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2008年6月23日 (月)

大人の問題

6月19日の記事『しつけと体罰』にいただいた、SnowManさんの質問にお答えしたいと思います。


○あなたの子どもが同級生をいじめているのが発覚したら、そして、一度の話し合いで止めさせることができなかったら、どうしますか?


「いじめ」というからには、誰かと気が合わないとか、けんかした、とか、そういうレベルでなく、とても陰湿で、執拗で、繰り返し行われる「いじめ」のことですね?


まずありえないので、想像するのがとても難しいのですが、頑張って、想像してみます。


たぶん、母親である自分になにか問題があったのではないか、と考えると思います。もちろん、本人の考えも聞きますが。


幸せな子どもはイジメをしません。

それが、したとなれば、幸せでなかったから。
誰かから押さえつけられて、鬱屈していたから。
受容されていなくて寂しかったから。
言えないことがあるから。
自分が好きではないから。


たぶん、そうなったのは、親に問題があるからだと、思います。

力ずくで?言い聞かせて?「やめさせる」という問題ではないと思います。


SnowManさんは、私がお勧めした本も、お読みになったことがおありとのことですので、上記のことは、よく理解なさっていただけると思います。


残念なのは、「あくまで理想であって、現実的ではない」とおっしゃっている点。


SnowManさんにとっても、あの本の中で書かれている、大人の、子どもたちへの向き合いかたは、「理想」なのですね?それならば、時間はかかっても、まず、やってみる価値はありませんか?


もちろん、サッカーチームのコーチ、というお立場で、いろんな背景を持った子どもたちを抱え、責任も重くて大変だと思うのですけれど・・・。(そういえば、『体罰は愛のムチじゃない』へコメント書いてくださった、redsox555さんも、同じようなお立場で、いろいろと考え、努力なさっているようですよ。)
 *redsox555さん、コメント、ご紹介、ありがとうございました。


それと、『しつけと体罰』の記事に付けていただいた、koyamaさん、さんちゃんさん、むさしさん、くるくるさん、通りすがりのおやじさん、がたの、体験を通したお話に、何か感じるところはなかったでしょうか?


実際のところ、こうしてお返事を書きながらも、あの本を読まれても、上のかたがたのコメントを読まれても、「何も心を動かされなかった。理想と現実は違う」、とおっしゃるなら、私が何を書いても、無駄かも、という気もしております。


さて、この記事を最初にご覧になったかたがたへ申し上げます。

上記は、一つ前の記事↓へ寄せられたコメントについて書いたものです。

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_2200.html

そして、その記事は2006年6月23日の『体罰は愛のムチじゃない』↓が発端になっています。

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_e430.html


ご興味のあるかたは、コメントを含めて、両方お読みいただければ幸いです。


それから、koyamaさん、さんちゃんさん、むさしさん、くるくるさん、通りすがりのおやじさん、私の言いたいことを代弁してくださったようなコメント、大変ありがとうございました。


このままコメントのなかで埋もれてしまうのはもったいないので、順次、本文記事のなかで抜粋してご紹介したいのですが、よろしいでしょうか?

それは困る、ということでしたら、ご遠慮なくお申し出ください。

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コメント

考えさせられました。

どこで何を どうしたら伝えられるのか 意見を言えるのか 人の意見を聞けば聞くほど コメントが入れられなくなりました。皆 今の自分を精一杯生きているということ 悩みながら 精一杯生きているということ いろいろな人にいろいろなことを言われて 建前を大事にしてしまうこともあります でもそんな時 大切なものが何かを忘れてしまうことがあります。

1つだけ思うことは 恐怖からは恐怖しか生まれないということ 怖いから指示を守る 怖いからいい子になる それが悪いといっている訳でもなく ただ恐怖がリンクしてゆくことが素敵なことだとは思えない。本当の愛は 人をあたためてゆきます 人はあたたまると その気持ちを誰かに分けたくなります。本当の愛は 相手の自由を尊重することだと思います。表面的にとらえられると困るのですが 放任ということではなく 自由を尊重するのです。その自由を尊重するということがとても難しい教育を私たち 親の世代は受けていると思います。気がつくのを 待つ という愛です 

今この世の中のスピードは 恐ろしく速い流れです そのスピードの中で 子供たちも懸命にがんばっているんだと思います その時に 自分が間違った選択をしていようと 黙って 信じてくれる人がそばにいたら そして 自分でそのことに もっと違う方法を見つけることができるそんな時間の余裕と 守ってくれる愛があったら 人は人を裁くことはしないと私は思います。私たち大人たちから まずは 自分と向き合って 自分を裁かずに 今の自分が自分なりに精一杯ベストを尽くしていることに 気がついて 愛してあげることが大切な気がします。

今私たちが この流れを変えてゆくチャンスだと思います。

そして 悪いのは 親でも子供でも社会でもない 皆精一杯 ベストにむかおうと 進んできたんですもの そんな自分を 誰が褒めていますか?自分で自分を愛してあげなければ 今を永遠に許してはもらえない そして 誰にも 本当の温かさを配れない気がします

今の時代の環境になり
大事なものが置き忘れられていることに 今気付き始めたんだと思います
これは理想でもなんでもなく
もう 愛で包むしか幸せはやってこないんだと思います。それには まず こうやって 真剣に今言葉を交わしはじめた仲間から まずは意識を変えてみる 愛が基本になかったら 傷ついた心は あたたまりませんもの。

心配しているから怒る たたく わからせるために 手を挙げる それは 誰のためにしているのでしょう もしかして それは 大人のエゴだったりしませんか 自分に都合が悪いから 怒ったりしていませんか
自由を尊重するって 本当に大変だと思います。でも そこに 本当の幸せが みんながにこにこし合える世界があるような気がします。

全てが繋がり合って生きている そのことを もう1度私も考えてみたいと 思います。

投稿: YOKO | 2008年6月24日 (火) 01時21分

1つ補足です。
自由を尊重するということについてですが
ご自分の旦那様が 今ひとつ体調が悪くて 過ごしていらっしゃるとき
旦那さんが 俺ガーデニングでも始めようかな?といったとします その時 あなたは心配で「そんな仕事忙しくて体壊しているのに ガーデニングどころじゃないでしょ!!」と体を休めて欲しいと心配して 伝えます。
でも 相手の自由を尊重するとは 
ガーデニングをそのまま認めてあげることなんです ここで自分との葛藤や 病気になったら この人も自分も家族も困るからと 頭で考えている自分がいませんか 彼はガーデニングをして 気分転換を図れるかもしれない そこから何かを発見するかもしれない 土をいじることで いやされるかもしれない 花が彼の疲れを和らげてくれるかもしれない 自由の尊重は その人の素敵さを限りない可能性として広げることができると私は思います。
その自由の尊重だということを補足させていただきます。すっかり長くなりました。mamiさん 素敵な意見交換の場所ですね ブログからの発信力を素敵なエネルギーにしていきましょう!!

投稿: YOKO | 2008年6月24日 (火) 01時35分

mamiさん

こんにちわ。SnowManです。
お忙しいなか、見ず知らずの私に真摯に向き合って下さり、有難うございます。

まず、最初に、、、

> まずありえないので、想像するのがとても難しいのですが、頑張って、想像してみます。

ご子息が「いぢめ」をするというのは、「例え話」だったとしても不愉快だったと思います。
不適切な「例え話」を書いてしまった事を謝罪させて頂きます。
申し訳ありませんでした。

mamiさんのご回答に何点かコメントさせて頂きます。
このコメントで、私が「理想であって現実的ではない」と考えている主旨がご理解頂けるのではないかと思います。

> 幸せな子どもはイジメをしません。
(中略)
> たぶん、そうなったのは、親に問題があるからだと、思います。

それは違うと思います。
いくら親が子供に愛情を注いでいたとしても、子供は必ず幸せになれるとは限らないと思います。
子供の幸せには、家族の愛情はもちろんの事、周囲との良好な人間関係が必要だと思います。
最近の子供達は、ゲーム等共通の玩具を持っていない子を仲間外れにする傾向があります。
また、習い事が多く、習い事の中で仲良しグループが形成されていく傾向もあります。
全ての家庭がゲームを買い与えたり、習い事に通わせるだけの経済力を有しているとは限りません。
ゲームを買ってもらえない、または習い事に通わせてもらえない子は、スピンアウトされてしまいます。
そうなると、親がいくら愛情を注いだとしても、子供は自分を幸せだと思えないと思います。
この場合、経済力を有さない親を責めるのは間違いですよね?

私は神奈川県川崎市在住です。
周囲に市営や県営の団地があり、まさに前述した境遇に置かれた子供達を何人か知っています。
たかが物を持っているかどうかで同級生を仲間外れにしていまう子供達を見ていると、とても悲しい気持ちになります。
それ以上に「団地の子」という言葉を平気で使い、自分の子に距離を取るように仕向ける親御さんを見ると体中の血が沸騰する思いです。

ここで私が言いたいのは、家族がいくら愛情をもって子供に接したとしても、外的要素により子供が幸せと感じる事ができなくなる場合がある、という事です。

> それならば、時間はかかっても、まず、やってみる価値はありませんか?

いぢめっ子が自発的に「いぢめ」を止めるのに時間がかかったとします。
その間、いぢめられる側はどうなりますか?
私は過去にいぢめられる側にいた事があります。
いぢめた本人や、その親、教師が後になっていくら謝罪してくれたところで、心の傷は癒える事はありませんでした。
ですから、もし、自分の子供がいぢめをしていたら、迷わず即効性のある方法でいぢめを「止めさせる」と思います。

いままでに育児書の類は何冊も読み漁りましたが、どの本も「親と子」という限定されたアプローチでしか記述されておらず、外的要素による問題や、被害を受けている子供の事まで考慮したものはありませんでした。
全ての親が同じような思想で子育てをしていれば問題無いのかもしれませんが、現実は残念ながら違います。

ドロシー・ロー・ノルト博士(著書「いちばん大切なこと」の著者名はホルトではなくノルト)の思想が現実のものとなってくれれば良いと思います。
が、残念ながら現実は違うので、理想は持ちつつも現実に即した対処法を考えるべきだと思っています。

投稿: SnowMan | 2008年6月24日 (火) 14時09分

こんにちは~koyamaです。

mamiさんへ

先日は、私のつたないコメントに温かいお返事を書いてくださいましてありがとうございました♪

又、コメント抜粋についてのお話ですが、
もともとmamiさんのブログへ書かせてもらったものなので、よろしければ、どうぞご遠慮なく抜粋なさってください(^^)。

さて、前回は<我が子の躾や体罰>について感じた事を書きましたが、
今日は<私が育った家庭環境>から「いじめ」について書いてみたいと思います。

私は中学生から成人して家を出るまでの数年間、母親と母親に加担したきょうだいによって暴力を受けてきました。

また、時おなじく転校した中学校は、
当時、全国で屈指の「規律ある中学校」のモデル校だった事を自慢にしていて、
「●●中である誇りを持て!」と言っては、身だしなみ(髪形などはミリ単位)から、たち振る舞い、鉛筆の本数まで事細かく規制し、力づくでも守らせる為の「愛の鞭」が蔓延っていました。
 すべては一部の竹刀や短木を持った教師による気分次第。
ある生徒を標的に、連帯責任という名で、炎天下の校庭にクラス全員が直立の姿勢で延々と立たされたり、正座したり、走らされたりしました。
当然、欝憤から生徒間で陰湿なイジメも生まれ、毎日の人間関係でも気を遣うことばかりで、家でも学校でも心が休まる場所はありませんでした。

家庭内暴力は、中学から高校になってから日ごとにエスカレートし、最後は躾というより、ほとんど言いがかりのようなもので警棒を使って叩かれました。
唯一、味方だった父もアルコール漬けで帰宅もままならず、相談しても、もともと夫婦の折り合いが悪いことが遠因にあった為、
父が不在になった日を見計らって、母は
「父が気に入ってる娘だからなお憎らしい!」と言ってはきようだい間で殴らせたのです。

そんな日々の中、唯一私を支えてくれたものはマンガです。
なかでも70~90年代当時のマンガはスケール感の大きいものや真理をついてるものも数多くあって、主人公と自分を重ねて心を躍らせたり、気持ちが癒されたり、勇気を奮い立たすことができ、
崩れそうになる心をつなぎとめてくれました。

人によってはそれが「一冊の本」であったり、「スポーツ」だったり、「歌」だったり、「絵」だったりするのでしょうね。

後に主人と結婚し、やさしさに触れた事で一時的な「幼児返り」が起こりましたが、それも2年ほどで治まり、
後に息子が生まれ、時に子育てに悩みながらも親として息子の成長に日々胸をわくわくさせてながら、今日に至っています。

長い経緯になってしまいましたが、
私には「愛の鞭」がなくても幸せな日々を過ごせることができるようになって嬉しく思っています。

また、いじめに関しては、団地と戸建てのどちらにも住んでいましたが、今のところ、
それといじめとの関係ついては、私は感じていないのでわからにのですが、
ゲームがないとはじかれてしまう子供さんがいたらかわいそうだとは思います。
しかし反面、一見、ゲームを持ちよって、群楽しそうに群れている子供たちの間でも、いろいろしんどい人間関係になってることも考えられます。

いづれにしても「いじめ」は、つらいですね。。。

そんな時でも、唯一の「よりどころ」がある子どもは、時間がかかってもいつか自分の中でいじめを解消することができる力を持っていくのでは...と私は思います。
親の愛を知っている子供さんならなおのこと、親の愛は何よりの「よりどころ」になれるのではないでしょうか。。。

「我が子がいじめられている」
「我が子がいじめに加担している」

いづれの場合も私は、親と子どもと向かい合い、
子どもの心が開くまで時間をかけてしっくり寄り添い、「もう大丈夫だと」安心できるまでそばににいてあげたいと思っています。

心の痛みを知った者がそれをどうしていくのかは、人それぞれだと思います。
私としては、愛に包まれて安心できた体験を糧に、我が子とともにこれから少しづつ成長していければ...と思っております。


投稿: koyama | 2008年6月24日 (火) 20時05分

mamiさん

 こんばんわ。SnowManです。
ちょっと補足させて下さい。

> それと、『しつけと体罰』の記事に付けていただいた、
> koyamaさん、さんちゃんさん、むさしさん、くるくるさん、通りすがりのおやじさん、がたの、
> 体験を通したお話に、何か感じるところはなかったでしょうか?

皆さんのコメントを読んで感じた事は「それは、躾でも教育でも無く、ただの暴力か虐待」です。
感情的になって子供相手に肉体的、または言葉の暴力を振るうなど論外です。
私の論ずる「体罰」の定義は、私の一番最初のコメントを読んで頂ければご理解頂けると思います。

投稿: SnowMan | 2008年6月24日 (火) 21時32分

SnouManさんのコメントを読ませていただいて、スポーツを通じての児童の健全育成に真剣に取り組んでおられる方だと思うのですが、例に挙げておられる、ゲンコツを振るう時の基準というのは、「危険な反則などを繰り返した時」というような理解でいいでしょうか?
サッカーのルールはあまり知らないのですが、審判として、レッドカードをだすだけでは、解決されない事態ということですね。そして、その時、ゲンコツがふさわしいと指導者が判断して、ゲンコツを冷静に執行する・・・ということでしょうか?
(自分の知らない世界のありようを想像してみることの難しさを感じます。どうも、イメージしにくいので、くどく聞いてすみません)

愛の鞭を、指導者の思いの通りに受け止めて、それを糧にして、いい方向に向けうるかどうかは、子どもの個性にもよると思うのですが、それも見極めて行使されてるということでしょうか?(決してそういう子になら体罰してもいい、という意味ではありませんが)それとも、「あくまで平等に扱わなくてはならない」というお考えでしょうか?

それと、スポーツの場面以外で、ご自分のこどもさんに体罰を使ってでも教えなくてはならないと思われる、または、そうされた場面というのは、どんな場面ですか?
 

感情的になる親には、なかなか手厳しいご指摘ですが、かわいいわが子だからこそ、あせってしまう、必死になってしまう、そのことを全て「暴力、虐待」と言われてしまうと立つ瀬がないのですけど・・・。
誰しも、自分が育った環境、親や周囲から受けた教育から、全く自由にはなれないのではないかと思います。
親と同じことをしたくないと思いながら、そうなってしまう事に自分自身が一番悩んできました。(反面教師にするという方向であれ、影響を受けていることに変わりないでしょう)

私個人としては、「体罰は絶対いけない」と「体罰をしてでもきちんとしつけろ」のどちらのメッセージも、強力すぎると、現役子育て中の人にとっては、プレッシャーになりうると思うので、あんまり過激に発信したくない気がするのですけど。親を追い詰めると、その矛先は子どもに向いてしまうと思うのです。(「そんな奴は親になる資格なし」とかいわないで下さいね、責めても仕方ない、少しでもいい方向に向けるよう、支えたいと思うのです。)

投稿: むさし | 2008年6月24日 (火) 22時59分

勝手に割って入って質問攻めにしてごめんなさい。よろしければ、差し支えのない範囲でお答えいただけると、今後考えていく上での参考にさせていただけると思うのですが。

投稿: むさし | 2008年6月24日 (火) 23時18分

むさしさん

 こんばんわ。SnowManです。
ご質問の件、上手く伝わるかどうかわかりませんが、頑張って文章にしてみました。
分かりづらいところがあれば、ご指摘頂ければ補足させて頂きますので、ご一読下さい。

・サッカーチームでのげんこつの使いどころ

 基本的に「げんこつ」はペナルティというか、試合中にレッドカードを受けると退場というペナルティが科されるのに対して練習中にコーチ陣からレッドカードを貰うとペナルティとして「げんこつ」が登場します。

子供達が一生懸命頑張っていれば、結果が悪くとも「怒る」、「叱る」などはありません。
試合中に危険なプレーがあった場合は、繰り返さないよう注意はしますが「げんこつ」の出番はありません。
※参考までに、小学生の試合でカードが出るようなプレーは滅多にありません

私がチームに常日頃から言っている事は、、、
・クラブは自分の意思で入部しているのだから、練習は一生懸命頑張ること
・自分がされて嫌な事はチームメイトには絶対にしないこと
・失敗は上手くなるための栄養だから、チームメイトの失敗は絶対に責めてはいけない
です。

また、試合等のために移動中は、下記のルールがあります。
・大声で騒ぐなど、回りの人に迷惑をかけない
・走ったり、列から飛び出したりしない
・ボールを蹴らない

「げんこつ」は、上記の教えを守れなかった時に登場となります。

ですが、サッカーの試合と同様に、いきなりレッドカードというのは稀で(というか一発レッドは記憶に無い)、イエロー(口頭注意)を出して、同日中に同じ注意を2回受けるとレッドカードとなります。
練習場でレッドになると、通常はグラウンド3周のペナルティですが、夏場など熱射病の恐れがある時は走らせる代わりに「げんこつ」または「でこピン」の二択となります。
移動中は、走らせる場所が無いので、無条件に「げんこつ」と「でこピン」の二択となります。
「げんこつ」と「でこピン」のどちらを受けるかは子供に選択権があります。
「げんこつ」は、おデコと頭頂部の中間を狙い、頭頂部や即頭部は絶対に外します。

これらの方針は、コーチ陣で話し合って原案を作りました。
体験入部や年次総会の席で必ず保護者に説明し、承諾頂いてます。

子供の個性に合わせて使い分ける事はしていません。
ご推察の通り「平等」が大原則だからです。

・子供への体罰について

 サッカーチームにいる時以外で自分の子供に「体罰」を与えた事は無いです。
ですが「暴力・虐待」は過去に3回あります。
最初は、長男が3歳くらいの時です。
長男がグズってリビングの椅子を故意に倒した際に思わず怒鳴ってしまいました。
2回目は、長男が2年生の時に万引きしてしまい、友達に強要されたと言い訳した際にかっとなって平手打ちをくらわせてしまいました。
3回目は、今年に入ってからの事です。
宿題は無いと嘘をつき続けていたのが発覚した時に怒鳴ってげんこつ3発でした。

偉そうな事を書いておきながら、結局自分もやってるじゃん、と思われた事でしょう。
はい、やっちゃってます。
自分の行為を後悔してますし、もう二度とやらないためにも「暴力・虐待」という呼び方をして自分を戒めているというのが実態です。

> 親と同じことをしたくないと思いながら、そうなってしまう事に自分自身が一番悩んできました。

正直、この文章を読んだ時に固まってしまいました。
私の父親はその日の気分次第で怒る基準がコロコロ変わり、怒り方も日によって怒鳴るから平手打ちまでバリエーションが豊富でした。

自分は、そんな親にはなりたくないと思いつつ、自制しきれない自分を嫌悪する事も多々あります。

こちらのブログで迷惑を承知で体罰について議論させて頂いているのは、体罰など使わなくとも子供を健全な成長に導く方法論を捜し求めているからだと思います。

ですから、他の親御さんの事をとやかく言える身ではありません。
が、一つだけ頭の片隅に憶えて欲しい事があります。
「視野を広くして、自分の子供だけに向き合わないこと」です。
他の親御さんを見ていると、視野が狭いというか、「自分の子は・・・」という思いが強く、反って悪い方向に向いていると感じる事があります。

投稿: SnowMan | 2008年6月25日 (水) 01時16分

宮城県仙台市の大学生さま
申し訳ありませんが、コメントを削除しました。
内容のことではありません。

今後もコメントいただけるのでしたら、ハンドルネームのご変更をお願いいたします。

投稿: mami | 2008年6月25日 (水) 08時19分

 皆さんのご意見を読ませていただきました。
いじめる子に「体罰」を与えても一時的に抑制されるかもしれませんが、形を変えて親や学校にわからないように巧妙にさらにエスカレートしていくだけのように思います。
 たぶん、いじめている子どもの心は、自分の中にあるいやな部分や認めたくない部分を他者の中に見つけ出し、それを否定するために攻撃をしているのではないかと思います。そのいやな部分や認めたくない部分は、大人が勝手に決めた基準で「お前のそこがだめだ」「がんばりがたりない」と言われるようなところが多いのではないでしょうか。
 
 いじめをなくしていく方法は、時間がかかるかもしれませんが親や教師が「無理しなくて今のままでいいよ」と子ども自身の個性を認めてあげて、子どもの中の自己否定感・自己嫌悪感を消して、自分自身を好きになれるような自己肯定感を持てるように環境を整えてあげることだと思います。そして自己肯定感を持てる子どもは、たぶん他者を攻撃したり、いじめたりしないのではないでしょうか。(大人でも自分自身を憎みながら、他の人を愛することなど難しい。)
mamiさんの「幸せな子どもはイジメをしません。」は、同感です。
 
ということで私は、やっぱり「体罰」を肯定することはできません。結局「体罰」は、一時的に教師や大人の言うことを聞かせる(従わせる)ことができるかもしれませんが、子どもにとって本当の解決にならないと思います。
理想論といわれるかもしれませんが、親や教師が上から「教え込む」のではなく、子どもどうしの自然なぶつかり合いの中で「他人の権利を尊重する」ことを学べるようなシステムが必要だと思います。

これ以上言っても平行線のようですので、私はこれで失礼します。まとまりの無い文章で申し訳ありません。mamiさん、きのくにの話楽しみにしていますのでがんばってください。

投稿: 通りすがりのおやじさん | 2008年6月25日 (水) 12時23分

SnowManさん(スペルまちがってて失礼しました)お返事ありがとうございます。

 私が最初にイメージしていた雰囲気とは少し違っていました。
例えば、幼児がバーと危険なものに走って行った時、体当たりして体で止めたりしますが、スポーツの場面での体罰もそれに似た、緊迫した事態なのかと、勝手にイメージしてました。(これは体罰とは言いませんが、大人が体を張る緊迫したイメージが他に浮かばないので・・・)

 サッカー界のことを全然知らない素人の感想ですが、「ゲンコツかでこピン」は、取り決めの元に、子どもと大人の双方が、悪かったことを確認するための儀式みたいに感じられました。
そして、それなら「ゲンコツ」でなくとも、(もしサッカー人にとって、レッドカードが最大の不名誉なのなら)レッドカードを出すことで十分効果があるように思ったのですが・・・。(練習用のレッドカードを作る必要がありますが)
「体で覚えさせる」ために「ゲンコツ」が必要なんでしょうか?「ゲンコツ」に拘るのが、少し不思議な気がしました。
そのあと、話し合ったり、反省文を書くことでより深く考える機会にもできるでしょうし・・・。

「親にされたのと同じことを子どもにしてしまう」・・・つまり、親に余計なことを、繰り返し、教えられてしまったのです。
「体罰や暴言で言うことをきかせる」というコミュニュケーションの方法を。
そして、そういう方法を覚えた子どもは、友達に対してそれを使うかもしれない。逆におどおどして、対等に関係を築けない子になるかもしれない。いずれにしても、プラスにはならないと思います。
この連鎖を、なくすのはかなり大変ですが、せめて少しでも減らしたいのです。

私が「むさし」なのは、私にとって宮本武蔵は「過酷な子ども時代を生き抜いたサバイバーのホープ」だからです。

私にとっては、子どもの武蔵は、行って抱きしめて守りたい存在。生育歴から来る生きにくさや人格的課題に苦悩する青年期の武蔵には、強く共感を覚え、そして、晩年の武蔵を尊敬しています。
そして、思春期の私を支えたのが、周囲の大人の誰でもなく、武蔵だけだったことを悲しく思っています。


SnowManさんのコメントを読ませていただいて、「体罰やむなし」の考えの方とは、思えません。本当は、私なんかよりずっとわかってらっしゃるんじゃないのかな?
(だって、思い浮かぶのが3回だけって、かなり少ないです。)

書いておられるように、サッカー指導の場面で、いろいろな親子に会われることでしょう。その時、親子関係に介入して口出しするのは難しいことかもしれません。でも、子どもにとって「自分のことをわかってくれてる」と感じられる大人として、寄り添ってあげることができたら・・・仮に家庭や親子関係がしんどくても、そういう存在が一人でもいてくれるかくれないかは、子どもにとって、とても大きなことです。唐突ながら、そういう存在たりうるセンスをもった方のように感じたのですけど。

投稿: むさし | 2008年6月25日 (水) 21時35分

むさしさん

 こんばんわ。SnowManです。(スペルは気になさらずに)
レス有難うございます。

むさしさんの文章って、とても説得力があるというか、しみるというか。
文才の無い私にとっては羨ましい限りです。

さて、最初に、サッカーのレッドカードについてちょっと説明させて下さい。
試合中にレッドカード(1試合中2枚の累積イエローも同じ)を貰うと、退場処分となります。
野球では選手が退場処分を受けた場合は交代選手をグラウンドに送り出す事ができますが、サッカーではそれが許されません。
つまり、退場者がでたチームは残りの時間を1人足りない状態で戦わなければなりません。
11人もいるんだから一人くらい欠けても、と思われるかもしれませんが、数的不利を背負っての戦いは想像以上に辛いものです。
残された選手は、1人抜けた穴を埋めるために、いつもより余計に走らないといけないので、どんどん疲弊していくのが見てとれます。
退場処分を受けた子供は、ベンチに座って不利な戦いに耐えているチームメイトの姿をずっと見守る事になります。
大人の私ですら、疲弊した子供達の姿を目の当たりにすると戦術指示など銀河の彼方にぶっ飛んでしまい、「頑張れ!諦めるな!諦めた時が負ける時だ!」などと精神論しか出てこなくなってしまいます。
退場処分を受けた子供は、レッドカードを受けたこと事体は大した問題ではなく、チームメイトに迷惑をかけてしまった事の方がずっと堪えると思います。

練習中の場合は、コーチ陣から注意/警告(カード)を受けても苦痛や屈辱を感じる事は無く、へらへらと笑ってるのが関の山でした。
少し度が過ぎると思われる子供に反省文を書かせようとした事がありますが、一度も書いてくれませんでした。
「反省文?あぁ、忘れちゃった」と爽やかな笑顔で返された時は、閉口するしかありませんでした。

それでも、当初は、気長に言って聞かせようという方向性だったのですが、問題が発生しました。
練習を見学していた親御さんが、再三注意を受けても態度を改めない我が子を、怒鳴って平手打ちをくらわせてしまったのです。
私が「暴力・虐待」と呼ぶ行為です。その瞬間、グラウンドが凍りついたかのようでした。
後日、親御さんに「練習中の事はコーチ陣に任せて欲しい」とお願いしたのですが、「やる気の無いヤツは鉄拳制裁が我が家の教育方針です」と真顔で言われてしまうと、それ以上強くは言えませんでした。
不思議なもので、そういう親御さんが出現すると、他の親御さんにも飛び火するようで、気が付くと練習場の至るところで怒号が響き渡り、「蹴り」や「頭をひっぱたく」が頻繁に繰り返されるようになってしまいました。

流石にコーチ陣も「これはまずい」と思い、クラブの問題はクラブの中で解決するという方針を打ち出し、ペナルティの運用がスタートしました。原案作成時にコーチ陣が一番頭を悩ませたのが、コーチがペナルティを乱発させない抑止力が必要という事でした。
結果、ペナルティを出したコーチは練習終了後に自分も「ペナルティの代償」を払う事にしました。
1ペナルティにつき、腹筋なら20回、腕立てなら10回を科します。
1日10回もペナルティを出した日は、手がプルプルしてキーボード叩けなくなります。

ちなみに、コーチ陣も子供達からカードを貰う事があります。
コーチ陣は、子供達をファーストネームで呼ぶのですが、名前を間違えるとカードを貰います。
あとは、練習に遅刻した時もカード出されちゃいます。
レッドになると、子供達と同じようにグラウンド3周するか「げんこつ」、または「でこピン」の刑を受けます。
残念ながらコーチ陣に刑の選択権は無く、子供達の言いなりです。
コーチに刑を言い渡す、または執行する子供達の嬉しそうな顔たるや・・・
毎年4月~5月に新メンバーが入部するのですが、この時期がコーチ陣にとって一番辛い時期ですね。
新メンバーはペナルティを貰う事が多く、且つ、コーチ陣が名前を憶えるのも一苦労です。
「春は筋肉つきます」というのがコーチ陣の自虐ネタです。

最初は、親御さんがエスカレートするのを止めるために始めたペナルティ制度ですが、かなり効果がある事がわかりました。
たぶん、時間をかけて子供達と話し合いを重ねれば「げんこつ」は必要無いかもしれないと思ってます。
ですが、サッカークラブの練習は週に1回しかありませんので、話し合いをしても翌週までには綺麗にクリア!って感じです。
そうなると、ある程度の即効性を持つ方法がどうしても必要な場合があります。
移動中の「飛び出し」などは良い例です。
20人以上の子供達を大人3~4人で引率しますので、どうしても目が行き届かない局面があります。
何度も言い聞かせたけど効果が無く、あげくに事故にでも遭ったら悔やんでも悔やみきれません。
親御さんに引率のお手伝いをお願いする事も検討しましたが、週末休めない親御さんもおられますので、不公平感がでてしまいます。

親御さん達と何度も協議を重ねた上でペナルティ制度の導入に踏み切りました。
我々コーチ陣としても、苦渋の選択でした。

「暴力の連鎖を少しでも減らす」
耳(目?)が痛いです。
ですが、少なくとも今の私には、他に有効な手段が思い当たらないという情けない有様です。

子供達の中には、家庭で色々な事情のある子もいます。
つい最近、ご両親が離婚された子もいます。
練習に気持ちが入ってなかったので、個別に話しを聞いたら打ち明けてくれました。
実は、私も小6の時に両親が離婚しているので、彼の気持ちは理解できるつもりです。
が、私は彼にどんな言葉をかけてやれば良いのか思い当たらず、ただ、横で泣きじゃくる彼の肩を抱いてやるしかできませんでした。

「地域の子供に良い大人になって欲しい」なんて大それた事を目標にしていますが、つくづく自分は無力だと痛感しています。
私にできる事は、子供達に会ったら元気に名前を呼んでやる事、ただそれだけです。

投稿: SnowMan | 2008年6月26日 (木) 01時12分

さんちゃんです。おはようございます。

6月25日の“通りすがりのおやじさん” に同感です。
mamiさん 私のも、他の記事などで紹介してくださっていいです。

投稿: さんちゃん | 2008年6月26日 (木) 07時24分

皆さんの思い拝見しました。少し戻ったところからでスミマセン『しつけと体罰』mamiさんコメントの
>些細なことでイライラして、それをFにぶつけてしまったとき、「そうやって、イライラして、後でまた、ごめんね〜、ってあやまるなら、同じことの繰り返しや!」と静かに、ぴしゃりと言われ・・・・
小学四年生の言葉にドキリ・・私は今、自分や夫に向けて言ってます。
子どもは一人ひとり違って、それぞれの目線でよく見ているし聞いているし感じていますね。幼稚園教諭をしていた頃から尽くづく思います。
その感じたことをFさんの様にスマートに言語にしてくれた場合は周りに伝わるけれど、発する事が未熟な子どもが どう受け止めているか そのままを知るのは難しいことです。年齢・性格・環境・境遇・・・様々な違いがある上、痛みの感じ具合いも違う。だから痛みを与える側が理屈をつけるのは(理性というなら尚更)勝手横暴で、大人の都合よい対処を選ぶ言い訳になってしまうでしょう。

近所の有望な野球少年の母は、指導者に「お前がメンバー代表だ」と食事がままならない程殴られた話を「見てられなかった・・でも素質を認められてるからと思うと仕方ない・・パパの時代もそうだった」と受入れようとしていました。この話を突き詰めればチーム野球を断念するかどうかの選択になるから野球と関係ない私にこぼしてくれたのでしょう・・母の苦悩は聞けても、少年の痛みは美化されたまま。少年達の好きな野球を続けたい思いをいいことに、指導者やその世界だけでの価値観を押し付けている。別のやり方では成り立たないのかな?関東ミニバスと関西ハンドボールの友人母も同様の苦悩を話していました。

少し先に生まれてきて いじめはダメ!と承知している大人、でも とめる事には限りがあると思います。目の前で子ども達が見せている世界だけが子どもの世界ではなく、大人の知り得ない所で『理屈のついた体罰』を見習ってしまう誰かが出ないとはいえません・・。mamiさんがブログで繰返し伝えている『自己肯定感』、通りすがりのおやじさんも書かれていましたが私も同感です。
それと私自身に常々問い直し、子ども達と様々な場面で話すのは「自分がされて嫌な事は、しない」だけでいいのか、「相手が嫌だと思う事を、しない」なんて本当に可能なのか、です。
たいせつなのは想像力。自分の意識をコントロールする時にも大事な力、その力を養うサポートは親としては勿論、地域の保育園や公民館の手伝いで関わる子ども達、そして近所のおばちゃんとしても これからもずっと続けたいと思ってます。

投稿: くるくる | 2008年6月26日 (木) 14時05分

>YOKOさん、
すてきなメッセージをありがとうございます。
【恐怖からは恐怖しか生まれないということ 怖いから指示を守る 怖いからいい子になる それが悪いといっている訳でもなく ただ恐怖がリンクしてゆくことが素敵なことだとは思えない。】

ほんとに、その通りだな、と思います。気づいた人が、気づいたときから、変えていく。その行動が、今、必要とされているように感じます。


>koyamaさん
つらい子ども時代を思い返して、書いてくださって、ありがとうございます。人は愛で変われるんですね。

「規律ある中学校」の様子も、目に見えるようです。上から押さえつければ押さえつけるほど、子どものイジメははより陰湿に、巧妙になっていきます。

表面だけを取り繕いたい教師が、「我が校にはイジメはありません」なんていうのを聞くと、あきれてしまいます。


>むさしさん
【誰しも、自分が育った環境、親や周囲から受けた教育から、全く自由にはなれないのではないかと思います。】
これ、よくわかります。私も、親のイヤなところが自分にもあるのを発見するたびに、ものすごくつらかったです。

それに、「親には感謝すべき」という社会通念がありますから、親を悪く思う自分を責めて、また苦しみ、という堂々巡り。

『毒になる親』という本を読んで、まず、自分はどういうふうに育てられたか、どういう価値観で育ってきたかを、しっかりと認識し、それが、親から受け継いでしまたものだ、ということを認めたとき、呪縛から解き放たれたような気がしました。


>SnowManさん
いろいろと詳しいご説明ありがとうございました。
今回のやり取りを通して、SnowManさんが考えを深めるきっかけになれば幸いです。

「やる気の無いヤツは鉄拳制裁が我が家の教育方針です」

こういう親に育てられたから、その子は、何度同じことを言われても態度を改めないのです。
大勢の前で親から殴り倒されて、どんなに屈辱的だったでしょう。心が痛みます。

息子のNがまだ小学校一年生で、地元の小学校に通っていたときの授業参観のことです。落ち着きのない態度の男の子がいました。お母さんは障害をお持ちとのことで、おばあちゃんが参観していました。

突然、そのおばあちゃんが、「お前はどうしていつもそうなんだ〜!」と怒り、その子を殴りはじめました。子どもも保護者も呆然とするなか、担任がかけより、「そんなこと、やめてください!」と、その子を抱き寄せました。

その日の連絡帳に、私が、「家庭でも厳しくしつけてると言っていましたが、あの子は今日、どんなに恥ずかしく、つらかったでしょう。心が痛いです」と書いたら、
「難しいです。でも、きっと、愛でしか、変われないと思います」とお返事をくださいました。
すてきな先生でした。


>通りすがりのおやじさん
お書きになったこと、すべて同感です。

社会通念も時代とともに変わります。今は、「子どもはたたいてしつけろ」とか、「子どもは何もわからないんだから、教えこまなければ」と言っているかたが多いかもしれないけど、いつか、通りすがりのおやじさんのような考えのかたのほうが多くなるときが、絶対くると信じています。

また、力を貸してください。よいお話を聞かせてください。
励ましのことば、とてもうれしかったです。ありがとうございました。また、きのくにのこと、書いていきますね。


>さんちゃんさん
通りすがりのおやじさんが書かれたこと、ほんとうにその通り、と思いますよね。今度お会いしたら、今回のことなど、またたくさんおしゃべりしましょうね。


>くるくるさん
多分、きのくにに入っていなければ、Fも私にそんなことを言える子になっていなかったと思います。
そして、私も少しずつ変わりはじめ、言われたことを受け入れられそうなスペースができたのを、Fも感じ取ったのだと思います。

『理屈のついた体罰』
私もそれをされた経験があります。
小学5年生のとき、学級委員をしていたのですが、先生のいない自習中に男子がふざけて、他のクラスの先生に注意されました。

翌日それを聞いた担任は、騒いだ子と私を前に並べ、私には、「おまえには学級委員としての仕事をちゃんとできるようになってほしいから、叩くんだぞ」と言い、頬を平手打ちしました。

そのとき、誰かに、「叩かれたことをどう思うか」と聞かれたら、「先生は私のことを思って、叩いてくれたと思います。私に、もっとしっかりしてほしいから。」と答えたでしょう。

それは、そうでも思わないことには、悔しくて、自分を納得させられなかったから、ということに、だんだん気がついてきました。

一番の気持ちは、「先生、隣のクラスの先生に言われたのが、立場なくて、ムカついて、その腹いせに殴っただけじゃん」ということ。

あれが一度だけだったからまだましでしたけど、日常だったら、きっと、心がささくれだっただろうな、と思います。


とはいえ、誰も完璧な人なんていません。私もまだまだだな〜、と思うことが多々あります。

実際、夫とは「怒りの連鎖」しちゃってることありますし・・・。

昨日は、夫と息子、二人とも髪を切ったのに、息子にだけ、「Fくん、かっこよくなったね〜。ちょうどいい長さだね〜」と言い、夫から、「オレも切ったんですけど〜」と言われてしまいました。(苦笑)

愛情の連鎖を目指しま〜す!

投稿: mami | 2008年6月27日 (金) 17時25分

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