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2009年2月 4日 (水)

毒になる親

秋葉原での無差別殺人の犯人は、逮捕後、親への恨みを口にしたという。

江東区の事件、同じマンションに住む女性を殺してバラバラにして下水に流したり捨てたりした犯人も、「ずっと親を憎んでいた」と言う。

秋葉原事件の犯人の母親は、とても厳しく、作文の宿題では親がよいと認めるまでなんどでも書き直しをさせられたという。


江東区の事件では、公判記録がネットに出ていたので読んでみた。

星島被告は、「幼いころに負ったやけどの傷のせいでいじめられることが多く、泣いて帰っても親が気持ちを受け止めてくれたかったので、両親を恨むようになった」というようなことが書いてあった。

「ケロイドのところに膿がたまるので、それを耳かきでかき出していたら、母親に、耳かきが臭くなるからやめろと言われた」。また、小学校の制服が半ズボンだったので、傷をさらすことになり、つらかったそうだ。


証人として出廷した父親の話しが載っていた。

「やけどの傷に負けないよう、厳しく育てた。社会人になってから、連絡が途絶えたけれど、自分も“一番の敵は親だ”という気持ちでやってきたので、息子も自立してやっていっているんだろうと思った。」

この文章だけでは意味がよくわからないかもしれないが、多分、星島被告の親も、自分の親に心から愛された経験がないのだろうな、と感じた。

もし、両親が、「私たちの不注意でこんなケガをさせちゃってごめんね。」と心からあやまり、傷のことで息子をいじめないように、学校や他の子どもたちに働きかけをしていたら、彼の人生は変わっていたのではないだろうか。


どんな理由があろうと、人の未来を奪うことが許される筈はない。私がもし被害者の親だったら、犯人を、そして、その親をも殺してしまいたくなるだろう。


しかし、成人の犯罪に関して、親の養育態度が問題にされることはあまりないように思う。社会人になってしまえば、あとは本人のみの責任ということか。

そして、上記二例程度の家庭の冷たさ、厳しい教育は、問題にするほどのことでもなく、当たり前のことなのか。

どちらの事件に関してだったか忘れてしまったが、親の養育態度について、「どこの家庭にでも見られるようなこと」と言及してあり、驚いた。どこの家庭にでも見られることなのか・・・。


先の、星島被告は、「自分は、人の幸せをよろこべない人間でした」と言っていた。

ものすごく孤独で、寂しい人生だったのだろう。


どんな事件でも、犯人の生育歴を、きちんと調べて記録に取り、ある程度公表することが大事なのではないかと思う。

この世に起こることは、自分と全く無関係なことではないと思う。公表された生育歴から学べることがたくさんあると思う。自分も、子どもに対して同じ過ちを犯していることに気がついて、軌道修正できる人もいるかもしれない。
犯罪の背景、特に親子関係を知ることは、次の事件を防ぐための第一歩になると、私は思っている。

特に、一見「どこにでもある」「普通の親」がくせ者なんだ。明らかな虐待とかネグレクトは、人に話せばわかってくれる人も多いし、「親が悪い」と思ってくれる場合が多いが、非受容的態度の厳しい親、自己中心的な親は、人から批難されることはない。

逆に、そんな親を「恨んでいる」とでも言おうものなら、「暴力をふるわれるわけでもなく、教育熱心で、何不自由なく育ててくれて、何が不満なんだ。甘えるな。」と、子どものほうが批難されるのがオチである。しかし、そういった親が与える悪影響は非常に大きい。だから、犯罪者の生育歴を、丁寧に調査して、明らかにすることが必要なのだ。


それから、もし、親が子どもの心を理解できない人であっても、その後に出会った人によって、暖かい気持ちが持てるようになったなら、全然違う人生を歩めたかもしれない。

それを考えると、小中時代に星島被告のいじめた人にも、それをとめなかった教師にも、腹が立つ。


ここまで考えてきて、ふと、我が身を振り返ると、やはり、人に冷たくしたことがあった。つらそうな人の立場にたって考えてあげることをしなかった。いろんなことを思い出してきた。


みんなみんな、つながっているのだから、やっぱり、私にも責任がある。加害者に対しても、被害者に対しても、「ごめんなさい、傍観者でいて、ごめんなさい、何の力にもなれなくて、ごめんなさい」、そんな気持ちになった。


実際、私だって、もし、今の夫と出会わなくて、ずっと東京で一人暮らししていたら、どうなっていたかわからない。自己否定感いっぱいで生きていたかもしれない。今のご時世だったら、浮浪者になっていたかもしれない。

そして、きのくにに出会わなければ、自分では、そうとは気づかず、愛のない親のままだったかもしれない。

子どもを愛しているつもりになっている、非受容型の、最悪の親になっていたかもしれない。

*『毒になる親』というタイトルで本がでています。私はこれを読んで、今まで何が問題だったのかがよくわかりました。

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コメント

 同感の部分も多いけれど、それでも、成人してからの犯罪はやはり本人自身の問題だとも思います。たとえ、生育歴から来る「心の闇」があっても、大人なら、それを自分で自覚してコントロールしようと努力すべき。それをせずに、感情を暴走させたことは、本人の責任だと。
 親にでなく、何の罪も落ち度もない人に暴力を向けたことは、情状酌量の余地のないことだし。
 特に、最近は、中高年の暴力も増えているから、50や60になってまで「親のせい」ということになったら、それに、親がそういう育て方をしてしまったのが、「そのまた親のせい」だとしたら、どこまで遡ったらいいんでしょう・・・そこまで責任負わされるのは、親がしんどすぎる気がします。
 たとえ、どんな親のもとに生まれ育っても、社会全体が人間を大切にする仕組みになっていれば、どこかで救われるのに・・と思います。「たまたまいい人と出会えた人」だけが救われるなんて、不公平だもの・・

投稿: むさし | 2009年2月 6日 (金) 23時25分

むさしさん、コメントありがとうございます。私自身が、まだ、こういう問題について、確固たる意見を持っているわけではないので、むさしさんのご意見も、ふむふむ、と読ませていただきました。他の方のご意見もいろいろ聞きたいです。

ただ、私は、「犯罪を犯したことは親の責任」「ひどい親に育てられたのだから、犯罪を犯してもしょうがない」と言っているわけではないということは、誤解のないよう、お願いします。

犯罪を犯さないですむためのひとつの方策として、生育歴を調査し、それを公表することをすべきだ、と言っているのです。

【社会全体が人間を大切にする仕組み】の一つとしても、間違った子育て観を知ることは、とても大切だと思うわけです。

それから、「親のせい」と【責任転嫁すること】と、「親に問題があった」と【認識すること】には、大きな違いがあり、私が言っているのは、後者のほうです。
「感謝しなければならないのにそれができない」、と自分を責めたり苦しんだりしているより、「親がしてきたことは間違っていた、価値観の低い人であった」と認め、そのことにしっかりと向き合うことができたら、新しい人生が開けてくると思うのです。親子関係の再構築の可能が開けてくるのです。(私はそうでした)
そういうことを書きたかったのです。ちょっと、言葉足らずだったかもしれません。

投稿: mami | 2009年2月 7日 (土) 23時09分

こちらこそ、言葉足らずのコメントでごめんなさい。
「親のせいと責任転嫁している」と捉えて、コメントした訳ではないのですけど、
個人的に自分の家族に照らしての思い入れがあったものですから、一方的な書き方になってしまいました。
犯罪者の生活歴を聞いて反省するような親ばかりではないと思うので、それプラス、「全ての子どもの声や気持ちを受け止めることの出来るセーフティネット」みたいなものがほしいなと感じたのです。具体的なアイデアがあるわけではないのですけど、そのネットは何重にも張り巡らされていて、どこかでみんなが助けられるように・・・。子どもが「いい人と出会う」のが「たまたま・偶然」でなくて、社会的に仕組まれてたらいいのに、と。

投稿: むさし | 2009年2月 8日 (日) 11時11分

親子関係の再構築の可能性
私も 此処に大きな焦点を当てたいと思います 皆 そのときその時その時精一杯頑張っている
でも少なくとも 自分が気がつけば
そこから何かが変わることは確かだということ
抑圧は 物事の根本を変えることはできない
でも 本当の自由や 無償の愛は 何かが必ず変わってくるということ

物事をジャッジしない自分を
見つけてゆくことが 
実はとても大きな結果に結びつきそうです
私もがんばっています♪

そして 出逢いについては
その人がどれだけ
自分に向き合っているかで
出会う相手が引き合う気がします
その時その時の自分を振り返っても
傲慢な時は その時に応じた出会いだった気もします そして 自分が 素直に 自分を受け入れ始めた時 何かが始まる出逢いが どんどん連鎖してきているように感じます
それは この学校のように・・・ですかね♪

投稿: YOKO | 2009年2月 9日 (月) 18時20分

むさしさんがコメントしてくださったからこそ、私は自分がうまく書けなかったところに気がついて書き足すことができました。ありがとうございました。

YOKOさん
ちょうどYOKOさんのブログを読んで、じわわ~んときて、くま森のことなんかも、こちらで進展しつつあって、YOKOさんにメールしようかな、と思っていたら、コメントが入っていたので、びっくり。気持ち、通じたのね!

>出逢いについては
>その人がどれだけ
>自分に向き合っているかで
>出会う相手が引き合う気がします

はい、私もそう思います。
出会っているのに、つかみ損ねたこと、私、たくさんあったと思います。でも、そのときはそれで、しょうがなかったのかな・・・。きのくにとの出会いは、しっかりつかんで、よかった!

投稿: mami | 2009年2月10日 (火) 15時34分

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