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2010年10月27日 (水)

トイレット

この間の日曜日、荻上直子監督の映画『トイレット』を見てきました。

最高に良かった〜。

すぐに、「もう一回見たい」って思った映画、『善き人のためのソナタ』以来かなあ。


全くご存知ないかたに、チラシに載ってた文章を紹介します。


【「人生は退屈の繰り返しに耐え忍ぶことだと思う」そう信じて生きてきたプラモデルオタクの青年レイ、引きこもりピアニストの兄モーリー、エアギターで自分のスピリットを表現しようとする大学生の妹リサ。

バラバラに生きてきた3兄弟が、生前母親が日本から呼んだ“ばーちゃん”と一緒に暮らし交流していく中で、次第に心の扉を開いていく・・・。】


その“ばーちゃん”を演じているのが、もたいまさこさんなんです。唯一の日本人出演者。


“ばーちゃん”は、映画の中で、たった一回口を開くのですが、そのひと言に、心が震えました。


チラシには、【みんな、ホントウの自分でおやんなさい】と、あたかもばーちゃんが言ったかのように書いてあるのですが、そういう台詞はでてきません。

でも、ばーちゃんのありかたは、そのことばそのものなんです。


多くを語らなくても、言葉が通じなくても、孫を受容するばーちゃん。


私も、こんな“ばーちゃん”になれたらなあ。


そんなことを思って、帰宅してから、なるべく口数を減らそうと試みている私ですが、う〜む、難しい。すぐ、思ったこと、ぽんぽん口に出してしまう〜〜。すぐには無理かあ。


まあ、みなさま、ぜひぜひ『トイレット』見てみてくださいませ。

他県では、まだ上映しているのかどうかわかりませんが、大分では、シネマ5で上映中です。


公式HPはこちらです。
http://www.cinemacafe.net/official/toilet-movie/

ここ開くと、予告編が見られるのですが、すでに映画を見ようと決めておられるかたは、予告編を見ない方が楽しめるじゃないかと思います。

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2010年10月25日 (月)

誰の心配なのか

北九州と南アルプス子どもの村小学校の子どもたちは、現在イギリスに滞在中。約三週間四週間の予定です。


子どもたち、ドキドキわくわくでしょうね。


保護者さんたちはどうかな・・・、と思っていたら、

北九州子どもの村小学校の保護者さん、KUuさんのブログに、いいことが書いてありました!


【離れていると色々心配な気持ちになる方も多いと思いますが、
親の心配は子どもに瞬時に伝わってしまうもの。(そう、例え海の向こうでも?!)

せっかく子ども達が自分で成長しようとしている大事な時。
親のできることは仕事や家事やお出かけに!没頭して、心配を忘れちゃうことぐらいです。
どんな風に過ごしたのかは、帰って来てからゆっくりボチボチ聞く方がお楽しみですよ~。】


ほんとにその通りです。


この後も、親にとって、とても参考になることが、しっかり、はっきり書いてあります。みなさま、ぜひぜひお読みください。

http://k-children-chiacchie.blog.so-net.ne.jp/2010-10-23


【「お土産を買ってきてね」とか「写真をたくさん撮ってきてね」とかはNG】

【「荷物は少なく。自分で用意してね」これは、とても重要だと実感しています。親が全てパッキングするのは最もNG!】

というくだりも、保護者さんたちにはぜひとも理解してほしいところです。


親が自分の思いを押さえきれなかったり、心配に耐えられなかったりすることで、子どもの成長の芽を摘んでいること、けっこうあると思います。

「子どものことが心配」っていうけど、結局、「親の」心配なんですよね。


学校への行き来なんかでも、親が心配で、いつまでも送り迎えしていたら、自分で考える機会も、失敗する機会も奪ってしまいます。


心が解放されていて、たくましく、自己肯定感のある子どもに育って欲しいなら、親も、ハラをくくるしかないですね。

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2010年10月19日 (火)

とうとう最後かあ

10月17日は、きのくに子どもの村学園での運動会でした。

その前夜は恒例の夜更かし会。

学校の食堂に保護者とスタッフが集まって、いろいろ食べたり飲んだりしながらおしゃべりします。


今年は私、おもに、きの高のスタッフ、保護者とお話しました。


保護者さんとは、「ここだけの話し」で盛り上がり、ときに爆笑。

それにしても、なんだかんだの心配事も、こうやって話してみると、

「え〜、うちもそうなんよ〜」とか

「うちなんてさあ〜」とか

「へえ、うちも、そんなふうに言ってみようかなあ〜」とか

とにかく話して、そして、受容してもらう。


そうすると、だんだん落ち着いてくるし、一人で抱え込んでると大きな問題みたいな気がするのが、不思議とたいしたことないような気がしてくる。


まあ、とにかく、息子、娘が高校生ともなると、いろいろありまして、親も、どの程度口をだせばいいのか、そもそも、どの程度自分の子を理解できているのか、わかんなくなっちゃうんですよね。


スタッフは、ほんとにストレートに意見を言ってくれるし、こちらの思いも聞いてくれるので、話しているうちに、自分が、ほんとうは、なにを気にしているのか、ほんとうはどうしたいのかが、だんだん見えてくるんです。


ちょっと、漠然とした書き方でごめんなさい。まあ、月日がたってから、あのときは、ああで、こうで、と、ぼちぼち書いていこうかな。プライバシーに配慮しつつ・・・。

(昨年の夜更かし会の様子はこちら↓)

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-7371.html


そんなこんなで、結局、夜中3時近くまでおしゃべりしてて、で、以前は、学校の教室で、寝袋で寝る人が何人かいたものですが、今回、私一人じゃん!!

まあ、山登りしてたから、寝袋で一人って好きなんだけど、教室へ行くドアも鍵かかっちゃって、板の間の食堂で寝ましたわ。テーブルの下に頭つっこんで。なかなか快適。


でも、明け方冷えてきて、6時過ぎにはお目ざめ。


それで、誰もいない学園周辺を、朝のお散歩。


わあ、こんなところに、ブランコが!

だいぶ前に息子達がつくった建物が、ありゃりゃ、だいぶ老朽化したわね〜。

あ、Fが中学生のときつくった、キトラ古墳が、草に覆われて、ほんとに古墳らしくなってる〜。

なんてしみじみしてしまいました。


さて、いよいよ運動会。

私にとっては11回目の運動会。昨年だけは、前日の夜更かし会には参加したものの、翌日は他の用事と重なり運動会を見ずに帰ったので、参加できたのは10回。

ぜ〜んぶ晴天。


でも、「これで最後かあ」と思ったら、準備体操のときに一人で号泣。


Nは、それはもう、いい笑顔で、すべての種目に参加。

出るつもりのなかった、超長距離も、みんなに「出ろよ」と勧められ、「やっぱ、走るわ」と急遽参加で、堂々一位!体力あるねえ。


そんなの見てたら、私もうずうずしてきて、友だちも誘って、最後のリレーに参加してしまいました!

誘っておきながら、「普段走ったりしてないやろ、転ばんでよ〜」なんて思っていたら、きゃー、見事私が大転倒。おっかしいなあ、ちゃんと走ってて、なんで転ぶのかしら。

自分のイメージでは、さっそうと、軽快に走っていたのに・・・。


それもすごい転び方で、地響きがたったような気がする。

後で見てみたら、長袖着てたのに、腕は擦り剥けてるし、もっとすごかったのは、下腹部、と書くと、なんかヤラシイから、はっきり書くけど、チコツの上部あたりも擦り剥けて、アザになってる!


帰宅して、夫に話したら

「腕はわかるけど、どういう転び方したら、そんなとこ擦りむくんだよ。よく顔は打たなかったな。」とあきれられました。


はい、でも、むち打ちみたいな感じで、首は痛いです。(泣)

やっぱり、46にもなって、普段運動してないくせにいきなり思い切り走るって、無理があったのですねえ。日頃の運動不足と自分の年、すっかり忘れてた。


ああ、でも楽しかった〜。完全燃焼です。


これで、とうとう最後かあ。


帰りはNと2人、新幹線も激眠しながら、電車を乗り継いで別府駅に到着したの22時。


これから40分ほど運転すれば、温泉に入れる、一刻も早く帰りたい、と車に乗り込む私たち。


あれ、エンジンがかからない・・・。


あ〜、バッテリーが上がってる。たぶん、どこか半ドアだった?


こんなこともあろうかと、メカに弱い私は、カードに、車の応急対応サービスを付けていたのです。

よかった!電話して、待つこと10分。


車も治り、無事、家路についたとさ。


翌日は仕事、朝起きるのがつらかった・・・、なんて、言ってられません。

堀さんは、運動会翌日にはまたイギリスへ。北九州子と南アルプス子どもの村小学校の子どもたちがこれから約3週間、イギリスで過ごすのです。

タフだなあ。


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2010年10月11日 (月)

身辺整理をしてみたら・・・

この連休、久しぶりに何も用事のない休日だったので、長い間気になっていた、二階の押し入れ整理をしました。

この押し入れには、18年前、東京から引っ越してきたときにダンポールに詰め込んだ昔のアルバム、日記、手紙、本などが、ほとんど手つかずで放置されていました。(←放置するにもほどがある!)


人生、今までよりも、これから先のほうが、たぶん短いわけで、こんなものそのままにしておいたら、後に残った者(夫?息子?)に迷惑かけるよな〜、とか、子どもの頃の日記を、私が死んだ後に見られたくないな〜、とか、いろんな思いがあって、やっと身辺整理(?)に取りかかったわけです。


片付けているうちに、つい、じっくり読んじゃうんですよね〜。


日記といっても、私、続かない性格なんですが、単発で数ヶ月書いて、放置、また数年経って書き始める、みたいな感じで、小学校高学年の頃から中学、高校、大学、20代頃まで、ちょこちょこ書いていました。


以前、予備校時代の日誌を、一部公開したことがありましたが↓

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-647e.html


それに劣らず、暗くて、ネガティブな私!


小学六年生で、すでに、「遺書」の下書きしてるし。

「点数も下がって、このままではパパとママの期待に応えられません。ごめんなさい。今度生まれ変わったら、もっと頑張って、いい子になります。」って。

こうやって書けるだけ、まだ深刻になり過ぎないですんでたのかなあ。


あと、母や姉に対する怒りの言葉もすごい。アブナかったぞ、私。


小学校の卒業の時に書いた、「20才のわたしへ」という作文には、

「あなたは気の弱いところがあるから、ノイローゼになったり自殺したりしないでね」だって。


まあ、それだけでなく、誰とか君が好きなのに、他の人も好きになっちゃったとか、ふられた話しとか、いろいろ書いてあって、笑えるんだけど、基本的に、ものすごくいじけてる。


「楽しいことなんて、なんにもない、こんな私、生きてる意味があるんだろうか」

「私には勉強しかない。それなのに、全然集中できない」

「今度は絶対一番になるぞ!○○さんには負けたくない!」


もうやめて〜っていう感じ。(苦笑)


私、人生のなかで、今が一番幸せかも。

生きててよかったです。
自己否定地獄から、やっと抜け出せたみたい。


段ボールからは、忘れてた本なんかもでてきて、捨てるものもたくさんあったんだけど、掘り出し物(?)もいろいろ。


まず、小児科医の毛利子来さんの本『育児のエスプリ』。


この本は、Fがまだ小さい時に買ったものだから、そのときから、のびのび系の子育てには関心があったのだと思うのですが、でも、最後までは読まなかったみたい。あまり記憶がない。

今読んでみると、ルソーやエレン・ケイ、フレーベル、コルチャックなどの名言がピックアップしてあって、なかなか面白い。


明治時代の自由民権運動のリーダー、植木枝盛のことばも紹介されています。

「子が“吾は値打ちのある者だ”と己を大切にするようにならしむが肝要なり」

いいですね〜。この時代に、そういうことを言っている人がいたのですね。


理論物理学者のポルノウ(1903−1991)という人、はじめて聞いた名前ですが、このかたも、いいこと言っています。

「子どもを”朝のような気分”においてあげよう」

毛利さんの解説は、こうです。

【さて、そのポルノウによれば、朝は、「すべてが、希望にあふれているとき」。そして、「子ども時代」は、本来、そのような「とき」を生きる時代であるはずなのです。

「だから」、とポルノウは強く言います。「子どもは、そうした朝のような気分の中で育てることが、絶対に、必要なのです。」

「もし、そのような気分を奪うような状態に、子どもを置いたとすれば、子どもは、決して健全には育たないでしょう」とも言い切ります。】


この本が出版されたのは1993年です。Fが三才になろうとするころ。きのくにはもう、存在していたんですね。


もし、この本を手にしたとき、もっとしっかり読んでいたら、子どもの教育についてもっとしっかりと考え、低学年からFをきのくにに入れることもできたのかなあ、なんて思ったりもします。


でも、


ほんとに、機が熟した時にしか、出会わないものなのかもしれませんね。


もう一冊の掘り出し本は、Raymond Briggsの『WHEN THE WIND BLOWS』。たしか、映画にもなった、「風が吹く時」です。


2人仲良く暮らしていた夫婦が、あるとき、町に原爆を落とされて、2人は家の中にいたけれど、放射能の影響で、だんだん弱って、体に紫斑ができ、血も吐いて、髪が抜けて・・・。


当時はすごく話題になったお話だと記憶しています。


すごく話題になったけれど、核の問題は何も解決しないし、原子力発電所は増えるばかりだし・・・。

この本を見つけて、なんだかちょっと、つらくなってしまった。何もしてない自分も後ろめたいし。


自分の、来し方行く末を考えた2日間でした。


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2010年10月 8日 (金)

たいせつなこと

南アルプス子どもの村小学校は開校一周年を迎えました。

おめでとうございま〜す!!

かつやま子どもの村中学校は10周年だし、なんだかうれしいな。


さて、各校、HPがますます充実してきていますので、どうぞみなさま、いろんな「子どもの村」の様子をご覧くださいね。


さて、今日、特にお勧めしたいのが、南アルプス子どもの村小学校の「最近の様子」。

最新の記事をご紹介します。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2010/10/08 何もしない時間

「子どもには何もしていない時間は認められていない。」と堀さんがいわれました。

たしかに 学校では子どもには何かをすることが求められます。当たり前すぎて、疑問をもつこともない。


一般的にいって、大人は子どもが何かをしていないと、注意をしたり、催促したりするのが仕事だと思っています。ご家庭でも同じでしょう。

何もしないで、寝転がってばかりいるお子さんを見ていたら、つい「掃除して…」「本でも読んだら…」「寝転がってばかりいないで…」といってせかします。けれど、堀さんのその話のくだりは、

「何もしないっていう時間の大切さに改めて気づくべきだ」というわけです。

 
子どもひとり一人にはリズムがあるのが当然。時には「ぼーっ」とする時間もあります。

そんな時間があるから、何か自分のエネルギーを注ぎたいものに出会った時、のめり込んでいくパワーがちがうのかもしれません。
 

たとえば、プロジェクト活動で、みんなが働いているのに、離れたところにいて見ている子がいます。だけど、離れたところにいるからといって、この子が、何もしていないと決めつけたりはしません。

声をかけたり、注意をしたりする場合もあります。

けれど、何もしない、ということに意味がある、ということも頭の中においておきたいと思います。何もしない、というそのありようを、柔らかい気持ちで受けとめたいと思います。

また、意見を求めた時に手を挙げないからといって、その子がやる気がないと決めつけたりもしない。やる気があっても手を挙げない子もいる。説明できない事情をかかえている場合だってある。


「ひとり一人がみんなと自由に」をモットーにした学校だからこそ、子どもが息を抜いた瞬間に出会った時に、すかさず注意をする大人になるのではなく、そのリズムに合わせて息を抜いてみる大人である方がいいのかな、と。

 子どもの村の大人は葛藤がおおい。日々精進、精進。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


南アルプス子どもの村の「最近のようす」には、他にもすてきなお話がいっぱいです。

↓こちらからご覧ください。9月15日に「あわてず、いそがず」、これまた感動です!


http://www.kinokuni.ac.jp/nc_alps/html/htdocs/index.php?action=pages_view_main&page_id=20


子どもの村の、何がすごいって、こういう子どもの心をふか〜く受容してくれるところなんです。


9月24日の「子どもと共に笑う」で、シンポジウムのチラシに載っていた堀さんの文章を紹介しましたが、この会話のすごさに気がついたかたは、もう、なんの心配もなく、子どもを託せると思います。


これが、「受容する」ってことなんですよね。


9月末に、北九州でお話させていただいた後に、参加者のお一人に話しかけられました。


「ちょっと聞きたいんですけど、この学校では、子どもに本を読むようにはさせてないんですか?」


これは、私が話しの中で、「長男が中学生の頃の夏休み、ゴロゴロして、マンガとゲームにあけくれていた、私は息子に本を読んで欲しかったので、その様子を見て苦しかった」、というエピソードにからんでの質問でした。

それで私、

「この本お勧めだよ、みたいなことはあるかもしれませんが、本を読みなさい、というような、“指導”はしてないと思いますよ」

と答えました。


なんとなく、腑に落ちないような様子でした。


話しの中では、「その長男も、中三の夏、“ギターで食べていく”と決意した後は、マンガとゲームを卒業し、ギターに真剣に取り組みはじめました。今では本も、たくさん読んでいます」と続けたのですが、それでも、学校で読書の指導をしないなんて、不安なのかなあ。


保護者でも、

「学校(もしくは寮)ではゲーム禁止にしてほしい」「時間制限してほしい」とか

「自然食の食事にしてほしい」とか

いろいろ言う人(言わなくても、思っている人)はいるみたい。


私に言わせれば、そんなこと、すっごく小さいことだと思う。


子どもの行動の表面だけをとらえるのでなく、深いところを見ようとしてくれる大人がいて、そこでたくさんの興味あることに出会って学んでいく子どもたち。


ほんとうの自由を味わって、心が解放されていれば、子どもは、時期がくれば、自分で自分の道を見つけていくんです。どんどんやりたいことに邁進していくんです。


なによりも大切なことは、子どもの心に寄り添ってくれる大人がいる、ということ。


冒頭の文章を読み返して、また、涙がでてきた。


うちの息子たちも、こんなふうに、温かく見守られてきたんだなあ。


ありがとう  ありがとう  ありがとう

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2010年10月 4日 (月)

愛が一番!

9月26日の朝日新聞【おやじのせなか】というコラムで、写真家の梅佳代さんが、ご自分のお父さんについて語っておられました。

梅佳代さん、2007年に出された「うめめ」という写真集が有名ですよね。


で、そのお父さん、とってもユニークなかたみたいです。

佳代さんのともだちには、「初めまして、能登のリチャード・ギアです」と挨拶したり、「パパはアメリカ人だから」と言って、テレビで流れる英語に、「ヤアヤア」と相づちをうったり。


【ギャグばかりのパパだけど、「佳代たちは宝やからな」といつも言ってくれてました。

私、家族に好かれてることには自信あるし、家族や周りの人のことを好きなのは当たり前だと思ってた。

大人になって改めて、言葉に出して好きって言うのはすごく大事やと思う。私も誰にでもそんな気持ちでいたいと思っています。】


すてきですねえ〜。


こういう家庭で育ったら、何があっても道を踏み外すことはないと思う。


こういう家庭ばっかりになったら、世界はどんなに平和になるでしょう。


この記事を読んで、と〜っても幸せな気持ちになりました。heart02

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