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2008年6月19日 (木)

しつけと体罰

いつも見にきてくださるみなさま、びっくりしませんでしたか〜?

2006年6月5日の記事、【体罰は愛のムチじゃない】に、すごい数のコメントがついていますね。これ、たぶん、東国原知事が、「愛のムチ条例をつくれないか」というような発言をなさったとかで、その記事の関連記事として、ネット上でアップされているみたいです。

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_e430.html

ネットって、すごいですね。


今昼休みで、ざざ〜っと読ませていただきましたが、体罰容認のかたって、多いんですね。ショックです。

それにしても、「げんこつ、手やお尻をぴしゃっとやる、そのくらいは・・・」というご意見も多かったですが、それって、しつけに、そんなに効果的ですかねえ?私はとてもそうは思えませんが・・・。


でも、普段は、自由教育やきのくに子どもの村学園のことに関心があるかたが見てくださる当ブログ、まったく別のルートから訪れるかたがいらっしゃるのは、よいかもしれません。聞く耳のないかたは別として、少しでも、「ん?何を書いてるんだ?」と興味を持ってくださるかたがいらっしゃるなら、ありがたいことです。


それから、「体罰以外で、どうやってわからせるのか」というご意見がいくつかみられましたが、そのような関心を示してくださったことに、感謝いたします。

まずは、記事中でも紹介しております、
森田ゆり氏の『しつけと体罰ー子どもの内なる力を育てる道すじ』(童話館出版)、をお読みください。その問題について、大変わかりやすくまとめてあります。

http://www.geocities.jp/empowerment9center/situke_to_taibatu.htm


これから子育て、孫育てされるかたに、とても参考になるものと思います。140ページくらいで読みやすいですので、私が一部抜粋するより、興味のあるかたは全部読んでいただいたほうがよいかと思います。


以下の本も、目からウロコが落ちるような、そんな思いにさせてくれます。

・『子どもと暴力』 森田ゆり著 岩波書店
・『愛は裁かず』 伊藤重平著 黎明書房
・『ゆるす愛の奇跡』 伊藤重平 黎明書房


それから、「子どもは動物と同じ。叩いて教え込まなければ」というようなご意見も、複数見受けられました。子どもの人権、ということに対する認識に私とは大変隔たりがあるようですね。

そのようなご意見に対しては、森田氏の『子どもと暴力』から、一部転載致します。私が大変共感している部分です。(PCで読みやすいよう、段落を多めにとっています。)


【「ケンジ、これからわたしがのどの中を見るから大きく口を開けて。」
ドクター・オーケンはしっかりと賢治の目を覗き込んで話しかける。

「のどの中はとてもきれいだったよ。じゃ次は耳のなかだよ。ー略ー」

ドクター・オーケンは、今何をしようとしているか、なせそうするのかを一つ一つまだ身長40センチにもならないベイビーに説明しながら診察する。終始、わたしにではなく賢治に向かって説明をする。そして最後に私の方に向きを変えて言った。

「何か質問は?今私が賢治に話していたことを聞いていたと思いますが、とても元気に成長していますよ。ー略ー」  

ー中略ー

思えば子どもたちは医療の現場に限らず、「子どもだからどうせわからない」という大人の決めつけで、何も説明されないまま行動しなければならないことがなんと多いのだろう。

親と一緒にどこかへ行く。いったいどこへ何をしに行くのかも説明されずわからないままただ親についていく。何かやってはいけないことがある。なぜそれをしてはいけないのかの説明なしに、ただなにしろやってはいけないと言われているから従わなければならない。

ドクター・オーケンがいくら平易なことばで説明しても、0歳の赤ん坊にその意味がわかってもらえないのは当然だ。でも、0歳でもしっかりと自分に向き合って話しかけてくる大人の心はわかる。自分を一人の人間として尊重してくれる人間関係の心地よさは伝わるのだ。

ー中略ー

子どもたちは日々、圧倒的多くの大人たちから「子どもだから」ということで情報を与えられないまま自分の行動をとらなければならないフラストレーションをからだのどこかにためこみながら生きている。

自分のからだは自分以外の誰のものでもない。だからそのからだを誰かに見せたり、触られたりするのだったら、子どもだって説明を受ける権利がある。

そんな基礎的な人権感覚は子どもの権利条約を勉強させるだけでは身につかない。大人が暮らしの中で、「子どもだから」という偏見を検証しながら子どもに関わることで育まれていくのではないだろうか。】


子どもの人権、という意識が希薄な大人が、まだまだ多いですね。私もまだ十分とは言えないと思いますし、すでに息子たちに、さんざん失礼なことをしてしまいました。

でも、気づいたときから変われる、と思って、精進しております!(笑)


それにしても、「しつけのために体罰は当然」とおっしゃるかたで、乱暴な言葉遣い、名前も記入無し、という投稿が多いですね。どのようなしつけを受けてきたのでしょうか?

数日後には、一部は削除させていただきます。

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コメント

丁寧な言葉ではあるものの、 最後の数行は言葉の暴力に対する言葉の暴力の応酬になっていませんか?

失礼な闖入者たちと思われたのでしょうが、あなたが発信された意見に対して、大勢の方が何らかの意見を返してくださっているのです。
降ってわいたような出来事に驚かれての事とは思いますが、
落ち着いて、落ち着いて。

あらためて体罰を否定する記事として、他人の著書を紹介+「すでに息子たちに、さんざん失礼なことをしてしまいました。」では少し寂しい気がします。

削除などという管理者の特権を行使したりせずに、ご自分の言葉で体罰反対の論を展開していただきたいと思います。

暴力には反対ですが、きちんとした躾ができないようであれば、それは親として・大人として、未来ある子どもたちが「立派な大人になる」権利を奪うことにもつながります。
そうした視点から、私自身の心が「体罰絶対反対」と「必要があれば体罰もやむなし」の間で揺れ動いています。

掲示板上ではありますが
(聞く耳を持たないかもしれない)違った意見の人

あなたがこれからどのようにして変えていかれるのか、注目しています。

ゆっくり考えをまとめられてからでいいと思います。よろしくお願いいたします。

投稿: 注目しております | 2008年6月19日 (木) 15時40分

「注目しております」さんに同感です。東国原知事の発言、ブログ主さんの考え方、それに対する閲覧者の意見、きのくに子供の村学園のHP拝見させてもらいました。うちでは息子たちが社会的に許されることではないことをした時には、憎しみじゃなく愛情をこめてピシッとして子育てをしてきて今では、思いやりのある優しい青年に育て上げました。
でも、どちらがいいのではなく、「人生いろいろ」でいいんじゃないですか?結果は近い将来に出るんですから。
それと、ブログ主さん。みんなの意見も削除をせずに読んでみてください。みなさん、愛情を注いで子育てをしてきた人の意見ですから・・・みなさんも、あほとか、ためぐちみたいな下品な書き込みはやめましょうね。  以上

投稿: 南屋丈彦 | 2008年6月19日 (木) 20時20分

はじめましてmamiさん。
koyamaと申します。
ブログ開設当初から「お気に入り」に登録して、日々、楽しく拝読させて頂いております(^^)♪

私も息子が幼い頃は「躾のなかの体罰」は時と場合によっては、やむをえない・・・と思っていた時期がありました。
手をあげてしまって、後で落ち込んだり、「よその子やったらほっとけても、自分の子やから、あかんことはわかってもらいたいんや。だから・・・。」と自分自身に言い聞かせたり、「愛情があるから怒るねんで」と息子に話したこともありました。

しかし、今は違います。子どもと向き合い、きちんと話し合いすることで、体罰などなくても幸せに解決するということができる事を実感したからです。

子どもは自分の事を信頼してくれる大人(親)のいうことは素直に耳を傾けてくれます。「なんで?」って思う事があったら、その「なんで?」を子どもと対等に話し合える関係になっていったからです。

私は以前、「体罰」「言葉での暴力」に傾く時は、大人(親)に時間が無い時、心に余裕がない時などに、自分(親)の言い分を無理やり通そうとするあまり、つい、感情にまかせて、咄嗟に出てしまう→悲しい気持ちになっていました。
同じように子育てしている親御さんからも同意見の方が多かったです。

しかし今は、子どもが納得していない(なんでそうなのか理解できない段階)と思った時は、愛のムチではなく、「なんでそう思うんかな?」って、相手の話を聞いてあげる『心のゆとり』を先に親がみせる。すると、子どもも親の言う事を理解しようと耳を傾けてくれるようになっていって、双方の気持ちも楽になり、叱ること自体、ほとんどありません。
場合によっては、子どもの理屈のほうが通ってる時もあります(笑)。

「きちんとした躾」ってなんだろう?
他人から見た「きちんとした」だったら、場合よって、要らないものもあるかも?
それより、「我が家にとって」大切だと思う躾とは・・・?
「自分がいやなことを人にしない」
「人を傷つけない」などなど・・・。
おうちによってさまざまだと思いますが、
ひとます、根っこの部分がしっかりしてたら、小さい頃に少々お行儀が悪くても、いずれ自分で気づいて良くなっていきます。
その為にもやはり「親は後ろ姿」を常日頃から子どもに見せてやりたい。と、背筋も気持ちも伸びる今日この頃です(笑)。

以上が「体罰、躾」に関する私の考えです(^^)。

「人生いろいろ」そのとおり!
子どもを思う親の気持ち、愛情も、子どもも親も人それぞれです。

最後になりますが、
ブログ主さんは「意見を読もうとしないで削除」しょうとしているのではないと思います。
削除するのも個人のブログなので、ブログ主さんの自由ですし、他のブログでは否定的な意見は即削除、も当たり前のようにある中、息子さんの中傷ととらえかねないコメントに対しても一定期間掲示されるというのですから、むしろ自身のブログにコメントを書いている私たちの心情に充分添われた対応をしてくれていると思っています。

「違った意見を言う人をあなたがどのように変えていかれるのか注目しております」というのも、ブログ主さん、そんなこと、なんも言ってないでしょうに、誤解されかねないので一言。
「あなたが変えていかれるか・・・」が、「あなたの意見を誰かとで変えていくまで注目していきます」にならないよう、
私も注目しております。

長文、失礼しました。


投稿: koyama | 2008年6月20日 (金) 00時03分

繰り返しになるかもしれませんが

例えネット上での事であろうとも、
叩かれたら叩き返すような姿勢や、

折角時間を割いて自分に寄せてくれた意見を、「個人の自由」を振りかざして消してお終いにするような姿勢

をもしお持ちであるなら、
そのような方が、体罰は暴力だ、暴力は許されないと主張されても、説得力がないと私は考えます。

配慮に欠ける書き込みは一種の暴力だと思います。
でも削除は管理者に与えられた特権です。その特権を行使して、都合のよい意見だけを残すならそれも暴力だと思いませんか?
それなら、最初から一般向けにコメント欄を開いたりしなければいいと思います。

変な例えで申し訳ありませんが
陳情に行ったところ、せっかく集めた署名を「十分見ました」「私の考えとは違いますから、3日間公開して処分しちゃいます」とか知事に言われて、燃やされちゃったらどう思うでしょう?
これからの話ではありますが、消すにしても、消し方があるだろうと思うのです。


人を大切にする気持ちが基盤にあってこその体罰反対であるべきだと私は思います。
自分の子どもだけを大切にしたいのであれば、世界中に向かって開いているネット上なんかで発信しなくても・・・。

子どもの幸せを踏みにじるような大人の行為・意見に対しては実力で対処します?
どこか違うと思うのです。


蛇足ですが
主さんの意見に賛同される方がいらっしゃるのなら、きちんと主さんを応援すればよいと思います。
>なんも言ってないでしょうに
ここのブログのタイトルは、見栄えのする飾りだという事ですか。
「世の中を変えたい」「子どもたちを幸せにしたい」「そんな仲間を増やしたい」というような思いで主さんはやっておられると思ったので、自分の思いを投げかけてみたのですが私の誤解だったでしょうか。

先のコメントでも書いたように、自分自身がゆれています。それ故に、「やっぱり、体罰はいけないね。」と思わせてくれるような重みのある意見が聞きたかっただけです。
主さんから反応がまだ無いのは、その辺りを真剣に考えてくださっている最中だと私は解釈しています。

投稿: 注目しております | 2008年6月20日 (金) 18時05分

みなさま、コメントありがとうございます。

>koyamaさん、かゆいところに手の届くような(夫の表現です)お話、ありがとうございました。すべて、同感です。親に心のゆとりがあって、落ち着いて話せば、子どもはわかるんですよね。叩く必要がなくなるのです。

>南屋さん、いろいろと読んでくださったようで、ありがとうございます。はい、コメント、ちゃんと読んでいますよ。どさ〜っと、一括削除、というわけにはいきませんので。

>注目しておりますさん、なんらかの記事を期待されているようですが、すみません、私もフルタイムで仕事をしている身。
おまけに昨夜はオーケストラのコンサートにでかけ、食事をして帰ったら、24時。今日は仕事も長引き、その後は読みかけの本が面白くてやめられず、・・・という具合でして。いつもPCにはりついて、ブログのことばかり考えているわけではないので。

まあ、私もkoyamaさんのような、体験に基づいたことなども、そのうち書こうとは思ってるのですが、まだ先になるかもしれません。

それと、削除の件で、なにか気分を害されているようですが、削除は、きちんと読んだうえで、私の一存でさせていただきます。

注目さんに限らず、それが不快であったり、私の主張に一貫性がなく、すなわち、このブログが価値のないものである、と思われるなら、それも仕方がないことととらえております。そう思われるかたは訪問なさらなくなるでしょう。

私はアクセス数やコメント数を増やしたいなどとは思っておりません。必要なかたと、必要なタイミングで出会いがあれば、すてきだな、というふうに考えます。たとえばkoyamaさんの文章に感動して、「じゃあ、自分もあんな子育てしてみよう」と思われたかたが、ひとりでもいらっしゃれば、すばらしいことだな、と思います。

ところで、注目しておりますさんは、躾、体罰のことで、心がゆれていらっしゃるとのこと。もし、その問題に真剣に向き合っておられるのでしたら、私の文章をお待ちになるより、まず、紹介しました本をお読みいただいたほうが、参考になるかもしれません。重ねてお勧めいたします。

投稿: mami | 2008年6月20日 (金) 22時50分

mamiさん、ありがとうございます。

上の記事で紹介されている本、必ず読ませていただきます。

削除云々の件につきましては、説明が不十分のために、まだ十分にご理解いただけてないのかも知れませんが、

子どもの人権尊重を謳うのなら、違った考えを持つ大人が発言する権利も尊重すべきではないのかと思うのです。

自分の考えを発信し(2年も前の話ですけど)、それに対する意見が返ってきました(2年も経って突然の事ですけど)。確かに失礼な物言いもありますが「どのようなしつけをうけてきたのでしょうか」と掃いて捨てるような言い方や、「数日後には一部削除させていただきます」といった切り捨てるような態度ではなく、私に返してくださっているように、きちんと受け止めて丁寧な言葉を返してあげて欲しいと思ったのです。

そうでなければ、
結局「自分の意に沿わなければ、実力行使もアリ」って考え?
暴力反対(子どもを大切にしましょう)と暴力容認(失礼な大人はやっつけてしまいましょう)を時と場合によって使い分けてるの?
って感じてしまうのです。
少なくとも私はそう感じました。

すみません、
突然押しかけてきたヘンなヤツに対して
お忙しい中、きちんとお返事してくださった事
を感謝しております。
勝手な要望ばっかり押しつけて御免なさい。

でも、頑張ってください。

投稿: 注目しております | 2008年6月21日 (土) 00時04分

 22年近く前に第一子を出産しました。
 その当座は赤ちゃんが泣いている理由がわかりませんでした。眠いか、空腹か、暑すぎか、寒すぎか、たいくつか … など、

 夜泣きがひどい時期には「なんでこんなに毎晩毎晩泣くのか?」とイライラしました。

 でも、時が経って、子どもは理由もなく際限なしに泣くのではないことがわかりました。理由もなく反抗的な態度をとるのではないことも。

 生まれてすぐは日本語は通じないように大人感じても、心は通じている。赤ちゃんの言っている(泣いている)意味がわからないイライラ感なんかは感じとっているのが、子どもが話せるようになるにつれて、だんだん深く、私がわかるようになりました。

 親がイライラしないでこころ安らかだとそれだけで赤ちゃんや幼児が落ち着くことを体験することで親としての自分が少しずつ成長してきたと思っています。

 自分が言葉の通じない世界に突然放り込まれたと想像すると、どのようにしてあげれば不安が少ないかということがわかると思うのです。そこからしつけが始まります。

 新聞記事にある『体罰は即効性はあってもほかのしつけ方がわからなくなる』子ども共に育ってきて、この言葉には、まったく同感します。

 きちんと子どもを受容していれば、子どもはかなり小さい時から、話せばわかります。
 もちろん、受容とは、子どもの言いなりになって、子どもを好き放題に放置するのではありません。

 即効性のある方法を使わない、それに頼らないほうが、子どもとより深く向き合え、子どもを深く理解できるようになると思います。そして、その即効性のある方法に頼らないことで「受容」ということの深い意味もわかってくると思うのです。

投稿: さんちゃん | 2008年6月21日 (土) 11時33分

mamiさんに、共感しつつも、「体罰絶対反対」と声高に言えないのは、自分の子育てを振り返って、実は、手も出したし、怒鳴ったり、脅すような言葉の暴力も日常茶飯事だったからです(きのくにに出会うずっと前のこと)。
そして、今そのことを振り返り、「あんな方法でなくとも、もっとやりようがあったのでは・・・」と後悔しています。

手が出たり、怒鳴る時、「この子がきちんと成長するために、心を鬼にしてあえてそうしている」とか「しつけのためにはこのくらいの体罰が適当な度合いだ」とか、そんな冷静に分析して、自律的に出来るものでしょうか。

たいていの場合、「人に見られてどう言われるか」みたいな思いや、自分のペースが乱されることへのイライラが、引き金ですから、自分の側の要因でエスカレートしがちです。

体罰を、しつけの方法として、適度に使いこなすような上級テクニックは、私には無理。コントロールできない手法は使うべきでなかった。一生懸命、育ててきたけど、結果的に子どもをとても傷つけてきてしまったかも知れない・・・そんな気持ちです。

少し、話が大きくなりますが、たとえば、「どこまでがしつけの範囲で、どこからが児童虐待か」は、まだ、日本社会では社会的合意が出来ておらず、これからの課題なんじゃないかと思ってます。
その過程で、大いにいろんな意見を出し合うのはいい事と思います。

でも、mamiさんが、どんなに子どものことを思ってるお母さんか、息子さんがどんな素敵な子どもさんか、を直接知らない方からのコメントにしては、少し度が過ぎたものはあったと思います。一般論だけでは議論にならないからと、事例を挙げるにしても、表現には気をつけないと、深い議論にならないと思います。

それと、書いてきたことと相反するかもしれませんが、人間ですから、子どものことを深く思ってる親御さんが、つい手が出ることがあって、それを気にしすぎて自分を責めてしまって悩んでいるとしたら「大丈夫、そんなに気にしないで」と言ってあげたい思いもあります。

投稿: むさし | 2008年6月21日 (土) 20時54分

>注目しておりますさん、励まし、ありがとうございます。今後も、私のペースでのんびり書いていきます。
>さんちゃんさん、むさしさん、すばらしい体験談をありがとうございます。もうこれで、私、なんにも書く必要ないような気がします。(って、ダメ?)
だって、もう、そうそう、そういうことが書きたかったの〜っていう感じなんですもの。

私、息子たちが4、5歳のとき、ブラッド・ピッド主演の「セブンイヤーズインチベット」がどうしても見たくなって、でも、夫は不在だし、ということで、連れて行ったことがあります。

「お母さん、どうしても見たいから、一緒に行ってね」と言い、だいたいのあらすじ(見る前の情報でわかる範囲で)を伝え、あめ玉を持って、出かけました。
途中ぐずったら、退席する覚悟でした。でも、最後まで、静かに見ていてくれたんです。多少退屈もしたのでしょうけれど、「お母さんにつきあってあげる」というふうでした。

「話せばわかる」と実感しました。

投稿: mami | 2008年6月21日 (土) 23時45分

こんにちは。mamiさんが ご自分の生活ペースを崩されず充実なさっている様でホッとしました。
先日伯父が急逝し、ここのところ心にも時間にも余裕がなくズレてしまっていたらご免なさい。

論より証拠-
ブログの中の言葉の世界で、それを言っちゃ・・とも思いますが。
体罰・言葉の暴力を少なからず見聞き 或いは受けたり行使していた時代に生まれ育ってきて「そんなものに価値はない」と言いきられてしまうと、何か理論で納得したいと思うのは自分がそうだったので あるかと思います。体罰を嫌悪するけれど、ない社会はどうなんだろう・・と。
幸い我が子が「どうしても きのくに行きたい」と転入できたお蔭で、その社会は成りたつと『実感』できた私です。長く その生活をつづけてきた在校生・卒業生と会えば、さらに納得できると思います。
まだmamiさんと親子だと知らない頃、娘の話に度々名前がでていたN君は好印象で、そうと知ったとき実際は「ブログの中のお話以上」に自慢の息子さんだろうと思いました。

毎日の生活で、特に意志の疎通がままならない頃の子どもと暮らしていれば いろいろな場面で、選択→即決断の連続です。理屈より咄嗟に手がでたり、無理やり大人の判断に従わせてしまう事もあるかと思います。
けれど・・今私は大好きな伯父と別れ、動揺し乱暴な言い方だったり相手を尊重することが疎かになっています。これは私の心の状態が招いた事です・・我が子は許してくれますが、それは子どもにとって必要な存在だから。世界で一番大好きと言ってくれるからと甘えてはいけない。私の主張に従わせられたとしても、傷ついた目を見て自己嫌悪です。正論を言ったとしても心に残る効果はゼロに限りなく近く、怖いだけですね。
やっぱり心の余裕は たいせつ、そして どうしても避けられない状況や押さえきれない感情があるのも現実。
むさしさんのお話の中の
>コントロールできない手法は使うべきでなかった。
この言葉は、とても響きました。

投稿: くるくる | 2008年6月22日 (日) 00時12分

すいません~ ↑ のコメントを書いて送信してから、mamiさんのコメントに気づきました(長々と書いている間に見逃してしまった様です)拙いコメント入れてしまい失礼しました。

投稿: くるくる | 2008年6月22日 (日) 00時19分

昨夜シャワーを浴びようとしたら、お湯(水も)でない!我が家は井戸水です。モーターが壊れたみたいです。一応業者さんに連絡したけれど、月曜日まではどうしようもないとこのこと。診療はどうする・・・?不安で眠れずPCをつけたら、くるくるさんからうれしいコメントが!!ありがとう〜。

大好きな伯父様が急に・・・、心が痛みます。そんななか、重い話題にコメントを書いていただいて、感謝いたします。

私も、何度も自己嫌悪に陥りました。叩きこそしませんでしたが、言葉、態度で、たくさん息子たちを傷つけてしまいました。

年齢的にはオトナでも、未熟なんです。

Fが小学四年生だったころ、些細なことでイライラして、それをFにぶつけてしまったとき、「そうやって、イライラして、後でまた、ごめんね〜、ってあやまるなら、同じことの繰り返しや!」と
静かに、ぴしゃりと言われたとき、目が覚めました。

それでも、なかなかすぐにそれまでの習性(?)が治るわけではないのですが、やはり、気づいて、よい方へ向かおう、とする気持ちが大切なんだろうな、と思います。(と、自分に言い聞かせてるの。)

ハタチ過ぎたから、急に大人になるのでなく、人間、死ぬまで、変化し、オトナになっていくんじゃないかな。

投稿: mami | 2008年6月22日 (日) 02時24分

こんばばんわ。
【体罰は愛のムチじゃない】にコメントを入れさせて頂いたSnowManと申します。

> それにしても、「げんこつ、手やお尻をぴしゃっとやる、そのくらいは・・・」というご意見も多かったですが、
> それって、しつけに、そんなに効果的ですかねえ?私はとてもそうは思えませんが・・・。

経験からお答えします。
少年サッカーチームを相手に格闘する時は非常に有効です。
もちろん、感情的になって怒鳴ったり、いきなり手を出す事はしません。
なぜそのような事をしたか理由を聞き、子供が「自分は悪い事をした」と自覚するまで話合いをします。
被害者がいれば謝罪させ、初犯の場合は「同じ事を繰り返さない」とチーム員の前で約束してもらいます。
その際、再犯はペナルティが科せられる事を宣言します。
で、本当に再犯してしまったら、最初と同じような話し合いを持ち、ペナルティとして「げんこつ」か「デコピン」をくれてやります。
再犯の場合は、口調も少し厳しくします。
最後は「もうやるなよ」と言って握手して終わりにします。
ペナルティ制を導入してからは、再犯率がずいぶんと下がりました。

ちなみに、我が家の長男もチームの一員ですが、自分の子も他人の子も同じルールで接します。
私が籍を置かせて頂いている地域のサークルは「地域の子は地域が育てる」がポリシーだからです。
自分の子に対しては、つい厳しくしてしまいそうになりますが、そこは「ぐっ」と堪えて公平を常とするよう努力しています。

> ・『子どもと暴力』 森田ゆり著 岩波書店
> ・『愛は裁かず』 伊藤重平著 黎明書房

上記2冊は読んでいます。

正直に申し上げますと、前述の著書にある事を実践できれば、理想だと思います。
が、あくまでも理想であって、現実的では無いという思いが拭えません。
共産主義(マルクス・レーニン主義)が実践できれば、理想の国家を築く事ができると思いますが、実際は、運用する人間の様々な思惑が絡み合って上手く機能せず、結果としてソ連や東独のように政治機能が崩壊してしまいました。

ここで、ブログ主さんに質問があります。

仮に、ブログ主さんのお子さんが同級生を「いぢめ」ているのが発覚したとします。
「いぢめ」はいけないと諭したり、何故「いぢめ」をしたのかを聞き取り、その原因を取り除く事を考えると思いますが、一度の話し合いで「いぢめ」を止めさせるに至らなかったとしたら、ブログ主さんはどう対応されますか?

私は、未だ前述の問いに対する答えを見つけることができずにいます。
決して嫌がらせ的な質問ではありませんので、お答え頂ければとても有難いです。

投稿: SnowMan | 2008年6月22日 (日) 23時07分

昔であれば愛のムチで治まっていたものが、今は、愛のムチが出来ないから、子供がどんどん増長し、手に負えなくなった学校が警察を呼ぶ。警察に逮捕された子供は、ますます社会からはずれた人生を歩むようになる。

投稿: t | 2008年6月23日 (月) 11時48分

子ども    ドロシー・ロー・ホルト 作


 批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる

 殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる

 笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる

 皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる

 しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる

 寛容にであった子どもは 忍耐をおぼえる

 賞賛をうけた子どもは 評価することをおぼえる

 フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる

 友情を知る子どもは 親切をおぼえる

 安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる

 可愛がられ 抱きしめられた子どもは

世界中の愛情を感じとることをおぼえる


スゥエーデンの教科書に載っている詩です、いい詩ですよね。

はじめましてmamiさん、時々訪問させていただいております。
スゥエーデンをはじめヨーロッパの多くの国では、親でも体罰(暴力)が禁止(法律で)されています。
だからと言って決して甘やかされてるのではありませんし、ちゃんと立派な社会人になっています。
スゥエーデンでは、日本のように型にはめ「教える」教育はせず、子どもが自由に伸びるにまかせ、大人は子どもが伸びられるような環境を整える役割を担っています。
授業もみんなで議論をしてすすめる、自分で考えることを重視する教育です。

 私も、自分ではあまり憶えていないのですが、子どもをたたいてしかったことがあります。
 最近、20歳になる子どもがその時のことを憶えていて、「なぜ、怒られているのかわからず、ただ怖かっただけ」だったと言っていました。
その時の自分自身の心理状態を今考えてみると、自分の言う事を聞かない(自分の思い通りにならない)ことに対する怒りを子どもにあたっていただけだったように思います。
 子どもに特定の基準を「良いもの」として押し付け、その基準からはずれると「悪いもの」と、子どもの個性を見ることなく「自分の子どもはこうあってほしい」という思いが勝手に親の愛情と思いこんでいたように思います。

 最近、日本の教育が子どもの個性を押さえ込み、子どもが自由に考えたり、話し合ったり、協力しあったりすることがやりにくい方向に進んでいることに不安を感じます。
 
きのくにでは、校則などいろんなことを大人と子ども全員の話し合いで決めると聞きました。
いじめの問題も子どもたちが話し合いで解決しているところをテレビで見たことがあります。
きのくにのような学校がもっとたくさんできるといいですね。応援しています。

投稿: 通りすがりのおやじ | 2008年6月23日 (月) 12時18分

通りすがりのおやじ さん

こんにちわ。SnowManと申します。
ドロシー・ロー・ホルトの詩は私も大好きです。
スウェーデンに知人が何人かおり、この詩は中学校の教科書に載っていると教えてくれました。

教育問題を語るとき、模範例としてスウェーデンが登場しますが、あちらの親御さんも色々と悩んでおられるようですよ。

ちなみに、スウェーデンは「体罰禁止」と書かれていますが、実態はそうでもないようです。
どちらかというと、児童虐待に歯止めを掛けるために施行された法律だそうですよ。

スウェーデンは、教育・福祉・環境などの対応が日本と比較して進んでいるのは確かですが、どんな国にも問題はあります。
※乱射事件もおきてますし…
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_swe

上記ブログの「スウェーデンの社会」というカテゴリが参考になると思います。

私は、スウェーデン社会を否定するつもりはありませんし、日本の行政が見習うべき点が本当に沢山あると感じています。

「きのくに」の思想も、とても素晴らしいと思いますし、そういう学校が増えてくれると喜ばしいと思いますが、経済的に公立しか通わせられない家庭が沢山あると思います。

政治や行政をあてにするのではなく、地域の大人が協力しあって子供の健全な成長を手助けする事ができると思います。

私は、自分の子だけでなく、地域の子全員に良い大人になって欲しいと願ってます。
社会や体制を批判する事は誰でもできます。
特に、今の日本はつっこみどころ満載ですからね。

でも、無いものねだりしても状況は改善しませんから、大人一人一人が悩みながら少しでも良い状況を作り出せるような努力が必要ではないでしょうか?

例えば、近所の子供の名前を憶えてやるだけでも全然違います。
名前を憶えられた子供は、地域(コミュニティ)の一員としての自覚が芽生えるようで、近所の大人にきちんと挨拶するようになります。

投稿: SnowMan | 2008年6月23日 (月) 17時33分

>通りすがりのおやじさん、すてきな詩を、ありがとうございます。うちにもこのかたの『子どもが育つ魔法の言葉』があって、この詩、心に残っていました。その通りだなあ、と思います。多くのかたに知ってほしいと思っていましたので、今回ご紹介いただけて、ほんとうにうれしかったです。

それと、ご自身の体験を通してのご発言、重みがあります。大変共感します。

>tさん、池田小事件の宅間守(漢字が違ってたらすみません)容疑者も、自分の家に放火して母と弟妹を死なせてしまった奈良の高校生も、先日の秋葉原事件の容疑者も、厳しい両親に、叩かれて、罵倒され、育てられたそうです。

>SnowManさんのご質問には、次の記事内でお答えしたいと思います。

投稿: mami | 2008年6月23日 (月) 21時00分

まみさん、みなさん、こんにちは。幼児を持つ母親です。通りすがりのおやじさん、素晴らしい詩をありがとうございます。書きとめて、いつも持っていたいくらいです。

いろいろと書きたいことがあるのですが、このところ体調を崩しており、短い文章の紹介だけさせていただきます。

箕面にある小さな自由教育の学校「わくわく子ども学校」(←来春からは「箕面こどもの森学園」に名称が変わります)からつい最近出されたブックレットのなかで、次のような一節がありました。

「自由学校子どもサミットのとき、ある学校の中学生が小学生にとても優しく接しているのを見ました。その子に「どうしてそんなに優しくできるの?」と尋ねてみたところ、「私たちも小さいとき、中学生の人によくしてもらったんです。だから、今度は自分らの番やなと思ってるんです」という返事が返ってきました。
わたしたちの学校でも、高学年に優しくされた低学年が高学年になったとき、年下の子にさらに優しくなれるようないい環境を作っていってほしいと思っています」。

うちの子もやんちゃ盛り、なおかつ頑固者で私も思わず頭コツンくらいは何回かした記憶があります。でも、基本は優しくされた人は優しくなり、愛情をいっぱいもらった子どもはほかの人に愛情をあげることができるようになるんのではないでしょうか。

なお、もっと大きい子どもに対する「体罰」は本人や周りの子どもやおとなの身に危害が及ぶおそれのある時、反射的にはらいのけるとか、引き離すとか、そういうものはありだと思っています。あっ、それは体罰とは言わないでしょうか。

まみさん、お忙しいところお疲れさまです。私はこのところ体調第一、生活第一で、書きたいことはたまりつつネットとの接触が減っています。そろそろ少しずつ復帰しようかな〜というところです。きのくにのようにゆったりとしたペースでやっていきたいです。まみさんもご無理なさいませんように。

投稿: まい | 2008年6月24日 (火) 07時22分

書き忘れです。あのシンポで中学校があるのは、きのくにか、かつやまでしたね。橋本という場所から考えて、小中学生が来ていたとなると、やはりきのくにのことでしょうね。ホント、いい学校です!

投稿: まい | 2008年6月24日 (火) 15時04分

まいさん、わくわく子ども学校ブックレットの文章を紹介してくださって、ありがとうございます。

「私たちも小さいとき、中学生の人によくしてもらったんです。だから、今度は自分らの番やなと思ってるんです」

この感じ、よくわかります。
私も、小学生の子どもたちの親御さんに、「ウチの子がNくんに優しくしてもらってるようで、ありがとうございます」と言われることがよくあります。

Nも小学生のころは、大きい子たちに、よくかわいがられていたようでした。私がきのくにに行った時も、上級生が一緒に遊んでくれたり、肩に手を回してどこかへの移動のエスコート(?)をしてくれたり、という様子を目にしました。

愛の連鎖は周りも幸せにしますね。

まいさん、お身体お大事にね!

投稿: mami | 2008年6月26日 (木) 20時50分

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