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2009年2月24日 (火)

子どもの村ブックレット

今、私の手元には、『教育改革は体験学習からー子どもの村のプロジェクトの事例と考え方』というブックレットがあります。きのくに子どもの村学園が昨年11月に出版し、続編も、現在製作中だそうです。

薄いのであっという間に読めてしまいますが、中身は濃いです。

私が持っているのはNo.2で、5章からなっています。うち、2章は学園長の堀真一郎氏が書き、あとの3章は、三人の教員が、それぞれの担当したプロジェクトの活動について述べています。


第4章の『九頭竜川の研究』というのは、かつやま子どもの村学園の中学生たちが、「水の研究センター」というプロジェクトの中で一年間取り組んだ活動です。一年を通じての、子どもたちの成長ぶり、大人の暖かい配慮とまなざしに、何度もじ〜んとしてしまいました。


このプロジェクトでは、ミーティングの末、福井県を横断する九頭竜川の研究を中心とし、その中でも、「九頭竜川の模型づくり」「川の生物の飼育」「九頭竜川通信の発行」の三つが主な活動となりました。

きのくに・かつやまのプロジェクトは、体験を中心にすえた総合学習ですが、単に「体験する」ということではなく、大人(教員)が十分考えた、ねらい、があるのです。

きのくに・かつやまの教育理念は、「子どもたちが、感情的にも知的にも社会的にも、自由な人間に成長するのを援助する」ということなのですが、この理念に沿って考えられているのです。


「感情的側面」について抜粋します。p.57

【九頭竜川は学校から車で15分ほどのところにある。九頭竜川にかかわる問題は、中学生の身近にあり具体的である。大人の直接的な指導が少なくても、中学生が自分で発見したり考えたりしやすい。また、模型づくりや生物の飼育は、成果を自分で確認できる。

失敗したときは、大人から叱咤や注意をされなくても、活動自体が教えてくれる。意図的でなくとも、子どもの行動に対する大人の過度な批判的・否定的な発言は(そして、ときには褒慰的な発言も)、しばしば、子どもの人格の批判や否定につながる。少なくとも、子どもにはそう感じられることが多い。

こういった大人の側からの介入が少なく、失敗する権利が認められ、自分自身の考えや行動が存分に尊重される環境は、中学生を緊張や不安から解放するはずである。それにくわえて、実際に起きている本物の問題に取り組んでいるという実感は、中学生の自信になるだろう。

ついでにいえば、水にじかに触れる活動は、それだけでも十分に値打ちがある。水遊びをする、プールや海で泳ぐ、風呂につかる、といった営みは常に人々の身近にある。これは、水には、人を緊張から解放し、安らぎを与える力があるからである。身近な川にかかわる活動は、頻繁に水にふれる活動であり、それは中学生の心理的な解放につながるはずである。】


長くなるので、知的側面についてのねらいは省略して、「社会的側面」についてのところを抜粋します。p.58


【自分たちでたてた共通の目的は、ひとりの力では達成できない。本格的に模型をつくったり、川の調査をしたりするには、目標の共有とお互いの協力が必要である。

中学生たちは、これらの活動をとおして、表面上の協調や見せかけの優しさではなく、実際的に有用な協力のしかたを身につけていくはずである。そして、特定の子と仲良くしすぎたり、憎み合ったりせず、適度な距離をもった成熟した人間関係の基礎をきずいていくにちがいない。

また、共同作業のなかで、他人とのかかわりを多く経験する子は、自分自身をしっかり意識できるようになるに違いない。】


こんなふうに考えてくれている大人がいる学校って、なんてすてきなんでしょう!


実際の活動の様子では、本づくりの原稿について、こんなことが書かれています。p.68


【ところが、12月の最後のしめきりになっても、原稿の提出が間に合わない子がいた。計画的に取り組んでこなかっただけではない。話し合って、自分が書きたい内容を受けもっている。最後までこだわりたいのだ。けれども、二学期もあとわずかで、時間が足りない。本の完成を三学期に延ばそうか、という意見も出た。しかし、これには、原稿のしめきりを守ってきた子たちの多くが反対した。

プロジェクトの時間だけでなく、すべての休み時間をつかって、なるべくはやく間に合わせてほしいと、厳しい意見だ。それにたいして、普段はおとなしくてあまり意見をいわない三年生の男の子がこういった。

「休み時間をつかって自分でできるような人であれば、しめきりまでにしあげてくると思う。周りのみんなも声をかけてあげるとか、手伝ってあげるとかして、全員でその子たちの原稿を終わらせるように協力したほうがいいと思う。」

この子も、一学期から何かと原稿の提出に遅れてきた。二学期の半ばにもなると、見通しをもってとりくみ、しめきりを守るようになってきたが、間に合わないときの心境をよくわかっているのだろう。文字を書くのを苦にしない子からは出てこない意見だ。】

この深い洞察!子どもの発言を、こういうふうにキャッチできる大人がいる学校なら、親は安心して任せられますよね。


そして、さらにじ〜んとしてしまった最後の部分。p.79

【「九頭竜川の研究」にとりくんだ一年間をふりかえれば、16人の中学生は確かに成長した。けれども、学校が、子どもたちが幸福で自分自身の生き方をする人間へと成長する場であるというならば、この子たちがどんな大人になっていくのかを、これからも気にしていきたい。難しいことだが、その成長していく姿をふまえたうえで、この「九頭竜川の研究」の一年を再び見直し、次なる「九頭竜川の研究」にとりくみたいと思う。】


他の部分も、他の章も、ほんとうにすてきな子どもたちと大人たち、学校の姿が描かれています。息子たち、こんなふうに育まれてきたんだなあ、と思うと、ほんとうに幸せです。

続編も、楽しみだなあ。

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2009年2月20日 (金)

予備校日誌

先日、棚のなかを片付けていたら、予備校時代の日誌がでてきました。

予備校時代、だから、今から25年以上前のことです。

そのときは必死だったのでしょうけれど、今、読み返してみると、「この人、アブナくない??」という感じです。

8月くらいまでしかつけていないのですが、少し抜き書きしてみました。


4月9日(金)
授業中は大丈夫だったが、自習しているとき眠くてたまらなかった。睡眠時間6時間。これ以上ふやすと家庭学習できなくなるし・・・。集中力をつけなければ。


4月12日(月)
Bクラスは成績の悪い人を集めてあるのだろうか。熊高(私の出身高校)の人はほとんどAクラスだ。こんなことでがっかりしていてもしかたないけど、同じくらい成績が悪い人でも、頑張らない人は大嫌いだ。私はそんな人になりたくない。


4月15日(木)
本当に私は口先ばかりの人間だ。今日はせっかくの休日というのに、11時間くらいしか勉強できなかった。なさけない。学生生活の中で、一番うれしかったときというのは、精一杯勉強できたときであるように思う。それが十分わかっていながら、なかなかできないものである。自分に強くならねば。


4月28日(水)
毎日が自己嫌悪の連続です。勉強していると、すぐ他のことが気になりだして、ちっとも集中できない。私は大学に落ちるべくして落ちたので、浪人生としての意地が足りないのだと思う。


5月10日(月)
ひどい点数の答案がかえってくるたびに泣きたくなる。私ってこんなにも馬鹿だったのか・・・。母はさぞかしがっかりするだろう。親のために勉強しているわけではないが、やはり好成績をおさめて、喜ばせてあげたい。


6月1日(火)
自分がいやになってきた。またも世界史はひどい結果になってしまった。


6月29日(火)
私はどちらかといえば一人でいるほうが好きで、席に座るのも一人だし、昼食をとるのも一人。私が一人でいるのが好きなのは、気を遣わなくて済むから。それに、話しているうちに私の性格をみられて、相手に失望されるのが恐いから。エゴイストで臆病だと思うけど、今はわずらわしい友だち付き合いなどしたくない。


7月3日(土)
私はだめな人間だ。つい小説やマンガに手が伸び、ふとんに足が向かう。入塾式の日に誓ったじゃないか、死にものぐるいで頑張ることを・・・。わかっていながら、どうしてこんなにだめなんだろう。


7月5日(月)
近頃、人とほとんど話しをしないので、何だか心配になってきた。というのは、なんとなく、自分の性格がゆがんできたように思うのだ。家に帰っても、家族と顔をあわせるのが、なんとなく嫌だ。特に、父や姉が家にいると、おもしろくなくて、しゃべる気がしなくなる。本当にすまないとは思っているのだ。それなのに、このいらいらする気持ちははどうしようもない。情けないとも思う。誰も信じる気になれない。


7月14日(水)
最近、私はテストの結果ばかり気にしすぎているようだ。それに、友人の成績と比較してばかり。ライバル意識を燃やすのもいいが、それが、嫉妬心になってはいけないと思う。もっとマイペースを保つようにしよう。


8月16日(月)
もう全然だめだった。数学は30点くらいだろう。政経は、勉強したつもりだったが、わからなかったし。夏休みは私なりに頑張ったのに・・・。友だちはみんな、「ちっとも勉強せんかった」と言う。それなのに、どうして私より成績が上なのか。恨みたくなる。


なんか、自己否定感のオンパレードで、我ながら、笑ってしまいます。

息子も笑ってました。
「一日11時間も勉強したん!?でも、お母さん、今、全然覚えてないよな。」って。

ほんとにねえ。

それにしても、なんて狭い世界の中でもがいてたんだろう、と、痛々しく感じもします。

結果的には志望校に受かったわけですが、それも、「○○を学びたいから」という、志があったわけではなく、「家から出たい」というのと、母親が、「これからは英語よ!」「○○大学なら、お母さん、うれしいな〜」、というのに従ったというだけのことですから、展望がないわけです。


こういう生活、やっぱりおかしいと思う。そのときは、親も子も、周りが見えなくなっているのだろうけれど、つくづく、受験ってなんだろう、と思う。

10代のうちから、「人と全然しゃべらない」とか、「友人関係がわずらわしい」なんて・・・。

やばかったなあ、私。

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2009年2月16日 (月)

Nとバスケ

2月6日から15日まで、きのくに国際高等専修学校は、中間休みでして、Nが帰ってきていました。

そうりゃあもう、楽しい一週間でした。

映画を見たり、コンサートに行ったり、いろいろしましたが、私が一番楽しかったのは、Nとバスケをしたこと!なので、タイトルの「と」は、andでなくて、withの意味なんです。


最後の日、Nは外で一人でバスケをしていました。ドリブルしたり、高い木の、同じ位置にボールを当てる練習とか。

私が、「お母さんもする〜」と出て行くと、「えっ?するん?」と驚きながらも、ボールをパスしてくれました。

強くはねたボールを、そのままドリブルしようとして、少し突き指してしまったのですが、
「ボールは硬いんやけん、気をつけんと。最初に、こうやって、指をそらして、慣らしとかんとすぐ突き指するよ。」
と、優しく指導。


シュートの打ち方を教えてくれても、運動音痴の私、全然言われたようにできなくて、Nも笑ってしまいます。


それでも、私の要望に応えて、走りながらのトス・・・ほとんど歩いてますが・・・も、してくれました。


ボール遊び(?)なんて久しぶりでしたから、うっすら汗ばむほど。


楽しかった〜。

高校生の息子と、外で一緒にバスケ(と、言えるのかどうかわかりませんが)できるなんて、あ〜、私って、なんて幸せものなんだ〜。N、なんていい子なんだ〜。

ほんとに、親ばかですね。

でも、ほとんど毎日つぶやいています。

「うちの子って、FもNも、どうしてこんなにすてきな子なんだろ〜」、って。

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2009年2月15日 (日)

天才の育て方

日曜日の朝日新聞に、けっこう長く続いている、『天才の育て方』というコラムがあります。

有名人の親に、どのように育てたのかを取材したもので、4回続きのコラムです。共感するものもあれば、苦々しく思うものもありですが、興味があるので毎回読んでいます。


今回は、クラシックギタリスト村治佳織さんの『育て方』ということで、ギタリストの村治昇さんが三回目の登場です。前回までは、まだ佳織さんが小学校に上がる前までの指導法についてで、まず遊び感覚で、ご褒美も用意しつつ、楽しくレッスンしていたということが書かれていました。

今日は、小学校に入ってからの様子です。


【毎朝、「今日の練習メニュー」を書いて出かける。学校から戻った佳織は、そのメニューを自分でこなす約束だった。
音階練習○回、アルペジオ奏法の練習○回、曲○回・・・。

友だちと遊んでしまい、練習をさぼった翌朝。
「なまけ虫がお尻から入ったな」
昇は平手で思い切りお尻をたたく。 ー略ー

「練習をしなくちゃ上手になれないことや、約束をやぶっちゃいけないことが、わかり始めた年齢。だからこそきつくしかりました。自尊心を傷つけないために、本人ではなく虫のせいにして」

勝ち気な性格を逆手にとって、こんな方法をしたこともある。

「北海道にマリちゃんというギターのうまい子がいる。佳織より3ページ前を練習しているんだって」と昇がいう。すると佳織は、マリちゃんに負けまいと猛練習する。もちろん「マリちゃん」なんていない。でも、佳織は本気で張り合った。】


こういうふうにして培われてきた力って、音楽に、どのように反映されるんだろう・・・。
小さい頃から「天才」と呼ばれてきた人の多くは、こんなふうな家庭教育なのかなあ。
そうえいば、五嶋みどりさんのお母さんも、スパルタだったと聞いたことがあります。


私、昨年秋頃、ヴァイオリニスト天満敦子さんのコンサートに行って、すっかりファンになってしまいました。その後、CDを買ったり、本を読んだりしましたが、天満さんのお母さんは、スパルタとはほど遠いかたで、とても面白かったです。

天満さんが小学六年生のとき、NHKの「ヴァイオリンのおけいこ」という番組にでて、半年間その番組のなかで、超一流の先生にレッスンを受けられることになったそうです。その収録のときの話しが印象的でした。


【収録が始まってびっくりしたのは、他の子供たちはヴァイオリンのケースもお母さんが持つの。それからケースを開けて弓の毛を張って、松脂を塗って、ー略ー  準備するのは全部お母さんなの。楽譜を開いて「今日はここよ」なんてやってる。それを見て私たち親子はまたビックリした。だってママがヴァイオリンを持ったことなんてなかったし、それは死ぬまでなかった。

それで先生のご注意をお母様方が自分の譜面に書き込むわけ。それで今度はママが慌てたの。かわいそうに他のお母様方の真似をしたんだけど、音符をよめないから、ママが見ているとこと皆が見ているところは全然違う。 ー略ー
それで、そういうことをするのは、一回でやめちゃった。では何をしたかというと編み物をよくやってた。 ー略ー

それでママは「ヴァイオリンのおけいこ」に私がでていた半年の間に、スーツを編んだの。グリーンのこま編みのすごくいいスーツをスタジオの隅っこに座って六ヶ月かけて編んだ。 ー略ー
慣れないことはさっさと止めて、スーツを編んじゃったあの時、ちょっとうちのママ、誇らしかったな。】


この話しは、コンサートに行ったあとに読んだのですが、こういう家庭で育った伸びやかさが音楽に現れているような気がしました。そして、ヴァイオリンが大好き!演奏できて幸せ!、という空気が伝わってくるのです。


『天才の育て方』の話しに戻りますが、棋士、羽生善治さんのお母さんの話しが好きでした。

羽生さんは中学三年でプロになったのですが、家族が、「せめて高校くらいは」とすすめて都立高校に入学しました。そのことを、お母さんは後悔しているそうです。

【義治には、好きなことを好きなだけやらしてあげるべきだったかもしれません。本人はずっと早い段階から、将棋一本、と決めていたわけですから」

いいお母さんだなあ。

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2009年2月13日 (金)

豊かな森を次世代へ

日本熊森協会会長、森山まり子氏の講演会が、3月7日に大分で行われます。


日時  平成21年3月7日(土) 18:30〜20:30(開場18:00〜)
    講演会終了後、書籍販売予定
場所  コンパルホール(文化ホール)
講演  『日本熊森協会』 会長 森山まり子
    ※2008年3月『第11回地球倫理推進賞(国内部門)』受賞、
     並びに文部科学大臣より『奨励賞』受賞          
テーマ 『豊かな森を次世代へ』
チケット  当日¥1,500(前売り¥1.000)小冊子含む ※中学生以下無料


日本熊森協会は、中学校の理科教師をしていた森山まり子氏が中心になってつくられました。HPには、森山氏の、こんな挨拶が載っています。


【わたしは自然のしくみを教え研究している者のひとりとして、人類に絶望していました。人類の欲望はとどまるところを知らず自らの生息環境まで破壊しており、近い将来滅びるに違いないと確信していました。

思いがけなく、クビを覚悟で生徒たちと「クマ保全活動」に立ち上がるはめになって、行動することの大切さを知りました。

欧米ではものすごい数の大人たちが自然の保全に立ち上がっています。「先生、大人って、ほんまはぼくらに愛情なんかないんとちがうかな。自然も資源もみんな使い果たして、ぼくらには何も置いとこうとしてくれないんやな。」生徒がさびしそうに言った言葉が今も忘れられません。

このままではいけません。外国の大人たちに負けないよう、日本の大人もがんばりませんか。】

詳しくは、日本熊森協会のHPをご参照ください。↓

http://homepage2.nifty.com/kumamori/


なお、翌日8日には、北九州でも行われますので、九州のみなさま、ぜひ、おでかけください。(北九州の詳細は下記をご参照ください。)

http://www7.plala.or.jp/kumamori_fukuoka/index.html


熊森協会のことは、昨年の春頃、このブログにもときどきコメントをしていただいていますYOKOさんが教えてくれました。協会が出している小冊子をプレゼントしてくれまして、それを読んで、私も何かしなければ、という思いに突き動かされました。

早速200冊購入して、医院に置いたり、知り合いに差し上げたりしていましたが、やはり一度は森山氏の話しを聞いてみたいと思っていました。

HPを見ていたら、大分で講演会が行われるという情報が載っていて、早速主催者に連絡をとりました。そのかたは、『いとしや』という、寝具や快適な睡眠のためのものを扱うお店の社長さんでした。そのお店には、だいぶ前になりますが、何度か行ったことがあったのです!

お会いしてみると、扱っている商品もさることながら、ほんとうに穏やかなすてきなかたでした。話しも弾み、楽しいひとときを過ごしました。チラシやチケットをお預かりし、私も、熊森の活動をもっともっと頑張らねば、という気持ちを強くしました。

↓「いとしや」さんのHPから、社長のブログに飛べます。講演会の話しも載っていますので、ごらんください。
http://www.nemuriya.jp/


友人に講演会のことを話したら、「ぜひ行きたい」ということで、しかも、「ちょうど最近腰が痛かったから、いとしやさんにも行ってみたい!」とのこと。社長のブログのことは、彼女が教えてくれたくらいです。

ほんとうに。わらしべ長者みたいに(?)どんどんご縁がつながって、楽しく元気な今日この頃です。

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2009年2月12日 (木)

テレビのこと、追記

先日、テレビのことに触れましたが、「う〜ん、やっぱり、うちは、テレビなしの生活でよかった!」と再認識することがありました。


今日、日本熊森協会のHPを見ていたのですが、こんな記事があるのに気がつきました。↓

http://homepage2.nifty.com/kumamori/20090203professional.html

このページのずっと下のほうの、【5 以前 NHKの番組に出演したときのことを思い出す】を読んでみてください。

あきれてしまいました。


たしかに、以前、我が家も、きのくに子どもの村学園に息子を行かせている、ということで、新聞の取材を受けたことがあるのですが、言ったことと全然違うストーリーが出来上がっていて、驚いたことがありました。

*そのときのことは、2007年10月9日の記事、『報道の問題』をご参照ください。


「真実を伝える」「世の中を変える」という使命感に燃えて新聞記者なり番組制作者になった人もいるのでしょうけれど、そういう、まっとうな心を持った人のほうが少ないということなんでしょうか。

【国の意図】なんかに負けたくない、洗脳なんかされるもんか、とつよ〜く、思いました!

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2009年2月 4日 (水)

毒になる親

秋葉原での無差別殺人の犯人は、逮捕後、親への恨みを口にしたという。

江東区の事件、同じマンションに住む女性を殺してバラバラにして下水に流したり捨てたりした犯人も、「ずっと親を憎んでいた」と言う。

秋葉原事件の犯人の母親は、とても厳しく、作文の宿題では親がよいと認めるまでなんどでも書き直しをさせられたという。


江東区の事件では、公判記録がネットに出ていたので読んでみた。

星島被告は、「幼いころに負ったやけどの傷のせいでいじめられることが多く、泣いて帰っても親が気持ちを受け止めてくれたかったので、両親を恨むようになった」というようなことが書いてあった。

「ケロイドのところに膿がたまるので、それを耳かきでかき出していたら、母親に、耳かきが臭くなるからやめろと言われた」。また、小学校の制服が半ズボンだったので、傷をさらすことになり、つらかったそうだ。


証人として出廷した父親の話しが載っていた。

「やけどの傷に負けないよう、厳しく育てた。社会人になってから、連絡が途絶えたけれど、自分も“一番の敵は親だ”という気持ちでやってきたので、息子も自立してやっていっているんだろうと思った。」

この文章だけでは意味がよくわからないかもしれないが、多分、星島被告の親も、自分の親に心から愛された経験がないのだろうな、と感じた。

もし、両親が、「私たちの不注意でこんなケガをさせちゃってごめんね。」と心からあやまり、傷のことで息子をいじめないように、学校や他の子どもたちに働きかけをしていたら、彼の人生は変わっていたのではないだろうか。


どんな理由があろうと、人の未来を奪うことが許される筈はない。私がもし被害者の親だったら、犯人を、そして、その親をも殺してしまいたくなるだろう。


しかし、成人の犯罪に関して、親の養育態度が問題にされることはあまりないように思う。社会人になってしまえば、あとは本人のみの責任ということか。

そして、上記二例程度の家庭の冷たさ、厳しい教育は、問題にするほどのことでもなく、当たり前のことなのか。

どちらの事件に関してだったか忘れてしまったが、親の養育態度について、「どこの家庭にでも見られるようなこと」と言及してあり、驚いた。どこの家庭にでも見られることなのか・・・。


先の、星島被告は、「自分は、人の幸せをよろこべない人間でした」と言っていた。

ものすごく孤独で、寂しい人生だったのだろう。


どんな事件でも、犯人の生育歴を、きちんと調べて記録に取り、ある程度公表することが大事なのではないかと思う。

この世に起こることは、自分と全く無関係なことではないと思う。公表された生育歴から学べることがたくさんあると思う。自分も、子どもに対して同じ過ちを犯していることに気がついて、軌道修正できる人もいるかもしれない。
犯罪の背景、特に親子関係を知ることは、次の事件を防ぐための第一歩になると、私は思っている。

特に、一見「どこにでもある」「普通の親」がくせ者なんだ。明らかな虐待とかネグレクトは、人に話せばわかってくれる人も多いし、「親が悪い」と思ってくれる場合が多いが、非受容的態度の厳しい親、自己中心的な親は、人から批難されることはない。

逆に、そんな親を「恨んでいる」とでも言おうものなら、「暴力をふるわれるわけでもなく、教育熱心で、何不自由なく育ててくれて、何が不満なんだ。甘えるな。」と、子どものほうが批難されるのがオチである。しかし、そういった親が与える悪影響は非常に大きい。だから、犯罪者の生育歴を、丁寧に調査して、明らかにすることが必要なのだ。


それから、もし、親が子どもの心を理解できない人であっても、その後に出会った人によって、暖かい気持ちが持てるようになったなら、全然違う人生を歩めたかもしれない。

それを考えると、小中時代に星島被告のいじめた人にも、それをとめなかった教師にも、腹が立つ。


ここまで考えてきて、ふと、我が身を振り返ると、やはり、人に冷たくしたことがあった。つらそうな人の立場にたって考えてあげることをしなかった。いろんなことを思い出してきた。


みんなみんな、つながっているのだから、やっぱり、私にも責任がある。加害者に対しても、被害者に対しても、「ごめんなさい、傍観者でいて、ごめんなさい、何の力にもなれなくて、ごめんなさい」、そんな気持ちになった。


実際、私だって、もし、今の夫と出会わなくて、ずっと東京で一人暮らししていたら、どうなっていたかわからない。自己否定感いっぱいで生きていたかもしれない。今のご時世だったら、浮浪者になっていたかもしれない。

そして、きのくにに出会わなければ、自分では、そうとは気づかず、愛のない親のままだったかもしれない。

子どもを愛しているつもりになっている、非受容型の、最悪の親になっていたかもしれない。

*『毒になる親』というタイトルで本がでています。私はこれを読んで、今まで何が問題だったのかがよくわかりました。

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2009年2月 1日 (日)

あまのじゃくかしら

最近、「えっ?それ、いつの間に決まったの?」と思うことがいくつかあって、妙に腹がたちます。


今日、免許の更新に行ったら、なが〜い列に並んでいる最中に、係の人から、「暗証番号を二つ決めてください」と言われ、???

でも自分の順番がきて、もたもたしてたら後の人にも迷惑がかかるので、わけのわからないまま入力しました。後で説明の紙を見たら、こんなふうに書いてありました。

【金融機関で身分証明書として使用する際にICカード免許証の読取装置で免許情報を提供できるようになるため】

釈然としません。それに、あちこちでパスワードや暗証番号を要求され、もう、記憶の限界越えてます。みなさん、どうしているのでしょう。今でも記憶力に不安があるというのに、年取ったら、どうなることやら・・・。


次にびっくりしたのは、今年のカレンダー。9月に4連休になってます。いつのまに決まったのですか?それでなくても、祝日が月曜日になることが多くなって、いろいろと不便を感じているのに。

それに、祝日に休める仕事の人ばかりではないでしょう?

当地は観光地なので、小さな子どもさんがいて、旅館などで共働きのところなど、仕事は忙しいのに保育園、学校は休みになってしまい、とても大変そうです。

休みまでお国に決められて、「お金を使って景気回復に貢献しなさい」と言われているみたいで、とても不愉快です。

うちはこれまでも、祝日でも診療して、他の平日を休みにすることもありましたが、今後もカレンダーの赤字にとらわれすぎないでやっていこうと思います。ほんと、腹立つ!


三つ目は、テレビのこと。うちはテレビがないからあまり関心なかったのですが、先日母が、「うちのテレビ、どっこも悪くないのに、そのうち使えなくなるから、買い替えなくちゃならないらしいのよ。」というので、ああ、そういえば、そんな報道があったな、と思い出した次第です。

プラズマテレビ、でしたっけ?なんか、そういうのに買い替えないと、今までのじゃ見られなくなるのですね?

そんなバカなことってありますか?

どれだけのゴミがでることでしょう。

どれだけの出費になることでしょう。


この際ですから、できるだけ多くの人が、テレビを買わないで我慢したらいいんじゃないかしら〜、と思うのですが、無理かしら。

もう、テレビ大好きだった私、十数年前の深夜、「こんなことしてたらあっという間に人生終わってしまう!」と思い、コンセント引っこ抜いてテレビを二階の屋根裏部屋へしまってしまいました。数年後、子どもたちが、サッカーのフランスワールドカップを見たいというので、よっこらしょ、と降ろしてきたら、温度変化の激しい屋根裏生活で、テレビちゃんはすっかり壊れてしまいました。

それから今日まで、静かな時間を持てています。

いい番組もいっぱいあるのでしょうけれど、くだらない番組も多すぎるように思います。


まあ、テレビの善し悪しは置いておくとして、「全員新しいものを買え!」という方針が許せない気持ちです。


私、あまのじゃくでしょうか?

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