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2009年6月27日 (土)

大盛況!

今日は、北九州子どもの村小学校で、掘真一郎さんの講演会がありました。

すご〜い!ほぼ満員御礼の、大盛況。

聞くところによると、山口県とか広島県とか、けっこう遠くから来られたかたもあったようです。

そして、うれしかったのは、北九州子どもの村小学校の保護者さん、全員参加されていたこと。(全員と聞きましたが、違ってたら、ごめんなさい。)やっぱり、「子どもを入れて、終わり」でなくて、親が自ら自由教育のことを学んでいかないと、もったいないですものね。


講演会後は懇談会があったので、参加してきました。

ここで、また、よい話しが聞けました。

最後のほうで、保育園の幼稚園の教頭先生(たしか、教頭、と聞こえたのですが・・・)をしていらっしゃるかたが、質問されました。

「今日見せていただいた幼児教室のおもちゃづくり、さっそく取り組みたいと思います。つきましては、まず、何から始めればよいでしょうか?」

(幼児教室のおもちゃづくり、に関しては、掘真一郎著『ニイルと自由な子どもたち サマーヒルの理論と実際』のP.271〜289を参照のこと。)

堀さん、即座に、「缶下駄づくりがいいですね」とお答えになりました。缶下駄というのは、ジュースなどの空き缶にある程度の長さのヒモを通して、缶に足を載せ、ヒモを持って歩くおもちゃです。

以下、堀さんの説明を、メモを便りに書き起こします。(言葉通りではないことをご了承ください。)

(ただ、メモを取ろうと思ったら、ペンをバッグの中に置き忘れたことに気づき、後ろのテーブルまでペンを取りにいったので、一部聞き逃しました。間違っている箇所ありましたら、どなかたフォローしてください。)


「缶下駄づくりがいいですね。とにかく、いろんな大きさの缶をたくさん用意します。そこから同じ大きさの缶を二つ見つけてくる、というのは、とても知的な作業です。

そして、缶に穴をあけるのも、まず、指であけようとする子がいるんですが、そういう子は一番賢い子ですね。

でも、指ではあけられませんね。でも、やってみるんです。

それで今度は、細い釘を持ってきたりするんですが、穴が小さすぎるとヒモが通らない。そういうことも、子どもがいろいろやってみます。ある程度、穴の大きさがないとダメだということも、試してみてわかってくるんですね。

それから、両側、同じくらいの位置に穴をあけるというのは、けっこう難しいですし、これが、円の直径と円周の基礎になります。

ヒモの長さを考えるのも難しいんですよね、結ぶ長さを考えないで切ってしまうと、できたときにはすごく短くなってしまうし、長すぎると缶に乗ったとき、ヒモが、こんなところになってしまいますから。

でも、大人は何にも言わないんですよ。子どもが自分でやってみて、失敗しながら考えるんです。」


これはお話のほんの一部です。

こういうふうに考えられた教育なら、子どもたちは、ほんとうの意味で、賢い子に育つなあ。自分の頭で考えられる子に育つなあ、と思いました。


掘さんのお話って、講演会自体ももちろん、すごく勉強になるのですけれど、参加者が質問してくれて、それに対して答えてくれるとき、とっておきの話しが聞けるんです。堀さん、たくさん引き出しをお持ちですから。


今回、懇談会では、その、参加者が質問できる時間、というのがちょっと短かったかな、という気がしました。

その分、保護者さんたちの、熱い思いを聞けて、感動しているかたもいらしたと思うのですが、せっかく堀さんがいらっしゃる時間なのですから、一般の参加者さんと、もっと話しをしてもらいたかったな、と思いました。

実際私も、終了後、一般の参加者のかたに質問されたことがあったので、スタッフのかたへ橋渡ししましたが、他にもきっと、中学校設立のことや、実際の学校生活等、堀さん、校長、スタッフに、聞きたいことがあるかたも多かったのでは?


それにしても、北九州子どもの村小学校があるおかげで、私も、掘さんの話しが聞けるチャンスが増えて、ありがたいことだなあ。9月も楽しみです!


そうそう、わざわざ和歌山からかけつけてくれた、きのくにの保護者さんもいらっしゃいました。北九州に9年間住んでいたことがあるということで、お友達も何人か一緒に。

彼女も「体調の悪いときでも、きのくにに行くと元気になる」とおっしゃっていましたが、それ、ほんとうに、気持ちわかります。きのくにに行くと、なんか笑えてくる。元気になる。

北九州もそんな場所になりました。

子どもにも大人にも、幸せな場所がまた一つ増えて、うれしいかぎりです。

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2009年6月24日 (水)

子どもの心にふれる

少し前の話題になりますが、熊本の小学校教師が、小学二年生の胸ぐらをつかんで壁に押し当てて叱った行為が、体罰にあたるかどうかの訴訟で、最高裁は「体罰ではない」という判断を下しました。(最後に読売新聞の記事を記載しておきます。)


ネットでみる限り、「体罰でないのは当然だ」「言ってもわからないんだからしょうがない」「そもそも教師を訴えるなんて、モンスターペアレントだろう」という意見が多く、うんざりしていました。


どうしてみんな、子どもを力で押さえ込みたいの?
怖がらせて言うことを聞かせて、それで満足なの?
恐怖からおとなしくなった子どもは、何が悪かったか、ほんとうに理解できているの?


下記に記載した読売新聞の記事には書かれていませんが、そもそも、男児が女の子を蹴って、それを教師が注意したところ教師のお尻をけったため、胸ぐらをつかんで壁に押しあて、「もうすんなよ」と言った、ということなのですが、どうしてその男児は女の子を蹴ったの?どうして注意されても教師に反抗的な態度をとったの?


男児の心にふれないと、ただ、脅かして、言うことをきかせても、後々もっと大きな問題になると思うのです。


たしかに先生たちは、毎日とても忙しくて、子どもたちの、個々の背景や家庭の問題に目を向ける時間がないのかもしれないけれど、そのことが一番問題なのではないですか?


教師はただ、勉強を教えるだけでよいのですか?問題行動をする子は、どなりつけ、脅し、殴って言うことをきかせて、とりあえずその場だけおとなしくさせておけばよいのですか?(たぶん、そうなんでしょうね。)


「言ってもわからない子どもには、手を上げるのも当然だ」という考え、しょっちゅう耳にして、もう、イヤになります。


誰だって、理由もなく、荒々しい行為はしませんよ。


大人だって、例えば、夫婦喧嘩したときには、なんとなくイライラして、普通だったら、寛大なところが、その日は妙に腹が立ってしまった、ということ、あるじゃないですか。


仕事上でうまくいかないことがあって、家に帰ってから、夫や妻、子どもに当たってしまった、ということ、ありませんか?


「子どもだから言ってもわからない」、「子どもだから力で押さえつけて言うことをきかせてもよい」なんて、そんなこと、ないですよ。子どもの言動にも、ちゃんと、理由や原因があるはずです。そこを見ないでどうするの?


新聞報道だけではわからないですが、とにかく、体格も倍以上大きな教師が、小学二年生の胸ぐらをつかんで壁に押しあてて怒鳴りつけるって、それは、教師の資格がないと思います。


そういうと、必ず、勝ち誇ったように「親のしつけができてないくせに、教師を訴えるなんて、親のほうがモンスターペアレントだ」という人がいるのですが、どういう親なのかは、別問題です。

それに、こういうときに使われる「しつけ」ということば、どういう意味なんでしょう。「人を蹴ってはいけません」と教えることが「しつけ」ですか?よくないことは、たいていの人がわかっていることでしょう。わかっててもやってしまった、その、心にふれないと、根本は解決しないのです。


もし、子どもの情緒を不安定にさせるような親なら、それはそれで別の対処が必要です。教師が子どもを怖がらせて指導してもよいかどうかとは、全く別の問題です。


それにしても、あちこちのブログ、サイトでみかけるのですが、このような話題がでると、「子どもは厳しくしつけるべし」「子どもは動物と同じ。たたいてしつけるべし」という人が、生き生きとコメントしてくるんですよね。


最初は「またか」と思って、ゲンナリだったけれど、最近は、「ああ、この人たちも不幸せなんだな〜」と痛々しくなってきます。ものすごく、何かを憎んでいるような、何かに腹をたてているような感じなんです。とにかく「子どもを殴りたい!」という雰囲気が伝わってくるのです。自己肯定感がないんですね。


あの記事を読んで以来、ずっと気になっていて、書きたかったので、今、書きながら、ちょっと感情的になったかな、私。


4月28日11時30分配信 読売新聞

 熊本県本渡市(現・天草市)の市立小学校で2002年、男性の臨時教師が小学2年男児(当時)の胸元をつかんで壁に押し当ててしかった行為が、体罰にあたるかどうかが争われた訴訟の上告審判決が28日、最高裁第3小法廷であった。

 近藤崇晴裁判長は「行為は教育的指導の範囲を逸脱しておらず、体罰ではない」と述べ、体罰を認定して市に賠償を命じた1、2審判決を破棄し、原告の男児の請求を棄却した。

 学校教育法は教師の体罰を禁じているが、教師の具体的な行為が体罰に該当するかどうかを最高裁が判断した民事訴訟は初めて。

 判決によると、教師は02年11月、校内の廊下で悪ふざけをしていた男児を注意したところ、尻をけられたため、男児の洋服の胸元を右手でつかんで壁に押し当て、「もう、すんなよ」と大声でしかった。男児はその後、夜中に泣き叫ぶようになり、食欲も低下した。

 判決は「悪ふざけしないよう指導するためで、罰として苦痛を与えるためではなかった」と認定。原告側は上告審で「恐怖心を与えるだけだった」と主張したが、判決は「教師は立腹して行為を行い、やや穏当を欠いたが、目的や内容、継続時間から判断すれば違法性は認められない」と述べた。

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2009年6月23日 (火)

自分の子どももきのくにに行かせたい

19日の金曜日、Nが帰ってきました。

長期一斉帰宅、といって、普段家が遠いため、土日も寮に滞在する子どもたちも、この週末は全員家に帰るのです。

で、土曜日は一日バイト。無駄なく働き、稼ぎます。

で、オーナーと学校の話しになって、

「Nくん、自分に子どもができたら、やっぱり、きのくにに行かせたい?」と聞かれたそうです。

Nは、
「うん、もちろんきのくにに行かせるよ!」と言ったそうです。

うれしいなあ。


さて、27日、北九州子どもの村小学校で、学園長の堀さんの講演会があります。

多分、バイトするんだろうな、と思っていたけど、一応Fに、「堀さんの講演会あるけど、どうする?」と聞いてみたら、「そういえば、俺、堀さんの講演って、しっかり聞いたことないから、行ってみようかな」ということで、Fも行くことになりました。

しかも、友だち、というか、彼女(かな?)も一緒に!

その彼女には、きのくにの話しもけっこうしたそうで、「いいなあ、私もそういう学校に行きたかったなあ」ということでした。


行った本人が愛する学校。

きのくにを選んでよかったな〜。
あのとき決断して、よかったな〜。

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2009年6月18日 (木)

サマースクールの魅力

先日サマースクルのご紹介をしましたが、なんせ、我が家は参加したことがないので、いまいち実感を込めて書くことができません。絶対楽しいことはわかっているのに、十分表現できないもどかしさ。

と、苦しんで(?)おりましたら、まあ、YOKOさんが、なんともすてきに紹介してくれているではありませんか!
みなさま、どうぞこちら↓お読みくださいませ。

http://ameblo.jp/yoko-do/entry-10280899736.html

YOKOさん、ありがとうございま〜す。happy01

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2009年6月16日 (火)

サマースクール

サマースクールの予定がすべて決まり、すでに募集が開始されています。

きのくに子どもの村小学校・中学校
かつやま子どもの村小学校・中学校
南アルプス子どもの村小学校
北九州子どもの村小学校

各学校、魅力的な活動が用意されているようです。日程等、詳しいことは、各学校のHPをご覧ください。

きのくに子どもの村のHPトップには、すべての学校の情報が出ています。

ウインタースクールや雪祭り、冬祭りなども企画されていますので、夏も、冬も楽しめますね!


それから、忘れてならないのが、きのくに国際高等専修学校のオープンキャンパス。9月と11月の二回、実施されます。大学生並みの?いえ、それ以上の?いえ、もっとユニークで、深い授業を体験できるのではないかと思います。

Nも、オープンキャンパスに参加して、その充実度に惹かれ、きの高進学を決めたということでした。


11月21日(土)には、教育シンポジウム『自由学校子どもサミットー高校生編』も開かれます。こちらも期待できますね〜。私はすでに、医院を休診にして、このシンポジウムに行く予定にしています。


すべての学校の連絡先、サマー&ウインタースクール、シンポジウム、等々の日程が載ったものがありますので、HPで調べるより、とりあえず予定を見てみたい、という方はご連絡ください。ファックスでお送りします。

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2009年6月12日 (金)

あぶなかった〜

昨夜、ほんとに、死ぬかと思いました。


夜、台所で立ったまま(というのも、行儀の悪い話しですが)、クッキーを食べ、お茶を飲もうとしているところに、Fがおかしいことを言ったので、笑ってしまい、お茶で湿ったクッキーが気管に入ってつまってしまったのです。

普通だったら、むせて、咳をして、苦しいけどすぐ治まるところが、昨夜は、咳はでない、息が吸えない、息が吐けない、という、非常事態になってしまいました。


「やばい」と思い、あっけにとられて見ているFに、「お父さん呼んで・・・」と、なんとか声を絞り出しました。

夫が来るまでの数秒で、なんとか少し息ができたような感じで、ヒューヒューと喉の奥から音がでてきて、私は流しにうつむいて、必死に咳をして、つまったものを出そうとしていました。


で、「どうしたん?」と、のんびりやって来た夫が、この「ヒューヒュー」を聞いて、「息つまってるやん」と、即座に、思い切り背中をたたいてくれました。

それで、助かった〜。

しばらく涙流しながら、咳をし続けましたが、ほんとに、「ああ、助かった」と実感しました。息ができるって、こんなに幸せなことなの〜?


夫は、「Fが、“お母さんに、なにか入った”って呼びにくるから、何かと思ったよ」と言い、Fは、「お母さん、いつもおおげさやけん、あんなに大変なことやとは思わんかった」と言うのです。はい、確かに。


こうやって書いてみると、かなり情けない失敗談ですが、誰にでも起こりうることです。こんな場合の対処法、家庭でみんな、心得ておくほうがいいですね。

まず背中をたたく。小さい子どもだったら、足をもってさかさまにする。

掃除機で吸い込む、っていう方法もあるみたいですが、うまくいくのかなあ。

で、夫が言うには、ほんとに息がつまって、顔が青くなって気を失うまでになったら、気管を切開するしかない、っていうのですが、そんなこと、恐くてできないよ〜。


ああ、まだ喉が痛いです。でも、生きててよかった!


みなさまも、お気をつけください。


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2009年6月 9日 (火)

新版 ニイル選集

【問題の子どもというものは決してない。あるのは問題の親ばかりだ。

これは、完全な真実とはいえないかもしれない。しかし、ほとんど完全な真実といってよい。たいていの場合、子どもが問題の子どもになるのは、親が子どもとは何かを理解していないからである。そうでなければ、親自身が自分を理解していないために、問題の子どもが生まれるのだ。】 『新訳 ニイル選集 2 問題の親』より

『問題の親』の、この冒頭部分が、特に好きです。


この本を初めて読んだのは、確か、1999年の秋頃だったかな。その年の7月にきのくにに見学に行って、掘さんに恋に落ちて(?)、息子たちもきのくにが気に入って、転入希望の申し込みをして、以来、きのくに、ニイル関係の本を読みあさりました。


その中で、特に気に入って、何度も読んだのが『問題の親』。


ぐさっとくるタイトルだけど、子どもを叱り飛ばしてしまうのも、すぐイライラするのも、それは子どもが悪いんじゃなくて、私のほうに問題があるのではないか、ということに、なんとなく気がついていたので、受け入れやすかったのかもしれません。


読み終わった当時、なにをどう受け止めたのか、はっきりとは覚えていないのですが、自分の「無意識」の存在を、強く意識したことを覚えています。


子どもに対して、すぐイライラしてしまい、支配的になってしまう自分が、ほんとうは、自分自身に腹を立てていることがわかったのです。私は自分のことが嫌いだったのです。

子どもの頃から「おりこう」で、きちんとしていて、賢い子。そんなふうに育てられ、見られてきた自分が、なんとなく苦しくて、でも、やっぱり、子どもには、そういう理想を求めてしまっていました。だから、その理想からはずれると、なんとなく不愉快になってしまうのです。


2000年9月15日の日記には、こんなことが書いてありました。Fがきのくに転入半年後のことで、4年生のときのことです。工務店というプロジェクトに入っていました。


「四季工務店。(*工務店というプロジェクトで子どもたちがつくった本)Fくんの文章は二つしかない。しかもそのうちのひとつは口で言ったものを○○(担任)が書いてくれたそうだ。それを聞いて不甲斐なく思う私。まだまだだね。どうしたらいいのか・・・。」


今なら笑えるんですが、当時は、「すばらしい文章をどんどん書く子」っていうのが理想で、でも、きのくにに出会って、ニイルの本も読んで、自分のほうがおかしいんだ、ということもわかり始めてて、でもやっぱりすぐには変われない自分が情けなく・・・という状態だったんですね。


ニイルの本を読んでから、子どもの心理、というものに、深い関心がいくようになりました。


2001年3月3日の日記より (Fが5年生 Nが3年生のとき)

「寮に電話したが、子どもたちはかえって寂しくなってしまったみたい。かけなきゃよかった。子どもって、“声が聞けてうれしい”なんて思わないものなんだ。」

*この日は土曜日で、長期中の週末なので、ほとんどの子が帰宅してしまって、閑散とした寮になるのです。現在は長期滞在生も増えて、にぎやかな週末のようです。


なんとなく、自分(親)の満足よりも、子どもの気持ちを考えようする姿勢がみられます。←自己評価(?)


『問題の親』の153ページのこの部分↓にも、しっかり付箋がはさんであったので、多分、当時、こういうところにも目を開かされて、私もだんだん変わってこられたのかなあ、と思います。


【生徒の母親の一人から手紙が届いた。家から学校にもどって一週間にもなるのに、まだ何の便りもない、というのである。母親は、「どうか、毎週何曜日と日を決めて、手紙を書かせるようにしていただきたいのです」と書いてきた。今夜、私は次のように返事を書いた。

「しかし、なぜなのでしょうか。どうして、自分の意志で書いたものでもない手紙を、そんなに大事にされるのですか。それでは、どうしてもウソの手紙にならざるをえません。お子さんが自分から進んで手紙を書こうとなさるまで、しんぼう強く待っていただくよりほかはありません。」

私は、これまでずっと次のように大声で叫んできた。もうそろそろいやになっている。

「どうか、お願いですから、子どもさんにあるがままの子どもでいさせてあげてください。子どもは、自己中心的なエネルギーのかたまりなのです。自分のしたいことに熱中しています。お母さんやお父さんを喜ばすために、偽善的なことをする余裕はないのです。」】


ニイルさん、すごい。こんなふうにど〜んと、はっきり書くことろこが好きです。(本の中でも太字なんです!)そのうえ、同じような話しを掘さんの講演会でも聞いていたので(この話しはまた後日)、すごく説得力がありました。


本の中には、目からウロコが落ちるような話しがいっぱいです。私が買ったときは、一冊4200円だったのですが、お手頃価格で、出ました!『新版 ニイル選集』 黎明書房さんから。

全部で5冊ありますが、1冊2520円〜2940円ですので、ずっとお求めやすくなっています。


子どもの心を深く理解するには、必読です。実は、私も、全部は読んでいないので、持っていないもの、発売され次第購入しようと思っています。


刊行の案内チラシが、昨日、きのくにから届いたので、お知らせまで、宣伝文、載せておきます。

【ニイルの思想を学び、子どもと共に笑う幸福な教師になろう!

ー最もよい教師は子どもと共に笑う。 最もよくない教師は子どもを笑う。 (A.S.ニイル)

今日の困難な教育状況を救う、愛と自由と創造の教育を貫いたサマーヒル学園の創設者、ニイル(1883〜1973年)の教育思想のエッセンスを5巻に集約。
*本選集は、1995年に刊行された『新訳ニイル選集』(全5巻)の新装・普及版です。】


5巻とは、『1 問題の子ども』『2 問題の親』 『3 恐るべき学校』『4 問題の教師』『5 自由な子ども』です。

『問題の子ども』は刊行済み、『問題の親』は6月刊行予定、他は、順次、10月までに刊行予定です。

「愛と自由と創造の教育」っていいですね〜。黎明書房さん、ありがとうございます!

あ、そうだ、これらのニイルの本は、きのくに子どもの村学園の掘さんが翻訳しています。すごいな〜。
堀さん、ありがとうございます!

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2009年6月 6日 (土)

掘さん講演会 in 北九州

6月27日(土)13時30分より、北九州子どもの村小学校にて、学園長の掘真一郎さんの講演会が行われます。

テーマは『創造的な子どもに育てるー伸びる子と伸びにくい子』

三歳以上のお子さんであれば、託児も可能です。ただし、定員がありますので、必ず事前にお問い合わせ、お申し込みをしてください。


5月31日の大分での講演会も、同じテーマで話しをしていただきました。掘さんが、大阪市立大学で教鞭をとっていた頃に主催していた、幼児教室での話しです。

これは、本当に、何度聞いてもよい話しです。だって、一度聞いて、ほお〜っと、目からウロコ、でも、日常に帰ると、子どもに対する言葉かけが普通(?)に戻っちゃってるんですもの。

やっとここ1〜2年、ぎりぎりの時間にでかけるFに、「バスの時間まで、まだ10分あるね。気をつけていってらっしゃい。」と言えるようになりました。

以前は、「ひええ〜、もう10分しかないじゃん!」と叫んでましたから・・・。


それにしても、子どもがもっと小さいときに、掘さんのお話し、聞きたかったなあ。


大分講演を聞き逃した方はもちろん、一度聞いたかたも、ぜひぜひ、お聞きください。子どもに対してだけでなく、夫婦間、仕事上、すべての人間関係にとって、大切なお話だと思います。


それから、北九州子どもの村小学校がある、平尾台、というところは、鍾乳洞がたくさんあって、カルスト台地の、それはそれは美しいところです。一日家族旅行にも、最適で〜す!

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2009年6月 2日 (火)

コーヒーの木と子ども

南アルプス子どもの村小学校(2009年10月開校予定)のパンフレットに載っていた、掘さんの文章です。


【コーヒーの木の鉢植えを見ていてつくづく思う。

コーヒーの葉がつやつやと美しいとき、
コーヒーの木は確実に成長している。

コーヒーの木が成長しているとき、
コーヒーの葉はつやつやと美しい。

子どもの村の子どもたちを見ていてつくづく思う。

子どもたちの笑顔が明るく美しいとき、
子どもたちは確実に成長している。

子どもたちが成長しているとき、
子どもたちの笑顔は明るく美しい。

子どもの村の子どもたち、
こんな毎日をほんとうにありがとう。】


うわ〜ん、なんだか泣けてきちゃいます。こんなまなざしで見守ってもらって、子どもの村の子どもたちは、ほんとうに幸せです。


さて、31日の大分での講演会は、大好評でした。おいでくださったみなさま、どうもありがとうございました。直接話しを聞かれたかたは、「コーヒーの木と子ども」の文章が、掘さんの気持ち、そのまんま、だということがおわかりになるでしょう。

子どもを託して、なんの心配もない、そういうかたなのです。

そして、他のスタッフも、いつも子どもの心に寄り添ってくださる、そういうかたがたです。


講演会後のアンケートに、「日本にもこんな学校があることを知って、安心しました」とのことばがありました。うれしいことばです。

でも、まだまだこんな学校は圧倒的に少ないです。

せっかくできた北九州子どもの村小学校を、ますます盛り立てて行きたいです。幸せな親子が増えますように!

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