« 携帯電話について | トップページ | 強制しないで »

2008年1月27日 (日)

殺伐としそうだな

東京杉並区の和田中学で、夜間や土曜日に塾講師が授業をする、というニュース、しょっちゅう新聞でとりあげられていますね。

ネット情報を含め、いくつか記事を読みましたが、主に以下の二点に関して論じられていると思いました。

・公立中学での教育の機会均等に反する
・公立学校の教育環境が貧弱である

私はそんなことより、「なんでそんなに勉強ばっかりしなくちゃならないの?人間として、他にもっと大事なことがあるでしょう!」と言いたいです。

朝日新聞の社説には、「家庭の事情で、この塾にも行けないう子が出るとすれば、なんとかしなければならない。」と書いてあったけど、私はこっちから願い下げです。こういう、「行けないのが不幸」っていう発想が、どうかしてると思う。


だって、学校で朝から夕方まで授業受けて、さらに夜まで?休みの日まで?なんだか気の毒です。こんな生活してて、人に優しく、ほがらかに、笑顔で過ごすことができるんだろうか。

それに、「おちこぼれ対策の補習をする」とか「できる子をさらに伸ばす」とか、そういう発想は、子どもたちをさらに序列化するし、子どもたち自身が、他者を、「自分より上か下か」という価値観で見るようにさせてしまうと思います。すご〜く危険です。イジメが減るわけないですよ。

先日の新聞の投書欄に、ある塾の講師をしている人の文章が載っていました。中学生の集中講座をしたとき、休み時間になってもトイレに行く以外、みんな机に向かっている、周囲と話しもしない。授業が終わってからも、みんな口もきかず、ばらばらに帰っていく様子を見て、ぞっとした、という話しでした。目に見えるようですね。


そもそも、朝から晩までやらないと身に付かない「学力」って、ほんとうに必要なんでしょうか?

いつまでも子どもっぽい中高生。何をするのも人とつるんでないと不安な大学生。自分の意見が言えない若者。「学力」よりもっと学ぶことがあるでしょう?と言いたくなります。

以前、中学三年生の子が、歯医者の予約時間になってもこなくて、電話したら、忘れていたとのこと。それで急いで来てもらったのですが、その子の言ったことは、「もうすぐ受験だったから(歯医者の予約を忘れた)」だったのです。「ごめんなさい」の一言もないことに、びっくりしました。

びっくりすると同時に、昔の自分を見る思いがしました。「受験」はなによりも大切、という気持ちでしたから。


受験といえば、我が家のNも中三です。本人は夏頃までいろいろ悩み、考えたようですが、きのくに国際高等専修学校(きの高)に行くことに決めました。(ちゃんと試験を受け、合格通知をいただきました。)この辺りのいきさつは、ちゃんと本人が4月に高専の入学を祝う会を終えてから、ぼちぼち書こうと思います。


同級生たちは、同じくきの高に行くと決めた子、留学する子、○○になりたいから、と、その夢に近づく高校を受験する子、まだ悩み中、といろいろです。多くは自分のやりたいこと、夢、その学校が魅力的だから、ということで、進路を選んでいきます。

でも、希に、「少しでも偏差値の高い学校に行きたいから」、という理由で高校選びをしている家庭もあるようです。きのくにまできていならがその発想、とても残念です。子ども自身がそんなことを言うというのは、結局親が家庭でそういう価値観の会話をしているのでしょう。


文部科学省は「ゆとり教育」は失敗だったといいだし、学校現場も塾まで使って「学力アップ」をうたい、親も、「もっと学力を!」と狂騒する。子ども社会はますます殺伐としそうです。


せめて、きのくにを知った人たちは、社会の流れに乗せられず、人生で何がほんとうに大切か、何が子どもを幸福にするのかを、十分に理解し、周りにも広げていってほしいものだと思います。

|

« 携帯電話について | トップページ | 強制しないで »

コメント

 私は、自分はきのくにが大好きで、自分の子にはきのくにが合ってると思いますが、一般論で言う「基礎学力をどの子にも」という考え方自体は、一方でそれも大切な教育観だと思います。
 そして、そのことに真摯に取り組む教師や親や子ども自身にも敬意を表したいと思います。
 でも、あの東京の公立中学の「夜スペシャル」とかいうのは、「成績のいい子だけが対象」という点が、公教育の意味を投げ捨てる行為のように感じられます。
 補習をするなら、対象として考えるべきはむしろ、学習環境や家庭環境などで、いろんな困難を抱えた子どもたちなのでは? 全ての子に一定の学力をつけさせることが公教育の価値観で、公立学校の役割と思うのですが。
 上手く説明できてないかもしれませんが、なんにしても、変な感じがするニュースで、「殺伐としそうな」というのは同感です。

投稿: むさし | 2008年1月27日 (日) 21時31分

 補足ですが、前記は、あくまで、教育理念とか価値観というレベルでの話です。
 決して今の学習のさせられ方がいいと言ってる訳ではありません。(むしろ大不満です。)

「補習をするなら、対象として考えるべきはむしろ、学習環境や家庭環境などで、いろんな困難を抱えた子どもたちなのでは? 全ての子に一定の学力をつけさせることが公教育の価値観で、公立学校の役割と思うのですが。」

 この部分も「一定の学力」と書きましたが、読み書きそろばんとか対人関係の能力・・・つまり「生きていくための力」と言い換えておきます。

なんか、言葉が拙くてすみません。

投稿: むさし | 2008年1月27日 (日) 22時08分

むさしさん、こういう話題って、表現が難しいですよね。
私自身、文章を書きながら、「う〜ん、これで伝わるかなあ」と思っていました。私もまた、本文中で補足しようかなあ。

投稿: mami | 2008年1月29日 (火) 23時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/175659/17861780

この記事へのトラックバック一覧です: 殺伐としそうだな:

« 携帯電話について | トップページ | 強制しないで »