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2006年12月 7日 (木)

目標は「自由な子ども」

【きのくにはテストがないそうですが、テストはこどもがどれだけ理解しているかの目安でもあり、テストなくしてどうやってこどもの理解度を判断されているのでしょうか?
全員の習熟度を普段の様子からひとりひとり把握しそれぞれの子に合った教え方をされているなら、それはすばらしいことだと思います。本当にそんなことができるのでしょうか?】

これは、10月3日の記事、「柔らかいアタマ」にいただいた、kitaguchiさんからのコメントの一部です。


そのときは、「堀さんの本を読んでいれば、こんな質問がでてくるはずないよなあ」と思って、ちょっと返答する気力が湧かなかったのですが、やはり、きのくにと深く関わったことのある人以外は、当然抱く疑問でもあるのかな、せっかく良い質問をしてくださったのに、そのままにしちゃったな、と、気になっていました。


また、きのくにの保護者でさえ、子どもが中学生になると、「そろそろ受験の準備をしないと・・・」と焦りだす、気の毒なかたもいるくらいですから、上記のコメントについて、ちょっと書こうかな、という気持ちになってきました。


きのくに子どもの村学園の教育目標は、【感情面でも、知的にも、人間関係でも、自由な子ども】なのです。

【学習指導要領の内容を、すべてマスターし、記憶している子ども】ではないのです。

ここをきちんと認識しておかないと、「それは八百屋へ来て洋服を注文するようなものだ」ということになってしまいます。(『きのくに子どもの村』ブロンズ新社P.59)

ただ、こう書くと、「きのくにの子どもは、バカなんですか?」って言う人がいそうで困っちゃうんですが、そうかどうかは、これまで書いたブログを読んでいただければ、わかっていただけるのではないかと思います。

一言付け加えるなら、きのくにでなされる体験学習は、体だけでなく、ものすごく頭を使います、とういことです。


そして、きのくにに入る前に堀さんの本を読んだとき、私がすっかり惚れ込んでしまった文章がこちら↓です。この文章が理解できないかたは、きっときのくにに縁がないかたなんだろうな、と思います。


【 よくこんな質問を受ける。
「きのくにを出た子どもは、現代の激しい受験戦争で取りのこされるのではないでしょうか」

 この質問は、そもそも発想が間違っているのではないだろうか。私は、きのくにの子どもが15人いたら、15人それぞれに違った道に進んでほしいと思う。一流校といわれるところへ行く子があってもよいが、外国へ行く子、やきもの工房に弟子入りする子、車の整備のほうに進む子、父親の仕事の見習いをする子、しばらくじっと人生を見つめようとする子、などいろいろあってもらいたい。もし間違って、全部の子が、いわゆる受験勉強に精を出して試験に合格し、世間の子と同じように高校に入っていったら、きっと私は落ち込んでしまうだろう。】

堀真一郎著 『きのくに子どもの村』ブロンズ新社 P.165より
 

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コメント

 私も、最後に引用されてる堀さんの文章に、すごく共感してます。
 きのくにの話をすると、「理念はいいけど、受験は大丈夫なのか?」というような事はよく言われます。
「うちは、そういう競争からはリタイヤしてるの。名より実をとってるの」とか答えてますが、わかる人はわかるし、わからん人はわからんようです。

投稿: むさし | 2006年12月16日 (土) 21時59分

ほんとねえ。わからん人はわからん、ですね。というか、わかりたくないんじゃないかな。
「世間に自慢できるような学校に行ってほしい」って、心の中で思ってる人がきのくにの理念を理解するのは、それまで築いてきた価値観を捨て去るようなものですからね。
だいたい、「理念はいいけど、受験は大丈夫なのか?」という質問自体、「きのくにの理念のどこがいいと思ってるのん?」と突っ込みたいですね。

投稿: mami | 2006年12月17日 (日) 21時30分

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