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2010年7月29日 (木)

あるのは問題の親ばかり

【問題の子どもというものは決してない。
あるのは問題の親ばかりだ。】

これは、A.S.ニイルの『問題の親』の冒頭の言葉です。


昨日(27日)秋葉原殺傷事件の加藤被告の第16回公判が開かれ、ネットでも新聞でも、公判記録が掲載されました。(新聞では要旨)


あまりに重くて、これについて書くのはやめておこうと思っていたのですが、寝られなくなって、とにかく、書いています。


加藤被告は

「事件を起こした責任はすべて私にあり、後悔している。同じような事件が将来起きないよう、参考になることをお話したい。」と語ったそうです。


私たちは、ほんとうに、彼の言葉をしっかりと受け止めて、考えなければならないと思います。


多くの人が感じたことだと思いますが、彼の子ども時代、あまりにかわいそうです。


子どもの頃から大人になっても、なにか人にいいたいこと、伝えたいことがあるときは、いきなり相手を殴ったり、仕事も持ち場をぷいっと離れるなど、すぐ行動にうつしていた、ということです。

これは、何の説明もなく、いぎなり怒鳴りだしたり、たたいたりする母親の育児態度そのものです。


母親の育てかたに対する批判が大きく取りあげられていますが、私が一番腹が立ったのは、父親の態度です。


「妻は被告に高学歴を望んでいたが、私は健康に育てばいいと思っていた。被告が小学生のころ、妻はつきっきりで宿題を見ていた。チラシにひっくり返した食事を食べさせたことがあり、やりすぎだと思った。」
(父親の調書の要旨より抜粋)


「やりすぎだと思った」のなら、どうして止めないのですか?


「高学歴でなくてもいい、健康に育てばいい」と思っていたのなら、どうして、息子をたたいてまで勉強を強制する妻に、反対しなかったのですか?


あなたが精一杯守ってあげれば、彼は救われたはずです。


傍観者の父親。

傍観者は絶対自分を振り返らない。


「警察からの電話で事件を知り、なぜなんだ、との気持ちしかない。裁判でありのままを話してほしい。」


全く他人事ですよね。


私、もう、怒りが込み上げてきて、どうしようもないくらいです。


私の家族が被害者の一人だったら、私は、この父親を徹底追及したいです。もちろん、母親にも腹はたちます。


とにかく、自分たちのあり方の、どこが間違っていたのか、しっかりと向き合って、被害者の方々にはもちろん、加藤被告に対しても、詫びてほしい。


そうでなければ、「同じような事件が将来起きないように」という、加藤被告のことばを、受け止めたことにはならないと思うのです。


もう一度、『問題の親』からの抜粋です。(P.16)

【ー略ー  このように書いてくると、親たちが次のようにいうのも無理はない。

「たしかにその通りでしょう。しかし、学校と家庭は違います。私は、古い意味で子どもを愛しております。子どもは私の一部です。私は、子どもとの関係に感情を持ち込まないわけにはまいりません。」

このことばに間違いはない。しかしどんな「感情」を持ち込むのだろう。愛だろうか。それとも憎しみだろうか。承認だろうか。それとも不承認だろうか。

親はいつでも子を愛していると思われている。

しかし、親の愛はいつも存在するのだろうか。

私はあえて言いたい。問題の子どものケースを見ると、親の愛はないことが多いのだ。

だから問題の親にかんする論点は、「大人の心理のどの要素が、自分自身を憎み、その結果として子どもを憎む親に変えるのか」ということにしぼることができる。これはとても大きな問いである。】


「親は子どもを愛するものだ」

「躾のつもりでやっていたことだ」

そういうおためごかしはやめてもらいたい。


数年前、生徒が事件を起こした学校で、校長が集会で話したことの中に、

「君たちの親は、いつも君たちを愛している」

という言葉がありました。


そういうことを言うから、親からつらい仕打ちを受けている子どもたちが、それを人に話せなくなるじゃないですか。

自分を責めるようになるじゃないですか。


もう、本音でいこうよ。


子どもを愛せない親もいる。


そういう不幸な親もいるのが現実。


それを認めた上で、じゃあ、どうしたらいいのか、なにをすべきなのか、考えていかないと、いつも表面的な後始末で終わってしまうような気がする。


私の思いつくことの一つは、とにかく、みんな、ニイルの本を読みましょう、ということです。


*怒りのパワー全開で、ごめんなさい。次回は、少し楽しい話題をお送りします。


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2010年7月26日 (月)

堀さん出演のラジオ放送

今年2月28日、北九州のラジオ番組、FMキタキューの『ガイアの風』に堀さんが出演しました。

パソコンからも聞くことができます。下記をご参照ください。

http://www.k-children.jp/event_and_topics/news/2010/お知らせ/fm-キタキュー-出演時放送の紹介/

「右のボタンをクリックするとおききいただけます」というところがありますが、私、これだと、途中で切れてしまって、うまく聞けませんでした。

さらに下のほうの説明にしたがって、【FMキタキュー「ガイアの風」】を右クリックして、ダウンロードしてからお聞きいただく方をお勧めします。Macではダウンロードできるのかどうか、わからないのですが、そこをクリックするだけで、放送が聞こえてきました。


1時間番組ですが、途中、三曲ほど、音楽が流れますので、掘さんのお話しは、正味30〜40分ほどです。


さて、掘さんのお話しは、何度も聞いてきた私ですが、毎回新しい発見と再確認があります。


今回三つのことが、印象に残りました。


まず一点目は、堀さんって、相手が誰であっても、いつも同じ態度だなあ、ということ。


相手がスタッフでも、子どもでも、保護者でも、もちろん、言葉遣いに違いはありますが、相手を見下すようなことろが全くないんです。

堀さんとお話されたかたはわかると思いますが、自分がとても尊重されているような気持ちになるんですよね。


外部のかたであっても、へつらったり、変に低姿勢になることもなく、ほんとうに、誠実なかただなあ、といつも思うのです。


今回、放送でパーソナリティのかたと話す様子も、自然ですよね〜。


スタッフのかたもそうで、保護者に対しても、言いにくいことでも、言うべきことははっきり言ってくれるんです。やっぱり、日々、堀さんのような師を見ているから、自然にそうなるんでしょうか。

見習いたいです。


二点目は、きのくに子どもの村学園には(北九州ももちろんですが)、チャイムがない、ということ。

というか、普通の学校では、チャイムの合図で子どもが動く、ということに、改めて違和感を感じました。


チャイムがないのは、きのくにの特徴の一つでもあります。

初めて見学に行った時には、ボール遊びやダンス等、休み時間を楽しんでいた子どもたちが、チャイムが鳴らないのに時間になるとささ〜っと教室に入っていく様子にびっくりしました。

「始めるぞ〜」とか「早く入れ!」という、教師の命令する声が、全く聞こえないのです。


放送の中でも、堀さんが、「チャイムがないほうが、子ども達は時間を守ります」とおっしゃっています。

一年生だって、ちゃんと、できるんですよね。


それなのに、なんで、多くの学校では、高校でまで、チャイムをならすのか。

羊飼いに追われる羊じゃないんだから、子どもの自主性に任せればいいのに。

多分、子どもの力を信じられない、もしくは、子どもに自主性を与えたくない、のどちらかなのでしょう。


だから、小学生のときから、自分たちを信じてもらって、自分で考えて自分で動く、という習慣を身につけられる、ということは、実は、とっても大事なことだと、改めて思ったのです。


そして最後に、特に心に残ったのは、「子どもの心の中まできちっと理解して対応する、しかも、自由な学校を作りたいと思った」というところです。


きのくにの特徴は、頭を使う体験学習だとか、テストや宿題がない、というところが特に目立つ点だと思いますが、私が何より感謝しているのは、堀さんはじめ、全ての教員が、子どもの心を理解しようと努め、しっかりと研鑽を積まれているところなのです。


これは、中に入らないと、なかなかわからないことかもしれません。


以前にも書きましたが、通知表はないけれど、【生活と学習の記録】というものがあって、子どもの様子を詳しく書いてくださるのですが、それを読んでも、深く見てくださっているなあ、ということがよくわかります。

少し、箇条書きにピックアップしてみます。FのもNのも混ぜて紹介します。カッコ内は、そのときの学年です。


・弟が同じクラスになり、かなり気疲れしていたようだ。(小4)

・友だちに気のすすまないことを頼まれた時など、上手に断ることができるようになった。(小4)

・表情も明るく、さわやかで、心理的に安定していた。不満の声や苛立がほとんどなかった。(小6)

・友だちとふざけ合い、ギャングエイジを楽しみながらも、最高学年を意識したり、やさしい気遣いをする。(小6)

・見通しをもち効率よく進めようとする。問題発生の時は、素早く次の解決方法を考える。(小6)

・年下の友だちにもやさしく、寮の部屋が楽しいと大人に話している。(小3)

・毎日をのびのびと充実した様子で過ごしている。大人の前でも、ずいぶん自分自身を出せるようになってきた。(中1)

・ミーティングでは、皆が黙ってしまった時に手を挙げて意見を言う場面が見られた。全体を見て、配慮しようとする姿勢が感じられる。(中1)


今までにいただいた【記録】の文章は、これの何十倍もあるのですが、どれも、子どもの心を尊重してくださっているのがわかります。


こういう文章の書き方も、研修が行われているそうです。


そして、子どもへのまなざしの土台になっているのが、ニイルの考えかたです。


【教えるというのは科学ではない。一種の芸術である。そして、芸術家だけが正しく教えることができるといってもよい。私のいう「教える」というのは、授業をすることではない。子どもと共に生き、子どもの一人となるという業(わざ)である。

子どもと生き生きと触れ合うこと、これこそが大問題なのだ。子どもの視点から学校と人生を見る、といってもよい。】  「ニイル選集④ 問題の教師」P.61より


【学校においては、子どもの心理が第一に考えられねばならない。】  同 P.91より


こういうふうに言う教育者、なかなかいないですよね〜。でも、それこそが、とても大切なのに・・・。


ニイルの本、大分ではジュンク堂さんに置いてあります。


そういえば、この間「ジュンク堂さんありがとう」と書いたばかりなのに、この間行ったら、『自由学校の設計』のあった場所に、ヤンキー先生の本が平置きになってた・・・。くやし〜〜!でも、ちゃんと、縦並べですが、堀さんの本も置いてありました。


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2010年7月24日 (土)

自由学校の卒業生たち

7月31日(土・サマースクール最終日)の13:30より、北九州子どもの村小学校にて、堀さんの講演会が開かれます。

定員40名ですので、参加希望のかたは、空きがあるかどうか、北九州子どもの村小学校にお確かめください。


演題は『自由学校の卒業生たち』

興味ある方、多いでしょうね。


当ブログでも、検索ワードのトップにくるのは、「きのくに 卒業生」「きのくに 進路」という言葉です。

(あ、「きのくに 学費」というのも多いか・・・。)


これまでも、「きのくにを卒業後はどうなってるんですか」という質問を受けたことが何度もあります。


私、不思議に思うんですが、普通、子どもが地元の公立小学校の入学するとき、「この学校の卒業生はどうなってるんですか」なんて質問、誰かにしますか?

なんで、きのくにだと、卒業後のことがそんなに気になるんだろう。


「体験学習が中心だと、高校受験、大学受験でやっていけないんじゃないの?」ということなのかな?


私は、堀さんの本を読んだ時点で、そういう意味の心配はなんにもしていなかったので、こういう質問に、どう返事をすればよいか、わからないんですよね。


それに、実際、きのくにの中学生、高校生たちは、ほんとうにさわやかですてきで、その子たちがどの程度の偏差値の学校に進学するかなんて、私は興味がないです。


私がどこかの会社の人事担当だったら、絶対採用したくなる子たちがいっぱいなんです。


実際の、子どもたちの進路は、多岐に渡っているので、これまた楽しい。芸術関係に進む子もあれば、家業を継ぐ子もいる。もちろん進学して、興味あることを探求したり、就きたい職業に向かって準備をする子もいる。


そして、進学先では、好成績を修める子がとても多いのです。

それはきっと、やりたいことをやっているからなのでしょう。


そういえば、8年前のシンポジウムで、卒業生数人が話しをしてくれたことがありました。

その中の、東京の大学に進学した女性の話しです。

きのくにの中学校を卒業後に行った高校で、最初のころは、試験のできがあまりよくなかったそうです。


そのときのことを、こんなふうに言っていました。


「高校に入って、勉強はできるのだけれど、テストとなるとできなかったんです。でも、それは、テストに慣れていなかっただけで、やりかたがわかってきたら、簡単。自負しますが、高三のときには優秀な生徒でした。」


このシンポジウムのときに私が書いた感想が、きのくに子どもの村通信 第61号(2002年12月)に載っています。

【私は2人の息子がきのくにで学んで、なんの心配もありません。卒業生の言葉を聞いて、いっそう意を強くしました。「勉強はできるけど、テスト勉強はできない」そういう子であって、かえって頼もしく感じました。

受験勉強ばかりしてきて自己主張ができない自分てなんだろうと、自分のことがはがゆく思うのです。

「5〜6年ぶりに会った友だちにすごく刺激される、尊敬できる、そういう子ばっかり」この言葉を、み〜んなに聞かせたい。】

こういう話しをしても、何をどういう言っても、心配な人は心配なんですよね〜。


「心配」は、その人の心の中にあるのだから、いくら「大丈夫」と言っても、その人の心は変わらない。


31日の堀さんの講演会、自分自身の価値観を見つめ直す機会にも、なるかもしれません。


お子さんのサマースクール参加に関係なく、どなたでも参加できますが、もちろん、サマースクール参加の親御さんにも、堀さんのお話しは、ぜひぜひお聞きいただきたいです。


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2010年7月20日 (火)

修学旅行のこと

昨日書いた、きの高の修学旅行のことですが、ちょっと補足します。


きのくに歴が長くなってくると、すっかり、当然のことのように書いてしまうことがあります。でも、よく考えると、「当然」じゃないことがたくさん。


というのは、きのくにではまず、修学旅行に行くか行かないか、どこに行くかを、子どもたちが話し合って決めるのです。


今回は、昨年の12月頃から話し合いを始めたそうです。

全員で行くのか、行きたい人だけで行くのか、という話しもでたりして、ミーティングは難航。一度は中断したそうです。


それでも、また集まって、意見を出し合い、みんなが納得の上での屋久島旅行となりました。


そういう経緯があるからこそ、どんな天気でも、楽しめるんだろうな。

お仕着せの、毎年決まった旅行じゃなくて、自分たちで決めた旅行だもの。


こんな体験からも、主体的に生きる態度と能力を身につけていくのでしょう。


「きのくにを卒業した子どもたちは、どんなふうになっているの?」

という質問を受けることがよくあります。


「自分自身の魂の船長となり(by A.S.ニイル)、たくましく、しなやかに、主体的に、生きています」

としか、言いようがないなあ。


*きのくに(&かつやま)での旅行について、もっと深く知りたいかたは、【子どもの村ブックレット No.3 旅は最高の教師】(700円)をお読みください。この本は書店では手に入りません。きのくに、かつやま、南アルプス、北九州子どもの村で購入できます。

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2010年7月19日 (月)

これがホントの、生きるチカラ

少し前の話しになりますが、6月16日から21日まで、きのくに国際高等専修学校の三年生たちは、屋久島へ修学旅行に行っていました。


でも、連日の雨。

ちょうどその頃、私は南アルプスの教育講座に行っていたのですが、頭の隅で、「Nたち、今頃どうしてるかなあ。ず〜っと雨で、雰囲気悪くなって、けんかでもしてるんじゃないのかなあ」なんて思っていたのです。


ところがどっこい(←って、ちょっと古いか・・・)
彼ら、大雨のなか、朝3時に起きて縄文杉を見に行ったり、サイクリングをしたり、シュノーケリングをしたり、十分楽しんでいました。


このときの様子が、↓このページ下の方、【June 修学旅行】の欄にでています。

http://www.kinokuni.ac.jp/nc_kousen/html/htdocs/index.php?action=pages_view_main&page_id=31


みんな、いい顔してますね〜。
感想もすばらしい!


でも、とにかく雨続きで、太陽を見たのは、縄文杉からの帰り道、雲の間からちらっと見えただけだったそうです。


私だったら、絶対イライラしただろうな〜。

家族旅行だったら、「あなたがこんな時に屋久島とか言うから・・・」と夫を責めたり。絶対夫婦喧嘩してるわ。


Nたちは、最初から雨を覚悟で、トランプなど、ちゃんと室内でも遊べるものを持って行ったのですって。


縄文杉の翌日は、フリータイムにしてあって、のんびり温泉巡りをするチームやサイクリングをするチームなど、4つくらいに分かれて思い思いに過ごしたのだそうです。

Nたち男子3人+引率の大人(海に行くので引率が必要なのだそう)は、どしゃぶりのなか、最初から水着を着てサイクリング。引率の大人は、きのくにの卒業生で、若い女性。

えらいなあ、すごいなあ。体力ないと、きのくにの大人は務まらない?


途中、お昼ご飯で入ったお店では、ずぶぬれだと迷惑になるので、乾いた服に着替えて食事。そして、食後は、また、さっき脱いだ濡れた服に着替えて外へ。

この話しを聞いたときは、もう、びっくりでした。

だって、一回脱いだ濡れた服を着るなんて、イヤじゃないですか?
まあ、彼らも気分がよいわけじゃなかったようですが、しょうがないですもんね。

なんて、たくましいこと!


ちなみに、Nの感想は、
「大雨の中でのサイクリングはとても気持ちよかった。もう雨なんて怖くない。今では雨も大好きだ。」


彼は、まだ小さい頃、濡れるの大嫌いだったんですよ。

スケートで滑って転んで、ズボンや手袋が濡れると、「濡れるのイヤ」と不機嫌になってたんです。


それがまあ、この変わりよう。


私なんて、今だに、「これヤダ、あれヤダ」と、許容範囲の狭いこと甚だしいもので・・・。

最悪の天候のなか、笑顔で楽しめるきの高生たちがとてもまぶしいです。

これがホントの、生きるチカラだよなあ。


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2010年7月15日 (木)

価値観の溝

今日は、息子の前で泣いてしまった。←別に珍しくないけど。


実家の母と電話で話しをしていたら、落ち込んで、泣いてしまった。


母は、子どもの頃、かなり悲惨な生活をした人。母親を早く亡くして、とても苦労したらしい。兄弟姉妹も多くて、愛情に飢えていて、いじけていたそうだ。

今は、未亡人にはなったけれど、それなりに、金銭的にも、健康上も、問題なく生活をしている。


本人は「お金がない」というけれど、どう見ても、金銭感覚が狂っている。百貨店の外商に勧められたから、と言って、7〜8万もするバッグを、買ってしまう。

一緒に買い物に行った時も、私が、「もっとよく考えたほうがいいよ」と言っても、「お母さんは、今、これが欲しいの!」と言って、二ついっぺんにバッグを買い(両方で10万くらい)、次に会ったときは、「これ、やっぱり重くて使えないからいらない」と言う。


子どもの頃は、姉と私、さんざん比較して育てられた。性格がいいのはお姉ちゃん、成績がいいのはmamiちゃん。どちらかをほめるときは、必ず片方をけなす。そういう育て方。


自分が苦労したせいなのか、学歴大好き。学歴で人を見る。


亡くなった父も、つらい子ども時代を過ごしたせいか、愛情のかけかたがよくわからないような人だった。


姉に対して、「お前はほんとうに疫病神だな」「お前の顔を見るだけでイライラしてくる」と言って、よく姉を泣かせていた。

母は、その様子を見ても、単なる傍観者。私は、父の怒鳴る声を聞きながら二階でふとんをかぶって泣いていた。

「お前達は橋の下で拾ってきたんだ」「孤児院に捨てるぞ」とも、よく言われたなあ。今なら笑えるけど、子どものときは、恐かったなあ。


姉は、「親に心からかわいがられた記憶が一度もない」と、はっきり言っていた。


母とは断絶しかかったこともあったけど、やはり、一人暮らしで寂しいだろうなという気持ちも起きて、なんとなく、ときどき電話したり、手紙を書いたり、一年に1〜2回は会ったりしている。


でも、私が一番大切に思っている、教育についての価値観を、全然わかってもらえてないのがしんどくなって、この間、手紙を書いた。


きのくにのこと、息子達が今、どういうことに興味があって、どんなふうに過ごしているか、私が仕事以外でやっていることなど、丁寧に書いたつもり。今後もつきあっていくのなら、人生の根幹に関わる部分は理解しておいてほしいと思ったから。


夫は、「あまり期待しないほうがいいと思うよ。お義母さんは、人に興味がないでしょ。簡単には変わらないよ」と言っていたけど、私は、期待してしまっていた。


結果は、夫の言った通りだった。


自分がどれだけ娘のためにやってきたかを、滔々とまくしたて、「あなたはほんとうに思いやりがない」と。


ああ、前にもあったな、こういうこと。

高校のときから始まった過食症が、一人暮らしの大学生時代にひどくなり、母に手紙を書いたことがあった。

自分の症状、そして、その原因。親からの、勉強やしつけの重圧がきつかったことなどを書いた。そうしたら、母は激怒して、「なにを甘えてるんだ。私もお父さんも、精一杯やってきたのに!」と、まるで聞く耳がなかった。

ああ、そうだったな、それなのに、私、なにを期待していたんだ。


長年親子やってきても、これだけ気持ちは通じ合わないものなんだ。


私も、この母の価値観を、多少なりとも受け継いでしまっているのだろうか。
私も、この母と同じくらい、息子のことを理解できていないのだろうか。
私が感じたこの虚しさを、息子にも感じさせてきたのだろうか。


それを思ったら、泣けてきた。


今、Nと二人暮らし。夫は研修で出張。Fはイタリア。


私:「Nくん、お母さん、Nくんのことを全然わかってないなあって思うことある?」

N:「そんなこと、ないよ」

私:「お母さん、おばあちゃんよりマシなお母さんかなあ」

N:「そういうふうに思うだけで、大丈夫」


泣いている私に、そう言ってくれた。


ありがとう、Nくん。ダメなところいっぱいのお母さんだけど、これからも、よろしくね。


*普段は、いろんなこと、即座にアップしないで、すこし寝かせてから書くのですが、今日は、ちょっと、心のままに書いてしまいました。今日はじめてこのブログをご覧になったかた、よくわかりませんよね、ごめんなさい。


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2010年7月12日 (月)

見くびっててごめん!

Fは今、イタリアにいます。


シエナにある「キジアーナ音楽院」で行われている音楽講習会に参加しているのです。

クラシックギターだけでなく、ピアノ、フルート、クラリネット・・・、いろんな楽器の演奏家たちが、いろんな国から集まってきます。


7月2日に発って、帰国は8月初めの予定。


講習会初日にはオーディションがあって、それに通ればオスカー・ギリアという著名な演奏家のレッスンが直接受けられるのです。落ちれば聴講のみ。

でも、期間中、毎晩のように、いろんなコンサートが開かれて、生徒は全て無料で聞くことができるのです。楽しいだろうなあ。


オーディションはどうだったのかな〜、泊まるところは、最初の二泊だけは予約していたけど、期間中の宿泊、安いところ見つけられたのかなあ。

そもそも、スリにも会わずにシエナまでたどり着けたのかなあ。


なんて思っていたら、一昨日、やっとメールが届きました。


「こっちのネットワークのパスワードがわからなかったから、メールできなかったけど、部屋をシェアしているスペイン人に教えてもらって・・・」


ええ〜!?スペイン人と部屋をシェア?


ほとんど英語のできないFが、どうやって・・・?


「言葉はあんまりしゃべれないけど、友だちいっぱいできたよ」と、短い文面ながら、生き生きと楽しんでいる様子が伝わってきます。


この講習会に参加することを決めてから、それなりに、英語は勉強していました。

英会話のレッスンにも、8回くらい通ったかなあ。でも、先生が引っ越すことになっちゃって、カタコト状態から脱皮できないまま。


それなのに、のんびり「筆記体の練習帳」かなんか開いて、丁寧に、筆記体のお稽古してるし。coldsweats01

それがまた、笑っちゃうくらい、上手にきれいに書いているのです。どこまでが見本で、どこからがFが書いたものなのか、見分けがつかないんです。


でも、こっちから見れば、

「今頃そんなことしてる場合かい?」
「そんなことより、まず、語彙を増やして、会話の練習でしょうが」

と言いたくなるのですが、彼は独特の脳とペースを持っているようでして・・・。


そして、「オーディションも受かったよ!」ということで、とりあえず、めでたしめでたし。


連絡がなかった一週間、夫と、

「たどり着けてないのかなあ」

「パソコンなんて、買ったばかりで、あいつ、使えないんだろ」

「ホテルも、安いところなんて探せなくて、最初に予約したところにそのまま滞在してるのかなあ」


なんて言ってたのですが、ちゃんと、楽しく、たくましく、やってたみたいです。


Fくん、見くびっててごめん。


親が思うより、アンタ、ずっとしっかりしてたんだね。


そういえば、イタリアに発つ2日前、一歩間違えば命を落とす事故に遭遇したF。


イタリアでの日々を楽しんで、無事に帰っておいでね。生きてるだけで、もうけもん!

土産話、楽しみにしているよ。


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2010年7月10日 (土)

ジュンク堂さんありがとう

ジュンク堂さんありがとう
大分のジュンク堂さん、堀さんの・自由学校の設計・をどど〜んと平置きして下さってま〜す!
講演会場で買えなかったかた、ぜひジュンク堂さんで買ってくださいね。教育時事のところにあります。けっこう奥の方。10冊くらいありました。

その裏側のたなにはニイルの本もありましたよ!

それにしても、本屋さんて、この本置いてください、ってお願いしたら、置いてくれるものなんですね。

でも、このまま置き続けてもらうためには、売れ続けなければ!

買って後悔しない本ですよ〜!

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2010年7月 8日 (木)

きの高の魅力ーその②

前回に続いて、『きの高THIS WEEK』の中のコラム、『petit 陽のあたる場所』をご紹介します。


こちらは、小学一年生からきのくに子どもの村学園で過ごしてきたTくん(きの高一年)が書いています。

(*ネット上で見やすいように、実際より段落を多くとっています。)


【自分の意見を反論されるのは幸せなことだ。理由は3つある。

ひとつは、反論するには相手の意見を詳細にきかなければならない。だから、私の意見を真剣に聞いてくれているという安心感を得ることができる。


もうひとつは、指摘されることにより、再び自分の意見を考え直す機会ができるということだ。一度考えた意見よりも、2度や3度考え直した意見のほうが良いに決まっている。


最後は、自分とは異なった考え方を知ることができる、という点である。

ひとりの人間の考えには多くの間違いがあるだろう。なぜならば、ひとつのものごとについてひとつの見方しかできていない場合が多いからだ。

しかし、人の意見は自分とは異なった見方を教えてくれる。「反論されることは幸せなこと」の最も大切なところだ。


いろいろな人の意見を知り、自分の意見を推敲することによって、より良い考え方が生まれる。

相手の意見を反論するのに少し躊躇(ちゅうちょ)してしまう人もいるかもしれない。だが、反論することにも多くのいいところがある。だから、間違っていると思ったときは反論すべきである。】


なんて大人なんだ〜。

私なんて、自分が恥ずかしくなってしまいましたよ。


それにしても、つくづく、こういう子が育つきのくにってすごいところだな〜、と思いました。


今回紹介しただけでなく、ほとんど毎回、じ〜んとしたり、考えさせられたり、感心したり、勉強になったり、すてきな記事がい〜っぱいの『きの高THIS WEEK』。


広報部のみなさま、これからも、楽しみにしていま〜す!!smile


*広報「部」といっていますが、これ、部活動ではなく、選択授業の一つなんですよ。


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2010年7月 4日 (日)

きの高の魅力ーその①

次男のNは、きのくに国際高等専修学校(きの高)の三年生。


彼が、「きの高に行きたい」と言ったのは、中学三年の秋頃でした。

うれしかったなあ〜。

私は、長男のFにも、きの高に行ってほしかったけど、彼は、中三の夏には、「ギターで食べていく」と決意していたので、きの高は選択肢に入りませんでした。


なので、Nが行ってくれたらいいなあ、と、思っていたから、とてもうれしかったのです。


きの高の魅力。スタッフが魅力的だとか、授業が、奥が深いとか、いろいろあるけれど、私が書くより、在校生が語ってくれたらうれしいですよね。


そう思っていたら、在校生が書いた、すてきな文章が目に飛び込んできました!


きの高の授業には、「広報部」というのがあって、毎週『きの高THIS WEEK』というA4表裏の通信を発行しています。

これがとても面白い!

事務連絡以外に、お勧めの映画や本のコーナーや、4コママンガ、生徒の紹介、話題のニュースを取りあげた考察、などなど、盛りだくさんながら、どれもとてもよくまとまっています。


中でも私が好きなのは、『陽のあたる場所』というコラムで、担当した生徒が、そのときどき思うこと、悩んでいることなどを、赤裸々に書いています。

『陽の当たる場所』の他に、『petit 陽のあたる場所』というのもあって、こちらは前者に比べて、少し文字数が少なくなっていますが、こちらも面白い。


で、6月18日発行の『きの高THIS WEEK』から、まず、今日は、『陽のあたる場所』のほうを紹介します。


こちらは、中学校まで公立で過ごし、今年の4月からきの高に入学したSさんが書いています。


【きのくにはおもしろい。公立中学校から来た私の感想だ。

おもしろいところは、授業の教え方や授業内容が私のいた学校とは違う。ユニークでしんどくならないで勉強できる。自分でもよくわからないのだが、きのくにの授業に出たくなる不思議な力があると思う。

私は中学校にいい思い出がない。友人といえる人も少なく、学校を休むことも多々あった。先生に高校のことを聞かれても「大阪の学校行きたい」とか「もう地元の高校でいいかも」などと、適当なことを言ってごまかしていた。


そんな時にお母さんが「Sはどう思うかわからんけど、いい学校やから、学校見学に行ってみたら?」と言われた。それがきのくにに来たきっかけだった。それまで高校から目をそむけていた私には、お母さんの言葉は驚くものだった。

最初はぜんぜん興味なくきのくにのオープンキャンパスに来た。お母さんが言ったからしぶしぶ行ったのだが、それまでやってきたつまらない授業とは違い、何もかもが新鮮で、何をしても楽しかった、授業時間が長かったのに苦痛には感じなくて、とても充実していたように思う。


きのくにに行きたいと思ったときから、私は毎日学校に行くようになり、それまでの遅れを取り戻すために必死で勉強もした。そしてこの4月に、念願のきのくにに入学することができた。

これまで勉強を教えてくれた先生や、塾の先生、そしてきのくにに行かせてくれているお父さん、お母さん、いつもは言えないけど「ありがとう」と言いたいです。

いつもありがとう。】


私がなんだかんだと説明するより、きのくにの魅力がストレートに伝わってきますよね。


掲載を許可してくださった、広報部のみなさん、Sさん、どうもありがとうございました。


次回は、『petit 陽のあたる場所』をご紹介します。お楽しみに!

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2010年7月 2日 (金)

ひとやすみ

今年に入って、いろいろと、初めての体験やら出会いやらがあり、突っ走ってきたら、ちょっと、エネルギーが切れてきた・・・、かな?


いやいや、そうじゃなくて、たぶん、この眠気、疲れは、梅雨とムカデのせい、だと思います。


ムカデ、みなさんのおうちに、出ますか?


私は、湯布院に来て、はじめて、ムカデ、というものに遭遇しました。

なんという姿!色!おまけに刺す!!キャア〜〜〜・・・叫ばずにはいられません。


なので、この時期、とても憂うつです。おまけに、第一発見者は、いつも私。


朝、顔を洗うために、ターバンをとったら、ポタリ、とムカデさんが落ちてきた。

さっき、温泉に行くために、外にでたら、玄関の壁にはりついた大ムカデが、大きな毛虫を食べてる。
ぎゃあ〜〜〜!!


そんなこんなで、げんなりで、ほんとは、書きたい記事がたくさん控えているのですが、今日は、本でも読みながら、早めに寝よう。(堀さんは今イギリス。堀さんがタフに動き回っているのに、だいぶ(?)年下の私がこんなで、すみません。)


でも、うれしいことがあったので、お知らせ。

この間の、堀さんの講演会に参加されたかたが、ブログに感想を書いてくださっています。菊様が教えてくれました。

http://takibikai.exblog.jp/14070523/

うれしいなあ。


どんどん輪が広がっていきそう。


きのくにのような教育観のほうが、当たり前になる世界、できそうな気がする。


あと、今日、Fは、イタリアのキジアーナ音楽院での講習会に出発した・・・のか・・・?

香港で9時間のトランジット、多分、今は、その最中。香港空港で寝過ごして、イタリア便に乗れなかった、ということがありませんように!


*どなたか、家の中にムカデが絶対現れない方法がありましたら、教えてください。weep

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2010年7月 1日 (木)

誇らしげ!

講演会翌日、27日の日曜日には、Nとともに、北九州子どもの村小学校に行ってきました。


北九州子どもの村小学校では、毎月最後の日曜日に「おもちゃづくり教室」が開かれています。


今回は、「かっこいいのりもの」を作るんです。

その前に、みんなでお昼ご飯を食べる、っていうのが、楽しいですよね〜。

Nは、そのお昼ご飯作りからお手伝い。

私はNを降ろしたら、福岡に向かい、ちょっと用事を済ませ、また、北九州に戻ってきました。


そしたらまあ、「かっこいいのりもの」を作り上げた子どもたちが、早速体育館で遊んでいます。


「すごいねえ、自分でつくったの?」と聞いたら、「うん、そうだよ」と誇らしげ。


あんまりかっこいい&かわいいので、「写真とっていい?」と聞いたら、ポーズを決めてくれました。

Photo

ほかにも、あちこちで、出来上がったもので遊ぶ子どもたち。


どの子も自信に満ちています。


みんな、みんな、大事な子どもたちなんだよ。

一人ひとり、いろんな力を持った人間なんだよ。

幸せに育っていってね。


そんなことを心の中でつぶやいてしまいました。


私自身や息子たちが経験した、いわゆる、普通の小学校では、自尊心が傷つけられることがいっぱいあった。

「静かにしなさい」「それはダメ」「もっと頑張りなさい」

いろんなメッセージが、「今のままのあなたではダメ」と伝えてくる。

そのたびに、自分を誇らしく思う気持ちが、しぼんでくる。人の目を気にする。びくびくしてしまう。


おもちゃづくり教室で、苦労の末に難しいおもちゃをつくりあげ、うれしそうに遊んでいる子どもたちを見たら、こういう子どもたちを、大切に、大切にしたくなった。


そうそう、Nも、ほんとうに楽しそうに、子どもたちと遊んでいました。

ある、参加者の保護者のかたに、

「高校生のお兄ちゃんが、あんなふうに、小さい子にやさしくしてくれて、遊んでくれるなんて、信じられない!」

と言われました。


Nも、きのくに時代、小さかったときに、大きいお兄ちゃんお姉ちゃんに、たくさん優しくしてもらったもんね〜。


とはいえ、間近に彼の優しい様子を見て、やっぱり感動してしまいました。


解散してからも、一緒にボール遊びとかしてるし。

リピーターの女の子は、Nのこと、覚えていてくれたらしく、とてもなついてる。

で、Nが、
「サマースクールも来るの?」

女の子:「うん」

N:「そうか、俺もこれたらよかったんやけどな、ちょうど他の用事があってな。」

とか話してる。なんて、かっこいい息子なの〜!と思ってしまいました。coldsweats01


堀さんの講演会も手伝ってくれたのですが、事前に、私が彼に、

「最初に会の説明をしたあと、今日はきのくに国際高等専修学校三年の次男が手伝ってくれています、って言うから、そしたら前にでてきて、一言挨拶してね」

と言っていました。それ以外の指示はなにもしていないのですが、ほんとに自然体で、サラッとすてきに挨拶してくれて、私もびっくりしました。


私が、上から押さえつける育児を続けていたら、こんなふうには育っていなかったです。


押さえつける育児(をやっていることさせ気付いていなかったけど)をやめられたのは、やっぱり、きのくにに出会って、子どもの心を大切にすることを学んだからだと思います。


自分のことを好きでいられる、誇らしく思えるって、周りの人も幸せにするんだなあ。

おもちゃづくり教室の子どもたちを見て、そんなことを思いました。


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