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2010年5月24日 (月)

たとえ何度ころんでも

【自分の足であるかせてほしい。
たとえ何度ころんでも。
どんなにおそくても。

自分の手でやらせてほしい。
たとえ、どんなにきずをつけても。
どんなに下手であっても。

自分の頭で考えさせてほしい。
たとえ、どんなに間違っていても。

その間違いが、必ずその後の育ちに役立ってくれるのだから。】


この文章は、さくらさくらんぼ保育創始者である、斉藤公子さんが書かれたもので、先日ご紹介した『アリサ ・ ヒトから人間への記録』は、その、さくらさくらんぼ保育園が舞台になっています。


ゆふいん文化・記録映画祭で上映をしてもらうために、私ももう少し、さくらんぼ保育園について知りたいと思い、今年3月に、佐賀県にある「さくらんぼ保育園」に見学に行ってきました。ホームページがとてもすてきだったので、行ってみたいな〜、と思ったのです。

http://saga-sakuranbo.com/


冒頭の文章は、そのときいただいた園の「ご案内」チラシに書かれていたものです。こういう気持ちで子どもを育んでいけたらいいですよね。


斉藤さんの文章のあとには、また、すてきな文章が続きます。こちらは、この保育園さんが書かれたものですね。
ご紹介します。


【子どもを賢く育てたい。親であれば共通の願いでしょう。実は子どもの脳は「遊びこむ」ことで発達していきます。これは最新の研究で証明されている事実です。

単純に早くから勉強させておけばよい、というわけではありません。

よく遊び、よく食べて、よく寝ることが大切なのです。


私たちさくらんぼ保育園は、失われつつある子ども時代を子ども達の元へ取り戻し、せいいっぱい生きていける子育てをしています。


これから一生涯を生きていく子ども達に生きる力を、どんな環境でも希望を見出す力を、ユーモアを失わない強さを身につけてほしい。

大地にしっかり根っこをはった子ども達は意欲に満ち溢れ、優しく、美しいです。

お気軽に遊びにおいでください。子ども達の未来のために。】


4月には、大分市内の、上野愛光保育園というところに行ってきました。採光がよくて、風が気持よく通り抜け、園庭には土のお山で泥だらけになって遊ぶ子どもたち。

こちらの園長先生には、今度の映画のあとに、トークをしていただくことになっています。楽しみだなあ。


大分近辺のかた、ぜひぜひおいでくださいね。

5月30日(日)10時から、湯布院町中央公民館にて。前売り500円、当日700円です。


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2010年5月18日 (火)

アリサ・ヒトから人間への記録

湯布院では、毎年五月最後の週末に、『ゆふいん文化・記録映画祭』が開かれます。今年は13回目。

この映画祭では、文化、芸能、科学、福祉、教育など、さまざまな分野の記録映画だけを上映するのです。


今年は、私イチオシの、『アリサ・ヒトから人間への記録』という映画が上映されることになりました!


この映画は、アリサちゃんという女の子の、2ヶ月から6歳11ヶ月までの7年間の成長を記録したものです。

舞台になっている「さくら・さくらんぼ保育園」では、外で、土と水に触れて、どろんこになって遊ぶことが当たり前。そして、着替えも食事の用意も、おかたづけも、月齢に応じて、できるだけ自分でやります。


そして、多分、私が近くで見ていたら、「あっ、あぶない!」と、手を出してしまいそうになることも、そばにいるであろう保育士さんが止める様子はありません。

興味のあることにどんどん挑戦していく子どもたち。たくましいこと!

子ども時代はこうでなくっちゃ、と思います。


当日販売予定のプログラムに推薦文を書きました。↓


【私はこの映画を二回見た。一度目は、二人の息子がまだ保育園児で、ガンバって育児をしていた頃。見終わって、ものすごく気持ちが楽になったことを覚えている。

子どもって、土と水でいくらでも遊べる。友達との関わりの中でたくさんのことを学べる。ただ、土のお山があれば、知育玩具も遊園地もいらないんじゃないか、と思った。


二度目に見たのは今年始め。二人の息子は19歳と17歳になり、10年後はマゴ育てかなと、そんなことを思いながら見た。おばあちゃん的な心の余裕のせいか、最初に見たときには気がつかなかった沢山の宝物が、この映画に詰まっていることを発見した。

お友達になりたいのに、素直に言えなくて、ついちょっかい出してしまう男の子。自分が泥んこ遊びをした後のテーブルの上を、何十分もかけて拭きあげるアリサちゃん。障害を持つ男の子と共に生活する子どもたち。できないところはお世話してあげたり、できそうな仕事をさせてあげたり。こんな“育ち合い”のすばらしさに、胸がじ~んとしてしまう。


みんな最初は誰しも子どもだった。自分の力でやってみたいエネルギーに溢れていて、友だちと遊ぶのが楽しくって、難しいことに挑戦したくって、生き生き、キラキラしていた。子ども時代を思う存分楽しめたなら、たとえ困難に出会っても、くじけずにたくましく成長していけるだろう。子どもの本性は、善なのだから。


青少年が加害者の事件報道を耳にするにつけ、暗い気持ちになることも多い昨今だけれども、この映画は、私たちに希望を与えてくれる。そして、気づかせてくれる。子ども時代という大切な根っこをはぐくむ教育の大切さを。】


興味を持ってくださったかたは、5月30日(日)10時に、湯布院中央公民館に、ぜひおいでください。

上映後は、大分市内で「さくらんぼ保育」を実践している保育園の園長先生のトークもあります。


今回、『アリサ』を上映してもうらうために、実行委員のかたに説明(力説?)しなければならず、そのためにも、実際の保育の現場を見たほうがいいなと思い、このような保育をしている園の見学にも行ってきました。


子どもたち、お外で、服の汚れなんか気にしないで遊んでいるときが、一番いいお顔していました。このまま大きくなっていってほしいなあ。


*ゆふいん文化・記録映画祭についての詳しい情報は下記のHPをご覧ください。

http://movie.geocities.jp/nocyufuin/home.html


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2010年5月13日 (木)

子の心 親知らず

北九州子どもの村小学校で、オープンデー&講演会があった日のこと。
(*オープンデー=在校生と一緒に、一日だけ活動に参加できる日です。)


講演会後、学校の大人、保護者、参加者のみなさんとで、懇親会をしました。

そのとき、同じテーブルについていた、副校長のTさんと、参加者(お子さんがオープンデーに参加)のAさんと、私の会話。


私: 「うちの子、地元の小学校に入学するとき、校長先生が、“お母さんがた、子どもさんが学校から帰ってきても、楽しかった? と聞かないでください。学校は楽しむところではありません、勉強するところです。”って言ったんですよ〜。私、それがすご〜く嫌でした。」


Tさん: 「学校で楽しまなくてどうするんでしょうねえ。」


ーーその後、いろいろ会話ーー


Aさん: 「今日は息子に、“楽しかった?”って聞いていいですよね?」


Tさん: 「う〜ん、“楽しかった?”って聞くより、まあ、敢て聞くとすれば“今日はどうだった?”くらい、さらりと聞くのがいいかもしれませんね。“楽しかった?”って聞かれると、子どもは、お母さんは、”楽しかったよ”、っていう返事を期待してるのを察して、お母さんの意に沿うように答えようとするんですよ。」


Aさん&私: 「あ〜、そうか〜」


Tさん: 「例えば、寮生活をしている子どもが帰ってきたときに、“寂しくなかった?”って聞くと、子どもは、“寂しかった”っていう答えを期待されているな、と思って、“うん、寂しかった〜”って言ってしまうことがあるんですよ。」


一同: 深く納得!


Tさん、すごいなあ、深いなあ。


一事が万事なんですよね。ちょっとした会話のようですが、こういう細やかな配慮をして、日々、子どもたちに声かけしてくれているのです。


この日、私は、「また一つ、成長したぞ!」と思ったのに、今日、レッスンから帰った息子に、

「うまくできた〜?」

と聞いてしもうた。


それで、いろいろ考えたんだけど、親は子どものこと、わかってるつもりでも、実は、全然わかってない、ってこと、多いんだろうな。

無意識に誘導的な質問をして、子どもはそこに込められている親の期待に沿うような返事をする。


実際、私、小学校入ってからの記憶をたどると、肝心なことは、ほとんど親に話していなかったような・・・。


一年生のとき、教室でおしっこをもらしたこと。

先生に殴られたこと。

友だちとけんかして泣いたこと。

いじめをしたこと。

いじめられている子をかばってあげたこと。


親にはな〜んにも言わなかった。でも、確かにあれやこれやと会話はしていたはずなのに。


Fが四年生できのくに子どもの村学園に転入して、数ヶ月後の、担任との面談のとき、堀さんが話してくれたことがある。(堀さんが担任の一人でした。)


堀さん: 「Fくんはやさしいですねえ。同じ四年で転入してきたAくん、けっこうホームシックがきつくて、授業が終わって寮に帰るときになると、しくしく泣くんですよ。Fくん、なにも言わずに、ずっとそばにいてあげてるんですよ。」


私: 「え〜、そうなんですか。あの子、私にはそんな話し、何もしませんから。」


堀さん: 「そりゃそうですよ。男同士のことですからね。」


うれしかったなあ。これだけでなく、Fのすてきなところをいっぱい見つけて話してくれるきのくにの大人。私がすべてを知らなくても、息子はやさしい大人たちに囲まれて、成長している。


小学三年生まで過ごした地元の小学校では、もちろん一緒に暮らしていたわけで、きのくにでの寮生活よりも、ずっと一緒にいる時間は長かったはず。

でも、どれだけ彼のことをわかっていただろう。どれだけ彼のよさに気づいていただろう。


地元の小学校にいたときには、三年生になって担任が変わってから、朝、ときどき「お腹が痛い」と言うようになった。私は、ほんとうに病気でお腹が痛いんだと思っていた。

一学期も過ぎてから、クラスの子がこの先生に殴られ、「出て行け」と言われて、ほんとうに学校の外に出て行ってしまい、一日行方不明になった事件があった。それで初めて、暴力教師であったことを知った。


あの頃、毎日顔を合わせて、いったいどんな会話をしていただろう。


二人の息子のことを、今も、「わかっている」「知っている」とは言えないかもしれない。


でも、短いけれど、心の触れ合う会話をしている、という実感はある。


Nは1〜2ヶ月に一度の帰宅だけれど、一緒に料理をしながら、ご飯を食べながら、「あ、そういえばな・・」と、学校でのできごとを話してくれる。


私もNがいなかった間、どんなことをしていたか、今、なにを頑張っているか、などを話す。

つらいことがあったときには、話しながら泣いてしまうこともある。

そんなとき、息子たちはそれぞれの表現で、私を慰め、励ましてくれる。


きっとNも、学校でつらいことにも遭遇しているはず。悩んでいることもあるはず。


でも、私には、言わないんだろうなあ。


「あのときはな・・・」なんて、過去のことを話してくれることはあるけど。


子の心、親知らず。


謙虚に、親、やらせてもらいます。

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2010年5月10日 (月)

教師にも自由を

みなさん、「ゼロ校時」って、聞いたこと、ありますか?


私、この間初めて聞いたのですけど、通常の、1時間目、2時間目・・・の授業の、その前にする授業のことなんだそうです。

つまり、1時間目が8時半からだとしたら、その前、7時半くらいから、もう、授業が普通に始まるってことなんです。

北九州の高校では当たり前のように行われているそうで、それを聞いてびっくりしました。


なんでそんなにやらないとダメなの?
若さ溢れる高校時代、朝早くからじ〜っと机に向かって、知識を詰め込んで。

受験が終わればどうせすぐ忘れてしまうのに・・・。

無性に怒りが込み上げてきました。


それにしても、先生たちも大変ですよね。やりたくてやってるのかなあ。学校全体がそういう波に乗ってしまったら、個人の意志はかき消されてしまうのでしょうか。


公立学校の教師は上からの締め付けが厳しくて、自由がない、というのは、野田正彰氏が著書にもよく書かれています。


野田氏の『させられる教育』を読んだときも、現場の教師はこんなにも大変な状況なんだ、ということがよくわかり、また、縛りの強さにぞっとしました。


ゼロ校時の話しを聞いて、ムカムカしていたら、きのくにのOB保護者のNKさんからメールをもらいました。

教育関係のMLで、教師による犯罪が話題にのぼり、それに関連して投稿したご意見ということで、私も共感するところが多いので、全文、下記に転載します。


【教員の専門性を認めず、押し付けの教育政策を進め、それに従う教師を採用するようにしてきたことが硬直した状況を生み出していると思っています。そして専門職として処遇されずに管理強化と雑用に振回され日々・・・

もちろん、個々にはすばらしい実践をしている人が全国に多数います。

でも、うちの嫁はんに「教材選択とカリキュラムを作れなくて(その権限がない)どうして教育の専門家なんやろうな」という噺をした時、納得でした。保育士の嫁はんは、年度初め、月ごとにカリキュラムを作成しています。そのときの担任した子どもたちの発達状況に応じてどうすべきかを、悩みつつ・・・   。(クラスは近年考えもつかないほどのギャップがある集団になっている)


裁量権もないところでは、専門性を生かす術くもなく埋もれざるを得ないのではないか、と、思ってしまいます。

そこは、プレッシャーと挫折感が生ずるところになってしまうのではないかと思う。


T-PLUSはヨーロッパの学校の状況や学校つくりなどについてのイベントをやってきましたが、日常の教育についてはあまり注目はされませんでした。

欧米では教師の裁量で教科書選定、カリキュラムを作るのが当たり前なのです。それは、保護者が信託して任せているから、そうなっています権力機関が決めることではないのです。教育基本法でも教育への介入を禁じています


国や自治体は教育条件(建物、環境、人員確保)を保障することが義務付けられているだけで、教育内容に介入することはできないのが当たり前です。 そこに物言えるのは教育を受ける当事者とその代理人たるべき保護者です。教育主権の考えが生かされています。


日本の現状ははるかに及ばないでしょう


教育者が、らしく誇りを持って、生きがいを持って、愛をもって、子どもたちとともに生きることのできる基盤はそんなところにあるのではないかと考えています。

教員がそのように生かされていれば、気持ちの病から犯罪を犯すひとはずっと少なくなるでしょう。

あのニュースの影に大量の休職教員(制度と現場の矛盾に苦しめられている)があるのですから。


「まず子どもをしあわせにしよう。すべてはそのあとに続く。」- A.S.Neill -

「しあわせな子どもに寄り添う人は、しあわせになれる。」  −N.K.】


ほんとうに、教師こそ生きる喜びを持って仕事をしてもらいたいものです。それが難しい日本の教育、このままでよいのでしょうか?

私、きのくにどっぷりつかっていて、日本の教育の現状が非常に問題であることを、忘れそうになってしまいますが、それではいけませんね。

NKさん、貴重なご意見をありがとうございました。(イニシャルにしなくてよかった?)


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2010年5月 6日 (木)

ニイルのおバカさん

『かつやま子どもの村通信 第56号』でも紹介されていた、『ニイルのおバカさん』、買ってしまいました〜。
Photo

子ども時代のニイルは、学校の勉強はできないし、何をやってもうまくいかず、父親も愛想をつかすほど。ドジなこともいっぱいして、読んでいて、思わず吹き出すことが何度もありました。

それにしても、昔の出来事や、そのときの自分の気持ちを、よく克明に覚えていることには驚かされます。


そして、サマーヒルを創設するまでに、こんなに様々な紆余曲折があったことを、本書を読んで初めて知りました。

以前から堀さんは、「20代に入ってからでもやり直しがききます。子どもをせき立てないで、30歳くらいまでは面倒をみてあげるくらいの気持ちでいてください」とおっしゃっていますが、「ほんとに、人生、いろいろ経験して、じっくり考えて進んでいけばいいんだなあ」と、この本を読んで、改めて、そう思いました。


そういえば、先日の講演会で、「きのくにのような教育が良いということは、誰にでもわかりそうなものなのに、どうしてもっと広がらない(認められない、だったかな?)のでしょうか?」という質問がでました。私も常々思うことです。

それについての堀さんのお答えは、ここに書くと、言葉通りではないので、誤解を生じる可能性があるので、敢て書きませんが、実体験をふまえてのお話に、ふむふむと納得されたかたも多かったのではないでしょうか。


それと同時に、私は、『ニイルのおバカさん』の中の『日本語版への序ー霜田静志をしのぶ」の文章を思い出していました。


【日本の読者の方々にお話をするのは、私にとっては容易なことではない。それは日本語がわからないからではない。皆さん方のお国の教育事情をよく知らないからである。

しかし、察するところ、他のすべての国の教育と同じように、書物による学習、上からのしつけ、従順、その他あらゆる背筋の寒くなるような美徳を大切にしているのではないかと思う。

これは、その国の社会体制とは関係がない。共産主義国でも資本主義国でも同じように、学校を出れば永久に忘れてしまうのに、せっせと教科の勉強にはげんでいるのだから。


権力の座にあるものは、いつまでも権力を保持しようとする。そのためには、彼らが支配している国民は、ものをいわぬおとなしい羊のようでなくてはならない。

そこで彼らは、一番根本的なところから手をつける。つまり、幼い子どもをつかまえて、おとなに服従するように、性の欲求を抑圧するように、そして権威を恐れるように教え込む。

その結果、子どもたちは去勢された牛のようになり、既成の権力に挑戦したり反逆したりすることのできないおとなとなる。

だから、学校で歴史や地理を教えることは表面的な目的にすぎないのであって、本当のねらいは、子どもの性格を型にはめて作ることにある。

こういう教育の結果がどうなるかは、今日の病める世界を見ればよくわかる。

今日の若者の乱暴な行動は、基本的には、親や教師の権威にたいする抗議である。赤ん坊を打つ母親は、それによって赤ん坊を、乱暴な行動を何とも思わない人間へと育てているのである。

ー以下略ー】


この本が、もうなかなか手に入らないというのは、ほんとうに残念です。

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2010年5月 2日 (日)

大笑い 春祭り

*【お詫び:: 5月4日追記です。昨日、少し文章の訂正をしてサイドアップしたら、改行が全部なくなって、文章が全部つながってしまいました。オリジナルはちゃんと改行できているのに・・・。しかも、macで見るのとwindowsで見るのとも、画面が違う。私の問題なのか、ココログの問題なのかわかりませんが、いずれにしても、大変見難い画面のかたもおられると思います。申し訳ありません。】

昨日5月1日は、きのくに子どもの村学園での春祭り。 私が行くのも、もう、これで11回目!毎回楽しいよ〜。

やっぱり、息子の年齢に応じて、主に見て回るところが移っていきます。今年は特に、たぶん、息子がいる春祭りはこれで最後、ということで、高専中心になりました。

「プロジェクト日本」というクラスが企画した、「喫茶アジト」最高! Photo この喫茶店では、入店前に、店員さん(=生徒)の対応を、「命令」「ため口」「ツンデレ」「ていねい」の4種類から選べます。

「ツンデレ」って、初めて聞きましたが、若者は、知ってるんですね〜。ちょっとツンケンした感じながら、でもちょっと、かまってほしい、みたいな、感じなんだそうです。

長男のF曰く、「one piece のチャッピーチョッパーみたいな感じかな」ということです。私はone pieceを見ないのでわかりませんが、愛読者の夫によると、「その説明でよくわかった」とのこと。

で、そこに入ったら、すでに教員のNさんが「ツンデレ」で注文しておられたので、同じじゃ面白くないから、私は「ため口」にしました。 そしたら、注文とりにきた高校生が、「何にする?」と。

そこまではスムーズにいくのですが、となりの「ツンデレ」のお客さんと、対応が交互になると、こんがらがるみたいで、ひとこと言う前に、うっと言葉につまって、考える様子がもうおかしくって、大笑い。

最後、お店をでるときには、

高校生:「向こうでは、プロ日(プロジェクト日本)がディベートのコーナーを開いていますので、どうぞお立ち寄りください」

私:「あれ?もう ため口 は終わったん?」

高校生:「あっ、いえ、・・・(頭の中でモード切り替え、ひと呼吸)・・・向こうでプロ日がディベートコーナー開いてるから、行ってみてな〜」

はい、高校生とのディベート、参加してきました。 テーマは「どうしたらモテるか」←ホワイトボードに書いてあったのを書き留めなかったので、この通りじゃなかったかも・・・。

男の子たち、「モテたい」と言うから、「アイドル的に、たくさんの人に、かっこいいって言われたいだけなの?それとも意中の人から思われたいっていうことなの?」聞いたら、 「あ、そうですね、ではまず、モテる、の定義から話さないといけないですね」 と、

それから、話しはあちこち行きつつも、Nさんが、「女の子は健康的で明るくて、やっぱり、ポニーテールがいいですねえ」とか言いだして、ここでも大笑い。 あのときディベートに参加していたのは、全員男子だったのですが、みんな、絶対モテるよ!

自分の親の年代の人と、ごく自然に話しができて、おまけに話題が恋愛のこと。会話していて、私もとっても楽しかったです。ありがとう。

さて、Nは今年も「音楽文化を探る」のプロジェクトを選びました。 春祭りのオープニングでは、ビートルズの「イエローサブマリーン」を、効果音を入れて、ホンモノみたいに演奏してくれました。

今年のテーマは「音楽の力」についての探求だということで、「音と音楽の違い」(←タイトル通りでないかも。書き留めるの忘れました)についての考察などが壁に張り出してありました。

そして、いろいろな珍しい楽器も展示してあり、それについての説明をしてくれたり、演奏してみたりもできました。Cimg0500これは「月琴」というのだそうです。

Cimg0502 こちらは太鼓。どこの国のものだったけ〜。Nに確かめたいけど、もうアルバイトに行ってしまった・・・。

これは吹くのがものすごく大変そう。でも、ちゃんといい音がでていました。 Photo_2

午後の堀さんの講演会では、進歩主義学校出身の卒業生が、社会にでて、立派に、幸福に生きている様子を、詳しい研究データとともにお話くださいました。 このお話のことは、また日を改めて、書きたいと思います。質問もたくさんでていましたね。

この講演会のとき、司会をしていたのは、きのくにの卒業生で、現在、きのくにの寮母さんです。 なんとまあしっかりしていること!

きのくに卒業後の成績とか、数字で見なくても、彼女の明るくて、知的な様子を見たら、たいていの人は、きのくにの教育の真価をわかっていただけるのではないでしょうか。

おいしく食べて、笑って、感動して、ああ、いい一日だった。

P.S.講演会後、私と話したかたで、私の目がうるうるだったことに気づかれたかたへ。 あれはね、堀さんが、次男さんのことを話すなかで、「二人とも教育を専攻してくれて、こんな親孝行なことはないですね。(次男さんに向かって)ありがとう。」とおっしゃったとき、その暖かさに、涙、どばーっ、だったのでした。

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