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2008年9月19日 (金)

自由の限界

先日たまたま買った本に、きのくに子どもの村学園のことが載っていて、びっくりしました。

著者は法政大学教授で教育評論家でもある、尾木直樹氏の『いじめ問題とどう向き合うか』(岩波ブックレットNo.695)。

以前きのくにがある番組で紹介されたときにコメンテーターとして出演しておられ、そのときに映されたきのくにでのミーティングの様子に言及しておられました。その他の部分も、「その通り!」と言いたくなるところばかりで、尾木さんの本に紹介されたのがうれしく、さっそくきのくににもお知らせしました。


そのとき電話で事務のかたとお話したのですが、そのかたは、以前尾木さんを含め数人が教育のことについて話す番組を見たそうです。「尾木さんていいこと言わはりますよね。」とおっしゃっていましたが、番組自体はひどかったそうです。

「子どもは叩かないとわからない」「びしびしやらないとダメだ」というような意見がほとんどで、尾木さんは孤立無縁だったとのこと。

現在の橋下大阪府知事(当時は弁護士?タレント?)も参加していたそうで、「私も子どもは叩いて育てましたが、いい子ですよ!」と尾木さんにくってかかる勢いで、とても嫌な雰囲気だったということです。


選挙でもなんでもそうなんですが、私が「同感!」と思った意見は、少数派なのかなあ。


早速、尾木直樹さんで検索してみましたが、やはり批判的な人が多いこと!

尾木さんでこんなに批判されるなら、戦争中に『叱らぬ教育』を唱えた霜田静志氏なんて、どうなっちゃうんだろう、と思って検索してみましたが、書籍の紹介くらいしかヒットしません。故人ですからしょうがないのかもしれないですが、現代人で霜田氏のことを知っているかたは、ほんとうに少なくなってしまったのですね。

かく言う私も、きのくにに出会わなければ、霜田氏のことを知ることはなかったでしょう。


霜田氏が出しておられた『愛育通信』をまとめた『霜田静志復刻選集』というのを読んでいるのですが、ほんとうにすばらしい文章で、私ももっと早くにこういう考え方に出会いたかった、と思うばかりです。

このブログを見てくださるかたのほとんどは、霜田氏のことをご存知だとは思うのですが、誰か一人でも、こういう子ども観、人間観、教育観に触れて、関心を持ってくださればうれしいので、ここでも、ときおり文章を紹介していきたいと思います。

以下、復刻選集1の39ページより抜粋いたします。


【自由の限界】ー昭和26年6月3日 第16号ー

三人の母

或るとき、三人の母が一緒に旅行に出た。この三人の母は、それぞれに5才から6才の、まだ学校にあがる前の子どもをつれていた。三人は温泉宿にくつろいで、さて風呂にはいろうという段になってみると、三人の子どもの態度がそれぞれに違う。

第一の母の子は、一緒にお風呂にはいろうと誘うと、喜んで母と一緒にはいった。

第二の母の子はすすめられてもいやだと言ってはいらない。お室で遊んでいるからお母さん入っておいでという。仕方がなしに第二の母はわが子をおいて自分だけはいりに行った。

ところが第三の母の子の場合はまた違う。この子は自分がいやだからと言って入らないばかりでなく、お母さん行っちゃいや、と言って母をも入らせない。


私はたまたまこの座に連なっていて、三人三様のこの様子を見て、三人の母の子どもの育てかたがわかるように思い、興味深く感じた。


第一の母の場合は、子どもはよく育てられ、よくしつけられていて、母と子の間がぴったりしている。まことにはたの見る目にも気持ちのよいものであった。


第二の母の子どもは、自分がはいりたくなかったら、いくら母が勧めたってはいらない、まことに個性のはっきりした子どもであった。第一の子どものように、すなおに母の言うことをきく子もよい子ではあるがーまた事実多くの親はこういう子をよい子とするのではあるがー言うことをきかぬ第二の子どもも、私には何だか頼もしい子どものように思われてならなかった。

自分のいやなものはいやと、はっきりした態度をとっている。それでいて母がはいろうとすることに対しては少しも邪魔しないのである。これは自己の自由を主張すると同時に、ひとの自由も尊重する、まことに好もしい態度である。

そこにはちゃんと自由の限界があり、その限界は守られている。第一第二の母は、いずれも子どもを上手にそだてており、しつけもちゃんとできている。こいうのは見ていても気持ちがよい。


ところが第三の母と子の場合は違う。これでは子どもはもう自由の限界を越え、わがままであり勝手である。自分が風呂にはいりたくないなら、はいらなくてもそれはその子の自由である。しかし自分がはいりたくないからと言って、母をはいらせない、という法はない。「お母さん行っちゃいや」と言って泣いて母を困らせるのは、「泣く」という武器によって母を征服しようとしているのである。


「この子はいつもこうで、本当にしょうがないんですよ。」と母は弁解して、あたかもその子のこのような性質は、生まれつきのもので、どうすることもできぬもののように言っているのだが、実は母親の育てかたが間違っていたために、このようにしてしまったのである。

このような子どもの態度を許しているのは、明らかに自由をはきちがえているのである。少なくとも自由の限界を忘れているのである。

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