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2008年6月26日 (木)

ひらおだいニュース(2)

ひらおだい四季の丘小学校(北九州)の説明会が下記の要項で行われます。
学校での子どもの様子を中心に、学校の概要や教育内容が説明されます。

自由教育に興味のあるかたは、ぜひご参加ください。


〈福岡会場〉
日時:7月5日(土)13:00~14:00
場所:日本ビジネススクール1階教室 (福岡市博多区博多駅前4-18-6)

〈北九州会場〉
日時:7月13日(日)11:00~12:00
場所:北九州国際会議場31会議室 (小倉駅北口 AIM3F)
        (北九州市小倉北区浅野3-8-1)


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2008年6月25日 (水)

ひらおだいニュース(1)

8月21日から3泊4日で、ひらおだい四季の丘小学校(北九州)のサマースクールが開催されます。

同校は2006年4月に開校し、今年で三回目のサマースクールとなります。

広々とした平尾台のカルスト台地でハイキングや鍾乳洞体験をしたり、自然素材を使ったものづくり教室などがあります。夜には天体観測もおこない、平尾台の自然を身体全体で感じることができます。

対象は小学生。定員は40名。参加費は保険料込みで30000円。締め切りは7月18日までです。

*当初、締め切りが6月30日までとしていましたが、システムの不具合によりHP上での告知が遅れたため、上記の通り7月18日まで受けつけてくれるようです。


平尾台は、何度か行ったことがありますが、ほんとうにすてきなところです。机上の勉強とはひと味もふた味も違った、深く心に残る学びとなることでしょう。

関心のあるかたは、どうぞ、【学校法人 ひらおだい四季の丘小学校】までお問い合わせください。
(当ブログ右側にHPへのリンクがあります。少し下へスクロールしてください。)


きのくに子どもの村学園、かつやま子どもの村学園でも、毎年大人気のサマースクールが開催されます。

日程はそれぞれ、8月2日〜5日、7月30日〜8月3日です。詳細はおのおの、HPでご確認ください。

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2008年6月23日 (月)

大人の問題

6月19日の記事『しつけと体罰』にいただいた、SnowManさんの質問にお答えしたいと思います。


○あなたの子どもが同級生をいじめているのが発覚したら、そして、一度の話し合いで止めさせることができなかったら、どうしますか?


「いじめ」というからには、誰かと気が合わないとか、けんかした、とか、そういうレベルでなく、とても陰湿で、執拗で、繰り返し行われる「いじめ」のことですね?


まずありえないので、想像するのがとても難しいのですが、頑張って、想像してみます。


たぶん、母親である自分になにか問題があったのではないか、と考えると思います。もちろん、本人の考えも聞きますが。


幸せな子どもはイジメをしません。

それが、したとなれば、幸せでなかったから。
誰かから押さえつけられて、鬱屈していたから。
受容されていなくて寂しかったから。
言えないことがあるから。
自分が好きではないから。


たぶん、そうなったのは、親に問題があるからだと、思います。

力ずくで?言い聞かせて?「やめさせる」という問題ではないと思います。


SnowManさんは、私がお勧めした本も、お読みになったことがおありとのことですので、上記のことは、よく理解なさっていただけると思います。


残念なのは、「あくまで理想であって、現実的ではない」とおっしゃっている点。


SnowManさんにとっても、あの本の中で書かれている、大人の、子どもたちへの向き合いかたは、「理想」なのですね?それならば、時間はかかっても、まず、やってみる価値はありませんか?


もちろん、サッカーチームのコーチ、というお立場で、いろんな背景を持った子どもたちを抱え、責任も重くて大変だと思うのですけれど・・・。(そういえば、『体罰は愛のムチじゃない』へコメント書いてくださった、redsox555さんも、同じようなお立場で、いろいろと考え、努力なさっているようですよ。)
 *redsox555さん、コメント、ご紹介、ありがとうございました。


それと、『しつけと体罰』の記事に付けていただいた、koyamaさん、さんちゃんさん、むさしさん、くるくるさん、通りすがりのおやじさん、がたの、体験を通したお話に、何か感じるところはなかったでしょうか?


実際のところ、こうしてお返事を書きながらも、あの本を読まれても、上のかたがたのコメントを読まれても、「何も心を動かされなかった。理想と現実は違う」、とおっしゃるなら、私が何を書いても、無駄かも、という気もしております。


さて、この記事を最初にご覧になったかたがたへ申し上げます。

上記は、一つ前の記事↓へ寄せられたコメントについて書いたものです。

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_2200.html

そして、その記事は2006年6月23日の『体罰は愛のムチじゃない』↓が発端になっています。

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_e430.html


ご興味のあるかたは、コメントを含めて、両方お読みいただければ幸いです。


それから、koyamaさん、さんちゃんさん、むさしさん、くるくるさん、通りすがりのおやじさん、私の言いたいことを代弁してくださったようなコメント、大変ありがとうございました。


このままコメントのなかで埋もれてしまうのはもったいないので、順次、本文記事のなかで抜粋してご紹介したいのですが、よろしいでしょうか?

それは困る、ということでしたら、ご遠慮なくお申し出ください。

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2008年6月19日 (木)

しつけと体罰

いつも見にきてくださるみなさま、びっくりしませんでしたか〜?

2006年6月5日の記事、【体罰は愛のムチじゃない】に、すごい数のコメントがついていますね。これ、たぶん、東国原知事が、「愛のムチ条例をつくれないか」というような発言をなさったとかで、その記事の関連記事として、ネット上でアップされているみたいです。

http://kinokuni-daisuki.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_e430.html

ネットって、すごいですね。


今昼休みで、ざざ〜っと読ませていただきましたが、体罰容認のかたって、多いんですね。ショックです。

それにしても、「げんこつ、手やお尻をぴしゃっとやる、そのくらいは・・・」というご意見も多かったですが、それって、しつけに、そんなに効果的ですかねえ?私はとてもそうは思えませんが・・・。


でも、普段は、自由教育やきのくに子どもの村学園のことに関心があるかたが見てくださる当ブログ、まったく別のルートから訪れるかたがいらっしゃるのは、よいかもしれません。聞く耳のないかたは別として、少しでも、「ん?何を書いてるんだ?」と興味を持ってくださるかたがいらっしゃるなら、ありがたいことです。


それから、「体罰以外で、どうやってわからせるのか」というご意見がいくつかみられましたが、そのような関心を示してくださったことに、感謝いたします。

まずは、記事中でも紹介しております、
森田ゆり氏の『しつけと体罰ー子どもの内なる力を育てる道すじ』(童話館出版)、をお読みください。その問題について、大変わかりやすくまとめてあります。

http://www.geocities.jp/empowerment9center/situke_to_taibatu.htm


これから子育て、孫育てされるかたに、とても参考になるものと思います。140ページくらいで読みやすいですので、私が一部抜粋するより、興味のあるかたは全部読んでいただいたほうがよいかと思います。


以下の本も、目からウロコが落ちるような、そんな思いにさせてくれます。

・『子どもと暴力』 森田ゆり著 岩波書店
・『愛は裁かず』 伊藤重平著 黎明書房
・『ゆるす愛の奇跡』 伊藤重平 黎明書房


それから、「子どもは動物と同じ。叩いて教え込まなければ」というようなご意見も、複数見受けられました。子どもの人権、ということに対する認識に私とは大変隔たりがあるようですね。

そのようなご意見に対しては、森田氏の『子どもと暴力』から、一部転載致します。私が大変共感している部分です。(PCで読みやすいよう、段落を多めにとっています。)


【「ケンジ、これからわたしがのどの中を見るから大きく口を開けて。」
ドクター・オーケンはしっかりと賢治の目を覗き込んで話しかける。

「のどの中はとてもきれいだったよ。じゃ次は耳のなかだよ。ー略ー」

ドクター・オーケンは、今何をしようとしているか、なせそうするのかを一つ一つまだ身長40センチにもならないベイビーに説明しながら診察する。終始、わたしにではなく賢治に向かって説明をする。そして最後に私の方に向きを変えて言った。

「何か質問は?今私が賢治に話していたことを聞いていたと思いますが、とても元気に成長していますよ。ー略ー」  

ー中略ー

思えば子どもたちは医療の現場に限らず、「子どもだからどうせわからない」という大人の決めつけで、何も説明されないまま行動しなければならないことがなんと多いのだろう。

親と一緒にどこかへ行く。いったいどこへ何をしに行くのかも説明されずわからないままただ親についていく。何かやってはいけないことがある。なぜそれをしてはいけないのかの説明なしに、ただなにしろやってはいけないと言われているから従わなければならない。

ドクター・オーケンがいくら平易なことばで説明しても、0歳の赤ん坊にその意味がわかってもらえないのは当然だ。でも、0歳でもしっかりと自分に向き合って話しかけてくる大人の心はわかる。自分を一人の人間として尊重してくれる人間関係の心地よさは伝わるのだ。

ー中略ー

子どもたちは日々、圧倒的多くの大人たちから「子どもだから」ということで情報を与えられないまま自分の行動をとらなければならないフラストレーションをからだのどこかにためこみながら生きている。

自分のからだは自分以外の誰のものでもない。だからそのからだを誰かに見せたり、触られたりするのだったら、子どもだって説明を受ける権利がある。

そんな基礎的な人権感覚は子どもの権利条約を勉強させるだけでは身につかない。大人が暮らしの中で、「子どもだから」という偏見を検証しながら子どもに関わることで育まれていくのではないだろうか。】


子どもの人権、という意識が希薄な大人が、まだまだ多いですね。私もまだ十分とは言えないと思いますし、すでに息子たちに、さんざん失礼なことをしてしまいました。

でも、気づいたときから変われる、と思って、精進しております!(笑)


それにしても、「しつけのために体罰は当然」とおっしゃるかたで、乱暴な言葉遣い、名前も記入無し、という投稿が多いですね。どのようなしつけを受けてきたのでしょうか?

数日後には、一部は削除させていただきます。

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2008年6月16日 (月)

どんどん輝く

Nが帰ってきました!そして、また、きのくにへ旅立ちました!

もう、また、ぐ〜んとかっこよくなってる〜!(親ばかもいい加減にしなさい!←陰の声)

だって、ほんとなんだもん。充実してるっていうのが、顔を見ただけでわかります。


「授業が面白い」って言うんですよ。

「日本語の授業では、へ〜って思うことがたくさんあるし、英語の、文法のおもしろいな。おれ、けっこう文法好きやな。」
だそうです。


きのくに国際高等専修学校は、きのくに・かつやま子どもの村学園中学校からの、いわゆる内部進学と、他の中学校からの外部進学生がいます。

4月のころは、たぶん、緊張してたであろう外部進学の子の言動に、腹のたつこともあったようで、何度か名前も上がっていました。それで、「○○くん、その後、調子はどう?」と聞いてみたら、「よくなったよ。笑顔がすごくいいもん。」と、うれしそうに話してくれました。

「たぶん、いきがってたんやろうな」とのこと。


緊張しながらも慣れていった○○くんも、周りで受け止めてきた子たちも、すてきです。


数年前の、卒業を祝う会のことを思い出しました。
外部中学からきの高にきた、三年生の男の子が、涙で声をつまらせながらこんなことを言いました。

「オレが、今、ここ(卒業を祝う会)におれるのは、AとB(友達の名前)のおかげや。ほんとにありがとう。」

じ〜んとして、私まで涙がでてしまいました。

その子がまだ一年生のとき、きのくにで見かけたのですが、落ち着きがなくて、「これから三年間、大丈夫かな?」と思ったことを覚えていましたから、その子の言葉と涙に、よけいに感動したのです。

人が変われるって、すばらしい!素直になるって、力強い!

今の19人のきの高一年生たちも、どんなふうに変わっていくんだろう。成長は、人を感動させますね。


そして、毎度の【きの高This Week】もよかったな。


A3裏表に、楽しい内容がぎっしりつまっています。

なかでも、三年生へのインタビュー記事がおもしろかったな。

「きの高の何が好き?」という質問があるのですが、

・上下関係がないところ
・みんながおるから好き
・いっぱいありすぎて一つに決めるのはムリ

とか、いろいろな回答があるなか、「きの高の大人が好き」という生徒がとても多いのです。中には名前を挙げて、「○○さん、大好き!」と書いてある人もあり、読みながら、笑顔になってしまいます。

きの高の大人、というのは、すなわち教師のこと。こんなに生徒に好かれる教師陣がいる高校って、多くはないでしょう。

私も、「きのくにの大人がだ〜い好き!」と声を張り上げたいくらいです。

あ〜、幸せ。


授業のことは、また今度。しっかりNに聞いておきました。

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2008年6月12日 (木)

明日帰ってきます

ほんとうは、順序よく、木曜日の時間割について書こうと思ったのですが、ちょっと、はっきりしないところがありましたので、書くのはやめておきます。

明日帰ってくるので、週末にでも、Nに確認しながら書きますね。


明日帰ってくる、といっても、それがまあ、大変で、以前は伊丹発19時くらいの便で大分空港には20時頃到着できたのですが、地方は軽視されているのか、遅い便がなくなってしまい、福岡空港行きで帰るしかなくなりました。

20時前に関空発で、福岡には21時。明日は夫が空港まで迎えに行って、帰宅は多分23時頃。


以前もそういうことがありました。あの頃は、朝の便もなくなり、ひと月に一回ですが、朝5時頃家をでて、仕事の前に福岡空港まで車で送り、帰ってからすぐ仕事、という状態でした。金曜の帰宅も、往復4時間かけて福岡空港まで運転。

はふ〜。ガソリン高いし〜。

遠くて地方は大変!遠くたって、東京だと交通機関も豊富だからいいよね〜、なんて思っていたら、今年のきの高一年生で、青森から来ているかたがいるのです!

入学を祝う会のとき、お母さんとお話しましたが、大変さは大分の比じゃありません!
二年生には宮城県から来ているかたがいます。


みんな、どんなに大変でも、きのくにに惚れ込んでいるから、できるんですよね。

実際、きのくには、それだけの価値が、十分あると思います。


それに、運転と言えば、堀さんなんて、日本でもイギリスでも、すごい時間運転しています。私より、○○才も年上なのに・・・。

私も疲れたなんて言ってられません!まだまだ元気で頑張るぞ〜!

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2008年6月11日 (水)

水曜日のきの高

昨日は、一時間授業が100分、と書きましたが、もう少し正確に説明します。

時間区分は、こんなふうです。

1限=9:10〜10:00
2限=10:00〜10:50
2限=11:00〜11:50
4限=11:50〜12:40
5限=13:40〜14:30
6限=14:30〜15:20
7限=15:30〜16:20
8限=16:20〜17:00

なので、昨日の「芸術」は、火曜の5,6,7限、ということになります。


さて、本日水曜日、きの高一年生の授業は・・・

1〜4限が英語。5、6限が現代社会、7、8限が日本語。

英語が4時限続くようですが、100分ずつ二種類の「英語」を選択します。【英語A、B1、B2、C】と四種類あって、それぞれ担当教師が違います。すべて学年の枠をとった縦割りです。


「現代社会」はどんなことをするのかな?こんな説明が書いてあります。

【現代(世の中)を、みんなで楽しく生きるために、考えそして行動すべきことは何か?そのことを学びます。参考資料として「ダイナミックワイド現代」を使います。】

私、学校の授業を、
【みんなで楽しく生きるために、考えそして行動すべきことは何か?】
なんて、こんなふうにとらえたことなかったです。こういう視点なら、ほんとうの学びができるでしょう。

〈覚える〉〈試験にでる〉、私はほとんどの教科に、こんな意識で取り組んでいました。


どっちが身に付くと思いますか。どっちが意欲的に学べると思いますか?


あ〜、もう一回、高校時代、きの高からやり直したいな〜。

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2008年6月10日 (火)

きの高の時間割(火曜日)

Nがきのくに国際高等専修学校に入学してから、約二ヶ月がたちました。その間に、我が家に帰宅したのは5月初めの一週間だけなので、なかなかフレッシュな話題がありません。

でも、毎週月曜日には、『広報部』という授業を選択した生徒たちがつくる【きのくにThisWeek】というお便りが届きまして、これが文章も構成も見事で、とても楽しませてくれます。これについては、また後日、書きたいと思います。


で、Nからは用事もないのに連絡などあるはずもなく、「便りのないのはよい知らせ」と、安心はしているのだけど、やっぱり、ちょっと寂しい。

そんなときは、きの高の「時間割」を見ながら、「今日は何してるんかな〜」と、楽しく想像を巡らせます。


ええと、今日は火曜日だから、数学、日本語、芸術、の三つの授業と、ホームルーム&掃除。

きの高は、一時間の授業が100分なのです。

一時間目の数学は9時10分から10時50分まで。次の「日本語」は11時から12時40分まで。三時間めの「芸術」は、13時40分から16時20分まで。この、「芸術」は、さらに長くて、160分です。

「芸術」というのは、総称で、「モーション・グラフィックス」「アトリエ」「舞台創作」「セルフビルド」の四つから、好きなものを一つ選択します。

Nが選択した「モーション・グラフィックス」って、なんだろう?

担当の大人の説明によると、
「いろんな映像制作にチャレンジします!個人的には、作り込んだセット撮影をする人形アニメーションも作りたいし、ドキュメンタリーにも挑戦したいな。なんか面白いことやってみたい人は是非モーグラまで!」、となっています。

楽しそうだなあ。


それから、「日本語」という授業、これには、「日本語A」と「日本語B」と二種類あって、火曜日はどっちなのかな?とりあえず、両方の説明は、こんなふうです。


日本語A: いろいろ文章を書いてみよう。いろいろ文章を読んでみよう。ただ読んだり書いたりするだけでなく、調べることでいろいろ思いもかけないことが見えてくるかも。高校で習う「古文/漢文」の基礎もこの時間で扱います。


日本語B: 言語学で扱うテーマは身近で面白いものも多いのですが、社会問題として論議されるものもたくさんあります。表現の自由や方言の規則、日本語の「乱れ」などなど・・・。もちろん楽しいテーマもいれながらいろいろ調べて「研究」していきましょう。コマーシャルの名文句やみなさんが話す方言も言語学で扱われる大きなテーマです。


う〜ん、私もきの高の授業、受けてみた〜い!

ところで、「国語」と言わずに「日本語」というのはなぜでしょうか?きっと、理由、こだわりがあると思うのですが、まだ確かめていません。どなたか、聞いたことがあるかたがいらっしゃったら、教えてください。


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2008年6月 4日 (水)

気になる人

作家の田中慎弥さん。

今年4月に川端賞を、5月に三島賞を受賞。両賞の同時受賞は史上初。

ということで、最近よく新聞に登場なさっているので、ご覧になったかたも多いと思います。数週間前は、朝日新聞の【ひと】の欄で取りあげられていました。

今日は文化面に文章を書いておられます。大変ユニークな文章(表現も内容も)で、全部ここに紹介したいくらいですが、長過ぎるので、一部転載します。


この文章のタイトルが、また、すごいんです。


夢も希望もないから


【高校を卒業して以降、就職どころかアルバイトさえしたことがなく、大学、専門学校、予備校などへ通いもせず、つまり何もしていないと呼ぶ以外にない状態が長く続いた。 ー略ー


なぜそういう生活を送るようになったのか、説明するのは難しい。何かをしたのであればその動機や端緒を語ることが出来るが、何もしていないのだから説明のしようがない。働きたくなかった、働かなかった、それだけだ。

では動機や端緒ではなく、どんな精神状態で生活していたのか、を説明することは可能だろうか。そういう生活に突入した場合に感じる筈の焦りや不安といったものは、いっさい覚えたことがない。なんとなく、この先どうなるんだろうか、とぼんやり想像することはあっても、明日には雨が降るんだろうか、という程度の感覚であって、とても危機感などとは呼べない。 ー略ー


何もしていないというのは外から見てのことであって、本を読んだりノートに文章を書いたりはしていた。だがそれは、将来のためというより、ただ好きだったからだし、ひまだったからだ。友人は一人もいないし出かけなくてはならない用事もない。そしてそういう生活を送ることを、何かしている、とはやはり言えないだろうから、何もしていないと言うしか、ない。

ー略ー

デビューしたことを、世の中と関わりを持てるようになった、前進だ、成長だ、などとも全く思わない。人と話しをする時間が増えるほど、デビュー前よりももっと狭くて深いところへ、心地よく沈んでゆけるという気分になる。いまの方が、ずっとずっと世の中と隔たっていると感じる。言葉を書き連ねてゆくことは自分にとって、世の中とか他人と直に向き合うのをさけるための手段なのだろうか。


主義主張や知識を持ち合わせていないので、外から見て何もしていない生活を送っている人たちに言いたいこと、言えることなどあまりない。夢も希望もないから、苦労するのがいやだから小説を書いています、おすすめできる生き方ではありません、働くなり勉強するなりした方がいいと思います、という程度か。


ただ、十数年前の私は、親から金をむしり取って映画を観にゆく電車の中で、自分と同い年くらいの大学生風の人たちやサラリーマンなどに囲まれ、こういうちゃんとした生き方をしないといけないんだろうな、と思う裏側で、自分の読書歴を思い返し、この電車に乗っている人間の中で「源氏物語」の原文を二回通読したのはたぶん自分だけだろうな、と、不遜で、無恥で、無礼で、しかしこの世で自分のとってだけは多少の意味がないわけでもないことを思い巡らせて、卑屈に安心していた、ということを、最後に書いておく。】


淡々としていて、なんとなく潔い文章で、今日、何度も読みたくなりました。
今で言えば、ニート、の生活、と言えるのでしょうけれど、不思議と自己肯定感が漂っていませんか?


早くにお父さんをなくされ、長くお母さんと二人暮らしだそうです。

お母さんは息子さんに、どんな接しかたをされてきたのかなあ、と、とても気になります。

作品も読んでみたいなあ。
今、とっても、気になる人、です。

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2008年6月 1日 (日)

なんとかなる

*「いろいろ考えてしまって・・・」のタイトルだけ変更したものです。文章は変えていません。タイトルが長くなると、「最近のコメント」の項で一行よけいに使うので、欄がもったいないから変えただけです。深い意味はありません。


すっかり更新さぼってましたのに、さきほどアクセス状況見てみましたら、まあ、たくさんのかたが訪れてくださってまして、ありがとうございます。

なんだかんだと、あっという間に一日が終わってしまって、ずるずると日々が過ぎてしまっておりました。

ショッキングな事件も次々に起こり、いろいろ考えてしまっていました。


有名人(といっても、私はそのかたを知りませんでしたが)の自殺、というのは、マスコミでも大きく取りあげれて、私もずっと頭から離れません。

本人にしかわかり得ないことが、きっとあるのでしょう。

私はいつの頃からか「自殺」ということを考えはじめ、小学校のときには遺書を書くことで、気持ちを落ち着けているようなところがありました。そして、「もし私が自殺しても、きっと周りの人は、“勉強もできて、明るかったあの子が自殺するなんて・・・”って言うだろうな」なんて思っていました。


ナイフを手首にあてたこともあったけれど、今思えばあまり本気ではなかったかもしれません。

ただ、首を絞めて、ふ〜っと気が遠くなったときは、後から正気になって、「やばかった!あのまま締めてたら死んでたな・・・」と、少し焦りました。


今は、ちょこちょこと、いろんなことはあるけれど、基本的に毎日幸せで、楽しくて、「ああ、死ななくてよかった〜」と思います。

もし、今、自殺を考えている人がいたら、「ちょっと待って!!」と言いたいです。(自殺を考えてるような人は、こんなブログ、読んでないか・・・。)


つらいときは、その状況がず〜っと続くような気がするし、大恥をかいたときは、みんなが自分のことをウワサして、笑っているような気がするけど、ほんとはそんなことないんです。

しばらくじっとしてれば、状況も人の見方も変わってくるし、「なんとかなる」ってこと、やっぱり、多いと思う。


夫の父親は、「なんとかなる」っていう言葉が嫌いで、「なんとかなるんじゃない、なんとかするんだろう!」と、よく口にしていたそうです。

でも、「なんとかなる」って思って生きていたほうが、楽しく生きられるような気がする。


さてさて、気分を変えて、話しを息子のことに移します。

Fは、うまくいかなかったリハーサルから学び、本番までの5日間でさらに追い上げ、24日のサロンコンサートは、なんとか、今持てる力を出し切ったようです。

リハーサルのDVDも撮ってくれたのですが、それは、見せてくれないのです。本番のは見せてくれました。

「あんたも見てないの?リハーサルのDVD。」と聞いたら、本人はちゃんと見て、そのうえで、失敗したところ、よくないところを本番に向けて修正したそうです。

こういうところが、プロ根性、と思います。


Nは、バスケに燃えつつも、メンバー全員足やら手を痛め、なかなか練習ができない模様。

「俺たち呪われてるかも・・・」といいながらも、7月の大会出場は諦めていない様子。がんばれ〜!!


きの高生活は充実しているようで、毎朝携帯で目覚ましをかけ、朝ご飯をかき込んで、授業へダッシュ!

Nがスタッフから聞いたところによると、「きの高生は6分の5大人扱い」だそうで、朝、寮母さんが起こしてくれる、なんてことはありません。朝当番の子が、「朝食できたで〜」と、ドアをドンドンと叩いて回り、それで起きなければ、それっきり、なんだそうです。

私なんて、高校の頃、学校嫌いで全然起きられなかったのですが、母が階段の下から、「朝よ〜!起きなさ〜い!」と5回も6回も起こしてくれて、やっと登校してました。


きの高生、大人扱いされれば、自立もしますよね。

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