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2008年6月 4日 (水)

気になる人

作家の田中慎弥さん。

今年4月に川端賞を、5月に三島賞を受賞。両賞の同時受賞は史上初。

ということで、最近よく新聞に登場なさっているので、ご覧になったかたも多いと思います。数週間前は、朝日新聞の【ひと】の欄で取りあげられていました。

今日は文化面に文章を書いておられます。大変ユニークな文章(表現も内容も)で、全部ここに紹介したいくらいですが、長過ぎるので、一部転載します。


この文章のタイトルが、また、すごいんです。


夢も希望もないから


【高校を卒業して以降、就職どころかアルバイトさえしたことがなく、大学、専門学校、予備校などへ通いもせず、つまり何もしていないと呼ぶ以外にない状態が長く続いた。 ー略ー


なぜそういう生活を送るようになったのか、説明するのは難しい。何かをしたのであればその動機や端緒を語ることが出来るが、何もしていないのだから説明のしようがない。働きたくなかった、働かなかった、それだけだ。

では動機や端緒ではなく、どんな精神状態で生活していたのか、を説明することは可能だろうか。そういう生活に突入した場合に感じる筈の焦りや不安といったものは、いっさい覚えたことがない。なんとなく、この先どうなるんだろうか、とぼんやり想像することはあっても、明日には雨が降るんだろうか、という程度の感覚であって、とても危機感などとは呼べない。 ー略ー


何もしていないというのは外から見てのことであって、本を読んだりノートに文章を書いたりはしていた。だがそれは、将来のためというより、ただ好きだったからだし、ひまだったからだ。友人は一人もいないし出かけなくてはならない用事もない。そしてそういう生活を送ることを、何かしている、とはやはり言えないだろうから、何もしていないと言うしか、ない。

ー略ー

デビューしたことを、世の中と関わりを持てるようになった、前進だ、成長だ、などとも全く思わない。人と話しをする時間が増えるほど、デビュー前よりももっと狭くて深いところへ、心地よく沈んでゆけるという気分になる。いまの方が、ずっとずっと世の中と隔たっていると感じる。言葉を書き連ねてゆくことは自分にとって、世の中とか他人と直に向き合うのをさけるための手段なのだろうか。


主義主張や知識を持ち合わせていないので、外から見て何もしていない生活を送っている人たちに言いたいこと、言えることなどあまりない。夢も希望もないから、苦労するのがいやだから小説を書いています、おすすめできる生き方ではありません、働くなり勉強するなりした方がいいと思います、という程度か。


ただ、十数年前の私は、親から金をむしり取って映画を観にゆく電車の中で、自分と同い年くらいの大学生風の人たちやサラリーマンなどに囲まれ、こういうちゃんとした生き方をしないといけないんだろうな、と思う裏側で、自分の読書歴を思い返し、この電車に乗っている人間の中で「源氏物語」の原文を二回通読したのはたぶん自分だけだろうな、と、不遜で、無恥で、無礼で、しかしこの世で自分のとってだけは多少の意味がないわけでもないことを思い巡らせて、卑屈に安心していた、ということを、最後に書いておく。】


淡々としていて、なんとなく潔い文章で、今日、何度も読みたくなりました。
今で言えば、ニート、の生活、と言えるのでしょうけれど、不思議と自己肯定感が漂っていませんか?


早くにお父さんをなくされ、長くお母さんと二人暮らしだそうです。

お母さんは息子さんに、どんな接しかたをされてきたのかなあ、と、とても気になります。

作品も読んでみたいなあ。
今、とっても、気になる人、です。

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コメント

まみちゃん こんにちは
久しぶりに来てみると 気になる人とゆうタイトルが気になって 読みました
ほんと気になる人ですね これを読んでとても素直な人なんだろうなと思いました。だんだんこうゆう人が出てくるのは面白いですね

投稿: ぴいぶ | 2008年6月 6日 (金) 07時02分

ね、なんか、不思議で、気になるでしょ?力の抜け具合が、いいな〜って思います。

投稿: mami | 2008年6月 7日 (土) 22時40分

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