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2006年11月29日 (水)

自分と向き合う

今年の夏、中学生の希望者がイギリスへ三週間の修学旅行に行きました。その後、引率のスタッフから、報告のお便りがでたのですが、その中の一文がとても心に残っています。


【最後にロンドンに向かうころに、気づいたのは、一人で景色を見る、1人で動く姿が多くなっていることだった。イギリス、新しいものを前に、自分に向き合っている。3週間は、日常から離れて自分を見つめる大きな機会になったのだと思う。】


偏差値が上がったとか、授業態度がよいとか、そういうことを評価する教師はたくさんいるのでしょうけれど、こういう見方をする教師は、きのくに以外で出会ったことがありません。(自分の学生時代、息子たちの公立小時代、を通じて。)


Nが三年生のころ、担任にこう言われたことがあります。


【子どもたち同士で、自分の小さかった頃のことや、前の学校でのこと、親のこと、いろいろおしゃべりしてるんですよ。Nくんは、前の学校のとき、ーーーーーしてしまったことを、私にもすごく素直に話してくれたんですよ。】


ーーーーーとは、我が家ではちょっとした事件と言えることでした。私も当時は、かなり悩んでしまったことだったのです。担任からその話しを聞いて、Nは、そのことを振り返って、人に話しができるようになったんだなあ、と、深く感動したのを覚えています。


きのくにでは、どのプロジェクトもとても忙しく活動しているのですが、せかされたり、記憶することだけに追われたりしないので、手作業をしながら、ふと自分のことを振り返ったりするのですね。


「俺、なんで前の学校では強いやつに言い返せんかったんやろ。」とか「なんか、自分が変わったと思う。」とふとつぶやく子もいるそうです。


忙しいけれど自分と向き合う心のゆとりがある、という感じなのでしょうか。すてきなことだな、と思うのです。


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2006年11月27日 (月)

社会とつながるきのくにの教育

今年はきのくに子どもの村学園の15周年記念の年です。11月23日、25日には、記念イベント、シンポジウムが行われました。私は行けなかったのですが、参加された保護者のかたが、こんな感想を書かれていました。


【シンポジウムでは、教育、学校のあり方って、世界の平和や全人類の幸福にまで繋がる壮大なテーマなんだと感じました。】


その気持ち、すごくよくわかります。ほんと、その通りなんですよね。教育は、単に基礎学力をつけるとか、偏差値の高い高校、大学に行くため、お金を稼げる職業につくため、そんなふうな捉え方では、絶対にいけないのです。


昨年のシンポジウムのとき、きのくに国際高等専修学校の卒業生がこんなことを言っていました。


【高専で社会問題を学べてよかった反面、いろんなことを知って、心から笑えなくなったりした。】

世界中で起こる紛争や飢餓、公害などの問題を、人ごとでなく受け止めることができているのですよね。

私はここ数年いろいろ映画を見たり、本を読んだりして、日本の政治や世界の出来事に関心を持つようになったのですが、それまでは、ほんとにお気楽に過ごしていました。その卒業生の子のほうが、ずっと大人だなあ、と思いました。


自分の学生時代のことを思い出してみると、いくら世界史でよい点数をとれても、世界で起こっている出来事に心を痛めることはありませんでした。KKK(クークルックスクラン)のことも、教科書に載っていたのは覚えていますが、そのとき差別され、迫害を受けた人々の痛みを感じることはできませんでした。

だって、そんなことをいちいち考えて、心を痛めていたら、覚えることの妨げになりますもの。受験に必死になればなるほど、社会問題は自分から遠くなりました。


もし、先生が、「この映画すごくよかったぞ」とか「この本を読んで、考えが変わったんだ」なんていう余分な話し(ホントはそれがすごく大切な話しなんだけど)をしてくれるような人だったら、ちょっとは違ったかな、と思います。実際は、「これは試験にでるぞ〜」「絶対覚えておけよ〜」なんて話しばかりでしたもの。


きのくにでの教育は、「覚えること」より、「知ること」、「感じること」、「考えること」が主体なんですよね。だから、きのくにで学んだ子どもたちは、「心から笑えない」と感じるくらい、人の苦しみを自分のことのように感じることができるのでしょう。


ほんとに、教育って、【世界の平和や全人類の幸福にまで繋がる壮大なテーマ】なんですね。きのくにに来て、そのことがよくわかります。

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2006年11月24日 (金)

ミシシッピー・バーニング

アラン・パーカー監督、ジーン・ハックマン、ウイレム・デフォー主演のこの映画、ご覧になったことありますか?

私は以前レンタルで見て、とてもよかったので、ぜひ息子にも見てもらいたいな、と思っていたら、先日、ビデオショップで50円で売られていました!!ラッキー!早速お買い上げ。


この映画は、1964年にアメリカで実際に起こった実話をもとにつくられています。

黒人差別がはびこるミシシッピー州のとある町で、公民権運動家の3人の若者が失踪します。映画では、最初から地元保安官らによる殺人、という設定で話しは始まります。

この事件を操作するため、二人のFBI捜査官(ジーン・ハックマンとウイレム・デフォー)が派遣され、聞き込み、捜査を始めるのですが、報復を恐れて、誰も捜査に協力しようとしません。

しかし二人は、あまりにひどい黒人に対する焼き討ちやリンチを目の当たりにして、怒りが込み上げ、禁じ手と思えるような手段まで使い、とうとう犯人逮捕にこぎ着けます。


その、逮捕の突破口を開いたのが、犯人である保安官の、妻の証言だったのです。彼女は夫のアリバイを握っていたのですが、町の人々の争いや醜い心に嫌気がさし、何もかも捜査官に告白します。そのときの言葉が印象的でした。


「憎しみの心は、最初から持っていたんじゃなくて、人から教えられたの。7才のときにはもう、黒人を憎むようになっていたわ。」


KKK(クー・クルックス・クラン)団の集会の様子もありましたが、集会には赤ちゃんを抱いた母親から、親に手を引かれた子どもも参加しているのです。そして、団の代表者は、目を吊り上げて、「愛するミシシッピーを、黒人が大手を振るうシカゴにはしないのだ。白人のデモクラシーを守るのだ!」と叫んでいるのです。


これって、最悪の愛国心ってやつじゃあないでしょうか?利己的な、排他的な愛国心。

日本も、こんな醜い「愛国心」は教え込まないでもらいたいものです。教育の力は大きいのです。

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2006年11月22日 (水)

勇気

今日の夕食は外食しました。下ごしらえ何にもしてないのに、仕事が遅くまでかかってしまったので、作る気力が失せてしまいました。

で、今日行ったところは、一応居酒屋なんですが、手頃な価格でおいしく、お野菜豊富なところが気に入ってます。マスターはきちんと白衣を着て、白い帽子もかぶっています。奥さんと二人でやっているのですが、おしゃべりすぎず、程よい緊張感があって、とても感じのよいお店です。


引き戸のところに、「車で来店のお客様には飲酒していただけません。」という趣旨の、小さなお知らせの紙がはってありました。


時間は7時過ぎですが、入ってみるとお客さんは誰もいません。


「福岡の事件(泥酔運転の車が前を走る車に追突。追突された車は橋の手すりを突き破り、川に転落。乗っていた幼い子ども三人が死亡)以来、こちらも、車で来てお酒を注文されるかたには、出せませんって言ってるんですよ。飲むなら代行運転を頼んでくださいって。


でも、皆さん、仕事帰りに一杯飲みたいっていう人がほとんどですからねえ。もうお客さん、激減ですよ。でも、車で来てるのがわかってて、お酒だすのは、気分がよくないですからねえ。福岡の事件は人ごとじゃないですよ。」

と、にこやかにおっしゃるのです。


前から、すてきなご夫婦だなあ、と思っていましたけど、ますますそのお店が好きになりました。

小さな町ですから、車での移動がほとんどなんです。それに、飲酒運転にも甘い慣習の町です。そのなかで、居酒屋でありながら、「お酒は出せません」というのは、なかなか勇気のいることです。

自分の店のもうけのためなら、多少の飲酒運転は目をつぶろうか、という人が多い中、なんとも潔い話しではありませんか。

その勇気に感動して、ビール二杯も飲んでしまいました。(運転は夫)

息子のFも、「今度から食事のときは、あの店に行こうな。」と言ってます。私も、そういう人がやっているお店はつぶれてほしくないから、どうせ外食するならあそこに行こう、と思っています。

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2006年11月19日 (日)

ニイルのことばーその2

【困った子どもというのは、実は不幸な子どもである。彼は内心で自分自身とたたかっている。その結果として外界とたたかうのだ。困った大人も同じ船に乗っている。幸福な男は、集会の邪魔をしたり、戦争を鼓吹したり、黒人をリンチしたりはしない。

幸福な女性は、夫や子どもに小言を言い続けたりはしない。幸福な人は決して殺人を犯したり盗みをはたらいたりはしない。幸福な事業主は従業員をおどしたりはしない。】

(堀真一郎訳『新訳ニイル選集』全5 巻 『問題の子ども』より)


上記の文章について、ゾーイさんが来日講演のとき資料に、こう書いていました。

「私は、このことばは特に正しいと思います。私たちは、子どもたちのためにもっと幸福で、もっと自由な環境をつくりだす努力をしなくてはなりません。それは、明日の世界を憎しみと暴力から守るためであります。」


私がさらに書く必要、ないですね。じっくりこの言葉を味わいたいと思います。

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2006年11月17日 (金)

ニイルのことばーその1

【私たちは、自分自身の魂の船長にならなければならない。】

【教育は「人生の準備」ではない。教育とは生きることそのものである。人生の目的は、幸福、すなわち興味あることを見つけることだ。】

イギリスの自由学校サマーヒルスクールの創設者である、A.S.ニイルのことばです。(堀真一郎訳『新訳ニイル選集』全5巻より)

15日の記事で触れた「子どもの幸せのための教育」とは、こういうことではないでしょうか。

「これを今勉強しておいたら、受験に有利だから」とか、「今は必要を感じないかもしれないけど、やっておいたら、絶対将来役立つから」という理由で、子どもに教育を強要すべきではないでしょう。


息子のFは今、通信制高校の課題提出締め切り日を目前に、頑張っています。基本的に、教科書を見ながら一人でやらないといけないので、けっこう大変です。数学は三角比(サインコサインタンジェント、とかいうやつ)の単元で、これは父親にヘルプを出し、教えてもらっています。

たしか私も高校時代にやったと思うのですが、全く覚えていません。卒業後、一回も使ってません。全然わからないのに、毎日授業にでて、机に向かっているのは、ほんとうに苦痛でした。Fは、毎日時間を拘束されないだけ、幸せです。

彼のやりたいのは音楽ですから、ギターやピアノ、ソルフェージュの勉強は集中してやり、コンサートも、きのくに卒業してから(この4月から)、15、6回行ったでしょう。

ギターのソロコンサートから、ピアノ、オーケストラ、ジャズ、いろんな生の音楽に触れる時間のゆとりがあって、ほんとうに幸せそうです。


彼が興味あることを見つけ、自分自身の生き方ができているのも、きのくにでの教育のおかげだと思います。自分のペースで勉強でき、自分と向き合う時間があり、親や先生に怒鳴られたり点数で評価されたりすることなく、自己肯定感を持てているから。

すべての子どもたちが、「子どもの幸せのための教育」を受けられれば、社会はどれだけすてきになるでしょう。一人一人が、「自分の魂の船長」となれるような生き方ができればいいのに、と、心から思っています。


*夫に言わせれば、「三角比、三角関数は地球の回転とか○○とか(さっき聞いたのに忘れた)、円運動のもとになるすごく壮大な分野なんだよ。面白く教えられる先生がいれば、ほんとうに興味深いテーマなんだよ。」とのことです。・・・そうなの?

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2006年11月15日 (水)

子どもの幸せのための教育

ここのところ、子どもの自殺やいじめの問題が新聞に出ない日はありません。今も、どこかで死にたくなっている子どもたちがいるんです。新聞に載っているのが自分の子だったら、と思うと、とても耐えられません。

子どもの事件を考えるとき、いつも思い出す文章があります。9年前の神戸児童殺傷事件の加害男性が2004年に仮退院するとの知らせを受け、被害者の1人である、山下彩花さんのお母さんが書かれた文章です。(2004年3月11日に朝日新聞に掲載されたものです。)

一部転載します。

【ー略ー
加害男性に対して私個人としては、「社会でもう一度生きてみたい」と男性が決心した以上、どんなに過酷な人生でも生き抜いてほしいと思っています。

私は決して犯罪者に寛容な被害者ではありません。また、決して罪を許したわけでもありませんが、彩花ならきっと、凶悪な犯行に及んだ彼が、それでもなお人間としての心を取り戻し、より善く生きようとすることを望んでいるように思えます。彩花のためにも、彼には絶望的な場所から蘇生してもらいたいのです。 ー略ー

子どもたちがかかわる事件が起こるたびに、子どもを取り巻く最大の環境である私たち大人が、今一度「自分は何のために生まれてきて、何のために生きているのか」を真剣に問い直さなければならないように感じます。

そして、行き詰まった死生観を立て直すことや、「子どもの幸せのための教育とは何か」を深く思索していくことが根本的な解決の方途ではないかという感を強めています。

これからは、「彼が更正した」ということだけに固執するのではなく、むしろ、つらい体験を使命に転換すべく、私自身が社会に深くかかわり、自分なりに社会に貢献することにエネルギーを注いでいきたいと思っています。】


以上は全体の三分の一くらいの抜粋です。全文を読むと、さらに深く深く考えさせられます。

何か事件が起こるたびに、学校教育関係者は決まり文句のように、「命の大切さを教えたい」と言いながら、点数評価や競争原理をさらに強めています。こういう人たちは、山下さんのこの文章をどのように理解されるでしょうか?


「子どもの幸せ」というのも、人それぞれの価値観が違うので、同じ文書を読んでも、全然違うふうに感じとられるのでしょう。

百ます計算が人より早くできるとか、レベルの高い学校に入るとか、世間で評価される会社に入るとか、そんなことは子どもの幸福に、全く関係ないと思います。それどころか、精神に害を及ぼすことすらあるのではないかと思っています。

「子どもの幸せ」とは、自立して、自分自身の生き方をできることだと思います。今の教育は、そんなことは主眼にないですよね。そんなことでは、いじめも自殺も、子どもが犯す事件も、いつまでたってもなくならないでしょう。

でも、あきらめずにあちこちで言い続け、書き続けたいです。それが何になるのかわからなくても・・・.


*山下さんの文章全文のコピーが欲しい方は、メールいただきましたら、ファックスか郵送致します。

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2006年11月13日 (月)

きのくに子どもの村学園15周年

今年は、きのくに子どもの村学園ができて、15周年になります。

11月25日には、教育シンポジウムが開かれます。15周年、ということで、外国からのお客様もいらっしゃいます。詳しい内容は、きのくに子どもの村学園のホームページをご覧ください。

私は今回、大変残念ながら参加することができません。(行かれた方、ぜひお話聞かせてくださいね〜)
Nは見に行くそうなので、資料を買って来てもらおうと思っています。

今年も在校生、卒業生の発表があるそうですね。彼らの落ち着いた発表ぶり、話す内容に、いつも感心します。そういうのを見て、「きのくにの教育は間違いないなあ」と再認識します。

今まで、ほとんどシンポジウムには参加していますが、そのとき作られる資料がすばらしいんですよ。これまでも、このブログで紹介したことがあったかもしれませんが、きのくにのスタッフ、サマーヒルの校長、その他、子どもの立場にたって教育を考える人たちの言葉は、どんな専門書よりも、心に残ります。

行けないぶん、それをじっくり読もうと、楽しみにしています。(でも、絶対、その場で話しを聞くのが一番です!!)

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2006年11月11日 (土)

ホテル・ルワンダ

今年6月、この映画を見ました。

映画の中で、あるジャーナリストが、「このニュース(大虐殺)をテレビで見て、ああ、ひどいわね、と言いながら、みんなディナーを食べるんだよ。」というところが、胸にぐさっときました。自分のありかたをみられてしまったような、そんな気持ちでした。

ところで、『ホテルルワンダ』とは・・・。

舞台は1994年のルワンダ。長年続いていたフツ族とツチ族の民族紛争が大虐殺になり、100日で100万人もの市民が惨殺されます。四つ星ホテルに勤めるポールはフツ族、妻はツチ族。彼は愛する家族を守りたい一心で、ホテルマンとして培った人脈や話術を使って行動します。

その気持ちは、結果的に他の多くの人々をホテルにかくまうこととなり、世界中に見放されたルワンダで、たった一人で1200人もの命を救うことになったのです。その奇跡の過程を描いた実話です。


2004年12月にアメリカで公開され、大ヒットし、『アビエイター』や『ミリオンダラーベイビー』と並んでアカデミー賞やゴールデングローブ賞の主要部門にノミネートされました。それなのに、なぜか日本で公開される予定はなかったのだそうです。映画のチラシには、こう書いてありました。

【公開のめどがたっていなかった日本にもその興奮は飛び火し、「この映画を日本でも観たい!」と20代の若者たちが立ち上がり、ネットで署名運動を展開。5000通もの署名を集め、その熱意でついに日本公開が決定した!】


私、それを読んで、「ネットで署名運動って、どうやってするんだろう。誰が始めたんだろう」と思ってました。そしたら、昨日、その人が載っている記事を見つけました。こちらです。↓(多分直接飛べないので、このアドレスをコピーペーストしてください。)

 http://www.mammo.tv/interview/185_MizukiY/

この頃よく耳にする、mixiという、紹介制のネット交遊場(こんな説明でいいのかなあ?)で呼びかけたそうなのです。現代はこういうこともできるんですね。

いつも、なにか気になる問題があったとき、「じゃあどうすればいいの?」「私に何ができるの?」と、壁にぶつかってしまうのですが、とにかくなにかやってみる、そうしたら道はひらけるのかな。ネットはそのツールとして、効果的な場合がありますね。


一方、最近のニュースでは、足立区の「テスト点数に応じて予算配分をする」という方針が、電話による批難が殺到し、中止になった、というのがありました。

これも、一人一人の、「これはおかしい」「このままにしておけない」という強い気持ちが集まって、ほぼ固まっていた方針を中止させたのですね。

まだまだ、いろんなことをあきらめてはいけないなあ、と思ったことでした。

*『ホテル・ルワンダ』はDVDになっています。まだのかた、どうぞご覧ください。机に向かって世界史の授業を受けるより、よっぽど勉強になるし、忘れられないものになると思います。

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2006年11月 9日 (木)

きのくにのおでかけは・・・

きのくに子どもの村学園は、小学校も中学校も、そして、きのくに国際高等専修学校も、制服はありません。なので、ちょっとした旅行や修学旅行も、全部私服です。

きのくにでは、プロジェクトのテーマに沿ったことを調べるために、1、2泊の旅行をすることがよくあるのですが、みんなで見て回ることもあれば、現地に着いたら自由行動、ということもあります。

Nが小学三年生のときは「よくばりキッチン」いって、パンをつくるプロジェクトだったのですが、おいしいパンのお店を尋ねるのがメインの旅行で、神戸の中華街にも行きました。そこでは、1時間くらい自由行動で、一年生の子も友達とお店に並んで中華まんを買ったり、割り勘で一本の飲み物を買ったりした、という話しを聞きました。

しっかりしてるなあ、自立心も芽生えるよなあ、と感心しました。ちゃんとお小遣いの額も子どもたちで決めて、その範囲で上手に買っているのです。


昨年Nが修学旅行で17日間イギリスに行ったときは、自由行動のとき、友達と楽器屋さんを探して、ギターに必要なもの(なんだったか、聞いたけど忘れた)をその店で買ったというので、びっくりしました。

本人たちがたくましいのはもちろんなのですが、担当の教師が子どもたちを信頼して、一人前の自立した人間とみなしてくれているからできることですよね。責任もずっと重いと思います。私が教師だったら、「もしなにかあったらどうしよう」とばかり思って、子どもたちから目を離せないかもしれません。


でかける服装については、季節、気温にあったもの、ということと、破れたものはだめ、ということだけは気をつけるように言われます。特にイギリスでは、歴史的建造物に入ったり、外で食事したりすることも多いので、靴や服が破れていたりしたら、他に替えがない場合は、その場で安い物を買うこともあります。

そういうことでも社会性が身に付きますね。

Fが中三のときは、プロジェクトで5月から7月にかけての2ヶ月近くをスコットランドで過ごしました。旅行でかなり北のほうの島まで行くと聞いていたので、厚めのジャンパーを持って行くように勧めたのですが、本人、「そんなんいらんて。寒くないって。」と言い張り、薄手のウインドブレーカーしか持っていきませんでした。

帰国後のイギリス滞在紀には、こう書いてありました。

【スコットランドでも有名なストーンサークルを見に行ったとき、とても寒い風が吹いたので、もう立っていられなくなったので、石で風をよけてその場を凌いだ。イギリスに行く前、「暖かい服を持っていきなさい」といったお母さんの声が頭をよぎった。】

こういう経験をしてはじめて、次はどうしようかと、自分の頭で考えるようになると思うんですよ。

そして、朝起きた時、「今日はどこにも行かない日で、みんなとサッカーするから膝のすり切れたジーンズでいいな」、とか、「今日はエジンバラに行くんだな。きれいなズボンにしよう」とか、そんなことを考えること一つ一つがすでに人生だと思うのです。

どんな気候だろうがみんな一緒の制服で安心、というのは、どうなんでしょう。教師は楽かもしれないけれど、すごく大切なことを奪ってしまっているのではないでしょうか?

私もきのくにに出会わなければ、とてもこんな考えにはなれなかったと思うのですが、どんな小さい子でも、自分に任されればちゃんと自分の頭で考えて行動できるんですよね。そういうのをたくさん見てきたから、多くの学校で、なんでも大人が決めてしまう、というやり方が、間違っていることに気がついたのです。

私、教育は、基礎学力をつける、ということより、自分の頭で考えられる子どもを育てる、ということのほうが、ずっとずっと大切だと思います。


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2006年11月 7日 (火)

日本人て・・・

今日、高校の教師をしている知り合いと話しをしました。

少しまえ、修学旅行で中国に行っていた、とのこと。

旅先で生徒たちが、他の欧米系の旅行者にカメラを向けられることたびたびで、なぜか、というと、みんな同じ服(制服)でぞろぞろ歩いているのが、ものすご〜く珍しいから、というのだそうです。

そうかあ、普通は制服で修学旅行に行くのかあ。
きのくにはもちろん制服なんてないので、その話しを聞いて、私も新鮮な驚きでした。

しかも飛行機の中からず〜っと制服なんだそうです。ひえ〜。それが当たり前なんですか?

そういうのが当たり前になってる日本人て、危ないなあと思いました。
高校生といえば、半分以上大人でしょう?それが、おんなじ服を着せられて、ぞろぞろ歩いてる、髪の長さまで決められてるとか、異常ですよ。羊の群れじゃないですか。

生徒たち、信頼されていないんですね。好きな格好なんかさせたらどんな服来てくるかわからない、自由行動のとき、見つけにくくなる、とか思われてるんでしょう。

子どものころからそんなふうに管理されるのが当たり前だから、自分の頭で考えることができない、自分の言葉で話すことのできない人間をつくってしまうんですよ。

それは一部の管理独裁者の思うつぼなんですけどねえ。

そろそろ気がつきましょうよ、日本人!
声をあげましょうよ、私たちが!


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2006年11月 6日 (月)

宝箱からもう一つ

これも夜更かし会で聞いたお話です。

中学生のある子が、友達との関係でとても腹のたつことがあって、いらいらのあまり、学校の壁にドスン、と鉄拳をふるい、壁に穴をあけてしまったそうです。それを聞いたお母さんが、きのくにのスタッフに「すみません」と言ったところ、

「お母さん、○○くんをほめてあげましたか?」と言われたのです。

「へ?なんで? 壁に穴あけたのに、ほめる?」とびっくりしていると、こなんふうに話してくれたのだそうです。

「だって、○○くんは腹のたった友達に暴力をふるわないで、がまんしたんでしょ。だから壁をなぐったんでしょ。そこをほめてあげなくちゃだめよ。」


私、この話しを聞いて、ど〜っと涙がでちゃいました。こんなふうに受け止めてくれるなんて、子どもも保護者もなんて幸せなんでしょう。親でも気がつかない、深い見方です。うちの子も、こんなふうにあったかく見守ってもらっていたんだなあ、と思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。

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2006年11月 4日 (土)

夜更かし会は宝箱

ここのところ、教師によるいじめやら、履修科目問題やら、東京都足立区の小中学校での、テストの点数に応じた予算配分やら、ほんとに腹の立つニュースが多いのですが、怒ってばかりいてもしょうがないので、今日は、幸せな話しを書きます。(足立区の話しは、また後日)


数年前の夜更かし会のことです。多分、息子たちが転入して二年目くらいのこと。

(*夜更かし会、については、6月28日「夜更かし会の思い出ーその1」7月6日「その2」をご参照ください。)

ある女性スタッフがこんな話しをしてくれました。そのかたの娘さんはキルクハニティで学びました。

「私ね、娘の○○がキルクハニティを卒業するときに、ジョンにこう言われたのよ。『○○を私たちに託してくれてありがとう。とてもすばらしい娘さんだったよ。あなたも、娘さんの成長を間近で見ていたかっただろうに、私たちを信頼して託してくれて、ほんとうにありがとう。』って。

私も今、毎日ジョンと同じ気持ちでいるのよ。mamiさんもFくんNくんのそばにいて、すてきな成長ぶりを見たいでしょうに、きのくにを信頼して任せてくれて、ありがとう。」

もともときのくにを十分信頼して、子どもを入れたわけですが、この言葉を聞いて、ほんとに、なんの心配もいらないなあ、と深く思いました。教師がこんな気持ちで仕事をしてくれているなんて、親にしたらこれほどの幸せはありません。


それにしても、こんなすてきな話しを聞けるのも、うちとけてゆっくり話せる夜更かし会ならでは、と思います。ほかにもまだまだすてきな話しがあるんですよ。だから、夜更かし会は宝箱、なんです。

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2006年11月 2日 (木)

さかなクン

10月30日付け(31日だったかな?)朝日新聞二面の、「ひと」のコーナーにでていた「さかなクン」、ご覧になったかたありますか?

東京海洋大学の客員教授になった「おさかな博士」ということで紹介されています。

私は見たことないのですが、テレビの「どうぶつ奇想天外!」にもでているそうですね。その人気と「さかな博士」ぶりを見込まれて声がかかったそうです。写真の笑顔がとってもいい感じです。

本名は非公開、年齢も「成魚」で通しているのですって。

【小学二年生の時、友達が描いたタコの絵をみて「タコちゃん、かわいいっ!」と興奮したのが始まり。】とのことで、以来、魚図鑑に見入り、バイト先も魚屋やすし屋。

小学校の卒業文集には「(魚の)教授になりたい」と書いたそうですが、【魚への愛があだになってか、勉強がはかどらず、受験は断念した】のだそうです。

それでも、海洋大学の客員教授になったので、【夢だった大学で、お魚の知識と栄養をもっともっと吸収したい。】と、博士号取得を目指しているとのこと。

子どものときからこんなに好きなことがはっきりしていて、熱中している人には、受験勉強は、あまりにも無駄が多いのだろうと思います。

高校の履修漏れで文科相や教育委員会が騒いでいるようですが、学習指導要領、そして受験制度そのものは、たぶんしばらく変わりそうにもないですね。それならば、ほんとうに好きなこと、やりたいことがある人は、さっさと〈中学→高校→大学→よい仕事〉のレールに見切りをつけて、我が道を行ったほうが、幸福な人生かもしれませんね。

さかなクン、みたいなかたがどんどん活躍してくれる日本になるとうれしいな。

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