


自然林を伐採して、スギ、ヒノキばかりを植えて、花粉症を引き起こすわ、土砂崩れは起きるわ、野生動物はすめなくなるわの状態にした、その責任は誰もとらず、今なお、国有林を破壊しつづけている林野庁と政府の無策ぶりに、腹が立ちます。

結局、政治家さんたちは、地球のことも、国民のことも、実は、全然考えていないんじゃないかとさえ思えてきます。自分たちがお金儲けをしたいために、利権がからんだ、よけいな仕事をつくりだしているだけ。


平野さんが森林保護を始めた21年前、熊本市の九州営林局へ足を運び、そこの課長さんと話しをしたときのこと、課長さんは、こんなことを言ったそうです。

「広葉樹を皆伐して、スギ、ヒノキの苗を植えることはよくないことだとわかっています。しかし、他の仕事がないから、労働者(職員)に仕事を与えるために仕方なしにやっています」


私はこの日、行きたかったきのくにのシンポジウムを諦めて、こちらの講演会に参加しました。でも、二つはつながっていたことに気がつきました。

私が自由教育をもっともっと広めたいと思っているのは、子どもたちが自立して、自分の頭で考えられる人間育ってほしいと思うからです。

今、政治の世界を牛耳っている人たちのような、自分のことしか考えない人間にはなってほしくないと思っているからです。

こういう(営林局の課長さんのような)志のない人間にはなってほしくないと思っているからです。


今日、数人の中学三年生が診療にきましたが、「これから塾に行く」とか「受験なので2月末まで来れない」という話しがちらほらでてきました。

私も自分の受験時代を思い出し、「ああ、あの頃は、受験のことで頭がいっぱいだったなあ」と思い出しました。


でも、それじゃあダメなんだと思う。いくつであれ、その年齢に応じて、新聞を読んだり、本を読んだり、映画を見たり、音楽を聞いたり、おもい存分遊んだりして、社会や人と関わり、自分の意見を持つことが大切です。

そうでないと、バカな政治家みたいになって、しかも、そういう人たちの言うことを、何の疑いも持たずに受け入れてしまうようになる。そういう人ばかりになったら、利益を得たい、一部の人の笛に踊らされて、あっという間に戦争にも巻き込まれてしまうでしょう。


きのくにの教育を広めることは、絶対に大切なことなんだ、と、強く思いました。


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2008年11月10日 (月)

もうすぐシンポジウム

11月22日は、きのくに子どもの村学園主催の、教育シンポジウムが開かれます。場所は和歌山県橋本市の教育文化会館で13時からです。詳細は下記をご参照ください。

http://www.kinokuni.ac.jp/kenkyusyo/page009.html

きのくに主催の講演会、シンポジウムは、何度も行きましたが、行ったら必ず実りがあります。(何かを得ようと、積極的な気持ちで行くならば、ですが。)

今回は、主に中学生が話しをするようです。子どもたちの様子を見れば、自由教育というのが、どんなものか、きっと、何かを感じ取れるでしょう。

きのくにとかつやまの中学生以外に、韓国にあるガンディ・スクールの子どもたちも参加するようですね。(誰が通訳するのかな・・・?)

自由教育に興味のあるかた、ぜひ、おでかけください。


かく言う私、数日前まで行く予定にしていたのですが、他の用事ーこれもとっても興味があるものーが二つ重なったので、今回は、そちらを優先することにしました。

以前少し触れましたが、日本くま森協会の福岡支部が主催の講演会が北九州で催されます。

「クマの棲む豊かな森を次世代へ残そう」というくま森協会の活動を知ってから、ずっと、何かしたいと思っていたのですが、なかなかチャンスがなく、日々を過ごしていました。今回、せっかくの機会なので、行ってきます。

http://www7.plala.or.jp/kumamori_fukuoka/index.html

*「講演会のご案内」から、「詳細はココ」をクリックしてください。

それと同じ場所で、夜、クラシックギターのコンサートがあり、これは以前から行きたかったのですが、シンポジウムと重なっていたのであきらめていたものです。

http://www.hpmix.com/home/guitarra/E4.htm

九州のみまさま〜、きのくにのシンポジウムにも行ってほしいけど、上の二つもお勧めです!

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2008年8月16日 (土)

どうして本音が言えないの?

7月19日の『道徳の時間ですよ!』にも少し書きましたが、大分県教員採用&教員昇進試験贈賄事件の話題です。こちらは地元なので新聞でも連日大きく取りあげられているけれど、関西、関東では、どの程度の記事になっているでしょう。


昇進試験贈賄事件では、三人の校長、教頭が良心の呵責に耐えかねて、自ら警察に出向きました。そのうちの一人のかたが、朝日新聞の取材を受けて語ったことが記事にでていました。


話しをしたのは贈賄で書類送検された小学校教頭。4年連続で教頭試験に不合格。合格者との答え合わせでは自分のほうが高得点だったこともあった。そのうち「コネのない人間がまともにやっていてもだめなんじゃないか」と思うようになり、そんなとき、知り合いに口利きを示唆され、50万円の商品券を渡してしまう。以下、記事の抜粋です。


【教員採用を巡る汚職事件が明るみにでた今年6月、事件を説明する全校集会の司会を任された。「たまらなく憂うつだった」。教員向けの研修もした。「偉そうに説明しながら、自分が不正を隠していることが耐えられなかった。と振り返る。

「ばれるのでは」。眠れない日々が続いた。良心の呵責に耐えきれずに7月8日、佐伯署に出向いた。

「先生は誘惑に負けた悪い人間です」。

前日、児童らへの書き置きを職員室の机に残していた。その後は年休を取り続けている。児童や保護者に経緯を説明してあやまりたいが、「混乱が起きる」と周囲に止められているという。

一方でこう話した。「正当化する気はないが、私たちのケースは氷山の一角。県教育界全体の体質を改めなければ、同じことが繰り返される」】


「混乱が起きる」として、本人の謝罪を止めている「周囲」って誰なんでしょう?

どんな「混乱」が起きるんでしょうか?


こんなことばっかりしてるから、いつまでたっても隠蔽体質は変わらないんですね。

このかたが児童に宛てた手紙も読まれないまま、何の説明もされないまま、なのだそうです。


私がこの学校の生徒だっとして、教頭先生がみんなの前で涙を流して自分のしたことを話し、謝ったら、多分そのことはずっと忘れられないだろうし、小学生ながらに、社会のことや、どんな人間になりたいか、自分だったらどうするか、など、いろいろ考えると思います。


もし、きのくにの大人が、何か、罪になるようなことをしたとしたら、絶対学校からきちんとした説明があると思います。

夜更かし会での会話からも、「そこまで話してくれるんですか〜?」と思うことが多々あり、本音での会話がとても気持ちよいです。


冒頭の教頭さんがいた学校、どうしてホントのことを述べてはいけなのでしょう。


私も自分のブログでぼやいていないで、教育委員会に電話でもして、意見を述べるべきなのだろうか、と考えています。


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2008年7月19日 (土)

道徳の時間ですよ!?

このところ毎日のように、大分県教員汚職の記事がでています。

これに関する談話で、

「一番の被害者は子どもたち。いったいどう説明すればよいのか・・・」という現場の声が載っていました。


一番の被害者は、合格点だったのに落とされた受験者だと思いますが、それはさておき、

「どう説明すればよいのか・・・」

って、その通り説明すればいいんじゃないんでしょうか?子どもをバカにするのもほどがある!(と、ちょっと怒っています。)


『心のノート』を使って、建前ときれいごとだらけの道徳の授業をするくらいなら、事件の経緯を、詳しく説明したらいいじゃないですか。


「自分の子どもをどうしても教師にならせたくて、有力者に頼み込んで、お金を払った人と、その人の言うことを聞いて、点数が足りないのに合格させた人がいて、そういう人が逮捕されました。みなさんはどう思いますか?私は、こういうずるいことをするのは、とても恥ずかしいことだと思います。」


と、そのままを伝えることに、何を躊躇する必要があるのか、私には理解できません。


「道徳」を授業で教えるということに、私は賛成できませんが、でも、どうしてもしたいなら、今回の事件こそ、絶好の、「道徳」の題材になると思うんですが・・・。


こういうことを子どもには隠しておいて、

【むねを はって いこう。 いちばん すてきな あなたで いよう。 せなかを ぴんと のばして すすんで いこう。 もっと すてきな あなたを みつけよう】 (心のノートより)

こんな文章読ませるのですか?

こんな建前教育で育てられる子どもたちが、気の毒です。

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2008年7月 2日 (水)

セヴァン・スズキさんのスピーチ

昨年6月、地球温暖化を考えるイベントが町内でありました。

そのとき、1992年リオデジャネイロでの地球サミットで、セヴァン・スズキさん(当時12歳)がされたスピーチの様子をビデオでみました。文章では読んだことがありましたが、映像の迫力は、胸に響きます。

もう一度見たい、と思っていたら、きょう、YouTubeで見られることを発見!

このブログをご覧になっているかたなかでも、すでにご存知のかたがたくさんおられると思いますが、ご紹介します。

環境問題、いつも心の中にあるのに、あまり行動していない自分がもどかしく、自分に活をいれるためにも、このスピーチのことを忘れないでいたい、と思っているのです。(セヴァンさんは、「伝説の」なんて言ってないで、行動しなさいよ、という気持ちかもしれませんが・・・。)

このスピーチの原稿は、当日になって、急遽、話しをする時間が与えられることになったという連絡がはいり、会場に向かうタクシーの中で、必死に書いたそうです。


http://jp.youtube.com/watch?v=C2g473JWAEg


セヴァン=スズキスピーチ全文

こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。

あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。


 今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。

 私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。


 太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。

 私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?

あなたがたは、私ぐらいの年の時に、そんなことを心配したことがありますか。

 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。

でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。


 どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。


 ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。

私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私は恐い。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。


 私の国でのむだ使いはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。

 カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。

 「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」

 家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。


 これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしてたかもしれないんです。

 もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどこのことを知っています。

 学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、
 

争いをしないこと

話しあいで解決すること

他人を尊重すること

ちらかしたら自分でかたずけること

ほかの生き物をむやみに傷つけないこと

分かちあうこと

そして欲ばらないこと

 ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか。

 なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。 

親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子供たちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

 父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。

あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私はいわせてもらいたい。もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。

 最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。
 

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2008年6月23日 (月)

大人の問題

6月19日の記事『しつけと体罰』にいただいた、SnowManさんの質問にお答えしたいと思います。


○あなたの子どもが同級生をいじめているのが発覚したら、そして、一度の話し合いで止めさせることができなかったら、どうしますか?


「いじめ」というからには、誰かと気が合わないとか、けんかした、とか、そういうレベルでなく、とても陰湿で、執拗で、繰り返し行われる「いじめ」のことですね?


まずありえないので、想像するのがとても難しいのですが、頑張って、想像してみます。


たぶん、母親である自分になにか問題があったのではないか、と考えると思います。もちろん、本人の考えも聞きますが。


幸せな子どもはイジメをしません。

それが、したとなれば、幸せでなかったから。
誰かから押さえつけられて、鬱屈していたから。
受容されていなくて寂しかったから。
言えないことがあるから。
自分が好きではないから。


たぶん、そうなったのは、親に問題があるからだと、思います。

力ずくで?言い聞かせて?「やめさせる」という問題ではないと思います。


SnowManさんは、私がお勧めした本も、お読みになったことがおありとのことですので、上記のことは、よく理解なさっていただけると思います。


残念なのは、「あくまで理想であって、現実的ではない」とおっしゃっている点。


SnowManさんにとっても、あの本の中で書かれている、大人の、子どもたちへの向き合いかたは、「理想」なのですね?それならば、時間はかかっても、まず、やってみる価値はありませんか?


もちろん、サッカーチームのコーチ、というお立場で、いろんな背景を持った子どもたちを抱え、責任も重くて大変だと思うのですけれど・・・。(そういえば、『体罰は愛のムチじゃない』へコメント書いてくださった、redsox555さんも、同じようなお立場で、いろいろと考え、努力なさっているようですよ。)
 *redsox555さん、コメント、ご紹介、ありがとうございました。


それと、『しつけと体罰』の記事に付けていただいた、koyamaさん、さんちゃんさん、むさしさん、くるくるさん、通りすがりのおやじさん、がたの、体験を通したお話に、何か感じるところはなかったでしょうか?


実際のところ、こうしてお返事を書きながらも、あの本を読まれても、上のかたがたのコメントを読まれても、「何も心を動かされなかった。理想と現実は違う」、とおっしゃるなら、私が何を書いても、無駄かも、という気もしております。


さて、この記事を最初にご覧になったかたがたへ申し上げます。

上記は、一つ前の記事↓へ寄せられたコメントについて書いたものです。

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_2200.html

そして、その記事は2006年6月23日の『体罰は愛のムチじゃない』↓が発端になっています。

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_e430.html


ご興味のあるかたは、コメントを含めて、両方お読みいただければ幸いです。


それから、koyamaさん、さんちゃんさん、むさしさん、くるくるさん、通りすがりのおやじさん、私の言いたいことを代弁してくださったようなコメント、大変ありがとうございました。


このままコメントのなかで埋もれてしまうのはもったいないので、順次、本文記事のなかで抜粋してご紹介したいのですが、よろしいでしょうか?

それは困る、ということでしたら、ご遠慮なくお申し出ください。

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2008年6月19日 (木)

しつけと体罰

いつも見にきてくださるみなさま、びっくりしませんでしたか〜?

2006年6月5日の記事、【体罰は愛のムチじゃない】に、すごい数のコメントがついていますね。これ、たぶん、東国原知事が、「愛のムチ条例をつくれないか」というような発言をなさったとかで、その記事の関連記事として、ネット上でアップされているみたいです。

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_e430.html

ネットって、すごいですね。


今昼休みで、ざざ〜っと読ませていただきましたが、体罰容認のかたって、多いんですね。ショックです。

それにしても、「げんこつ、手やお尻をぴしゃっとやる、そのくらいは・・・」というご意見も多かったですが、それって、しつけに、そんなに効果的ですかねえ?私はとてもそうは思えませんが・・・。


でも、普段は、自由教育やきのくに子どもの村学園のことに関心があるかたが見てくださる当ブログ、まったく別のルートから訪れるかたがいらっしゃるのは、よいかもしれません。聞く耳のないかたは別として、少しでも、「ん?何を書いてるんだ?」と興味を持ってくださるかたがいらっしゃるなら、ありがたいことです。


それから、「体罰以外で、どうやってわからせるのか」というご意見がいくつかみられましたが、そのような関心を示してくださったことに、感謝いたします。

まずは、記事中でも紹介しております、
森田ゆり氏の『しつけと体罰ー子どもの内なる力を育てる道すじ』(童話館出版)、をお読みください。その問題について、大変わかりやすくまとめてあります。

http://www.geocities.jp/empowerment9center/situke_to_taibatu.htm


これから子育て、孫育てされるかたに、とても参考になるものと思います。140ページくらいで読みやすいですので、私が一部抜粋するより、興味のあるかたは全部読んでいただいたほうがよいかと思います。


以下の本も、目からウロコが落ちるような、そんな思いにさせてくれます。

・『子どもと暴力』 森田ゆり著 岩波書店
・『愛は裁かず』 伊藤重平著 黎明書房
・『ゆるす愛の奇跡』 伊藤重平 黎明書房


それから、「子どもは動物と同じ。叩いて教え込まなければ」というようなご意見も、複数見受けられました。子どもの人権、ということに対する認識に私とは大変隔たりがあるようですね。

そのようなご意見に対しては、森田氏の『子どもと暴力』から、一部転載致します。私が大変共感している部分です。(PCで読みやすいよう、段落を多めにとっています。)


【「ケンジ、これからわたしがのどの中を見るから大きく口を開けて。」
ドクター・オーケンはしっかりと賢治の目を覗き込んで話しかける。

「のどの中はとてもきれいだったよ。じゃ次は耳のなかだよ。ー略ー」

ドクター・オーケンは、今何をしようとしているか、なせそうするのかを一つ一つまだ身長40センチにもならないベイビーに説明しながら診察する。終始、わたしにではなく賢治に向かって説明をする。そして最後に私の方に向きを変えて言った。

「何か質問は?今私が賢治に話していたことを聞いていたと思いますが、とても元気に成長していますよ。ー略ー」  

ー中略ー

思えば子どもたちは医療の現場に限らず、「子どもだからどうせわからない」という大人の決めつけで、何も説明されないまま行動しなければならないことがなんと多いのだろう。

親と一緒にどこかへ行く。いったいどこへ何をしに行くのかも説明されずわからないままただ親についていく。何かやってはいけないことがある。なぜそれをしてはいけないのかの説明なしに、ただなにしろやってはいけないと言われているから従わなければならない。

ドクター・オーケンがいくら平易なことばで説明しても、0歳の赤ん坊にその意味がわかってもらえないのは当然だ。でも、0歳でもしっかりと自分に向き合って話しかけてくる大人の心はわかる。自分を一人の人間として尊重してくれる人間関係の心地よさは伝わるのだ。

ー中略ー

子どもたちは日々、圧倒的多くの大人たちから「子どもだから」ということで情報を与えられないまま自分の行動をとらなければならないフラストレーションをからだのどこかにためこみながら生きている。

自分のからだは自分以外の誰のものでもない。だからそのからだを誰かに見せたり、触られたりするのだったら、子どもだって説明を受ける権利がある。

そんな基礎的な人権感覚は子どもの権利条約を勉強させるだけでは身につかない。大人が暮らしの中で、「子どもだから」という偏見を検証しながら子どもに関わることで育まれていくのではないだろうか。】


子どもの人権、という意識が希薄な大人が、まだまだ多いですね。私もまだ十分とは言えないと思いますし、すでに息子たちに、さんざん失礼なことをしてしまいました。

でも、気づいたときから変われる、と思って、精進しております!(笑)


それにしても、「しつけのために体罰は当然」とおっしゃるかたで、乱暴な言葉遣い、名前も記入無し、という投稿が多いですね。どのようなしつけを受けてきたのでしょうか?

数日後には、一部は削除させていただきます。

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2008年6月 1日 (日)

なんとかなる

*「いろいろ考えてしまって・・・」のタイトルだけ変更したものです。文章は変えていません。タイトルが長くなると、「最近のコメント」の項で一行よけいに使うので、欄がもったいないから変えただけです。深い意味はありません。


すっかり更新さぼってましたのに、さきほどアクセス状況見てみましたら、まあ、たくさんのかたが訪れてくださってまして、ありがとうございます。

なんだかんだと、あっという間に一日が終わってしまって、ずるずると日々が過ぎてしまっておりました。

ショッキングな事件も次々に起こり、いろいろ考えてしまっていました。


有名人(といっても、私はそのかたを知りませんでしたが)の自殺、というのは、マスコミでも大きく取りあげれて、私もずっと頭から離れません。

本人にしかわかり得ないことが、きっとあるのでしょう。

私はいつの頃からか「自殺」ということを考えはじめ、小学校のときには遺書を書くことで、気持ちを落ち着けているようなところがありました。そして、「もし私が自殺しても、きっと周りの人は、“勉強もできて、明るかったあの子が自殺するなんて・・・”って言うだろうな」なんて思っていました。


ナイフを手首にあてたこともあったけれど、今思えばあまり本気ではなかったかもしれません。

ただ、首を絞めて、ふ〜っと気が遠くなったときは、後から正気になって、「やばかった!あのまま締めてたら死んでたな・・・」と、少し焦りました。


今は、ちょこちょこと、いろんなことはあるけれど、基本的に毎日幸せで、楽しくて、「ああ、死ななくてよかった〜」と思います。

もし、今、自殺を考えている人がいたら、「ちょっと待って!!」と言いたいです。(自殺を考えてるような人は、こんなブログ、読んでないか・・・。)


つらいときは、その状況がず〜っと続くような気がするし、大恥をかいたときは、みんなが自分のことをウワサして、笑っているような気がするけど、ほんとはそんなことないんです。

しばらくじっとしてれば、状況も人の見方も変わってくるし、「なんとかなる」ってこと、やっぱり、多いと思う。


夫の父親は、「なんとかなる」っていう言葉が嫌いで、「なんとかなるんじゃない、なんとかするんだろう!」と、よく口にしていたそうです。

でも、「なんとかなる」って思って生きていたほうが、楽しく生きられるような気がする。


さてさて、気分を変えて、話しを息子のことに移します。

Fは、うまくいかなかったリハーサルから学び、本番までの5日間でさらに追い上げ、24日のサロンコンサートは、なんとか、今持てる力を出し切ったようです。

リハーサルのDVDも撮ってくれたのですが、それは、見せてくれないのです。本番のは見せてくれました。

「あんたも見てないの?リハーサルのDVD。」と聞いたら、本人はちゃんと見て、そのうえで、失敗したところ、よくないところを本番に向けて修正したそうです。

こういうところが、プロ根性、と思います。


Nは、バスケに燃えつつも、メンバー全員足やら手を痛め、なかなか練習ができない模様。

「俺たち呪われてるかも・・・」といいながらも、7月の大会出場は諦めていない様子。がんばれ〜!!


きの高生活は充実しているようで、毎朝携帯で目覚ましをかけ、朝ご飯をかき込んで、授業へダッシュ!

Nがスタッフから聞いたところによると、「きの高生は6分の5大人扱い」だそうで、朝、寮母さんが起こしてくれる、なんてことはありません。朝当番の子が、「朝食できたで〜」と、ドアをドンドンと叩いて回り、それで起きなければ、それっきり、なんだそうです。

私なんて、高校の頃、学校嫌いで全然起きられなかったのですが、母が階段の下から、「朝よ〜!起きなさ〜い!」と5回も6回も起こしてくれて、やっと登校してました。


きの高生、大人扱いされれば、自立もしますよね。

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2008年4月27日 (日)

重くて、暗いです

2週間ほど前に、映画 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を見ました。

最初は使命感に溢れていた若者が、いつのまにか、仲間同士でリンチをはじめ、どんどん仲間を死なせてしまうことになってしまいます。

見ている最中は、延々と続くリンチの映像に、胸が悪くなり、「なんで誰も止めないのよ!」とムカムカしていたのですが、映画が終わってから考えてみると、もし自分があのなかにいたら、私もリンチに加わっていたかもしれない、そんな気がしてきて、一週間くらい、そのことが頭を離れませんでした。

ネットでも、関連記事を読みまくったりして。

読めば読むほど、正義感が強い、と思っていた自分のことに自信がなくなってきて、とても気持ちが重かったです。


その心の澱が薄くなってきたころに、今度は、光市の母子殺害事件の死刑判決。

私が何か考えても、どうしようもないのですが、これも、頭から離れません。

なんといっても被害者とそのご遺族の悲しみ、つらさは言葉にできないほどだと思うのですが、いっぽう、加害者の生い立ちを知ると、この元少年も、気の毒なことだと思ってしまうのです。

まだ死刑が確定したわけではないのですが、これから最終的な判決がでるまで、彼は、なんらかの、人間的な教育を受けたり、心を受け止めてもらったりする機会はあるのでしょうか?

子どもの頃から父親に殴られ、母親は自殺。そして事件を起こして死刑、では、彼の魂は来世でどうなってしまうのでしょうか・・・。


だいぶ昔の事件ですが、吉展ちゃんが誘拐されて殺され、犯人は死刑になりました。犯人は刑務所の中で、教誨師と話し、深く反省し、短歌にその気持ちを書くようになったそうです。

執行後の母親の言葉が、あるサイトに出ていましたので、転載します。


【一方、吉展ちゃんの母親・豊子さんは小原の死刑執行後の週刊誌の取材で彼の遺した歌を読み、次のように語っている。
「あの人がこんなきれいな気持ちになれた代償が、吉展の死だったとしたら、やはり私どもにとっては大きすぎる犠牲ですね。まあ、あの人がこんな人間になって死んでいったことは、せめてもの救いですけど・・・・天国で、吉展をかわいがってほしいですね」】


最終的にどんな判決がくだるにせよ、光市の加害者には、人から暖かく受け入れられる経験をしてもらいたいし、そのうえで、自分が犯した罪を心から後悔できる人間になってもらいたいと思います。

彼も、先日紹介した、伊藤重平さんのような人と出会っていたら、人生が変わっていただろうと思うのです。


それと、彼の弁護士に批難が集まったようで、「身の危険を感じる」という談話を読みました。

今回の公判での、彼の主張は、一般人からすると、荒唐無稽に感じるのはもっともだし、私もなんてこと言い出すのだろうと、びっくりしました。でも、弁護士が、一般人、というか、「私が遺族だったら」という感覚になってはダメなんだし、どんなにおかしな主張でも、彼がそれを言ったのなら、それをもみ消すことはできないと思います。

うちはテレビがないので、その弁護士さんの話す様子を映像で見たことはないので、新聞やネット上で見る記事だけをもとに判断していますが、あんなに、身の危険を感じるほど、批難されることをしたかなあ、という気持ちです。

逆に、事件の被害者、加害者、どちらとも直接関係のない一般人が、「死刑にしろ!」と声高に言うことのほうが恐いです。陪審員制度になったら、どうなってしまうのでしょう。


こんなことを、ず〜っと頭の中でぐるぐると考え、こんなことをブログに書いてもどうしようもないし、と思いつつ、無視して次へ進めないし、という感じでした。

そして、とてもデリケートな話題なので、私の書いたことで、誰かをとても嫌な気持ちにさせたりしたらどうしよう、という気持ちもあって、ブログ更新できずに今日になりました。


おまけに昨日は、「いのちのたべかた」というドキュメンタリー映画を見てしまい、お肉が食べたくな〜い、気持ちです。


といっても、ずっと、どよ〜んと過ごしていたわけではなく、お仕事してるし、ベリーダンスのレッスンも行ったし、フランス語の勉強は(ちょっと)してるし、いろんなことでたくさん笑ったし、と、相変わらずではあるのですけど。


ふ〜。読んでくださって、ありがとうございました。

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2008年4月 2日 (水)

愛は行動である

【愛は行動である】

このことば、一日のうちで二回、別々のルートから、目に入ってきました。その一日とは、きのくに子どもの村学園の卒業を祝う会の日でした。


一回目は、その日学園からもらった、『かつやま子どもの村通信』の最後のページ、堀さんが書いている、『連載 ニイルのことば』の中にありました。一部転載します。


【愛は行動である:大人はしばしば子どもに「いつもお前のことを大事に思っているよ」という意味のことを言う。しかしニイルは「愛はセンチメンタルであってはいけない」と忠告する。

子どもが実感する愛は、具体的な行動で示されなくてはならない。思っているだけではダメなのだ。盗みをはたらく子を分析し共感するだけでも足りない。その子にご褒美をあげることが愛なのだ。

子ども好きというだけでは、よい教師ではない。子どもにやさしいだけでは不十分だ。子どもが成長の喜びを満喫する活動を用意できるように腕をみがき続ける教師が、子どもを愛する教師である。

サマーヒルは、あるがままの自分が受容され、仲間との触れ合いや共同生活を通して、自然につまりあまり意識しないで無理なく自分を好きになり、他者と認め合いながら成長できる学校だ。

こういう学校をつくり、苦労して維持したことこそ、ニイルの子どもへの最大の愛といってよいだろう。】


二回目は、同じく卒業を祝う会当日、きのくにの保護者であるYOKOさんからいただいた、『クマともりとひと』という本の一ページ目。【愛は言葉ではなく、行動である。】と書いてあったのです。

Photo


この本は日本くま森協会というところがだしています。ここの会の講演会に、YOKOさんの夫様がおでになり、大変感銘を受けたとのことで、この冊子をまとめて購入されたそうです。(詳しくは〈YOKO堂ぶらぶら〉をごらんください。)

表紙には穏やかな顔をして女の子をだっこしているクマの絵と、こんな文章が書いてあります。

【こんこんと水がわき出る森が消えるとき、すべての産業、都市が消える・・・
わたしたちの命は森にささえられています。
日本を自然保護大国に!
でなければ二十一世紀は生き残れません。
クマの棲む豊かな森を次世代へ・・・】

私も読んで、どか〜んと心を動かされ、早速200冊購入しました。(読んでみたいかた、入学を祝う会のとき持っていきますので、お声かけてくださ〜い!お声かかんなくても、持っていきます!)

で、そういえば、この、日本熊森協会については、2007年8月21日の記事『朝2時起きでなんでもできる!』にいただいた、ウルトラママさんからのコメントで紹介されていたのです!なんというご縁!こういうことでつながるって、なんだかとてもうれしいです。


きのくにからつながる不思議なご縁を大切にして、まず行動!と思いを新たにした次第です。

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2008年2月29日 (金)

心と体の支配

「前へならへ」「右向け〜右!」「休め」「小さく前へ〜ならへ!」「進め〜」

こんな号令で整列、行進をした経験のあるかた、たくさんいらっしゃいますよね?

私、さんざんやりました。小学校の運動会の練習のときなんて、人数が多いものだから、炎天下、泣きたくなるくらい延々とやらされました。

今振り返ると、教師も子どもたちも、なんてばかばかしいことに時間を費やしていたのだろうと思います。まるで軍隊でしたね。でも当時は、誰も問題視する人がいなかったのか、私も嫌だったけど、疑問も感じずにやってました。


この間見た、新藤兼人さんの映画、『陸に上がった軍艦』を見て、あのときのバカバカしさを思い出したのです。

新藤さんは既にシナリオライターとして、10年のキャリアがあったのですが、32歳で招集され、気の遠くなるような下働きをさせられます。

建物の掃除のため、整列してのぞうきんがけ。倒れれば水をぶっかけられて、吐いてしまえばそれに顔をこすりつけられる。演習では、木で作った戦車をロープで引っ張る側と、それに模造の地雷を投げつける側とにわかれての訓練。

食料確保のために、鯉の稚魚を池に放して、それが大きくなるようにハエをとってきて餌にする。

新藤さんは、「もうみんな、うんざりしてるんですよね。こんなことしてて、ほんとに役にたつのかなあと思いましたよ」、と言います。

そして、上官から理不尽な暴力を受け続ける毎日に、「抵抗しても無駄だ、という世界に身を置くと、人は野獣のようになるんです」と、当時を振り返っておられました。


それと比べると、私の小学校の時代はとても平和だったのでしょうけれど、教室から体育館に行く間も整列しなければならず、集会のときなど私語をしたり姿勢が悪かったりすると、殴られることもありました。


今はどうなんでしょうか?まさかそのようなことはないと思いますが、先日コメント欄で話題になった、『心のノート』を導入するあたり、心の支配が始まっているように感じます。敏感にアンテナを張っていなければ、と思う今日この頃です。

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2008年1月27日 (日)

殺伐としそうだな

東京杉並区の和田中学で、夜間や土曜日に塾講師が授業をする、というニュース、しょっちゅう新聞でとりあげられていますね。

ネット情報を含め、いくつか記事を読みましたが、主に以下の二点に関して論じられていると思いました。

・公立中学での教育の機会均等に反する
・公立学校の教育環境が貧弱である

私はそんなことより、「なんでそんなに勉強ばっかりしなくちゃならないの?人間として、他にもっと大事なことがあるでしょう!」と言いたいです。

朝日新聞の社説には、「家庭の事情で、この塾にも行けないう子が出るとすれば、なんとかしなければならない。」と書いてあったけど、私はこっちから願い下げです。こういう、「行けないのが不幸」っていう発想が、どうかしてると思う。


だって、学校で朝から夕方まで授業受けて、さらに夜まで?休みの日まで?なんだか気の毒です。こんな生活してて、人に優しく、ほがらかに、笑顔で過ごすことができるんだろうか。

それに、「おちこぼれ対策の補習をする」とか「できる子をさらに伸ばす」とか、そういう発想は、子どもたちをさらに序列化するし、子どもたち自身が、他者を、「自分より上か下か」という価値観で見るようにさせてしまうと思います。すご〜く危険です。イジメが減るわけないですよ。

先日の新聞の投書欄に、ある塾の講師をしている人の文章が載っていました。中学生の集中講座をしたとき、休み時間になってもトイレに行く以外、みんな机に向かっている、周囲と話しもしない。授業が終わってからも、みんな口もきかず、ばらばらに帰っていく様子を見て、ぞっとした、という話しでした。目に見えるようですね。


そもそも、朝から晩までやらないと身に付かない「学力」って、ほんとうに必要なんでしょうか?

いつまでも子どもっぽい中高生。何をするのも人とつるんでないと不安な大学生。自分の意見が言えない若者。「学力」よりもっと学ぶことがあるでしょう?と言いたくなります。

以前、中学三年生の子が、歯医者の予約時間になってもこなくて、電話したら、忘れていたとのこと。それで急いで来てもらったのですが、その子の言ったことは、「もうすぐ受験だったから(歯医者の予約を忘れた)」だったのです。「ごめんなさい」の一言もないことに、びっくりしました。

びっくりすると同時に、昔の自分を見る思いがしました。「受験」はなによりも大切、という気持ちでしたから。


受験といえば、我が家のNも中三です。本人は夏頃までいろいろ悩み、考えたようですが、きのくに国際高等専修学校(きの高)に行くことに決めました。(ちゃんと試験を受け、合格通知をいただきました。)この辺りのいきさつは、ちゃんと本人が4月に高専の入学を祝う会を終えてから、ぼちぼち書こうと思います。


同級生たちは、同じくきの高に行くと決めた子、留学する子、○○になりたいから、と、その夢に近づく高校を受験する子、まだ悩み中、といろいろです。多くは自分のやりたいこと、夢、その学校が魅力的だから、ということで、進路を選んでいきます。

でも、希に、「少しでも偏差値の高い学校に行きたいから」、という理由で高校選びをしている家庭もあるようです。きのくにまできていならがその発想、とても残念です。子ども自身がそんなことを言うというのは、結局親が家庭でそういう価値観の会話をしているのでしょう。


文部科学省は「ゆとり教育」は失敗だったといいだし、学校現場も塾まで使って「学力アップ」をうたい、親も、「もっと学力を!」と狂騒する。子ども社会はますます殺伐としそうです。


せめて、きのくにを知った人たちは、社会の流れに乗せられず、人生で何がほんとうに大切か、何が子どもを幸福にするのかを、十分に理解し、周りにも広げていってほしいものだと思います。

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2007年12月11日 (火)

つらい出来事

ほんの1、2週間前、知り合いのお子さん、小学三年生の女の子がトラックにはねられるという事故がありました。一時は重体だったのですが、今は意識も戻り、命に別状はないと聞いています。といって、まだ予断は許さないのでしょうし、怪我の治療も大変だと思います。

三人姉妹の真ん中で、笑顔のかわいい子です。あの子が、そんなひどい目にあったと思うと、胸が苦しくなります。お父さん、お母さんのショックも、とても人ごとではありません。

下校途中の横断歩道で、青信号で渡っているときの事故です。

最近では、あるタレントさんの娘さんも、青信号でわたっていて、トラックにはねられてなくなるという、痛ましい事故がありました。


こうなると、いくら交通安全指導しても、無駄なのでは、という気さえしてきます。

今日は夜、フランス語の授業ででかけていたのですが、帰りの車のなかで、「どうしたらいいんだろう」、とずっと考えていました。で、思い出したのが、以前、先生が言っていたことです。

「私、日本に来て最初に驚いたのは、日本人は信号が青になるとすぐ渡りだすでしょ。アブナくて信じられないよ。フランスでは、青信号でも車来ることあるからねえ。」

そういえば、フランスに行ったとき、そもそも信号を守っている人はほとんどいなくて、みんな、「自己責任」という感じで、信号が青だろうと赤だろうと、自分で左右確認して、さっさと渡っていました。


日本でも、我が身を守るために、横断歩道を渡るときは、信号を見るんじゃなくて、車がこないかどうかを見てから渡るように習慣づけたほうがより安全かもしれません。

帰ってから、早速Fに言いました。
「信号青だからって、ぴゃ〜っと渡っちゃだめだよ。信号は信用できても、車は信用ならんよ!!」と。

そしたらF、
「あ〜、オレ、全然見らんで渡ってたわ。」ですって!

いつもバス停に行くには、自転車でギターしょって、家の前の下り坂をが〜っと下り、下りきったところに信号あり。そこは、けっこう車通りのある道です。


子どもを守るとともに、私自身も、車を運転して、ひやりとしたことが何度かありますので、これからは更に注意をして、安全運転をしなければ、と肝に銘じました。

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2007年10月 9日 (火)

報道の問題

数年前、新聞社に取材を受けたことがあります。教育特集の連載記事で、きのくに子どもの村学園に子どもを入れている親の話しを載せたい、ということでした。

夫も私も、そりゃあ、張り切りましたよ〜。我が家が新聞にでるからっていうのじゃなくて、大好きなきのくにのことを思いっきり話せるから。たくさんの人たちに読んでもらえる新聞だから、きのくにのよさがちゃんと伝わるように話しをしなくちゃ、と思って。


仕事が終わる18時過ぎ、女性記者さんが来てくれました。すでにきのくにでの取材も済ませた後と言うことで、話しも通じやすく、気持ちよく話しができました。


で、数ヶ月後、出来上がった記事を見て、愕然としました。

話したことと、全然ちがう〜!!

【息子は内気で泣き虫で、地元の小学校になじめなかったので、きのくにに行ったら、自然の中でのびのびと元気になった。】

こんなストーリーになってるんです。

記者さんに、「お話したこととだいぶ違うようですが・・・」と言いましたら、「はい、すみません、デスクに書き直されて・・・」と涙ぐんでしまいました。

どうも、新聞社としては、「不登校の子が“自然に恵まれた山の中の学校”に行って、たくましく成長した」というストーリーが最初にあったらしく、それにあわせて文章をつくっているわけなのですね。

もう、がっくりでした。

きのくにのスタッフがどれだけ細やかに子どもたちを見てくださっているか、管理しない教育が、どれだけ子どもたちを成長させるか、などなど、体験をふまえていっぱいお話ししたのになあ。


この経験があってから、新聞、雑誌の報道に懐疑的になりました。テレビは持ってないから見ないけれど、きっと、編集によって、いくらでも世論をつくることができるんだろうな、と思います。


そんなふうに思っていたのに、最近問題になっている、光市母子殺人事件の裁判のお話、私も、新聞を読んで、「こんな弁護するなんて、いったいどういう人間なんだ」と、嫌悪感をもよおしていました。

でも、その弁護士さんが書いているブログを読む機会があり、ああ、やはり新聞、雑誌の報道だけでは、伝わってないこともたくさんあるのだなあ、と改めて感じた次第です。


まだまだ知らないことはたくさんです。決めつけてはいけないと、自戒した次第です。

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2007年9月27日 (木)

子どものほうがわかってるのに

9月23日朝日新聞朝刊 『こども 脱・いじめ』の記事で、読者からの投書がまとめて載せてありました。特に印象的だったもの、二つから、少し抜粋します。


〈中学三年生女子〉
【いじめは、ちょっとしたやきもちやストレス解消から始めるんだと思う。いじめられた人がいじめる側になるのはよくあること。自分もいじめたことがある。
学校以外の塾や習い事の教室ではいじめがあまりない。学校がなくなればましになると思う。】


〈16歳女子〉
【「いじめるとスカッとする」という子どもがいるのは、彼らが日頃から相当嫌なものをため続けている証拠です。そのたまったものが変形して現れた姿が、いじめなのだと思います。

今の社会では、子どもは自分の感情を「ないこと」にしています。表すことを許されない「怒り」「悲しい」といった感情を、いじめることでやっと出しているのです。

「いじめたくなる気持ち」は持ってもいい。それを認めれば、子どもの心のもやもや感が軽減でき、いじめが減るかもしれない。「いじめてやりたい」と思うことと、実際にいじめることは違うから。】


どちらの意見も、問題の本質をついていると思います。


最初の、「学校がなくなればましになると思う」という意見は、以前、内藤朝雄氏も同じことをおっしゃっていましたし、ここでも取りあげました。私も、今の体制の学校と教育が存在し続ける限り、イジメはなくならないと思います。


だいたい、親だって、保護者会で気の合わない人がいたり、嫌な思いをすることがあるでしょう?それでも、なんとかやっていけるのは、一日中保護者会のメンバーと同じ部屋で過ごす、という必要がないからです。気の合わない人とは、距離を置くことができます。


今日会った友人が、「もう保護者会や子ども会で、疲れる〜。でも、大人は、そのときだけ我慢すればいいからましだよね。子どもたちはずっと一緒だもんね。」と言っていました。


きのくに子どもの村学園で、深刻ないじめがないのは、まず第一に、子どもたちが抑圧されていなくて、自己肯定感がある、ということが一番大きいと思います。そのうえで、クラス単位で動くプロジェクト活動あり、全然別のメンバーとのチョイスの活動があり、全校生が集まるミーティングあり、と、子どもの集まりに、動きがあるというのも影響しているでしょう。

そもそも、多くの時間をすごす、プロジェクトのメンバーが異年齢の集まりですので、みんな違って当たり前、という空気があります。


最近起こった、高校三年生が恐喝、イジメを受けて自殺した事件について、家族で話していたとき、Nに、「きのくににヒドいイジメがないのは、なんでだと思う?」と聞いてみたところ、

「ミーティングがあるっていうのが、大きいかな。みんの問題になるから。」と言っていました。

ミーティングでは、いじめたとされる子が叱られたり、責められたりするわけではありません。双方の言い分をよく聞いて、周りの子も、それを自分の問題としてとらえます。そして、どうすれば快適に過ごせるかを、小さい子も大きい子も、みんな一緒に考えるのです。


冒頭二つ目の投書にある、 【「いじめたくなる気持ち」は持ってもいい。それを認めれば、子どもの心のもやもや感が軽減でき、いじめが減るかもしれない。」】は、的を射ていると思います。

イジメが発覚するたびに、「命の大切さを伝えたい」とか「道徳教育をもっとしなければ」と、多くの教育者が言うけれど、そんなことしても、無駄ってことは、子どもはよ〜くわかってるのにね・・・。

「いじめたい気持ち」も、怒りも、イライラも、全部「よくないこと」として封じ込めるから、ますます陰湿に、上手に(?)なっていくのにね・・・。


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2007年8月25日 (土)

ハートボイス

【岡崎がまだ小さいとき、

「徹は、大きくなったら何になりたい?」と、おじいさんに聞かれた。

「ぼくは、お医者さんになりたい。」と答えた。
おじいさんは大よろこびした。お医者さんはおじいさんの夢だった。小さい岡崎には、自分の夢とおじいさんの夢の区別がつかなかった。お父さんもお母さんも、岡崎の夢に夢中になった。

岡崎は、自分の夢が見られない・・・。

長瀬先生や吉岡先生との出会いは、岡崎の殺していた自我を目ざめさせた。何よりもテストの結果を優先する、自分の家族の生き方に疑いを持ちはじめた。かくれて読んでいたマンガを取りあげられ、食事の時間まで制限される生活に、とうとう岡崎は切れた。

「二日まえ、ぼくは家出をしたんです。でも、遠くに行く度胸はなくて、結局、近くの本屋さんとコンビにで、時間をつぶしました。そのうち、お父さんに見つかって、家に連れもどされて・・・。お母さんがぼくにいったことばは、『四時間のロスタイムよ。今日はねないで取りもどすのね。』それだけだった。ぼくの決心なんて、だれも本気にとってくれなかった。」

ー中略ー

「もう、家には帰りたくない。だれの顔も見たくない。これ以上何かいわれたら、ぼく、お母さんを殺すかもしれない。」】


この文章は、『ハートボイス』という小説の一部です。最近起こった、16歳の男子がおじいさんを殺害した事件を思い起こさせます。

著者は青木和雄氏。心理学を専攻し、教育委員会、小学校校長などを経て、現在は教育カウンセラーをしておられます。

他の著書に、『ハッピーバースデー』『ハードル』があり、いずれも子どもたちが悩み葛藤しながらも、心から信頼できる大人や友人と出会って、力強く立ち上がって行く姿が描かれています。

登場人物の言葉がすばらしくて、胸にずんときて、特に『ハッピーバースデー』を読んだときは、号泣してしまいました。「こんな話しをしてくれる大人と出会いたかった」と思ったのです。


また、カウンセラーとしての事例をとりあげた、『HELP!ーキレる子どもたちの心の叫び』では、いじめ、虐待、少年犯罪などを取りあげ、押さえつけられて来た子どもたち、また、未熟なまま大人になってしまった親たちの様子が書かれています。


これらの著書を読むと、青木氏は、子どもの心がわかっているかただなあ、と思います。小、中、高生の読者が多いのもうなずけます。彼らはきっと、青木氏の本のなかにでてくる、すてきな大人たちに出会いたいと思っていることでしょう。


子どもや孫に、「難関大学にはいってもらいたい」とか「医者になれ!」とか言っている大人にこそ読んでほしいけど、読むわけないでしょうね・・・。

事件が起こるたび、そしてその背景を知るたびに腹立たしく、やりきれない思いがします。

人を殺していいわけはないですけど、人の心を殺すのは、なんの咎もないんでしょうか?

おじいさんを殺してしまった16歳に、共感を覚える少年少女がたくさんいるでしょう。

私自身、親を殺そうとまでは思ったことはありませんが、「いなくなってほしい」とは思ったことがあります。もしあの頃、青木さんの本に出会っていたら(当時はまだ出版されてませんが)、きっとつらい思いをしたためた手紙を送ったと思います。


背後霊のようになって、子どもを管理支配する親たちには、どうか、青木さんの本を読んでみてください、と懇願したいです。


作者あとがきから少し転載して、今日のところは終わりにしたいと思います。


【ある中学を訪問したとき、「うちの学校には、いじめはありません。生徒たちには、自分の進学のことだけ考えるように指導しています。友だちと関わらないようにすれば、いじめも起きませんから」といった教師がいました。わたしが、子どもたちの「ハートボイス」を、本に書こうと思ったきっかけにもなる、重いことばでした。

ハンディキャップ、国籍、性別、家庭の事情など、子どもたちは、さまざまな重荷を背負って生きています。異質なものを排除するのではなく、尊重するやさしさは、友だちと関わらなくては学べないと思うのです。「いじめ」解決の道は、子どもたちが深く関わり、考えを語りあい、おたがいを理解する過程にこそあるのです。

ー中略ー

学校が変われば、子どもも変わり、親も変わります。そして、社会も大きく変えていきます。多様化した価値観に巻きこまれ、学校が大きくゆれているように思えます。方向を見失わないようにと祈る思いで、この本を書き上げました。子どもたちにはもちろんのことですが、おとなの方がたにも、ぜひお読みいただきたいと思っています。】

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2007年6月14日 (木)

グローバルニュース

二つお知らせがあります。

まず一つ目は、6月22日までに『30秒で世界を変えちゃう新聞』という、『豪快な号外』を4900万部配布し、その22日の夜はキャンドルナイトをしよう、というプロジェクトのニュースです。詳しくは、下記のHPをご覧ください。

http://www.teamgogo.net/

このページから、プロジェクトに参加したり、寄付をしたり、新聞をダウンロードすることができます。関心のあるかたは、ご自分が可能な方法で、参加してください。できれば、環境問題に関心のない方にこそ、この新聞を届けたいなあ、と思います。


もう一つは、トラックバックの欄にある、ブログです。

http://exodus.exblog.jp/5869027

参議院選挙の民主党予定候補者に、憲法9条改変に賛成か反対かを、アンケートした、その結果が載せられています。ご覧ください。

野田正彰氏もおしゃっていたように、政治を変えることはとても重要だと思います。

いろんな情報を参考にして、よく考えて投票したいです。でも、難しいなあ。

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2007年5月 5日 (土)

絶望はしていない

4月29日、きのくに子どもの村学園での春祭りの日、野田正彰氏(精神医学者、関西学院大学教授)の講演会がありました。

タイトルは『子どもの成長が親の社会観の変化につながる学校』


最初、野田氏は、「みなさんは子どもさんがきのくにに来ておられるので、現在公立小学校の現状をご存知ないかもしれませんね」ということで、京都のある公立小学校の通知表の内容について、話しをしてくださいました。

実際の通知表を持ってきてくださったのですが、それは、なんと14ページにもわたるもので、内容も、信じられないような事細かさ。

たとえば国語は、各単元ごとに、【国語への意欲・・・】【話すこと、聞くこと・・・】【書くこと、読むこと・・・】など、それぞれにABC評価をつけ、さらに【全体の評点】というのを11個つけなければならないそうです。

これらを毎学期、全部の教科について行い、学年末の総評価もいれると、一年で272項目の評価をすることになります。こんなことが、ほんとにできるのでしょうか?でも、しなければならないんですよね。こういうことを課せられている先生がたは、どんな精神状態になってしまうのでしょう。子どもの気持ちなんかに、かまってられないんじゃないでしょうか?

おまけに、その通知表の表紙は【神社】の挿絵が描いてあります。


他にも、教育界の危険な状況の話しがありました。


そして、私たちは、どうするべきか、というところで、以下のような話しがありました。(メモを取るのも限界があり、あくまでも、私が書き取れた範囲でまとめたものです。)


【人間の幸せ、喜び、というのは、親しい人と深い交流ができること。その点で見たとき、親子が人として交流できていて、喜びがあるか。

大人が子どもから得ているものとして、生きていることのあたたかさややわらかさがある。きのくにでは、子どもの可能性が開かれているのに驚く。訓練による教育の成果を遥かに越えた成長がある。

みなさんは、子どもと交流して、今の教育を変える力をつけてほしい。】


最後に、「今の教育の状況はとても悪いが、私たちはどうすればよいと思いますか」という質問に、このように答えておられました。


【まず、政治を変えることです。そして、子どもの、違う生き方をつくっていくことです。私は絶望したことはありません。絶望は、所詮からまわりでしかない。

どんな強固に見える社会体制でも、変わるときは変わるのです。それは、外の影響で変わることが多い。この国で多数であることが、人類にとって多数ではないのです。】


ものすごく勇気のでる言葉でした。そして、私も、たまたまきのくにに出会って、幸せな親子関係を築かせてもらっているけれど、これを、「我が家の幸せ」だけにしないで、社会を変える力をつけていきたい、行動していきたい、と、心から思いました。


*あの講演をお聞きになったかたで、補足、訂正などありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

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2007年4月13日 (金)

学級制度の廃止

ギタリスト村治佳織さんのお父さん、村治昇氏の記事が載っていたので、『婦人公論』4/22号を買いました。
そうしたら、ちょうどその号は【子育て】に関する特集だったようで、なかなか面白い記事が多かったです。


なかでも興味を惹かれたのが、ヤンキー先生、こと、義家弘介氏と明治大学助教授の内藤朝雄氏の対談です。

義家氏はすでにかなり有名で、私も雑誌、新聞、ラジオなどで彼の考えを聞く機会もありましたが、考えがあまり深くないように感じるところがあって、主張全体にも共感できない部分が多々ありました。

一方、内藤氏のほうは、この雑誌で初めて知りましたが、論点がすっきりはっきりしていて、主張も共感できるものでした。

内藤氏は、いじめを二つに分け、それぞれ別の対処をするべきと言います。

ひとつは暴力系のいじめ、もう一方はシカト・くすくす笑い・悪口などのコミュニケーション操作系のいじめ。

前者は犯罪なのだから、法的に対処し、必要ならば警察に任せる。

後者に関しては、このように話しています。


【問題はコミュニケーション操作系のいじめ。隠微で曖昧な笑いやしぐさ、どうとでもとれる言葉を「いじめ」と判断し処罰を下すことは、現実的に不可能です。

しかし、解決策は簡単です。

学級制度を廃止すればいい。生徒を、限定された空間と人間関係に軟禁する学級制度を廃止して、より広い生活空間で友達を選べるようにすれば、コミュニケーション操作系のいじめは、効力を大幅に失います。

同じシカトやくすくす笑いでも、学級制度のもとでは相手を自殺に追い込みかねない凶器となり、大学のような自由な生活空間では「単なる不快な言動」と化すわけです。】


私もこれを読んで、「その通り!」と思いました。

朝登校したら、まず教室に入って鞄を置いて、それからほとんど一日中、その教室で、過ごさなければならない。少なくとも一年間同じメンバーで。

うまくいっているときはいいかもしれないけれど、一度いじめられたり、からかわれるような立場になってしまうと、もうクラスは地獄なんですよね。逃げ場がない。


この内藤氏の意見に対して、義家氏は、

【私は、学級をなくしてしまうという考えには反対ですね。社会に出れば、それこそいろんな荒波に遭遇するわけで、嫌いな相手と仕事をしなければならなかったり、自分が弱い立場に立たされたりすることもある。

小中学校のうちにさまざまな人間関係のなかでやっていく力を鍛えておかなければ、結局は後で苦労するはめになるだけです。子どもたちの人格形成にとって、集団教育は必要なものなのです。】


私はこういう考え方が嫌いです。結局は、イジメに耐えろ、自分でなんとかしろ、と言っているように聞こえます。


この義家氏の発言に対して、内藤氏は、こう答えます。(最初の部分、ちょっと省略します。)

【ー略ー  社会は立場の弱い者へのいじめなど、理不尽に満ちているのだからといって、学校でも同じ理不尽を体験させるべきだ、とは言えません。苦労には、したほうがよいものと、しないほうがよいものがあります。

強い者の理不尽に屈服するとか、「自分の心を変えて」までいじめられた相手となかよくする、といった苦労は、せずにすむのならしないほうがいい。】


つづきは、どうぞ本屋さんで立ち読みでもしてください。でも、買って損はないと思います!

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2007年3月16日 (金)

ミキハウス

来週、東京からこちらへ遊びにくる義弟の子ども(一歳)へのプレゼントに、ミキハウスの洋服を買いました。

「高級服」のイメージがあったので、自分の息子が小さいときは、なかなか手がでなかったのですが、プレゼントだし、久々にかわいい子供服を買うのも楽しくて、奮発しちゃいました!

夢一杯の店内で、店員さんにいろいろ説明してもらって、ゆっくりじっくり品物を見ました。

色使いがおしゃれでかわいいし、リバーシブルで着れたり、ズボンの長さを調節できたり、見た目も機能性も丈夫さも、文句なしです。ああ、楽しいお買い物だった!


実は、きのくに子どもの村学園は、このミキハウスに大変お世話になっています。開校時、またその後も、ミキハウスの木村晧一社長は、多大な援助をしてくださったのです。

堀学園長も、「ミキハウスの支援がなければ、開校はだいぶ遅れただろう」とおっしゃっています。


木村社長は、何の見返りも求めず、支援していることを宣伝することもなく、純粋にきのくにの理念をご理解なさった上で資金援助してくださいました。

「偏差値教育で育った子は、これからの社会には要らない。個性のきらりと光った子を育てて欲しい」と、よくおっしゃるそうです。


この話しをきいて、ミキハウスが大好きになりました。なので、自分の子どもはもう大きくなってしまったけれど、誰かの出産祝いを買うときは、できるだけミキハウスのものを買うようにしようと思っているのです。

だって、きのくにがあるのも、木村社長の協力があればこそですもの。
心から、感謝、です。


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2007年2月20日 (火)

受験で親は何をする?

「今年中三なの。受験で大変だわ〜。」
「塾の送り迎えも忙しくなるのよ。」

久しぶりにお会いした方と、「お子さんいくつになりましたっけ?」なんて話しをしていると、こんな返事が返ってくることがよくあります。

年賀状にも、
「今年は息子が受験です。忙しくなりそう。」 などと書いてあることがよくあります。


受験って、家族の一大事みたいですね。
「大変だわ〜」と言いながら、みなさん、どことなく嬉しそう、というか、張り切っているというか・・・。

でも、「大変」って言っても、親がすることって何かあるんでしょうか?
自分が受験するわけじゃあるまいし、何がどう大変なんだろう・・・。

ナゾです。

それにしても、親にこんなにはりきられたら、子どもは重くないかしらん。


きのくにの保護者さんに聞いた話しですが、あるスタッフがこんなことを言っていたそうです。

「子どもさんに、“うちの親はな〜んにも言わないけど、俺が今年受験って、わかってんのかなあ。”って言わせるくらいがちょうどいいんですよ。」


私は、スタッフがこういうふうに言えちゃう、そんなきのくにが大好きです。


息子、娘が新たな道に歩みだす、そのことはとてもわくわくすることです。でも親は、彼らの人生を静かに見守り、ヘルプを求められたら、できることをしてあげる、そんな立場でいいはずです。


Nも4月から中三。

中間休みが明けて、きのくにに戻る日、
「今度帰ってくるのは一ヶ月後やな。それで二週間したら、もう中三や。早いなあ。」

とつぶやいていました。

Nはどんな道を選ぶのかな。楽しみです。

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2007年2月12日 (月)

街宣車に乗っている人たち

この間の土曜日、眼科の受診のため、隣町まででかけました。

行くときから、やたらと警察車両が出動していて、なにかあったのかなあ、と思いつつ、受診後、喫茶店で本でも読もうと、立ち寄りました。


そしたら、もう、すごい数の黒塗りバスがぐるぐるとゆっくり走っていて、なんかわめいてるんです。


喫茶店の店員さんに聞いたら、なんでも、日教組の集会があってるとかで、それで、街宣車が走り回り、それを警戒する警察車両が出動しているとのこと。


「この国の教育をだめにしたのは、教員組合だ〜・・・・」とか

「○○(わめきすぎで声が割れてよく聞こえない)は、でていけ〜」とか、

ず〜っとわめきながら、会場周辺をぐるぐる走っています。


喫茶店を出てから、信号待ちでそれらの車両とすれ違ったので、中がよく見えたのですが、大型バスなのに、中はがらがらで運転席と助手席にしか人が座ってない車がほとんどでした。


それでもとにかくたくさんの車を走らせて威嚇することがポイントなのかな?


乗ってる人たちは、老若男女、様々でした。


どうしてああいうふうな活動をするのでしょう?
ああいうやり方が、効果的だと、ほんとうに思っているのかなあ?


でも、どんどん行き過ぎる車の中の人たちを見ていて、私もあの車に乗っていたかもしれない、と、ふと思いました。

もし、子どもの頃から、信頼できる人が誰もいなかったら、ああいう、一つのイデオロギーに傾倒する集団の一員となって、一体感を感じていたかったかもしれない。


中には、ほんとうに使命感を持って活動されているかたもいるのかもしれないけれど、なんだか、見ていて、切なくなってしまいました・・・・。


とりとめなくて、すみません。


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2007年2月 9日 (金)

どうしても考えてしまう

だいぶ前のテレビドラマで、イジメで自殺してしまう中学生の話しがありました。

野島伸司(漢字合ってる?)さんが脚本で、堂本剛くんが自殺してしまう子の役で、赤井英和さんがそのお父さん役でした。タイトルがどうしても思い出せません。どなたか覚えてますか?


それが、ぞっとするくらい陰湿でひどいイジメだったんですよ。おまけに先生も、見て見ぬ振りどころか、いっしょにその子を追いつめていて、ほんとにしんどいドラマでした。


先日読んだ『教室の悪魔』そのものです。ドラマ見たときは、「実際のイジメはここまでひどくないだろう」と思ってたのですが、認識が甘かったです。


昨年末に福岡の中学生が自殺した事件がありましたが、その事件の後も、ターゲットを変えて、同じメンバーでイジメが続いていた、という報道もありました。


自分がいじめた子が死んでしまって、ショックじゃないの?
どうしてそんな卑怯なことやってしまうの?


最近、アメリカではKKK(クークルックスクラン)の活動が、また活発になってきているそうです。

KKKもそうだし、ユダヤ人を根絶やしにしようとしたナチスもそうだし、「人種隔離政策」なんてことを考え、実行した人々もそうだけど、今の子どもたちの陰湿なイジメと根っこは同じなんでしょうか?

幸福でなくて、何かを恐れていて、怒りがあって、誰かをスケープゴートにせざるを得ない、気の毒な人たち。


なにをどうすれば、イジメはなくなるのだろう・・・。

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2007年1月29日 (月)

教育再生会議

教育再生会議、連日新聞に出ていますが、ゆとり教育の見直しとか、授業時間数を増やすとか、奉仕活動の義務化とか、なんでこんなばかばかしいアイデアしかでてこないんでしょう。

「子どもが幸福な人生を送るために」、という視点がほとんど感じられない。ただ、管理しやすいオリコウサンをつくりたいだけのように感じます。(でも実際は、オリコウサンどころか、ストレスでふくれあがって、いつもイライラした人間を作ってしまうのに・・・)


そんなことを思っていたら、本日の朝日新聞朝刊9面に、胸のすくような意見が載っていました。


『時流自論』というコラムで、本田由紀氏(東京大学教育社会学助教授)が書いています。


まず、再生会議の提言の二点に対する反論です。

一点目の「授業時間を増大させて学力向上をはかる」ということに関しては、ある研究グループの調査から、授業時間数と成績との間に関連は認められない、ということを述べています。

そして二点目、「学力低下」がほんとうか、ということに関しても、調査結果をもとに、【現在の体制のもとでも、「学力低下」が直線的に生じているわけではない。日本の児童生徒の学力は、国際的に見ても総じて非常に高い水準を維持している】との見解を述べています。


そして、さらに付け加えているのが、下記の部分です。


【様々な調査結果で日本の児童生徒の顕著な特徴として必ず見いだされるのは、勉強が「好きだ」「楽しい」と答える者や、将来の仕事と結びつけて勉強していると答える者の比率が際立って低いことである。日本の教育の最大の問題は、子どもが教育内容に生活や将来との関連性や意義を見いだし得ていないことなのだ。】


「日本の子どもたちは、好奇心や学ぶ意欲がないことが問題だ」と話した教育学者もいます。


全く同感です。問題はそこなんですよね。

多くの子どもたちは、テストでいい点をとるため、通知表の評価があがるため、受験のため、に勉強します。学校や親が「やれ」というからやっている。先生が休んで自習になったら、大喜びする子どもたちです。そんな状態で、さらに授業時間を増やして、効果があがるとでも思っているのでしょうか?


そして、きのくに子どもの村学園の教育こそ、その問題を解決しうるのです。

卒業生の進路も、小中のプロジェクトで取り組んだことをもとに選んでいる子が多い、というのを聞いたことがあります。

ある子は、中学で三年間、「動植物研究所」というプロジェクトに取り組み、高校も、その分野のところへ進みました。

小学校から物をつくることが好きだった子は、中学では「道具製作所」というプロジェクトに入り、現在は高等専門学校の電子制御工学科に進みました。

その子は卒業後、「きのくにで自分のしたいことを見つけ、それができる学校を自分で選ぶことができた」と書いています。


教育再生会議で膨大な時間を費やして、お粗末な提言をするくらいなら、一度メンバー全員で、きのくに子どもの村学園の研究でもなさったらいかがでしょうか?


*朝日新聞の【時流自論】に【column@asahi.com】と書いてあったので、【http://column@asahi.com】で記事が読めるのかな、と思ったら、なにも出てきませんでした。どなたか、ネット上でこの記事を読める方法をご存知でしたら教えてください。


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2007年1月25日 (木)

言わずにおれなかった

予備校生の兄が妹を殺害した事件で、ご両親の手記が発表されましたね。

それを読んで愕然としました。いくら事件のショックが大きいといえ、この人たちは、今回の事件を、自分たちの問題としてはとらえていない。親である自分たちのことを全く顧みていない。自分たちが何をしてきたか、何をしてこなかったか、全然わかってない。


世間にお詫びを言う前に、まず、自分の子どもたちに詫びるべきじゃないでしょうか。


「亜澄ちゃん、素直に謝れない子にしてまってごめんなさい。お母さんがあなたの気持ちを十分わかってあげれなくて、ほんとうはすごくさみしかったんじゃないかな。お母さんはいつも世間体ばかり気にして、そのままのあなたを愛してあげられなかった。お兄さんにもあんな口のききかたをするような子になったのは、お母さんにも責任があると思います。ほんとうにごめんなさい。」


「勇貴くん、いつのまにかあなたを追いつめてしまっていたんだね。いくら怒りが爆発したからって、妹を殺してしまうなんて、きっと、長年の間に、耐えきれないほどのストレスがたまっていたんだね。そんなにストレスをためさせた原因はお父さん、お母さんにもあると思うよ。ほんとうにごめんなさい。これから一緒に生き直そう。」


私は、両親の手記が公表されたと知った時、こんな文章を想像しました。


ところが、自分たちのありかたを振り返る言葉は一言もなく、それどころか、亜澄さんの性格の悪さに一因があるように書き、

【何故あの時、亜澄が「ご免なさい」と兄に謝ってくれなかったのか、もし、謝ってさえいてくれれば、兄も我に返り、このような凶行に至らずに済んだのではないか……】

とまで言ってしまう。

確かに、「一言謝ればこんなことには・・・」とは思うかもしれませんが、亜澄さんの【他を顧みない自由奔放な性格と行動】が、どうしてそうなったのか、と考えたことはないのでしょうか?


そして、自由奔放という言葉を使うこと自体間違っています。こんなところで「自由」なんて言葉を使ってほしくないです。ご両親の言いたいのは「自己中心」ということではないですか?


そして、自己中心だったのは、亜澄さんだけでなく、ご両親がそうであったに違いないと思います。ご両親が今までの価値観を見つめ直し、内省しないことには、勇貴くんの真の更正はありえないし、亜澄さんもうかばれないと思います。

私は亜澄さんと勇貴くんが気の毒でなりません。


事件を起こさないまでも、こんな親子がまだまだたくさんいるはずです。

子どもの起こした問題を、「子どもの問題」としかとらえられない親たちです。「子どもの問題」を、人のせいにしたりする親たちです。「子どもの問題」は「自分の問題」として考えなければ、なに一つ解決しないでしょう。


事件のことを新聞報道でしか知り得ない私が、こんな偉そうに書くのは筋違いかもしれません。失礼かもしれません。でも言わずにおれませんでした。


なお、手記全文を下記に転載しました。みなさんはどうお感じになりますか?


〈以下1月24日付け毎日新聞より転載〉

この度は息子勇貴の事件によって、世間の皆様に対し、大変なご心配をおかけしお騒がせ致しましたことを、紙面をお借りして心よりお詫び申し上げます。

私ども家族にとりましては、事件を知ったこの正月3日から今日まで、正直申し上げ、どのくらいの日時が経ったものか、正確には考えられない精神状態でございます。

娘亜澄の死亡と二男の凶行とがどうしても結びつかないということが、私ども家族の苦しみ悩むところでございます。家族でさえこの情況でありますから、世間の皆様にはご理解できないことは尚更のことと存じます。

事件から約20日が経ち、警察のお調べが進むにつれて、事実については少しずつ解明されてきていますが、何故息子があれほどまでの凶行をしてしまったのかという点につきましては、未(いま)だに理解できないのです。
しかし、時間の経過にともない、お陰様で少し落ち着いて考えることができるようになりましたので、現在の心境を少ししたためさせていただきます。


そこでまず、亜澄と勇貴の関係についてですが、「3年間も口をきかなかったような冷たい関係」と報道されていますが、それは若干事実と違います。亜澄が在籍していた短大の入学についても、勇貴が懸命にパソコンで探し当て、やっと入学期限に間に合ったという経緯からも、兄妹の関係は決して険悪というものではありませんでした。

しかし、亜澄の他を顧みない自由奔放な性格と言動は、家族から理解されていなかったのは事実です。こうした亜澄の生活態度を見ているうちに、亜澄と一歳しか違わない勇貴は、妹が両親を悩ます元凶と思い込むようになったのではないかと思います。

また勇貴の性格ですが、優しく、家族に対し暴力を振るったりするようなことは一度もありませんでした。しかし、残念なことに、妹の亜澄は大変気が強く、絶対と言っていいくらい自分から非を認め謝るということのできない子供でした。

とはいえ、二人とも私たちにとっては掛け替えのない子供たちです。今となっては、何故あの時、亜澄が「ご免なさい」と兄に謝ってくれなかったのか、もし、謝ってさえいてくれれば、兄も我に返り、このような凶行に至らずに済んだのではないか……、と今更ながらせん無い繰り言を繰り返す日々でございます。

今後私ども夫婦は、生涯にわたり亜澄の霊を弔うとともに、勇貴が一日も早く更生できるように支え続けたいと考えております。
どうか皆様、私たちがもう少し心の余裕が持てるまでお時間をいただきたく、伏してお願い申し上げ、本手記をお届けさせて頂いた次第です。
平成19年1月24日

武藤衛
武藤洋子

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2007年1月24日 (水)

インターネットのちから

本日、『権力にまけない』の記事に、さきさんというかたからコメントをいただきました。

なんだかすごい縁で、感激したので、ここにご紹介します。


ときどきコメントもしていただいてるむさしさんから、昨夜、「こんなん見つけました」とさきさんのHPを教えてもらいました。

http://blue.ap.teacup.com/paletoutseul/

そこには、1月14日「子どものちから」という記事があって、昨年末にきのくにがテレビで取り上げられ、ミーティングの様子が映っていた、そのことを詳しく書いていただいていたのです。

きのくにのミーティングにとても感激されておられる文章でした。たまたまそのときのミーティングで議長をしていたのが、息子のNだったもので、さきさんも、私からのコンタクトに驚かれたのですよね。


『ニイルと自由な子どもたち』に関する文章などもあり、私も先日この本を取り上げたばかりだったので、とてもびっくりしました。

また、教育基本法改悪反対の姿勢や、トップページの「勇気」という詩など、とても共感する部分が多く、ずっと前から知り合いだったような気がしてしまいました。


小学生のうちからパソコン、携帯を持ち、クラスで顔を合わせるのに、ネット上でないと会話ができない、というのは危険な状態ですが、こんなふうに、出会うチャンスも広げてくれるインターネットのちから、ありがたいな、と思ったことでした。

むさしさん、ありがとね〜。

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2007年1月10日 (水)

気を取り直して、ひとこと

4日に、「映像の影響」の中で少し触れた、予備校生が妹を殺害した事件。ショックで、もう何も書くまい、と思ったのですが、

ひらおだいのよしのさんから、
【こどもにも、おとなにも、真剣に向き合っていかなくてはと感じました。どんな出来事でも、自分に反映して考えることができれば、情報として生かされると思います。】

というコメントをいただいたし、私もそう思うので、まとまらないなりに、ちょっと書こうと思います。


「成績のいい子ほど自己肯定感が低い」という話しを聞いたことがあります。私もそれは十分あり得ると思います。

世間は、「○○高校に行っているからあの子は優秀」「学年で10番以内なんだから、いいわね」「受験も余裕ね」なんていう見方をするけれど、本人は「落ちるわけにはいかない」という重圧で、毎日が地獄なんです。

もっとも、成績がよかろうが悪かろうが、熱中できるものが他にあって、自己肯定感があって、楽しく生きている子もたくさんいるでしょう。


その違いはどこからくるのでしょう。

やっぱり親のあり方、価値観が、その子の人生を大きく左右するのだと思います。


12月19日の「年賀状で一言申す」で書いたように、子どもを追いつめる親は最悪です。

不思議と医者、歯医者に、こういう親が多いような気がします。

以前、医者の夫を持つ友人が、「やっぱり息子には医者になってもらわないと」と言ったので、

「なんで?子どもの人生なんだから、なんになるかは子どもが決めることでしょ?そんなに医者がいいなら、今からあなたがなればいいじゃん」と言ってしまいました。


「息子は医者になってもらう」とか「医院をつがせる」とか言う人が多いんです。ほんとうに腹がたちます。こういう人は、きっと、「子どもの人生は親が決める」と思ってるんでしょうね。

そういうかたには、カーリル・ギブランの「あなたの子どもは」という詩を読んでもらいたいです。

(この詩は2006年6月24日「奈良の高校一年生の事件で思うこと」に対するコメントの中に、全文記載されています。ご存知でないかたは、バックナンバー2006年6月から、見にいってみてください。)


子どもは信頼されて、自分の人生を任されると、ほんとうにのびのびと成長し、自分の頭で考え、道を切り開いていくのだな、ということを痛感しています。美しい矢がどんどん遠くへ、高く飛んで行くようです。親として、これほどの幸せはありません。

どうしてこういう幸せに気がつかないで、親子で人生を狭めて、苦しんでいるのだろうと、残念でならないです。

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2007年1月 7日 (日)

映像の影響

なんだか、あまりに悲惨な事件が多くて、ショックです。

今回は、妹を殺害した予備校生の事件。以前、奈良の高校生が放火して、弟妹とお母さんを殺してしまった事件については書きましたが、なんだか、もう、何を書いてもむなしい気持ちです。

我が家はテレビがないので、今回の事件も新聞とネットのニュースで知るのみですが、テレビのワイドショーなんかでは、連日、「バラバラ」とか「木刀で」とか、リポーターが無神経に何度も繰り返しているのでしょうか?

こういう報道は、いったいどんな効果を生むのか疑問です。私は新聞で読むだけでショックで、頭から離れないくらいなのに・・・。まあ、テレビを持ってても、見なきゃ済むんでしょうけれど。


我が家からテレビが消えたのはもう十数年前です。私が大のテレビ好きで、あるとだらだら見てしまうので、「これじゃいかん!」と思いたち、夜中に一人で二階の屋根裏に上げてしまったのです。そうして、何年かしてワールドカップのとき見ようと思ってだしてきたら、もう壊れていました。


なので、息子たちはきのくにに入るまでは、ほとんどテレビを見ない生活でした。

あるとき、たしかFが小学校二年生くらいのとき、友達の家で、「衝撃の映像」みたいな番組を見たそうです。帰って来て、「恐かった〜。心が壊れそうだった。」と言ったのです。

映像というものは、ストレートに目に焼き付きますから、刺激が強過ぎます。事件の報道も、短時間で次々変わるコマーシャルも、たまにお店に入ったときなどに見ると、ああ、疲れるなあ、と感じます。


最初は「心が壊れそう」と感じても、毎日そういうものに触れているうちに、どんどん鈍感になっていってしまうのでしょうね。慣れずにいたいものです。


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2007年1月 1日 (月)

謹賀新年

気候も気分も、穏やかな元旦です。

息子たちがきのくに子どもの村学園に入学してから(長男はもう卒業しましたが)、長期のお休みは、とても貴重なものになりました。

普段離れて生活しているので、たまにゆっくりできるお休みには、「まず、Nと何をしようかな」と考えてしまいます。


この冬休みは、Nが今興味を持っている、人種差別や戦争、紛争などを扱った映画のビデオを借りて来て、一緒に見ることにしました。


まず、『ホテル・ルワンダ』。N以外は映画館ですでに見ていたけれど、全員でもう一度。

映画の中で、ある赤十字の女性が、孤児院での虐殺の様子を語るのです。子どもが、「殺さないで。私、ツチをやめるから。」と哀願した、という話しを聞いた時には、号泣してしまいました。そして、「こんなひどいことをするフツ族のやつらを殺してやりたい!」と思ってしまったのですが、それじゃあ同じことなんですよね。


で、映画を見た後に、同じ1994年の大虐殺のときに、3ヶ月近くもトイレに隠れていて生き残った、ツチ族の女性が書いた本、『生かされて』(イマキュレー・イリバギザ著 PHP出版)を読んだのです。イマキュレーは大変な恐怖と苦痛の中で生き延びましたが、親や兄弟は殺されてしまいます。それでも、彼女はフツ族を許すのです。


この本もNに勧めてみたら、没頭して、一日で読んでしまいました。
「最後に、家族を殺した人を許すところがすごいな」と、一緒に本の感動を分かち合いました。


あとは、11月24日に書いた、『ミシシッピー・バーニング』と、『ゴースト オブ ミシシッピー』を見ました。

『ゴースト オブ ミシシッピー』は、1963年に起こった実話をもとに作られました。公民権運動家の、メドガー・アンダーソンが射殺され、犯人の白人男性は無罪。メドガーの妻は、30年近くたったけれど、裁判を要求します。彼女の熱意は、最初は協力的でなかった検事を動かし、陪審員に黒人も含まれた、やっとまともな裁判が開かれるのです。


「黒人差別」という言葉は知っていても、なかなか実際にどういうことがあったのかを知ることはできません。、映画は、つくりものではあるけれど、やはり、心に深く入ってくるものですね。


Nも、中一の頃は、私が「この映画よかったよ」と言っても、「お母さんがいいと思うものと、俺が面白いのは違うんや」と言って、あまり興味を示してくれなかったのですが、最近は、社会問題に関心が強まっているようで、一緒に見るようになりました。

Fは、「わらじ組にいるんだから、そういう本を読んだりするやろ。興味もでるよ。」と、自らわらじ組だったときのことを思い出して、Nの変化をそんなふうに言っていました。


社会のことに関心を持つ、というのは、とても大切なことだと思います。

自分の成績が上がること、志望校に受かることばかりを考えて過ごしていた私の学生時代は、なんだか醜かったなあ、と、感じる今日この頃です。


今年一年の目標をまだたてていないのですが、このブログでは、自由教育のすばらしさを伝えるとともに、お勧め本、映画なども、またちょこちょこご紹介していきたいと思います。

本年も、どうぞおつきあいのほど、よろしくお願い申し上げます。

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2006年12月24日 (日)

できることから

22日、Nが帰ってきました。わ〜い!

帰宅するときは、伊丹空港発が19時くらいなので、20時にこちらの空港まで迎えに行きます。

おなかをすかせて帰ってくるので、お弁当を持っていって、空港からの車の中で、食べるようにしています。でも、育ち盛りなので、2時間もするとまたおなかがすいてくる。

それで、
お迎え→車でご飯→温泉はいる→ローソンでおでんとビール買う→帰宅→食べる

というのが冬の定番になりつつあります。たま〜に食べるローソンおでん、息子も私、好きなんです。

でも、あのおでんの容器(発泡スチロールみたいなの)が、ゴミになる。環境問題に関心を持つ息子の親として、私もなんとかせねば・・・ということで、今回は、家からタッパーを持参しました。

お店で「おでんはこれに入れてください」と言ったとき、Nが恥ずかしがるかと思ったら、「おかあさんえらいじゃん」という感じで、ちゃんと横に立っててくれてる。うれしかったです。

お店の人も、「あら、いい考えですね」と言ってくれて、ちょっとドキドキしてたのが、ホッとしました。


できることから、ちょっとずつ、ですね。

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2006年11月15日 (水)

子どもの幸せのための教育

ここのところ、子どもの自殺やいじめの問題が新聞に出ない日はありません。今も、どこかで死にたくなっている子どもたちがいるんです。新聞に載っているのが自分の子だったら、と思うと、とても耐えられません。

子どもの事件を考えるとき、いつも思い出す文章があります。9年前の神戸児童殺傷事件の加害男性が2004年に仮退院するとの知らせを受け、被害者の1人である、山下彩花さんのお母さんが書かれた文章です。(2004年3月11日に朝日新聞に掲載されたものです。)

一部転載します。

【ー略ー
加害男性に対して私個人としては、「社会でもう一度生きてみたい」と男性が決心した以上、どんなに過酷な人生でも生き抜いてほしいと思っています。

私は決して犯罪者に寛容な被害者ではありません。また、決して罪を許したわけでもありませんが、彩花ならきっと、凶悪な犯行に及んだ彼が、それでもなお人間としての心を取り戻し、より善く生きようとすることを望んでいるように思えます。彩花のためにも、彼には絶望的な場所から蘇生してもらいたいのです。 ー略ー

子どもたちがかかわる事件が起こるたびに、子どもを取り巻く最大の環境である私たち大人が、今一度「自分は何のために生まれてきて、何のために生きているのか」を真剣に問い直さなければならないように感じます。

そして、行き詰まった死生観を立て直すことや、「子どもの幸せのための教育とは何か」を深く思索していくことが根本的な解決の方途ではないかという感を強めています。

これからは、「彼が更正した」ということだけに固執するのではなく、むしろ、つらい体験を使命に転換すべく、私自身が社会に深くかかわり、自分なりに社会に貢献することにエネルギーを注いでいきたいと思っています。】


以上は全体の三分の一くらいの抜粋です。全文を読むと、さらに深く深く考えさせられます。

何か事件が起こるたびに、学校教育関係者は決まり文句のように、「命の大切さを教えたい」と言いながら、点数評価や競争原理をさらに強めています。こういう人たちは、山下さんのこの文章をどのように理解されるでしょうか?


「子どもの幸せ」というのも、人それぞれの価値観が違うので、同じ文書を読んでも、全然違うふうに感じとられるのでしょう。

百ます計算が人より早くできるとか、レベルの高い学校に入るとか、世間で評価される会社に入るとか、そんなことは子どもの幸福に、全く関係ないと思います。それどころか、精神に害を及ぼすことすらあるのではないかと思っています。

「子どもの幸せ」とは、自立して、自分自身の生き方をできることだと思います。今の教育は、そんなことは主眼にないですよね。そんなことでは、いじめも自殺も、子どもが犯す事件も、いつまでたってもなくならないでしょう。

でも、あきらめずにあちこちで言い続け、書き続けたいです。それが何になるのかわからなくても・・・.


*山下さんの文章全文のコピーが欲しい方は、メールいただきましたら、ファックスか郵送致します。

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2006年10月31日 (火)

学習指導要領

ここのところ、高校での履修単位不足の記事をよく目にします。

そんなに騒ぐことなんですか?

校長がでてきてお詫びしたり、保護者会開いたり。どこの学校でも、知っててやったんでしょ?だったらもっと開き直っちゃえばいいのに。

「そもそもこんなにたくさんの科目を勉強させる、指導要領がおかしいんです。これを機会に、見直しをしていただきたい。」

くらい言える校長がいたらいいのに。

どこかの高校では、海外の修学旅行を、世界史の単位に当てていたとか。まあ、どれほど中身のある修学旅行か、報道だけではわかりませんが、その発想はいいんじゃないですか?

机に向かって、年号を暗記するだけの勉強をするくらいだったら、実際外国に行って、その国に興味を持ち、調べたり、歴史を学んだりするほうが、ずっとアタマに残るでしょう。


履修科目もれ、日本中の高校で行われていて、すでに単位不足のまま卒業した人たちも、何も困らず大学生活、社会生活しているってことは、学習指導要領自体に欠陥がある、と考えるべきじゃないでしょうか?


ルールだ、決まりだって、こんなに騒ぐくらいなら、パトカーも守らない車の制限速度をなんとかしてよ!!

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2006年10月17日 (火)

無神経すぎ

数日前、福岡のある中学校で、二年生の男子生徒が自殺したという報道がありましたね。

遺書もあり、当初よりいじめが原因とみられていましたが、その後の調べで、一年生のときの担任が、その生徒に対して無神経なからかい(いじめと言っていいでしょう)をしていたことが発覚しました。

母親からの相談内容を、他の生徒に暴露したり、みんなの前でその子のことを、うそつき、偽善者呼ばわりしたり。他の生徒に対しても、イチゴの種類になぞらえて、等級付けをするような発言をしていたとのこと。

この報道を目にして、怒りに震えました。明らかにこれは、先生がその子を標的にしていて、みんなに「この子はいじめてもいいんだよ」というサインを出しています。マーキングです。それを「からかいやすかったから」と言うとは、なんという無神経さ、なんという狡猾さ。そして、そんな人が、今は学年主任ですって。

これに類することは、これまで何度も報道されてきましたよね。親のどちらかが外国人の子を、「血が穢れている」などと言って、重いPTSDを負わせたという事件もありました。


Fが通っていた地元の小学校でも、そういう先生がいました。一人の子を標的にして、みんなの前でお尻をだしてたたいたり、保護者会でも、その子のイニシャルをだして、その子にどれだけ迷惑をかけられているか話したりしていました。

先生がそういう姿勢だと、その子自身も、「自分はだめなやつだ」「いじめられてもしょうがない」と思ってしまうし、周りの生徒も、「あいつならいじめてもいいんだな」と思ってしまうのです。


こういうことをする先生は、ほんの一部なのでしょうか?ほとんどはまじめな、良い教師なんだから、特別なそういう事件にいちいち腹を立てるのがおかしいのでしょうか?

私は、それをした先生個人の問題だけだとは思えません。根本は、子どもの人権を尊重しない傾向のある、日本の社会に問題があるのだと思うのです。

忘れ物をしたからげんこつで殴られてもしょうがない、運動場に集まるのが遅かったから、先生に「おめえら、さっさと集まらんか!」と罵声をあびせられてもしょうがない、そんな空気ができてしまっているのがおかしいんです。

会社で、上司が遅刻した部下を殴ってもいいのでしょうか?部下が訴えれば傷害罪になりますよね。
毎日毎日、上司に口汚くののしられて、鬱病にでもなったら、裁判ではどんな結果がでるでしょうか?

大人社会では許されないことが、大人対子どもの関係では、許されてしまう。これこそ子どもの人権を軽視してきた大人が犯している、大きな過ちだと思うのです。

「その先生が悪いんだから、罰を与えよ」、とか、「自分の子は学校で楽しくやってるんだから、問題ない」とかいう次元のことではないでしょう?

こんな嫌な、悲しい出来事をなくすためには、私たち大人が、ほんとうに子どもの人権を尊重しているのか、今一度考えなければならないと思います。


そもそも、「先生」と呼ぶことが間違い、勘違い、の元だと思います。

事件のあった中学校の校長が全校集会で、「先生たちが手を抜いてしまった、乱暴な言葉や甘えがあった。ごめんなさい。君たちの誰かを傷つけていたかもしれない。今後は『先生、それは違うよ』と言ってほしい。」と呼びかけたそうですが、「先生」という称が既に権威をまとっていますから、教師の間違いを指摘することは、心理的に難しいのです。

それでなくても、体の大きな大人には威圧感を感じるわけですがら、そのうえ「先生」と呼ばせられたら、どんなに「先生になんでも言ってくれ」と言われたって、その心理的壁は、なかなか越えられないのです。


きのくにでは、教師のことを、名前やニックネームで呼びますが、そのことの、大きな意味が、今ではよく理解できます。

FやNがきのくにの小学校時代に、公立幼稚園から一年間の研修できのくににやってきた教師がいたのですが、そのかたの意見に納得できなくて、子どもたちが猛反発し、話し合いをした、という話しを聞いたことがあります。きのくにの子どもたちは、おかしいことはおかしい、と、相手が大人(先生)であっても、言えるように育っているのです。


偉そうに書いてしまった私ですが、私自身、まだまだ子どもの人権ということに関して、自分のものになっていないと感じるときがあります。もう大きくなった息子たちに、「かわいい!!」と言ってしまって、嫌な顔をされるのです。ペットみたいにかわいがる、子ども扱いする、というのも、人権侵害ですね。

私も体験学習で学んでいかなければ、と思っています。

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2006年9月22日 (金)

国旗、国歌 強要は違憲

やったね、21日の判決!

国旗への起立、国歌斉唱の強要は不当だとして、東京都の教職員が起こしていた東京地裁の裁判で、原告の教職員が勝訴しました。東京地裁は、違反者を処分するとした東京都の通達や職務命令は「少数者の思想・良心の自由を侵害する」として違憲・違法と判断し、起立、斉唱義務がないと述べました。そして401人の原告全員に一人三万円の慰謝料を支払うように命じました。

勇気ある原告401名のみなさま、ほんとうにおめでとうございます。そしてお疲れさまでした。(都は早速控訴するようですが。)

原告も被告もどちらも大変驚いた判決結果だったようですね。でも、普通の感覚だったら、「勝訴してあたりまえ」と思いませんか?原告の一人がおっしゃっていましたが、「日の丸・君が代そのものに反対しているわけではなく、強制するのがおかしい」というのは、ほんとに、当然のことですよね。

都教委の教育長は「学習指導要領に反する姿勢を生徒に見せることが教育なのか」(朝日新聞22日付け朝刊35面)と言ったそうですが、それじゃあ、教師が自分の考えを発言する自由もなく、上から押さえつけられて、びくびくして過ごす姿を生徒に見せることが教育なんでしょうか?

今回、新聞に載っていた都教委の通達(骨子)なるものを初めて読みましたが、あきれるくらい高圧的なものです。こういう通達を出すこと自体が、おかしいですよ。

ほんの一部転載します。
【国旗掲揚について
式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。都旗も併せて掲揚する。国旗は壇上正面に向かって左、都旗は右に掲揚する。屋外での国旗の掲揚は来校者が十分認識できる場所に。

国歌斉唱について
式次第に「国歌斉唱」と記載する。司会者が「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。斉唱はピアノ伴奏等により行う。教職員の服装は式典にふさわしいものとする。】


対して、判決理由要旨は、大変すばらしく、血の通った人間の文章、という感じが致します。

すばらしいので全て書きたいくらいですが、長くなりすぎるのでこちらもほんの一部です。

【都教委の通達は、国旗掲揚、国歌斉唱の具体的方法などについて詳細に指示するもので、各学校の裁量を認める余地はほとんどない。教育の自主性を侵害するうえ、教職員に対し一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく、教育基本法10条1項の「不当な支配」にあたり違法と解するのが相当。

入学式、卒業式で国旗を揚げ、国歌を斉唱することは有意義ということができる。しかし、宗教上の信仰に準ずる世界観、主義、主張にもとづいて、起立、斉唱、伴奏をしたくない教職員がいることもまた事実である。

このような教職員に対し、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱などさせることは、いわば、少数者の思想・良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置だ。】

どう考えても、これがまともな思想だと思うのですが、今回の勝訴が両者とも驚きだったということに、一抹の不安を覚えます。

このところじっくり新聞を読むFが、「これ(判決)よかったな。でも、地裁なんやろ。まだ、高裁、最高裁までせんといけんのやろうな。」と言っていました。

思わず、「あんた地裁とか、高裁とか、そんな裁判のシステム知ってるん!?」と言ってしまいました。

きのくにで、いろいろ社会問題を学びましたし、裁判所見学もしたそうなので、そのあたり私よりよく知っているかもしれません。自民党総裁選に関しても、家族でいろいろ話しをしたりしました。話していて、管理教育で育つと人を支配、管理したい大人が育つ、自由教育で育つと、他者を尊重する大人に育つ、ということを実感しました。

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2006年6月24日 (土)

奈良の高校一年生の事件で思うこと

6月20日、高校一年生が母と弟妹が寝ていることを知りながら放火し、死なせてしまったという事件がありましたね。亡くなった幼い弟妹はもちろん気の毒ですが、私はこの高校生が気の毒でなりません。

高校一年と言えば、長男Fと同じ年です。一方は自由教育を受け、自分のやりたいことをみつけてのびのび笑顔で過ごしている。もう一方は毎日毎日成績のことが頭から離れず、親にも口うるさく言われ、あげくに追いつめられて家族を殺してしまった。

夫とこの事件について話しをしました。以下、その時の会話です。〈 〉は夫、【 】は私です。

【これまでにもさんざんこういう事件があったのに、どうしてわかんないのかなあ。子どもに医者になれとか、いい大学行けとか追いつめて。毎日毎日そんなこと言われてたら、すっごいストレスになるよね。このお父さんは、息子を追いつめた自分が悪かった、って思うかな。】

〈思うわけないよ。「このくらいでまいるような弱いやつは、なにやってもダメだ」「今厳しさに耐えられなくて、まともに社会でやっていけるわけがない。」とか言うんだと思うよ。〉

【あ〜、なんか今、子どもの頃の自分にもどっちゃって、今の言葉、親に言われてるような気がして、殺意がこみ上げてきた〜】


ほんとに、小、中、高校生の頃の、親の期待に押しつぶされそうな自分に戻って、ものすごい怒りが吹き出してきたのです。うちも「成績命!」みたいな家庭でしたから。

小、中まではトップクラスだったのですが、それを維持しなければならない、というのはとてもしんどいものです。小学校で、ほとんど5の成績表に、3がついたときは、「私の人生もう終わりだ」と思って、遺書を書き、手首にナイフをあてたりしました。本気ではなかったのですが、そうやって、自分の心を鎮めていたように思います。

高校になると、いろんな中学のトップクラスが集まってくるわけで、私は一気に落ちこぼれてしまいました。高校は成績や順位を、手渡しではなく、家に送ってくるんですよね。そのたびに親の小言がはじまるので、「たぶん今日届いているな」と思う日は、うちに帰りたくなかったです。

だから、保護者会の当日の朝、犯行におよんだという、この高校生の気持ちが痛いほど伝わってきました。

新聞記事では、「その子には友人とか、誰か相談できる人がいなかったんだろうか」と書いてあったけれど、たとえ相談できる人がいたってだめなんです。子どもは自活できないから、どんな嫌な親だろうと、その親がいる家で生活しないとやっていけない。それが堪え難いなら、家出するか、親を殺すか、自殺するか。ほんとうにおいつめられたらその三択になってしまうんじゃないですか?

子どもの自尊心を否定し、子どもの心を殺している親は、殺人者ではないけれど、大きな罪を犯していることを自覚すべきです。

でも、私もきのくにに出会っていなかったら、「子どものため」と言いながら、子どもの人生に、あれこれ口を出していたんだろうな・・・・。FのこともNのことも、たくさんたくさん言葉で傷つけてきたし・・・。だからもう、失敗はしない!息子たちの心を殺すという罪は、もう絶対に犯さない!

(すみません、今日は、ちょっとアツくなってしまいました・・・。いつもかな?)

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2006年5月19日 (金)

愛国心

今日の朝日新聞朝刊15面に、教育基本法の改正に伴って活発化してきている、愛国心論議が取り上げられています。三人のかたの意見が載せられていましたが、私は作家の雨宮処凛(あまみやかりん)氏の意見に特に共感しました。

雨宮さんは20代前半は熱烈な「愛国主義者」で、右翼団体で活動していたそうです。

【中学時代はいじめに遭い、高校時代はリストカットや家出の繰り返し。学校や社会から排除され、無力感の中で生きる意味を見いだせずにいた。そんな私の心を癒し、社会への反発心を満たしてくれたのが、右翼の人の言葉だったのだ。】

その後雨宮さんは、たくさんの人との出会いによって、【右翼思想に頼らなくても、生きづらさを感じなくなった。】のだそうです。その彼女が、今の社会の保守化、右傾化を憂えています。

【尊敬できない教師から、形式的な愛国思想を押しつけられる子どもは、いら立ちのはけ口をいじめに求める。愛国心という新しい物差しは、クラスの異端者の排除にはうってつけだ。より閉塞感が強まり、荒廃はさらにすすむだろう。特定の思想を強制するのではなく、授業に多様なゲストを招き、様々な価値観を伝え、居場所を見つける手助けをすることこそが必要だ。】

同感です。そもそも、教師自身が自分の意見を自由に言えない状況に追い込まれていながら、愛国心が持てるのでしょうか?

そして、私がもう一つ思うことは、思想は誰からも強制されたくはないけれど、どうしても教育基本法に盛り込みたいなら、それは【愛国心思想】、ではなくて、【人類愛思想】にすればいいのに、ということです。

政治家さんの言う【愛国心】には、非常に自己中な響きを感じます。日本が大好き、その日本が繁栄すればよい、日本が安全な国でであればよい。そんな【愛国心】がエスカレートすると、その日本を守るためには他国を傷つけてもいい、必ずそうなります。

同じ地球上の人間どうしなんだから、私は人類愛思想でいきたいです。きれいごとだと思いますか?

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