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2007年9月27日 (木)

子どものほうがわかってるのに

9月23日朝日新聞朝刊 『こども 脱・いじめ』の記事で、読者からの投書がまとめて載せてありました。特に印象的だったもの、二つから、少し抜粋します。


〈中学三年生女子〉
【いじめは、ちょっとしたやきもちやストレス解消から始めるんだと思う。いじめられた人がいじめる側になるのはよくあること。自分もいじめたことがある。
学校以外の塾や習い事の教室ではいじめがあまりない。学校がなくなればましになると思う。】


〈16歳女子〉
【「いじめるとスカッとする」という子どもがいるのは、彼らが日頃から相当嫌なものをため続けている証拠です。そのたまったものが変形して現れた姿が、いじめなのだと思います。

今の社会では、子どもは自分の感情を「ないこと」にしています。表すことを許されない「怒り」「悲しい」といった感情を、いじめることでやっと出しているのです。

「いじめたくなる気持ち」は持ってもいい。それを認めれば、子どもの心のもやもや感が軽減でき、いじめが減るかもしれない。「いじめてやりたい」と思うことと、実際にいじめることは違うから。】


どちらの意見も、問題の本質をついていると思います。


最初の、「学校がなくなればましになると思う」という意見は、以前、内藤朝雄氏も同じことをおっしゃっていましたし、ここでも取りあげました。私も、今の体制の学校と教育が存在し続ける限り、イジメはなくならないと思います。


だいたい、親だって、保護者会で気の合わない人がいたり、嫌な思いをすることがあるでしょう?それでも、なんとかやっていけるのは、一日中保護者会のメンバーと同じ部屋で過ごす、という必要がないからです。気の合わない人とは、距離を置くことができます。


今日会った友人が、「もう保護者会や子ども会で、疲れる〜。でも、大人は、そのときだけ我慢すればいいからましだよね。子どもたちはずっと一緒だもんね。」と言っていました。


きのくに子どもの村学園で、深刻ないじめがないのは、まず第一に、子どもたちが抑圧されていなくて、自己肯定感がある、ということが一番大きいと思います。そのうえで、クラス単位で動くプロジェクト活動あり、全然別のメンバーとのチョイスの活動があり、全校生が集まるミーティングあり、と、子どもの集まりに、動きがあるというのも影響しているでしょう。

そもそも、多くの時間をすごす、プロジェクトのメンバーが異年齢の集まりですので、みんな違って当たり前、という空気があります。


最近起こった、高校三年生が恐喝、イジメを受けて自殺した事件について、家族で話していたとき、Nに、「きのくににヒドいイジメがないのは、なんでだと思う?」と聞いてみたところ、

「ミーティングがあるっていうのが、大きいかな。みんの問題になるから。」と言っていました。

ミーティングでは、いじめたとされる子が叱られたり、責められたりするわけではありません。双方の言い分をよく聞いて、周りの子も、それを自分の問題としてとらえます。そして、どうすれば快適に過ごせるかを、小さい子も大きい子も、みんな一緒に考えるのです。


冒頭二つ目の投書にある、 【「いじめたくなる気持ち」は持ってもいい。それを認めれば、子どもの心のもやもや感が軽減でき、いじめが減るかもしれない。」】は、的を射ていると思います。

イジメが発覚するたびに、「命の大切さを伝えたい」とか「道徳教育をもっとしなければ」と、多くの教育者が言うけれど、そんなことしても、無駄ってことは、子どもはよ〜くわかってるのにね・・・。

「いじめたい気持ち」も、怒りも、イライラも、全部「よくないこと」として封じ込めるから、ますます陰湿に、上手に(?)なっていくのにね・・・。


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