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2007年8月29日 (水)

ダメな子?

Fがきのくに中学校を卒業するとき、「きのくにに行ってなかったら、どんなだったかなあ」と、聞いたことがあります。

Fは、「う〜ん、ダメな子って感じだったかな」と、笑って答えました。


私もそう思います。あのまま年月を経ていたら、「ダメな子」って感じになっていたと思います。

16歳になった、今のFを見て、「ダメな子」と思う人はいないと思うし、もちろん本人も思っていません。


何が変わったんでしょう。何が変えたんでしょう。


保育園で、4歳頃の担任の先生は、まず最初に、その日の子どものよくなかったところを、伝えるようなかたでした。特に悪意はないのですが、ほめることも少なかったです。

私もそんなものだと思っていました。確かにFはおっとりしていたし、片付けもうまくできないほうでしたから。


ところが、5、6歳のときの担任の先生は、子どものちょっとした仕草や言い回しを覚えていてくれて、それをとっても楽しそうに伝えてくれるかただったのです。

「今日Fくんは、お友達にこんなやさしいことしてくれて・・・」とか
「Fくんて、表現のしかたが独特で、かわいいですね〜」とか。

そうすると不思議なもので、私もFのかわいいところがどんどん目につくようになって、「あらあ、こんなにすてきな子だったっけ?」という感じになりました。

Fも子どもながらに、先生の受け止めかたがうれしかったのでしょう。ある時、「先生にお手紙書きたい。おかあさん、書いて」と言ってきました。当時まだ字が書けませんでしたから、私に頼んできたのです。

「なんて書くの?」と聞いたら、

「『先生はきれいな先生ですね』って書いて」ですって!

なんてかわいいこと思いつくのかしら、と、感激しました。先生も笑いつつ、とてもうれしそうでした。

その先生には、私が気がつかなかったFのよいところをたくさん見つけてもらい、Fを愛おしく思う気持ちがより深くなりました。


それなのに、小学校に上がって、宿題、忘れ物注意、とかキリキリしているうちに、またガミガミ母さんに戻ってしまいました。Fが泣くまで音読させたりしたなあ。

でも、とことんヒドい母に成り下がらずに、のんびりしたFの良さも認めることができたのは、保育園の頃の先生が、いっぱいほめてくださっていたからだと思います。


それから、五味太郎さんの、『大人問題』にも出会って、Fが良さを発揮できないのは、なんでも画一的にやらせる、学校教育に問題があるのかもしれない、と思うようにもなりました。

そういう疑問が生まれなければ、日本の教育について考えることも、きのくに子どもの村学園を見つけ出すこともできなかったでしょう。

幸せなことに、きのくにでは、どの担任になっても、否定的なことをほとんど言われず、ありのままのFのよいところを、たくさん見てくれました。それでますます、親も息子が好きになる、という相乗効果でした。


「ダメな子」というのが存在するのでなく、親や周りの大人が「ダメな子」をつくっているだけなんですよね。Fだって、一歩間違えば、いつもムカついてて、自分が嫌いで、ムスッとした青年になっていかもしれません。

どの子もみんな、ほんとうは、すばらしい子。いろんなきらめきを持っている子たち。

それを「ダメ」にしているのは、大人たちだってことに、気付けない限り、子どもが家族を殺すような悲惨な事件は、増えこそすれ、減ることはないと思う。

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