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2010年5月13日 (木)

子の心 親知らず

北九州子どもの村小学校で、オープンデー&講演会があった日のこと。
(*オープンデー=在校生と一緒に、一日だけ活動に参加できる日です。)


講演会後、学校の大人、保護者、参加者のみなさんとで、懇親会をしました。

そのとき、同じテーブルについていた、副校長のTさんと、参加者(お子さんがオープンデーに参加)のAさんと、私の会話。


私: 「うちの子、地元の小学校に入学するとき、校長先生が、“お母さんがた、子どもさんが学校から帰ってきても、楽しかった? と聞かないでください。学校は楽しむところではありません、勉強するところです。”って言ったんですよ〜。私、それがすご〜く嫌でした。」


Tさん: 「学校で楽しまなくてどうするんでしょうねえ。」


ーーその後、いろいろ会話ーー


Aさん: 「今日は息子に、“楽しかった?”って聞いていいですよね?」


Tさん: 「う〜ん、“楽しかった?”って聞くより、まあ、敢て聞くとすれば“今日はどうだった?”くらい、さらりと聞くのがいいかもしれませんね。“楽しかった?”って聞かれると、子どもは、お母さんは、”楽しかったよ”、っていう返事を期待してるのを察して、お母さんの意に沿うように答えようとするんですよ。」


Aさん&私: 「あ〜、そうか〜」


Tさん: 「例えば、寮生活をしている子どもが帰ってきたときに、“寂しくなかった?”って聞くと、子どもは、“寂しかった”っていう答えを期待されているな、と思って、“うん、寂しかった〜”って言ってしまうことがあるんですよ。」


一同: 深く納得!


Tさん、すごいなあ、深いなあ。


一事が万事なんですよね。ちょっとした会話のようですが、こういう細やかな配慮をして、日々、子どもたちに声かけしてくれているのです。


この日、私は、「また一つ、成長したぞ!」と思ったのに、今日、レッスンから帰った息子に、

「うまくできた〜?」

と聞いてしもうた。


それで、いろいろ考えたんだけど、親は子どものこと、わかってるつもりでも、実は、全然わかってない、ってこと、多いんだろうな。

無意識に誘導的な質問をして、子どもはそこに込められている親の期待に沿うような返事をする。


実際、私、小学校入ってからの記憶をたどると、肝心なことは、ほとんど親に話していなかったような・・・。


一年生のとき、教室でおしっこをもらしたこと。

先生に殴られたこと。

友だちとけんかして泣いたこと。

いじめをしたこと。

いじめられている子をかばってあげたこと。


親にはな〜んにも言わなかった。でも、確かにあれやこれやと会話はしていたはずなのに。


Fが四年生できのくに子どもの村学園に転入して、数ヶ月後の、担任との面談のとき、堀さんが話してくれたことがある。(堀さんが担任の一人でした。)


堀さん: 「Fくんはやさしいですねえ。同じ四年で転入してきたAくん、けっこうホームシックがきつくて、授業が終わって寮に帰るときになると、しくしく泣くんですよ。Fくん、なにも言わずに、ずっとそばにいてあげてるんですよ。」


私: 「え〜、そうなんですか。あの子、私にはそんな話し、何もしませんから。」


堀さん: 「そりゃそうですよ。男同士のことですからね。」


うれしかったなあ。これだけでなく、Fのすてきなところをいっぱい見つけて話してくれるきのくにの大人。私がすべてを知らなくても、息子はやさしい大人たちに囲まれて、成長している。


小学三年生まで過ごした地元の小学校では、もちろん一緒に暮らしていたわけで、きのくにでの寮生活よりも、ずっと一緒にいる時間は長かったはず。

でも、どれだけ彼のことをわかっていただろう。どれだけ彼のよさに気づいていただろう。


地元の小学校にいたときには、三年生になって担任が変わってから、朝、ときどき「お腹が痛い」と言うようになった。私は、ほんとうに病気でお腹が痛いんだと思っていた。

一学期も過ぎてから、クラスの子がこの先生に殴られ、「出て行け」と言われて、ほんとうに学校の外に出て行ってしまい、一日行方不明になった事件があった。それで初めて、暴力教師であったことを知った。


あの頃、毎日顔を合わせて、いったいどんな会話をしていただろう。


二人の息子のことを、今も、「わかっている」「知っている」とは言えないかもしれない。


でも、短いけれど、心の触れ合う会話をしている、という実感はある。


Nは1〜2ヶ月に一度の帰宅だけれど、一緒に料理をしながら、ご飯を食べながら、「あ、そういえばな・・」と、学校でのできごとを話してくれる。


私もNがいなかった間、どんなことをしていたか、今、なにを頑張っているか、などを話す。

つらいことがあったときには、話しながら泣いてしまうこともある。

そんなとき、息子たちはそれぞれの表現で、私を慰め、励ましてくれる。


きっとNも、学校でつらいことにも遭遇しているはず。悩んでいることもあるはず。


でも、私には、言わないんだろうなあ。


「あのときはな・・・」なんて、過去のことを話してくれることはあるけど。


子の心、親知らず。


謙虚に、親、やらせてもらいます。

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