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2008年1月31日 (木)

強制しないで

フランス語を勉強してま〜す、っていうのは、何度かここでも書いていますが、実は、先週から、ベリーダンスも習い始めちゃいました〜。

フランス語のレッスンは、先生が大学の授業のあるときだけなので、1月から4月と7、8月はお休みです。で、ベリーダンスのレッスンは同じ火曜日にやっているので、この期間にトライしようということで。

昨年はひと月(4回)だけレッスンを受けましたが、楽しい!すっかりはまって、ビデオや本、ヒップスカーフ(レッスンのとき、腰にまくと、ついてるコインがじゃらじゃらいって、ちゃんと腰が動いているかどうかよくわかる)などをそろえました。

私のことを知っている人からすれば、「へ〜、いい年してよくやるねえ、恥ずかしくない?」という感じだと思います。実際、家庭では、夫と息子に、半ばあきれられています。

でも、きのくにに出会ってから、どんどん図太く、 じゃなかった、 心が解放されてきて、「私がやりたいからやる」というふうなので、平気です!


それにしても、小学校のフォークダンスからはじまって、高校のジャズダンスまで、授業や体育祭で強制的にやらされて、ほんとうにつらかったです。私、とってもどんくさくて、フリがどうしても覚えられなかったんです。それに、スタイルのいい子たちのなかで、自分がもたもたジャズダンスを踊る姿が、どれだけみっともないかも、よ〜くわかっていました。

それなのに、高校のときなんて、女子だけの全校練習だったのですが、男子が見学するなか、マイクで、「○○さん、ちゃんと見て!どうしてそうなるの!!」と名指しで叱られて・・・。(涙)

私、あのとき、「これが終わったら、一生踊らなくていいのかな・・・」と悲しい思いをしたこと、忘れられません。

それがどうしたことでしょう、ベリーダンスなんて!

たしか、7年くらいまえ、あるイベントでダンサーたちが踊っているのを見て、なにか、ぐっとくるものがあったんです。それから数年、心と行動が自由になってきたのかな、やっと自分でもやってみることができて、なかなか難しいですが、毎回気分爽快です。


それで思うのですが、「学校で無理にでもやらせられたことが、今、役立っている」とうい人もいるけれど、ほんとうにそうなんでしょうか。やめる自由、最初からやらない自由があったなら、逆にもっと楽しく、深く学べたのではないかと思うのです。


スポーツでも勉強でも、同じことを全員にやらせて、全員がある一定のレベルになるようにさせる、というのは、子どもにとっても教師にとっても、ものすごく労力の無駄をしているような気がしてなりません。私をどなりつけたあの体育の教師も、やる気のない私にいくら言ってもだめだってこと、わからなかったのかなあ。教師はいらいら、生徒はびくびくで、な〜んにもいいことなかったと思う。強制は無駄ですよ。

誰でも自分で決めて、その気になったとき、力を発揮できるのだと思います。

私もいつかベリーダンサーに・・・、ってそれはちょっと・・・、といいながら、密かに夢見ていたりして・・・。

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2008年1月27日 (日)

殺伐としそうだな

東京杉並区の和田中学で、夜間や土曜日に塾講師が授業をする、というニュース、しょっちゅう新聞でとりあげられていますね。

ネット情報を含め、いくつか記事を読みましたが、主に以下の二点に関して論じられていると思いました。

・公立中学での教育の機会均等に反する
・公立学校の教育環境が貧弱である

私はそんなことより、「なんでそんなに勉強ばっかりしなくちゃならないの?人間として、他にもっと大事なことがあるでしょう!」と言いたいです。

朝日新聞の社説には、「家庭の事情で、この塾にも行けないう子が出るとすれば、なんとかしなければならない。」と書いてあったけど、私はこっちから願い下げです。こういう、「行けないのが不幸」っていう発想が、どうかしてると思う。


だって、学校で朝から夕方まで授業受けて、さらに夜まで?休みの日まで?なんだか気の毒です。こんな生活してて、人に優しく、ほがらかに、笑顔で過ごすことができるんだろうか。

それに、「おちこぼれ対策の補習をする」とか「できる子をさらに伸ばす」とか、そういう発想は、子どもたちをさらに序列化するし、子どもたち自身が、他者を、「自分より上か下か」という価値観で見るようにさせてしまうと思います。すご〜く危険です。イジメが減るわけないですよ。

先日の新聞の投書欄に、ある塾の講師をしている人の文章が載っていました。中学生の集中講座をしたとき、休み時間になってもトイレに行く以外、みんな机に向かっている、周囲と話しもしない。授業が終わってからも、みんな口もきかず、ばらばらに帰っていく様子を見て、ぞっとした、という話しでした。目に見えるようですね。


そもそも、朝から晩までやらないと身に付かない「学力」って、ほんとうに必要なんでしょうか?

いつまでも子どもっぽい中高生。何をするのも人とつるんでないと不安な大学生。自分の意見が言えない若者。「学力」よりもっと学ぶことがあるでしょう?と言いたくなります。

以前、中学三年生の子が、歯医者の予約時間になってもこなくて、電話したら、忘れていたとのこと。それで急いで来てもらったのですが、その子の言ったことは、「もうすぐ受験だったから(歯医者の予約を忘れた)」だったのです。「ごめんなさい」の一言もないことに、びっくりしました。

びっくりすると同時に、昔の自分を見る思いがしました。「受験」はなによりも大切、という気持ちでしたから。


受験といえば、我が家のNも中三です。本人は夏頃までいろいろ悩み、考えたようですが、きのくに国際高等専修学校(きの高)に行くことに決めました。(ちゃんと試験を受け、合格通知をいただきました。)この辺りのいきさつは、ちゃんと本人が4月に高専の入学を祝う会を終えてから、ぼちぼち書こうと思います。


同級生たちは、同じくきの高に行くと決めた子、留学する子、○○になりたいから、と、その夢に近づく高校を受験する子、まだ悩み中、といろいろです。多くは自分のやりたいこと、夢、その学校が魅力的だから、ということで、進路を選んでいきます。

でも、希に、「少しでも偏差値の高い学校に行きたいから」、という理由で高校選びをしている家庭もあるようです。きのくにまできていならがその発想、とても残念です。子ども自身がそんなことを言うというのは、結局親が家庭でそういう価値観の会話をしているのでしょう。


文部科学省は「ゆとり教育」は失敗だったといいだし、学校現場も塾まで使って「学力アップ」をうたい、親も、「もっと学力を!」と狂騒する。子ども社会はますます殺伐としそうです。


せめて、きのくにを知った人たちは、社会の流れに乗せられず、人生で何がほんとうに大切か、何が子どもを幸福にするのかを、十分に理解し、周りにも広げていってほしいものだと思います。

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2008年1月21日 (月)

携帯電話について

冬休み最終日に、Nの携帯電話を買いました。これまでは特に必要を感じていなかったようですが、卒業を控え、友達との連絡に使いたいようです。

携帯電話といえば、我が家で初めて使うようになったのは、8年前、Fのきのくに入学が決まったときでした。普段の連絡には、寮の電話にかければいいので必要はありませんが、帰宅するときになにかあった場合の連絡用として、親がもつために一台購入しました。つまり、Fが持つのでなく、迎えに行く私たち(親)が持っておくためのものです。

8年前とはいえ、すでにそのころはかなりの人が携帯を持っていましたが、子どもに持たせるという発想は、全く浮かびませんでした。そうしたら、入学して数ヶ月後のお便りに、きのくに子どもの村学園長の堀さんが、こんなことを書かれていたので、それで初めて、「へえ、子どもに携帯持たせてるんだ〜」とびっくりしたというわけでした。


【携帯電話を学校へ持ってきている子があります。携帯電話そのものがいけないというのではありません。しかし、できれば持たせないでいただく方がよいと思います。確かに遠くから来ていて、帰宅の際のお迎えの連絡などに必要な子はあります。そういう子は、普段はためらうことなく大人に預けています。(mami注:現在は大人に預けるシステムがあるかどうか不明)

私たちの見るところでは、問題なのは「親ばなれ」(そして敢ていえば「子ばなれ」)の十分とはいえない子の場合です。これは、年齢とは関係ありません。

いつも携帯電話を持っていないといられないのは、大きい子にも多いのです。そういう子は、ほかの子に見えるように電話をおいたり、ポケットからストラップを出して見せたりします。いずれにしても電話を持っているために、見えないヒモで家としっかりつながった状態になっています。

さびしい時に電話できるのはいいことばかりではありません。そのさびしい気持ちを噛みしめたり、ほかに楽しいことをさがしたりして、子どもたちは自立していくのですから。

保護者の皆さんには信じられないかも知れませんが、家から携帯にかかってきたり、Eメールが入ったりすると、途端に調子が悪くなる子さえあるのです。携帯電話を持つのをやめてから調子がうんとよくなった子もあります。(それだけが理由とはおもえませんが。)】

私はけっこう早い段階でこの文章を読ませていただいたので、とてもよかったなあと思います。

Fも中三の三学期から携帯を持ったのですが、たしかに、携帯があるとなると、それほど必要でなくても連絡とりたくなっちゃうんですよね。中三にもなってるからそれほどでもないけれど、これがきのくにに行って間もない頃だったり、小さい頃だったら、「寒くない?」とか「ちゃんと手洗い、うがいしてる?」とか、たいして必要もないのに、ちょろっと電話したりメールしたりしちゃっただろうなあ。


それと、行き帰り中のトラブルは、一度、電車を間違えて、とんでもないところに行ってしまった、ということがありましたが、そのときは、車掌さんに携帯電話を借りてうちに電話してきました。なきゃないで、自分で考えてなんとかするもんだなあ、と、後になって、妙なところで感心したりしました。(この件は2006年8月25日の『電車を間違えて』の記事をご覧ください。)


ちょっと不自由なくらいがいいのかな。

息子たち二人とも携帯電話を持つようになって、今、一番気をつけなければいけないのは、私がしょうもないことで電話やメールをしないように、ということですね。(^^)


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2008年1月17日 (木)

まあ見てやってください

先日の、広島での発表会の様子です。息子のOKがでたので、写真、アップしま〜す。でも、「歌ってるところはダメ」ということで、ギターソロと、講師の先生の伴奏をしているところだけです。

Photo_3

息子が始めるまで、全く知らなかったクラシックギターという世界。聞いてみると、とても落ち着く音色です。息子のおかげで新たな世界が広がりました。

Photo_6


*未だに画像アップの仕方がよくわからない私。自分でも、実際見てみるまで、どんなふうにアップされているかわからず、ちょっとコワイです。もしかするとこれらの画像、重すぎるでしょうか?ご覧になるかたの迷惑にはなっていないでしょうか?お詳しいかたがいらしたら、アドバイスお願いいたします。

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2008年1月14日 (月)

広島に行ってきました

12、13日と、広島に行ってきました。

Fが歌を習っていまして、その発表会だったのです。ちょっとおもしろいレッスンで、東京から講師のかたがいらして行われるので、2〜3ヶ月に一度のペースくらいです。

上手に歌うことが目的ではなく、気持ちよく声を出す、心を解放する、ということを大切にしています。
詳しくはこちらのHPをご覧ください。

http://www.cusi.ne.jp/h-shuichi/index.htm

Fもまだ5〜6回レッスンを受けた程度ですが、堂々とフニクリ フニクラを歌っていました。最後声が裏返ってしまったのもご愛嬌。反省会では、「無難に終わらずに高い音に挑戦したのがよかったね」とポジティブな講評をしてくれたとのこと。Fはほんとにすてきな大人に恵まれています。

きのくに時代の友達も聞きに来てくれて、しばらくぶりの再会を喜んでいました。


本番は13日で、12日はレッスンと準備。私は一人で広島観光してきました。ずっと行ってみたかった宮島の厳島神社。引き潮だったので、鳥居は海の中、という感じではありませんでしたが、お線香の香りをかいで、たくさん仏像を見て、気持ちが落ち着きました。

午前中はひろしま美術館で、ちょうど浮世絵展をしていたので、「日本人」らしくなった(?)ような気分でした。

宮島って、鹿が普通に歩いてるんです。これは、私が店先で紅葉まんじゅうを食べていたら、「私にもちょうだい」とやってきた鹿さんたちです。(写真をクリックすると、大きくなります)

Cimg0140_10

次の日の本番は午後からだったので、それまでの時間、広島原爆資料館へ行ってきました。

実は私、昨年12月の半ばくらいまでは、広島に行くつもりじゃなかったのです。いくら息子も出る発表会とはいえ、わざわざ広島まで、というのもちょっとおっくうで・・・。

そしたら、ちょうどその頃、山好きの知人がうちにきて、いろいろ話しを聞かせてくれました。山であったアメリカ人の青年と知り合いになって話しをしていたら、その青年、山を下りたら広島に行って、原爆資料館を見に行く、と言ったそうなのです。偉いよね〜、なんて話しを聞いていたのですが、私こそ、日本人なのに行ったことがないなんて恥ずかしい、と思い、ちょうどよい機会だからと、行くことにしたわけなのです。


行ってよかった。原爆の恐ろしさ、頭ではわかっていましたけれど、むごすぎる、と思いました。街の模型などもあって、ああ、一瞬にしてこの街が全部地獄になったんだ、とういことがとても身近に感じられました。

そして、そのときからまだ100年もたっていないのに、私はとても幸せに、便利でぬくぬくとした暮らしをしています。それと同時に、世界のあちこちで紛争が起こっていて、日本でもいろんなところでじわじわと管理体制がしかれつつあり、第三次大戦のほうに近づいているような空気も感じます。

まだまだ知らないことがたくさんあって、勉強不足の私ですが、未来の人たちを二度とあのような地獄に送ってはいけないと、強く感じました。

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2008年1月 8日 (火)

「学力」の質

1月7日付け朝日新聞の社説、なかなかよい内容でした。一部抜粋します。

【 ー略ー
学力低下は、PISA調査で勉強への意欲が際だって低いことと分ちがたく結びついている。単なる知識の量で成績や入試の合否が決まってしまう。そんな貧しい教育の姿に、学力危機の核心があるのではないだろうか。

教室で学んでいることが現実の生活に、今後の人生につながっていく。そして、何よりも考えることが楽しいという手応えをかんじさせることができるかどうか。そこが分かれ道になるだろう。

では、どうするか。
学力の質を転換させることである。

ー略ー

社会に出たら、教室で習った公式では解けない問題ばかりである。正解がわからない問いと向き合う力をつけることこそが、未来を拓く教育の役割だろう。
希望の苗木を、幹太く育てたい。】


よい内容だけれど、これって、ず〜っと前から堀さんが主張し、実践してきたことですよね。

堀さんは、きのくにで言うところの「考える力」とは、ということで、下記のような話しをしてくれたことがあります。
 *講演会のときのメモ書きをまとめました。

・まず、問題に敏感になること。「なんでだろう?」「どうして?」と思うこと。
・「なぜ?」と思ったら、それをよく見てみる、観察してみる。
・そして「じゃあ、考えられる原因はこれかな?」と仮説をたてる。
・その仮説を試してみる。
・たてた仮説でうまくいかなかったら、もう一度観察して考える。再考→失敗→再考、を繰り返す。

きのくにの子どもたちは、プロジェクトで常にこの繰り返しを実践していますから、「正解がわからない問いと向き合う力」がしっかりとついています。

先日紹介した気球作りなども、まさに、「疑問、観察、仮説、実験、再考」の要素がいっぱいです。しかも、自分たちが決めた、自分たちのやりたい活動を通して学べるのです。

Nを見ていても、考えることがとても楽しそうな様子です。気球作りの話しを聞いたときも、私が「大変そう〜」と思うところが、「困難を受けてたつ!」という感じなのです。

そのうえ、みんなで話し合って、友達と心を通わせながら学んでいますので、情緒が安定していて、とてもほがらかです。

生徒全員が教師と黒板のほうを向いて、「ここは試験にでるぞ〜」と言われながらとにかく覚えることに必死になり、順位付けまでされるながら「お勉強」していたのでは、なかなかこうはならないだろうな、と思います。

暗記中心の偏差値重視教育が、どれだけ多くの子どもたちの「真の学力」と「考える力」を奪っていることだろう、と暗澹たる気持ちになります。

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2008年1月 5日 (土)

ほんとに気球をつくっちゃった!

学期の終わりごとに『生活と学習の記録』と、活動の様子を撮った写真が送られてきます。これが毎回楽しみなんです。

今回、見てびっくりしたのは、Nたちのチームがやっている、熱気球づくりの様子です。こりゃあブログに書かなきゃ、と思い、昨夜Nに、「ブログに書くけん(大分弁)、いろいろ教えて!」と、ペンとメモを手に、Nに迫りました。Nも「はいはい、なんでも聞いてください」と大変協力的で、うれしくなります。


Nのプロジェクトは、『道具製作所』で、一学期の最初のうちは、主に車に関することをしていました。車のしくみを調べたり、タイヤ交換、車検、バイオディーゼル燃料のカートづくり、などなど。それと同時に、各自が一年間を通してやりたいことを探し、決定します。

Nは友達と相談しならが、「なにか飛べるものを作りたいな。飛行機は無理だから、気球はどうかな。」ということで、気球づくりの希望をだしました。

一人二人ではできないので、みんなの前でプレゼンをして、それをみて、「自分もやりたい」と思った子は、そのチームにはいります。今年は他に、ロケット作りと太陽熱温水器作りのチームがありました。

Nたちのプレゼンでは、うすいゴミ袋にアルコールをとりつけ、天井まで飛ばしたということで、「おお、すげえ」と、心惹かれた友達も多かったようです。


ここまでの話しを聞いていたときは、私は、ちいさな風船程度のものを想像していました。そしたら、今回写真をみてびっくり。すごく本格的なのです。

*さきほど、写真をさらに携帯で映し、それをブログにアップしてみました。うまくうつっているかな?息子以外のお子さんもうつっているので、なるべく顔がはっきりわからないように、小さめに写しました。


熱気球をつくると決まってから、大人(担任)が気球連盟に連絡をとり、資料を取り寄せてくれました。「人が乗るのはアブナいから、人が乗れない程度のものだったら協力します」ということで資料を送ってくれたそうです。

それでNたちは、資料を見ながら実際の5分の1の大きさでつくることにしました。5分の1といっても、直径5〜6mくらいですから、かなり大きいです。必要な数値を計算して、型紙をつくり、気球連盟から提供してもらった大きな生地に型紙をあてて切り、それらをミシンで縫い合わせるのです。

その最小単位の生地を半ゴアといいます。1ゴアの縦の長さは7m。写真は、まず二つを一つにるすため、待ち針をうっているところです。

要するに、32枚の半ゴアを切りだし、それぞれを2枚づつ縫い合わせて1ゴアにし、次はそれを縫い合わせて2ゴアにして・・・というふうにして、いくんだそうです。聞いただけで気が遠くなります。

それらを子どもだけでやっているのです。資料の請求以外、大人は手をだしていません。

「すご〜く難しいときとか、わからないときとかは大人に聞くの?」と尋ねたら、

「いいや、オレらでなんとかするよ。だって、気球のこと一番わかってるのはオレらだもん。」とのこと。

はあ、頼もしい!
実際、大人はときどき進行状況を見に来ては、「おお、すげえな〜」と驚いていらしたそうです。


籠もつくり終え、後は三学期、すべてをとりつけて、みんなの前で飛ばせて見せるのだそうです。成功するといいね!

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2008年1月 4日 (金)

気球づくり

気球づくり
半分ふくらませてみました。

気球づくり
まず半ゴアずつ縫い合わせて1ゴアにします。待ち針をうっているところです。

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2008年1月 1日 (火)

新たな気持ちで

今年は喪中なので、お正月らしいご挨拶は書けないのですが、やはり新たな一年の始まり、新鮮な気持ちでスタートしたいですね。また一年、このブログも、どうぞご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。


31日の夜は実家に行き、紅白歌合戦を見てきました。(一泊だけで、もう戻ってきました)

うちにはテレビがないので、紅白を見るのはけっこう楽しみにしていました。名前は聞くけど見たことのない歌手を見たり、懐かしい歌を聞いたり。

最近突然、前川清さんのファンになってしまいまして、息子たちにも、「この人が前川さんよ〜」と注意を喚起して、歌を聞いてもらいました。やっぱりうまいですねえ、このかた。

布施明さんの「君は薔薇より美しい」も聞けてうれしかった〜。高校生のときにつき合っていた彼氏が、キャンプ(山岳部でした)で歌った歌なのです!(って、誰もそんなこと聞いてないか・・・)


それでもって、今回一番心にぐっと来たのは、和田アキ子さんの、「あの鐘を鳴らすのはあなた」です。ちょうどここ最近、自分の人生を考えて、「今までなにもかも中途半端で、たいしたことしてないなあ、歯科医院の受付なんて、何年続けてもなんのキャリアにもならないし、なんの資格ももってないし・・・」とウジウジモードになっていたのです。

そんなのとき、「あの鐘を鳴らすのは〜ア・ナ・タ〜」と指さされて、「そうやな〜、自分で動かないとだめだよね。周りのせいにしてもだめなんだ。」と、しみじみ思いまして、またちょっと元気がでた、というわけなのです。なんだか私、周期的に、そういうアップダウンを繰り返している気もしますが・・・。


まあ、そんなこんなで、アップの状態で新年を迎えました。おまけに今年の手帳は、「Happy Plan Schedule」という手帳で、「心からやりたいこと」とか「○年後の自分」などを書く欄があり、派手なピカピカシルバーのものです。この手帳に向かって、新たな一年と今後の人生を模索してみようと思います。

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