« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月31日 (木)

私たちと生き続けていく命

このところ、ブログの主たるテーマとは直接関係のない話題に終始しておりまして、きのくにの情報を見ようと立ち寄ってくださったかたには、申し訳ございません。


不器用なものですから、しばらくこんな状態かもしれません。


さて、3月29日の朝日新聞朝刊に、心にじ〜んとくる文章が載っていました。

哲学者、森岡正博さんの文章です。長いですが、全部載せます。(段落は、パソコン上で見やすいように、私が変えたところがあります。)


【今回の震災で多くの方々のいのちが奪われた。


ある生存者は語る。


津波が襲ってきたとき、妻と手を握りしめていたが、強い波の力によって彼女を流されてしまった、と。目の前で愛する者が消えてゆき、自分だけが生き残ってしまったという慟哭は、それを聴く者の心にも突き刺さる。

自分は愛する者を守りきることができなかった、最後の瞬間に何もしてあげることができなかったという自責の念は、どんな言葉をかけられたとしても、おそらく消えることはないだろう。


しかし、人生の途中でいのちを奪われた人たちは、けっしてこの世から消滅したわけではない。


その人たちのいのちは、彼らを大切に思い続けようとする人々によっていつまでもこの世に生き続けるだけではなくて、私たちの外側にもリアルに生き続ける。


たとえばふとした街角の光景や、たわいない日常や、自然の移りゆきのただ中に、私たちは死んでしまった人のいのちの存在をありありと見いだすのだ。

彼らは言葉を発しないけれども、この世から消え去ったわけではない。


人生は一度限りであるから、どんな形で終わったにせよ、すべての人生は死によって全うされている。

すべての亡くなった方の人生は聖なるものとして閉じた。

そして彼らのいのちはこれからずっとこの世で私たちと共にいる。


私たちは彼らに見守られて生きていくのである。】


| | コメント (0)

2011年3月27日 (日)

あれやこれや

普通の生活をしているつもりなんですが、頭の中は、どうしても被災地のことを考えてしまって、なかなか記事が書けずに一週間以上過ぎてしまいました。


その間に、きのくに子どもの村学園での「卒業を祝う会」もあったのですが、寮生活10年のNの荷物ったら、ものすごい量で、必死にフィットに詰め込んで、まるで夜逃げのような状態で帰ってきました。その後連日洗濯の嵐。ハフ〜。


会の様子は後ほど書くとして、まず、被災者支援関連の情報をいくつか。


サムライ菊の助さんのブログには、「なにかできることはないかしら」と思っているかたへの情報が詰まっています。菊さん、いつもありがとう!

http://ameblo.jp/kikunosuke18/


こちら↓は、先日朝日新聞に載っていた、「タスキプロジェクト」の情報です。
http://www.117kibounoakari.jp/tasuki_project.html

これならできそう、と思って、早速荷物を詰めています。


支援金も募っているようです。
http://blog.snow-angel.org/?eid=32


町内では、原っぱカフェに集まって、支援についての話し合いや、原発についての勉強会をしています。

http://www.jca.apc.org/~uratchan/harappacafe/


さて、きのくにの話題に移ります。


とうとう、最期の、「卒業を祝う会」。


ほんとに、幸せなところです。暖かいところです。


卒業生のひと言スピーチでは、


ある中学三年生の子が、

「イジメにあって、きのくにに来た。イジメと言っても、大人(先生)から暴力をふるわれていたということ。だから、大人なんて、どこもそんなもんだろうと思っていたけど、きのくにの大人は違った。ほんとうに優しくて・・・」

と語っていました。


この子の言うこと、すごくよくわかります。

私も、きのくにの大人と接して、「こんなに暖かい先生がいるところって、他にない!」と思いましたもの。


それにしても、その子が転入してきたのは、たしか、小学校低学年の頃です。そんな年齢で、もう、先生は暴力を振るうのか・・・。


Nは、

「自分はほんとうに幸せ者だと思います。それは、いつも周りに笑顔があるから。自分も、周りの人を笑顔にできるように生きていきたい」

と話してくれました。


母さんもうれしいよ。
Nをきのくにに入れて、ほんとうによかった!!


会の中では、震災のことについても触れていました。

子どもが司会進行の会ですから、子どもの言葉で話しがありました。


「地震が起きてすぐに、自分たちにできることはなんだろう、と話し合いをした。その結果、2ヶ月分のおやつを減らして、その分のお金を募金にまわすことにした。」ということでした。

(*きのくにでは、毎日おやつがでます。)


それ以外にも、カイロを集めて送ったり、卒業を祝う会の場でも募金を行っていたりと、問題を真剣に考え、すぐに行動に移す子どもたちに、とてもうれしくなりました。


チラシも配っていて、おやつを減らす以外に、お金をつくる方法や、義援金の受付場所も書いていありました。


その一つ、セカンドハーベスト・ジャパンでは、きのくにの卒業生が働いているそうです。こちらも実際に現地で活動しておられるようです。

http://www.2hj.org/index.php/jpn_home


さて、きのくに国際高等専修学校の三年生たちは、卒業を祝う会の四日前(16日)に、「卒業発表」というのをしていて、それに全ての力を注ぎ込んだふうで、みんな、すっきりとした顔をしていました。


その卒業発表には、私は涙をのみ、夫に行ってきてもらいました。


11時半から16時半まで、お昼を挟んでの長丁場。


もう、感動的だったそうです。


お芝居仕立てで、これまでの三年間を表現したり、ダンスあり(男子も踊る)、1人づつのスピーチあり、パソコンを駆使した個人紹介あり。

「照明や音楽も凝ってて、すごくよかった〜」と言っていました。


Nたちの学年、最初は、いろいろもめたりぶつかったりで、大変だったんだよね。

最初だけでなく、二年生のときの海外研修も、三年生のときの修学旅行も、意見がぶつかり、延々とミーティングになったり、イヤな雰囲気になったり。


そんなあれやこれやを乗り越えて、みんな、「仲間」という感じになって、発表の最後では、みんな泣いていたそうです。


「mamiが来てたら、号泣だったな」と言われました。

うん、聞いただけで涙がでてくるよ。


とにかく、これで一区切りだなあ・・・。

| | コメント (2)

2011年3月18日 (金)

なにもできないけれど・・・

今、多くの方が、地震と原発事故の被災者のことで胸をいためていることと思います。


私も、日常生活を送りながらも、「何ができるんだろう」と、頭から離れません。


でも、阪神大震災の被災者で、現在、西宮市議である今村岳司さんのブログを読んで、目が覚める思いがしました。

今村岳司さんのブログ
http://xdl.jp/diary/index.html#20110313


私は、被災者の方々を思ってどんなに涙をこぼしても、心の奥底では、「大分でなくてよかった」と思っている、ほんとうに恥ずべき自己中な人間です。


「被災者の方々がお気の毒」なんて、もう、言えない。 もう、言わない。


そのかわり、しっかり働いて、お金を出す!

でも、それだって、自分の生活が危機になるほどは出さないわけなので、エラそうなことは言えないです。ごめんなさい。


で、その募金先ですが、たくさんありますよね。迷います。


今日、知人のブログで紹介されていた、ジャパンハートさん、こちらの団体、初めて知りました。具体的に動いておられて、感動します。

たいした額ではありませんが、目に見える形で募金が生かされるなら、ありがたいことです。


ジャパンハート
http://www.japanheart.org/

ジャパンハート代表の吉岡秀人さんのブログ
http://japanheart.exblog.jp/


以上、上記三件の情報は、シンドウヨシコさんのブログで拝見しました。ありがとうございます。
http://y445.seesaa.net/


それからもう一カ所、日本の森を守り、日本の木材を使って様々な、味わい深い家具や小物を作っているオークヴィレッジさんのHPに、こんな情報が載っていました。


宮城県気仙沼市のNPO法人「森は海の恋人」への寄付の募集です。
http://shop.oakv.co.jp/shopdetail/049000000001/


どこに募金をしようか迷われているかたがいらっしゃいましたら、ご参考にしていただけるとうれしいです。


あさって20日は、きのくに子どもの村学園の「卒業を祝う会」です。


何が起こっても、子どもたちは成長し、巣立ち、未来を作っていくのです。

明日の夜から、フェリーで行ってきます。


| | コメント (6)

2011年3月14日 (月)

北九州子どもの村中学校できた!

13日は北九州子どもの村小学校で、『一年のおわりの会/卒業を祝う会』が開かれました。


卒業生のスピーチ、堂々として、ユーモアがあって、みんな、とってもすてきな子たちです。

こういう子たちが、中学校の一期生になってくれるなんて、ほんと、うれしいです。


できたてほやほやの中学校の内覧会もありました。

木の香りがただよい、解放感あふれる建物です。


子どもたちも大喜びで、中を走り回っていました。


昨年度末と比べて、人数も格段に増え、4月からはたくさんの新入生も予定されているので、ますます楽しくなることでしょう。


東北、関東の地震で、悲しい気持ちになっていましたが、北九州で希望の光とエネルギーを分けていただきました。


幸い義母のところは、無事だったようですが、東京でも余震が何度もあるそうで、心配です。


あ、それから、N、落ちちゃいました。残念!

でも、二次まで進めただけでも、ほんと、良い経験をしたと思います。

小学校二年生からずっと寮生活だったんだし、きのくにでは、ほんとに楽しく忙しく、やることめいっぱいで過ごしてきたんだから、しばらくうちでゆっくりして、今後のことを考えたり、いろいろ興味のあることをやってみるのもいいんじゃないかな。


それにしても、地震と原発の問題がショック過ぎて、合格不合格、というのが、すごく小さな問題に感じてしまいます。


こういうとき、テレビがないって、いいんだか悪いんだか。

ときどき携帯のワンセグで見ていますが、これを、テレビ画面の映像で延々と見せられたら、めげてしまいそう・・・。


今日は夫もFも東京に滞在しているのですが、停電の影響で電車が止まったりして、大変なようです。


でも、電気、ほんとうに足りないんでしょうか。


はい、もちろん、私、節電はしますよ。
無駄なネオンとか、夜中まで煌煌とついているコンビニやドラッグストアの蛍光灯も消してほしいですよ。


だけど、そういうことは、普段からしてもらいたいし、そもそも原子力発電所をつくらずに、自然エネルギーでまかなえる範囲でやっていくことを考えるべきだったと思います。


でも、まず、「原発ありき」、「ないと困るでしょ」、みたいな感じでどんどんつくられていって、「クリーンエネルギーですから」と主張してきたのに、今回の「想定外」の地震。


「だから原発はいらない!」という流れにならないように、そして、「原子力発電所がなくなったら、みなさん、ほら、こんなに困るんですよ!」と思い知らせるために、停電にしている、ということはないのでしょうか・・・?


現場で働いておられるかたのご苦労は、想像できないほどだと思いますが、実際、正しい情報が出されているのかどうか、そのあたりのトップの判断、マスコミ報道だけを鵜呑みにできないような気もして・・・。


このあたりのこと、田中優さんのお考えを聞いてみたいです。


【田中優さん=未来バンク理事長、坂本龍一氏/桜井和寿氏らと立ち上げた「ap bank」監事。
著書:『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』『戦争って、環境問題と関係ないと思ってた』『地球温暖化/人類滅亡のシナリオは回避できるか』他、多数。

| | コメント (0)

2011年3月 7日 (月)

こころざし

Nの入試、とってもよい体験だっと思います。


まず、願書を出すときに、「志望理由書」なるものを書いて、一緒に提出しなければなりません。

この段階で、「自分は何を学びたいのか」「何をやりたいのか」ということを考えなければならないので、自分を見つめる、とてもよい機会になります。


そして、センター試験を受けて、2月末には、大学での学科試験があり、一次の合否はその両方の合計点数により、決まります。


一次に通ったら、次は小論文。


過去問によると、その学科に関わるテーマが与えられるので、文章の書き方だけでなく、たくさん本を読んで、日頃から考えを深めていないとなかなか書けないものです。


Nも、センター試験が終わってからは、いろいろと本を読んでいました。

もっとも、三年間在籍した「音楽文化を探る」のプロジェクトの中でも、調べものをしたり、読んだりしたことでしょう。


1200字の小論文、Nに書けるのか?と思っていたのですが、電話で話しを聞いた夫によると、しっかり書けていたそうです。


小論文の次は、5分間の「自己表現」をした後、そのまま面接となります。


「自己表現」は、「演奏」「パフォーマンス」「プレゼンテーション」の中から選び、事前にどれにするか決めておきます。


Nはプレゼンテーションにしたそうです。


短いようで長い、長いようで短い5分間のプレゼンテーション。
この時間に、自分を最大限アピールしなければなりません。


緊張しただろうなあ。見てみたかったなあ。


教授たちがずらっと並ぶ中で、発表し、その後、鋭い質問に対し自分の考えを述べる、という面接。


いい試験ですね〜。


試験の準備をしながら、「自分は何をやりたいのか」を真剣に考えた数ヶ月。

N、すごく成長したと思います。


こういう試験なら、カンニングのしようもないですよね。

自分自身で勝負、の世界。


結果はどうあれ、力を出し尽くしたNに、おつかれさま、と言ってやりたいです。


教授たちは、一人ひとり面接なんてとても大変だろうけど、こういう試験をもっと増やしてほしいですね。


少なくとも、「志望理由書」と面接は必要なんじゃないでしょうか?


「偏差値が高かったので医学部にはいりました」、なんていうのはやめてもらいたい。


私が浪人生活に突入したときの、予備校の入塾式で、1人の生徒がスピーチしました。


「私は今年で5浪目です。子どものときに読んだ、野口英世の話しが忘れられなくて、私も人の役に立てる医者になりたいと強く思いました。・・・」


こういう人、合格させてあげたいです。医者になってもらいたいです。


そもそも、医学部だからって、数Ⅲとか、あそこまで難しい問題が解ける必要、あるんですかね。

国家試験に通るためには、確かに記憶力がよくないとだめかもしれないけど、それよりまず、人の話しが聞けること、人の立場に立てること、人が好きであること、こういうことが医者の必要条件だと思うのですが・・・。


まあ、人生、いろんな出会いで変わっていくことはあるでしょうけれど、少なくとも、高校を卒業するときには、しっかりと「こころざし」を持って、新たな世界に羽ばたいてほしいな。


受験て、そのために存在するならいいんじゃないかな。


| | コメント (2)

2011年3月 3日 (木)

人生はやり直せるから

私、カンニング、したことがあります。


小学校4、5年生のテストの時。


カンニングなんてしなくても、ちゃんといい点数をとってたんだけど、どうしても不安な問題が一、二個あって、ちょうど斜め前の子が、そこそこ頭のいい子だったので、なんとか見ようと、すんごい横目を使ってじっと見ました。

その答えが自分のより正しそうだったのか、そして、それを書いたのかどうか、覚えていないのですが、必死に見たことは覚えています。


そういうことを、2、3回やったと思います。


その、3回目くらいのとき、やはりじっと、横目を使っていたら、後ろから先生に、

「サカイ・・・」 ←旧姓です

と、小さな声で名前を呼ばれて、肩をポンとたたかれました。

心臓が止まるほどびっくりしました。


先生の存在を忘れるほど必死でカンニングしていた私の姿、先生から見たら、そのおかしさにすぐ気がつきますよね。


クラスでは学級委員をして、優等生で通っていた私。

カンニングしたことが先生にバレた!


先生は、何も言わなかったのですが、私は恥ずかしさで死にたくなりました。


中学生のときは、英語を習いに行っていましたが、そこは、若い女の先生のお宅にうかがい、一対一での指導を受けるというもの。

家庭教師みたいなものです。


「今日は動詞の変化のテストをしますね」

と言って、プリントを渡し、私をひとり部屋に残して、先生は階下に降りていかれました。


やはり、どうしてもわからない単語がいくつかあり、私、辞書を引いてしまったのです。

そうしたら、私が辞書を見ている真っ最中に先生が部屋に入ってこられました。


気まずい空気・・・。


このときも、恥ずかしくて死んでしまいたかった・・・。


自己肯定感なんて、カケラもないですよ。

こんな自分が好きになれるわけがない。


勉強って、知らないことを知ったり、わからなかったところがわかるようになるためにやってるのに、私は、「勉強ができる子」のレッテルをはがされたくないとか、親を落胆させたくないとか、そういう不安や恐怖にかられてるもんだから、なにかを「学ぶ」気持ちなんて、これっぽっちもない。


ず〜っとずっと、親に期待され続けて、それに答えるために一生懸命だった子どもの頃の私。

今なら、「よしよし、つらかったね」と頭の一つもなでてあげたくなるけど、当時は、自分という存在を消したかった。


大学入試中のネット投稿カンニング。

報道では、予備校生が逮捕されたらしい。


真相はまだわからないけれど、私は彼が気の毒で仕方がないんです。

やっちゃいけないことです。彼だって、わかっていたはず。でも、やってしまった。


もし、今、後悔して、恥じているなら、しかるべき処遇の後、どうか、立ち直ってほしい。

マスコミも、これ以上彼や家族を追いかけないでほしい。


人生はやり直せるから。


いつかあなたの心が解放されて、おだやかに、新たな人生を歩めますように・・・。

| | コメント (5)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »