« 自分の子どももきのくにに行かせたい | トップページ | 大盛況! »

2009年6月24日 (水)

子どもの心にふれる

少し前の話題になりますが、熊本の小学校教師が、小学二年生の胸ぐらをつかんで壁に押し当てて叱った行為が、体罰にあたるかどうかの訴訟で、最高裁は「体罰ではない」という判断を下しました。(最後に読売新聞の記事を記載しておきます。)


ネットでみる限り、「体罰でないのは当然だ」「言ってもわからないんだからしょうがない」「そもそも教師を訴えるなんて、モンスターペアレントだろう」という意見が多く、うんざりしていました。


どうしてみんな、子どもを力で押さえ込みたいの?
怖がらせて言うことを聞かせて、それで満足なの?
恐怖からおとなしくなった子どもは、何が悪かったか、ほんとうに理解できているの?


下記に記載した読売新聞の記事には書かれていませんが、そもそも、男児が女の子を蹴って、それを教師が注意したところ教師のお尻をけったため、胸ぐらをつかんで壁に押しあて、「もうすんなよ」と言った、ということなのですが、どうしてその男児は女の子を蹴ったの?どうして注意されても教師に反抗的な態度をとったの?


男児の心にふれないと、ただ、脅かして、言うことをきかせても、後々もっと大きな問題になると思うのです。


たしかに先生たちは、毎日とても忙しくて、子どもたちの、個々の背景や家庭の問題に目を向ける時間がないのかもしれないけれど、そのことが一番問題なのではないですか?


教師はただ、勉強を教えるだけでよいのですか?問題行動をする子は、どなりつけ、脅し、殴って言うことをきかせて、とりあえずその場だけおとなしくさせておけばよいのですか?(たぶん、そうなんでしょうね。)


「言ってもわからない子どもには、手を上げるのも当然だ」という考え、しょっちゅう耳にして、もう、イヤになります。


誰だって、理由もなく、荒々しい行為はしませんよ。


大人だって、例えば、夫婦喧嘩したときには、なんとなくイライラして、普通だったら、寛大なところが、その日は妙に腹が立ってしまった、ということ、あるじゃないですか。


仕事上でうまくいかないことがあって、家に帰ってから、夫や妻、子どもに当たってしまった、ということ、ありませんか?


「子どもだから言ってもわからない」、「子どもだから力で押さえつけて言うことをきかせてもよい」なんて、そんなこと、ないですよ。子どもの言動にも、ちゃんと、理由や原因があるはずです。そこを見ないでどうするの?


新聞報道だけではわからないですが、とにかく、体格も倍以上大きな教師が、小学二年生の胸ぐらをつかんで壁に押しあてて怒鳴りつけるって、それは、教師の資格がないと思います。


そういうと、必ず、勝ち誇ったように「親のしつけができてないくせに、教師を訴えるなんて、親のほうがモンスターペアレントだ」という人がいるのですが、どういう親なのかは、別問題です。

それに、こういうときに使われる「しつけ」ということば、どういう意味なんでしょう。「人を蹴ってはいけません」と教えることが「しつけ」ですか?よくないことは、たいていの人がわかっていることでしょう。わかっててもやってしまった、その、心にふれないと、根本は解決しないのです。


もし、子どもの情緒を不安定にさせるような親なら、それはそれで別の対処が必要です。教師が子どもを怖がらせて指導してもよいかどうかとは、全く別の問題です。


それにしても、あちこちのブログ、サイトでみかけるのですが、このような話題がでると、「子どもは厳しくしつけるべし」「子どもは動物と同じ。たたいてしつけるべし」という人が、生き生きとコメントしてくるんですよね。


最初は「またか」と思って、ゲンナリだったけれど、最近は、「ああ、この人たちも不幸せなんだな〜」と痛々しくなってきます。ものすごく、何かを憎んでいるような、何かに腹をたてているような感じなんです。とにかく「子どもを殴りたい!」という雰囲気が伝わってくるのです。自己肯定感がないんですね。


あの記事を読んで以来、ずっと気になっていて、書きたかったので、今、書きながら、ちょっと感情的になったかな、私。


4月28日11時30分配信 読売新聞

 熊本県本渡市(現・天草市)の市立小学校で2002年、男性の臨時教師が小学2年男児(当時)の胸元をつかんで壁に押し当ててしかった行為が、体罰にあたるかどうかが争われた訴訟の上告審判決が28日、最高裁第3小法廷であった。

 近藤崇晴裁判長は「行為は教育的指導の範囲を逸脱しておらず、体罰ではない」と述べ、体罰を認定して市に賠償を命じた1、2審判決を破棄し、原告の男児の請求を棄却した。

 学校教育法は教師の体罰を禁じているが、教師の具体的な行為が体罰に該当するかどうかを最高裁が判断した民事訴訟は初めて。

 判決によると、教師は02年11月、校内の廊下で悪ふざけをしていた男児を注意したところ、尻をけられたため、男児の洋服の胸元を右手でつかんで壁に押し当て、「もう、すんなよ」と大声でしかった。男児はその後、夜中に泣き叫ぶようになり、食欲も低下した。

 判決は「悪ふざけしないよう指導するためで、罰として苦痛を与えるためではなかった」と認定。原告側は上告審で「恐怖心を与えるだけだった」と主張したが、判決は「教師は立腹して行為を行い、やや穏当を欠いたが、目的や内容、継続時間から判断すれば違法性は認められない」と述べた。

|

« 自分の子どももきのくにに行かせたい | トップページ | 大盛況! »

コメント

本当にそうですね。まみさんがバナーにあげておられる森田ゆりさんの「しつけと体罰」を私も感動して読みました。一般に広まっている教育論?でも「子どもは未熟で劣っているものだから、大人が教え導かなければならない」というトーンが多いように思います。子どもって、ほんのちょっと遅く生まれてきただけの、同時代を生きる仲間ですよね。

投稿: まい | 2009年6月25日 (木) 23時53分

まいさん、共感してくださって、うれしいです。
20年かそこら早く生まれたからって、どれだけ偉いわけ?と思っちゃいます。
たぶん、自己肯定感のない人は、子どもとの上限関係をつくることによって、優越感を味わっているんだろうな、という気がします。

投稿: mami | 2009年6月28日 (日) 22時50分

たまたま見たので、コメントさせてもらいます。一応、児童に関わる仕事をしているものです。
気持ちは伝わりましたし、「心にふれる」ということは大切です。
色々説明したい所ですが、長くなるので端的に言うと、教師の資格がない、という部分は宜しくないと思います。
気持ちは分かりますが、心にふれることや、心の闇にふれること、人と人が真剣に向き合うということは、そんなに生易しいものではありません。教師でそれをしている人は一握りですが、そういった人ほど行動だけ見れば報道と似たようなことをしている人もいます。一概には言えないので、そういった真剣に児童と向き合っている一人として言わせて頂きました。

投稿: | 2009年7月 3日 (金) 01時14分

無記名コメントさんへ
人と真剣に向き合うのは、ほんとうに難しいことですよね。私は大学時代、教職課程を途中で放棄しました。自分のことが嫌いで、人とコミュニケーションをとることに苦痛を感じる自分には、子どもと関わる仕事は無理だと思ったからです。

でも、もし、あの頃、ニイルや、堀さん、霜田静志さんの思想に触れ、自分を育て直すことができたならば、道も変わったかもしれません。とはいえ、30過ぎてからでも、出会えたことはほんとうにありがたいことで、息子との関係が、全然違ってきました。

もし、あなたも、お仕事上で何か困難を感じることがおありでしたら、どうぞ、上記のかたがたの著書をお読みになってみてください。何か、ヒントが得られるかもしれません。

*端的に書こうとされていますが、意図がよくわかりませんでした。「こういうことかな?」と勝手に解釈してレスいたしましたので、検討違いでしたら、またコメント、もしくはメールを送信してください。なお、「名前」は「任意」となっていますが、これはココログのシステムであり、私自身は、名前は明記すべきだという考えです。

投稿: mami | 2009年7月 4日 (土) 00時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 自分の子どももきのくにに行かせたい | トップページ | 大盛況! »