2009年9月 4日 (金)

アタマを使う体験学習

ある高校で「親子ものづくり教室」が行われ、その様子が新聞記事になっていました。


【親子でものづくりに親しむとともに、学校を身近に感じてもらおうと同校建築科が10年以上前から毎年企画。ことしは周辺の小学校4校から、午前と午後の部に合わせて54組の親子が参加した。

建築科3年の20人や教諭のサポートで、木製のふた付き小物入れ作りに挑戦。サンドペーパーで各パーツの木材の角を削った後、印を付けた場所にドリルで穴を開け、釘を打った。ー以下省略】


この記事読んで、何か、気になりませんか?


【各パーツ】

って、最初から所定の大きさに切り揃えられているのでしょうか?


【印を付けた場所にドリルで穴を開け】

この【印】って、最初から板についていたのでしょうか?

もしそうなら、失敗のしようがないですよね。


以前、堀さんが、幼児教室でのものづくりに関して、

「まず、はじめるなら、缶下駄づくりがいいですね。たくさん、いろんな大きさの缶を集めておくんです。その中から同じ大きさのものを二つ見つける、というのは、とても知的な作業なんです。」

という話しをしてくれたことを思い出しました。


そして、この間見た、南アルプス子どもの村小学校でのサマースクールの様子。

子どもたちは、適当な板を見つける、もしくは、切り出すところから始めていました。どこに釘を打つのかも、自分で考えていました。


白玉団子をつくっていた子どもたちは、ゆるくなったりかたくなったりの失敗を繰り返し、アタマを使って「良い塩梅」を見つけ出していました。


ビー玉パチンコの台を作っていた男の子は、考え込む様子が何度か見られました。


体験学習はアタマを使う、ということが、きのくにの教育を見てきて、よ〜くわかりました。

そして、子どもたちは、それをする力がある、ということもわかりました。


みんな、もっと、子どもたちに、任せてみればいいのになあ、と思います。


そういえば、もう少し前の新聞記事でしたが、やはり、子どもたちの「ものづくり」のことが載っていました。

夫が、「ちょっと、これ見てよ!なんか、びっくりするよな」と、新聞広げて持ってきました。


電車の先頭に張るような、ステッカーを作るということで、みんな出来上がったものを掲げて写真に映っていたのですが、それが、全員、同じなんです。

ブルーの台紙に白の【富士】という文字があって、その下に、番号(だったかな)が貼ってあるのです。


「切るのが大変でした」という小学生のコメントが載っていたので、たぶん、最初から書かれている文字を、切り抜いて台紙に貼ったのでしょう。


こういうこと、させる方もする方も、見てる親も、何も疑問に思わないんでしょうか?

私は見てて、ぞっとしました。


みんな同じ。
考えない。


こういうことに、慣れてしまってはいけないのではないかと、強く思いました。

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2009年6月24日 (水)

子どもの心にふれる

少し前の話題になりますが、熊本の小学校教師が、小学二年生の胸ぐらをつかんで壁に押し当てて叱った行為が、体罰にあたるかどうかの訴訟で、最高裁は「体罰ではない」という判断を下しました。(最後に読売新聞の記事を記載しておきます。)


ネットでみる限り、「体罰でないのは当然だ」「言ってもわからないんだからしょうがない」「そもそも教師を訴えるなんて、モンスターペアレントだろう」という意見が多く、うんざりしていました。


どうしてみんな、子どもを力で押さえ込みたいの?
怖がらせて言うことを聞かせて、それで満足なの?
恐怖からおとなしくなった子どもは、何が悪かったか、ほんとうに理解できているの?


下記に記載した読売新聞の記事には書かれていませんが、そもそも、男児が女の子を蹴って、それを教師が注意したところ教師のお尻をけったため、胸ぐらをつかんで壁に押しあて、「もうすんなよ」と言った、ということなのですが、どうしてその男児は女の子を蹴ったの?どうして注意されても教師に反抗的な態度をとったの?


男児の心にふれないと、ただ、脅かして、言うことをきかせても、後々もっと大きな問題になると思うのです。


たしかに先生たちは、毎日とても忙しくて、子どもたちの、個々の背景や家庭の問題に目を向ける時間がないのかもしれないけれど、そのことが一番問題なのではないですか?


教師はただ、勉強を教えるだけでよいのですか?問題行動をする子は、どなりつけ、脅し、殴って言うことをきかせて、とりあえずその場だけおとなしくさせておけばよいのですか?(たぶん、そうなんでしょうね。)


「言ってもわからない子どもには、手を上げるのも当然だ」という考え、しょっちゅう耳にして、もう、イヤになります。


誰だって、理由もなく、荒々しい行為はしませんよ。


大人だって、例えば、夫婦喧嘩したときには、なんとなくイライラして、普通だったら、寛大なところが、その日は妙に腹が立ってしまった、ということ、あるじゃないですか。


仕事上でうまくいかないことがあって、家に帰ってから、夫や妻、子どもに当たってしまった、ということ、ありませんか?


「子どもだから言ってもわからない」、「子どもだから力で押さえつけて言うことをきかせてもよい」なんて、そんなこと、ないですよ。子どもの言動にも、ちゃんと、理由や原因があるはずです。そこを見ないでどうするの?


新聞報道だけではわからないですが、とにかく、体格も倍以上大きな教師が、小学二年生の胸ぐらをつかんで壁に押しあてて怒鳴りつけるって、それは、教師の資格がないと思います。


そういうと、必ず、勝ち誇ったように「親のしつけができてないくせに、教師を訴えるなんて、親のほうがモンスターペアレントだ」という人がいるのですが、どういう親なのかは、別問題です。

それに、こういうときに使われる「しつけ」ということば、どういう意味なんでしょう。「人を蹴ってはいけません」と教えることが「しつけ」ですか?よくないことは、たいていの人がわかっていることでしょう。わかっててもやってしまった、その、心にふれないと、根本は解決しないのです。


もし、子どもの情緒を不安定にさせるような親なら、それはそれで別の対処が必要です。教師が子どもを怖がらせて指導してもよいかどうかとは、全く別の問題です。


それにしても、あちこちのブログ、サイトでみかけるのですが、このような話題がでると、「子どもは厳しくしつけるべし」「子どもは動物と同じ。たたいてしつけるべし」という人が、生き生きとコメントしてくるんですよね。


最初は「またか」と思って、ゲンナリだったけれど、最近は、「ああ、この人たちも不幸せなんだな〜」と痛々しくなってきます。ものすごく、何かを憎んでいるような、何かに腹をたてているような感じなんです。とにかく「子どもを殴りたい!」という雰囲気が伝わってくるのです。自己肯定感がないんですね。


あの記事を読んで以来、ずっと気になっていて、書きたかったので、今、書きながら、ちょっと感情的になったかな、私。


4月28日11時30分配信 読売新聞

 熊本県本渡市(現・天草市)の市立小学校で2002年、男性の臨時教師が小学2年男児(当時)の胸元をつかんで壁に押し当ててしかった行為が、体罰にあたるかどうかが争われた訴訟の上告審判決が28日、最高裁第3小法廷であった。

 近藤崇晴裁判長は「行為は教育的指導の範囲を逸脱しておらず、体罰ではない」と述べ、体罰を認定して市に賠償を命じた1、2審判決を破棄し、原告の男児の請求を棄却した。

 学校教育法は教師の体罰を禁じているが、教師の具体的な行為が体罰に該当するかどうかを最高裁が判断した民事訴訟は初めて。

 判決によると、教師は02年11月、校内の廊下で悪ふざけをしていた男児を注意したところ、尻をけられたため、男児の洋服の胸元を右手でつかんで壁に押し当て、「もう、すんなよ」と大声でしかった。男児はその後、夜中に泣き叫ぶようになり、食欲も低下した。

 判決は「悪ふざけしないよう指導するためで、罰として苦痛を与えるためではなかった」と認定。原告側は上告審で「恐怖心を与えるだけだった」と主張したが、判決は「教師は立腹して行為を行い、やや穏当を欠いたが、目的や内容、継続時間から判断すれば違法性は認められない」と述べた。

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2009年2月15日 (日)

天才の育て方

日曜日の朝日新聞に、けっこう長く続いている、『天才の育て方』というコラムがあります。

有名人の親に、どのように育てたのかを取材したもので、4回続きのコラムです。共感するものもあれば、苦々しく思うものもありですが、興味があるので毎回読んでいます。


今回は、クラシックギタリスト村治佳織さんの『育て方』ということで、ギタリストの村治昇さんが三回目の登場です。前回までは、まだ佳織さんが小学校に上がる前までの指導法についてで、まず遊び感覚で、ご褒美も用意しつつ、楽しくレッスンしていたということが書かれていました。

今日は、小学校に入ってからの様子です。


【毎朝、「今日の練習メニュー」を書いて出かける。学校から戻った佳織は、そのメニューを自分でこなす約束だった。
音階練習○回、アルペジオ奏法の練習○回、曲○回・・・。

友だちと遊んでしまい、練習をさぼった翌朝。
「なまけ虫がお尻から入ったな」
昇は平手で思い切りお尻をたたく。 ー略ー

「練習をしなくちゃ上手になれないことや、約束をやぶっちゃいけないことが、わかり始めた年齢。だからこそきつくしかりました。自尊心を傷つけないために、本人ではなく虫のせいにして」

勝ち気な性格を逆手にとって、こんな方法をしたこともある。

「北海道にマリちゃんというギターのうまい子がいる。佳織より3ページ前を練習しているんだって」と昇がいう。すると佳織は、マリちゃんに負けまいと猛練習する。もちろん「マリちゃん」なんていない。でも、佳織は本気で張り合った。】


こういうふうにして培われてきた力って、音楽に、どのように反映されるんだろう・・・。
小さい頃から「天才」と呼ばれてきた人の多くは、こんなふうな家庭教育なのかなあ。
そうえいば、五嶋みどりさんのお母さんも、スパルタだったと聞いたことがあります。


私、昨年秋頃、ヴァイオリニスト天満敦子さんのコンサートに行って、すっかりファンになってしまいました。その後、CDを買ったり、本を読んだりしましたが、天満さんのお母さんは、スパルタとはほど遠いかたで、とても面白かったです。

天満さんが小学六年生のとき、NHKの「ヴァイオリンのおけいこ」という番組にでて、半年間その番組のなかで、超一流の先生にレッスンを受けられることになったそうです。その収録のときの話しが印象的でした。


【収録が始まってびっくりしたのは、他の子供たちはヴァイオリンのケースもお母さんが持つの。それからケースを開けて弓の毛を張って、松脂を塗って、ー略ー  準備するのは全部お母さんなの。楽譜を開いて「今日はここよ」なんてやってる。それを見て私たち親子はまたビックリした。だってママがヴァイオリンを持ったことなんてなかったし、それは死ぬまでなかった。

それで先生のご注意をお母様方が自分の譜面に書き込むわけ。それで今度はママが慌てたの。かわいそうに他のお母様方の真似をしたんだけど、音符をよめないから、ママが見ているとこと皆が見ているところは全然違う。 ー略ー
それで、そういうことをするのは、一回でやめちゃった。では何をしたかというと編み物をよくやってた。 ー略ー

それでママは「ヴァイオリンのおけいこ」に私がでていた半年の間に、スーツを編んだの。グリーンのこま編みのすごくいいスーツをスタジオの隅っこに座って六ヶ月かけて編んだ。 ー略ー
慣れないことはさっさと止めて、スーツを編んじゃったあの時、ちょっとうちのママ、誇らしかったな。】


この話しは、コンサートに行ったあとに読んだのですが、こういう家庭で育った伸びやかさが音楽に現れているような気がしました。そして、ヴァイオリンが大好き!演奏できて幸せ!、という空気が伝わってくるのです。


『天才の育て方』の話しに戻りますが、棋士、羽生善治さんのお母さんの話しが好きでした。

羽生さんは中学三年でプロになったのですが、家族が、「せめて高校くらいは」とすすめて都立高校に入学しました。そのことを、お母さんは後悔しているそうです。

【義治には、好きなことを好きなだけやらしてあげるべきだったかもしれません。本人はずっと早い段階から、将棋一本、と決めていたわけですから」

いいお母さんだなあ。

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2008年8月16日 (土)

どうして本音が言えないの?

7月19日の『道徳の時間ですよ!』にも少し書きましたが、大分県教員採用&教員昇進試験贈賄事件の話題です。こちらは地元なので新聞でも連日大きく取りあげられているけれど、関西、関東では、どの程度の記事になっているでしょう。


昇進試験贈賄事件では、三人の校長、教頭が良心の呵責に耐えかねて、自ら警察に出向きました。そのうちの一人のかたが、朝日新聞の取材を受けて語ったことが記事にでていました。


話しをしたのは贈賄で書類送検された小学校教頭。4年連続で教頭試験に不合格。合格者との答え合わせでは自分のほうが高得点だったこともあった。そのうち「コネのない人間がまともにやっていてもだめなんじゃないか」と思うようになり、そんなとき、知り合いに口利きを示唆され、50万円の商品券を渡してしまう。以下、記事の抜粋です。


【教員採用を巡る汚職事件が明るみにでた今年6月、事件を説明する全校集会の司会を任された。「たまらなく憂うつだった」。教員向けの研修もした。「偉そうに説明しながら、自分が不正を隠していることが耐えられなかった。と振り返る。

「ばれるのでは」。眠れない日々が続いた。良心の呵責に耐えきれずに7月8日、佐伯署に出向いた。

「先生は誘惑に負けた悪い人間です」。

前日、児童らへの書き置きを職員室の机に残していた。その後は年休を取り続けている。児童や保護者に経緯を説明してあやまりたいが、「混乱が起きる」と周囲に止められているという。

一方でこう話した。「正当化する気はないが、私たちのケースは氷山の一角。県教育界全体の体質を改めなければ、同じことが繰り返される」】


「混乱が起きる」として、本人の謝罪を止めている「周囲」って誰なんでしょう?

どんな「混乱」が起きるんでしょうか?


こんなことばっかりしてるから、いつまでたっても隠蔽体質は変わらないんですね。

このかたが児童に宛てた手紙も読まれないまま、何の説明もされないまま、なのだそうです。


私がこの学校の生徒だっとして、教頭先生がみんなの前で涙を流して自分のしたことを話し、謝ったら、多分そのことはずっと忘れられないだろうし、小学生ながらに、社会のことや、どんな人間になりたいか、自分だったらどうするか、など、いろいろ考えると思います。


もし、きのくにの大人が、何か、罪になるようなことをしたとしたら、絶対学校からきちんとした説明があると思います。

夜更かし会での会話からも、「そこまで話してくれるんですか〜?」と思うことが多々あり、本音での会話がとても気持ちよいです。


冒頭の教頭さんがいた学校、どうしてホントのことを述べてはいけなのでしょう。


私も自分のブログでぼやいていないで、教育委員会に電話でもして、意見を述べるべきなのだろうか、と考えています。


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2008年7月19日 (土)

道徳の時間ですよ!?

このところ毎日のように、大分県教員汚職の記事がでています。

これに関する談話で、

「一番の被害者は子どもたち。いったいどう説明すればよいのか・・・」という現場の声が載っていました。


一番の被害者は、合格点だったのに落とされた受験者だと思いますが、それはさておき、

「どう説明すればよいのか・・・」

って、その通り説明すればいいんじゃないんでしょうか?子どもをバカにするのもほどがある!(と、ちょっと怒っています。)


『心のノート』を使って、建前ときれいごとだらけの道徳の授業をするくらいなら、事件の経緯を、詳しく説明したらいいじゃないですか。


「自分の子どもをどうしても教師にならせたくて、有力者に頼み込んで、お金を払った人と、その人の言うことを聞いて、点数が足りないのに合格させた人がいて、そういう人が逮捕されました。みなさんはどう思いますか?私は、こういうずるいことをするのは、とても恥ずかしいことだと思います。」


と、そのままを伝えることに、何を躊躇する必要があるのか、私には理解できません。


「道徳」を授業で教えるということに、私は賛成できませんが、でも、どうしてもしたいなら、今回の事件こそ、絶好の、「道徳」の題材になると思うんですが・・・。


こういうことを子どもには隠しておいて、

【むねを はって いこう。 いちばん すてきな あなたで いよう。 せなかを ぴんと のばして すすんで いこう。 もっと すてきな あなたを みつけよう】 (心のノートより)

こんな文章読ませるのですか?

こんな建前教育で育てられる子どもたちが、気の毒です。

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2008年6月 4日 (水)

気になる人

作家の田中慎弥さん。

今年4月に川端賞を、5月に三島賞を受賞。両賞の同時受賞は史上初。

ということで、最近よく新聞に登場なさっているので、ご覧になったかたも多いと思います。数週間前は、朝日新聞の【ひと】の欄で取りあげられていました。

今日は文化面に文章を書いておられます。大変ユニークな文章(表現も内容も)で、全部ここに紹介したいくらいですが、長過ぎるので、一部転載します。


この文章のタイトルが、また、すごいんです。


夢も希望もないから


【高校を卒業して以降、就職どころかアルバイトさえしたことがなく、大学、専門学校、予備校などへ通いもせず、つまり何もしていないと呼ぶ以外にない状態が長く続いた。 ー略ー


なぜそういう生活を送るようになったのか、説明するのは難しい。何かをしたのであればその動機や端緒を語ることが出来るが、何もしていないのだから説明のしようがない。働きたくなかった、働かなかった、それだけだ。

では動機や端緒ではなく、どんな精神状態で生活していたのか、を説明することは可能だろうか。そういう生活に突入した場合に感じる筈の焦りや不安といったものは、いっさい覚えたことがない。なんとなく、この先どうなるんだろうか、とぼんやり想像することはあっても、明日には雨が降るんだろうか、という程度の感覚であって、とても危機感などとは呼べない。 ー略ー


何もしていないというのは外から見てのことであって、本を読んだりノートに文章を書いたりはしていた。だがそれは、将来のためというより、ただ好きだったからだし、ひまだったからだ。友人は一人もいないし出かけなくてはならない用事もない。そしてそういう生活を送ることを、何かしている、とはやはり言えないだろうから、何もしていないと言うしか、ない。

ー略ー

デビューしたことを、世の中と関わりを持てるようになった、前進だ、成長だ、などとも全く思わない。人と話しをする時間が増えるほど、デビュー前よりももっと狭くて深いところへ、心地よく沈んでゆけるという気分になる。いまの方が、ずっとずっと世の中と隔たっていると感じる。言葉を書き連ねてゆくことは自分にとって、世の中とか他人と直に向き合うのをさけるための手段なのだろうか。


主義主張や知識を持ち合わせていないので、外から見て何もしていない生活を送っている人たちに言いたいこと、言えることなどあまりない。夢も希望もないから、苦労するのがいやだから小説を書いています、おすすめできる生き方ではありません、働くなり勉強するなりした方がいいと思います、という程度か。


ただ、十数年前の私は、親から金をむしり取って映画を観にゆく電車の中で、自分と同い年くらいの大学生風の人たちやサラリーマンなどに囲まれ、こういうちゃんとした生き方をしないといけないんだろうな、と思う裏側で、自分の読書歴を思い返し、この電車に乗っている人間の中で「源氏物語」の原文を二回通読したのはたぶん自分だけだろうな、と、不遜で、無恥で、無礼で、しかしこの世で自分のとってだけは多少の意味がないわけでもないことを思い巡らせて、卑屈に安心していた、ということを、最後に書いておく。】


淡々としていて、なんとなく潔い文章で、今日、何度も読みたくなりました。
今で言えば、ニート、の生活、と言えるのでしょうけれど、不思議と自己肯定感が漂っていませんか?


早くにお父さんをなくされ、長くお母さんと二人暮らしだそうです。

お母さんは息子さんに、どんな接しかたをされてきたのかなあ、と、とても気になります。

作品も読んでみたいなあ。
今、とっても、気になる人、です。

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2008年6月 1日 (日)

なんとかなる

*「いろいろ考えてしまって・・・」のタイトルだけ変更したものです。文章は変えていません。タイトルが長くなると、「最近のコメント」の項で一行よけいに使うので、欄がもったいないから変えただけです。深い意味はありません。


すっかり更新さぼってましたのに、さきほどアクセス状況見てみましたら、まあ、たくさんのかたが訪れてくださってまして、ありがとうございます。

なんだかんだと、あっという間に一日が終わってしまって、ずるずると日々が過ぎてしまっておりました。

ショッキングな事件も次々に起こり、いろいろ考えてしまっていました。


有名人(といっても、私はそのかたを知りませんでしたが)の自殺、というのは、マスコミでも大きく取りあげれて、私もずっと頭から離れません。

本人にしかわかり得ないことが、きっとあるのでしょう。

私はいつの頃からか「自殺」ということを考えはじめ、小学校のときには遺書を書くことで、気持ちを落ち着けているようなところがありました。そして、「もし私が自殺しても、きっと周りの人は、“勉強もできて、明るかったあの子が自殺するなんて・・・”って言うだろうな」なんて思っていました。


ナイフを手首にあてたこともあったけれど、今思えばあまり本気ではなかったかもしれません。

ただ、首を絞めて、ふ〜っと気が遠くなったときは、後から正気になって、「やばかった!あのまま締めてたら死んでたな・・・」と、少し焦りました。


今は、ちょこちょこと、いろんなことはあるけれど、基本的に毎日幸せで、楽しくて、「ああ、死ななくてよかった〜」と思います。

もし、今、自殺を考えている人がいたら、「ちょっと待って!!」と言いたいです。(自殺を考えてるような人は、こんなブログ、読んでないか・・・。)


つらいときは、その状況がず〜っと続くような気がするし、大恥をかいたときは、みんなが自分のことをウワサして、笑っているような気がするけど、ほんとはそんなことないんです。

しばらくじっとしてれば、状況も人の見方も変わってくるし、「なんとかなる」ってこと、やっぱり、多いと思う。


夫の父親は、「なんとかなる」っていう言葉が嫌いで、「なんとかなるんじゃない、なんとかするんだろう!」と、よく口にしていたそうです。

でも、「なんとかなる」って思って生きていたほうが、楽しく生きられるような気がする。


さてさて、気分を変えて、話しを息子のことに移します。

Fは、うまくいかなかったリハーサルから学び、本番までの5日間でさらに追い上げ、24日のサロンコンサートは、なんとか、今持てる力を出し切ったようです。

リハーサルのDVDも撮ってくれたのですが、それは、見せてくれないのです。本番のは見せてくれました。

「あんたも見てないの?リハーサルのDVD。」と聞いたら、本人はちゃんと見て、そのうえで、失敗したところ、よくないところを本番に向けて修正したそうです。

こういうところが、プロ根性、と思います。


Nは、バスケに燃えつつも、メンバー全員足やら手を痛め、なかなか練習ができない模様。

「俺たち呪われてるかも・・・」といいながらも、7月の大会出場は諦めていない様子。がんばれ〜!!


きの高生活は充実しているようで、毎朝携帯で目覚ましをかけ、朝ご飯をかき込んで、授業へダッシュ!

Nがスタッフから聞いたところによると、「きの高生は6分の5大人扱い」だそうで、朝、寮母さんが起こしてくれる、なんてことはありません。朝当番の子が、「朝食できたで〜」と、ドアをドンドンと叩いて回り、それで起きなければ、それっきり、なんだそうです。

私なんて、高校の頃、学校嫌いで全然起きられなかったのですが、母が階段の下から、「朝よ〜!起きなさ〜い!」と5回も6回も起こしてくれて、やっと登校してました。


きの高生、大人扱いされれば、自立もしますよね。

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2008年3月 2日 (日)

今日の朝日新聞

今日の朝日新聞朝刊の教育欄『学校探検隊』に、ひらおだい四季の丘小学校が載っていま〜す!

私、これからでかけないといけないので、一回読んだだけですが、ちゃんとした記事だと思います。吉野さん、よかったね〜。反響多いかもね。

あと、フィンランドの教育のことも載っています。

これ、九州版限定でなく、全国版ですよね?朝日でないかたは、コンビニかどこかで買ってね!

では、とりいそぎ。

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2008年2月22日 (金)

忘れないうちに

【あなたが虚しく過ごした きょう という日は  
      きのう 死んでいったものが  
          あれほど生きたいと願った あした】


今日の朝日新聞29面『ハンディをこえて』という記事にでていたことばで、白血病の息子と父親を描いた韓国の小説「カシコギ」(サンマーク出版)の一節だそうです。


新藤兼人さんの映画の話しもまだ書いていませんが、とても心に残る言葉だったので、忘れないうちに書き留めておこうと思いました。

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2008年1月27日 (日)

殺伐としそうだな

東京杉並区の和田中学で、夜間や土曜日に塾講師が授業をする、というニュース、しょっちゅう新聞でとりあげられていますね。

ネット情報を含め、いくつか記事を読みましたが、主に以下の二点に関して論じられていると思いました。

・公立中学での教育の機会均等に反する
・公立学校の教育環境が貧弱である

私はそんなことより、「なんでそんなに勉強ばっかりしなくちゃならないの?人間として、他にもっと大事なことがあるでしょう!」と言いたいです。

朝日新聞の社説には、「家庭の事情で、この塾にも行けないう子が出るとすれば、なんとかしなければならない。」と書いてあったけど、私はこっちから願い下げです。こういう、「行けないのが不幸」っていう発想が、どうかしてると思う。


だって、学校で朝から夕方まで授業受けて、さらに夜まで?休みの日まで?なんだか気の毒です。こんな生活してて、人に優しく、ほがらかに、笑顔で過ごすことができるんだろうか。

それに、「おちこぼれ対策の補習をする」とか「できる子をさらに伸ばす」とか、そういう発想は、子どもたちをさらに序列化するし、子どもたち自身が、他者を、「自分より上か下か」という価値観で見るようにさせてしまうと思います。すご〜く危険です。イジメが減るわけないですよ。

先日の新聞の投書欄に、ある塾の講師をしている人の文章が載っていました。中学生の集中講座をしたとき、休み時間になってもトイレに行く以外、みんな机に向かっている、周囲と話しもしない。授業が終わってからも、みんな口もきかず、ばらばらに帰っていく様子を見て、ぞっとした、という話しでした。目に見えるようですね。


そもそも、朝から晩までやらないと身に付かない「学力」って、ほんとうに必要なんでしょうか?

いつまでも子どもっぽい中高生。何をするのも人とつるんでないと不安な大学生。自分の意見が言えない若者。「学力」よりもっと学ぶことがあるでしょう?と言いたくなります。

以前、中学三年生の子が、歯医者の予約時間になってもこなくて、電話したら、忘れていたとのこと。それで急いで来てもらったのですが、その子の言ったことは、「もうすぐ受験だったから(歯医者の予約を忘れた)」だったのです。「ごめんなさい」の一言もないことに、びっくりしました。

びっくりすると同時に、昔の自分を見る思いがしました。「受験」はなによりも大切、という気持ちでしたから。


受験といえば、我が家のNも中三です。本人は夏頃までいろいろ悩み、考えたようですが、きのくに国際高等専修学校(きの高)に行くことに決めました。(ちゃんと試験を受け、合格通知をいただきました。)この辺りのいきさつは、ちゃんと本人が4月に高専の入学を祝う会を終えてから、ぼちぼち書こうと思います。


同級生たちは、同じくきの高に行くと決めた子、留学する子、○○になりたいから、と、その夢に近づく高校を受験する子、まだ悩み中、といろいろです。多くは自分のやりたいこと、夢、その学校が魅力的だから、ということで、進路を選んでいきます。

でも、希に、「少しでも偏差値の高い学校に行きたいから」、という理由で高校選びをしている家庭もあるようです。きのくにまできていならがその発想、とても残念です。子ども自身がそんなことを言うというのは、結局親が家庭でそういう価値観の会話をしているのでしょう。


文部科学省は「ゆとり教育」は失敗だったといいだし、学校現場も塾まで使って「学力アップ」をうたい、親も、「もっと学力を!」と狂騒する。子ども社会はますます殺伐としそうです。


せめて、きのくにを知った人たちは、社会の流れに乗せられず、人生で何がほんとうに大切か、何が子どもを幸福にするのかを、十分に理解し、周りにも広げていってほしいものだと思います。

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