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2006年10月 9日 (月)

鮮明な旗印と民主主義

今日は、10月5日の記事、『読み書きそろばん、何のため?』にいただいた、nyanさんのご意見、ご質問について考えてみたいと思います。【】この括弧内が、nyanさんの書かれた部分です。


○【民主的なこと、個人を重んじること、違いをわかることと言いつつ、気に入らないならやめろ、というのは少々違うのではありませんか?】

「気に入らないならやめろ」って、私、どこかで書きましたっけ〜?今まであまりにもたくさん書き過ぎて、どこで書いたかみつけられませんでした。う〜ん、どこだろ。書いたとしたら、ちょっときつくて、嫌な気持ちにさせる書き方ですよね。自分のやったことには責任とりたいので、どこにその文があるか、誰か教えてください!!


○【わたしも子どもが在校時代、疑問点はいくらでもありましたが、それを口にして、じゃあやめれば?と言われたことはありません今のきのくには、学校もそのようなかんじなのでしょうか。。】

私も「じゃあやめれば」と言われたことはありません。(笑)気になったことは、堀さんやスタッフに直接聞いて、理解できたり、改善していただいたこともあります。なので、ご心配には及ばないと思います。(私の体験からしか話せませんが。)


○【いくら基本的な考えに賛同して入学したからといって、何もかも考えが同じというのはそれこそ変ではありませんか?言いたいことが言えるのが民主的なのではないのですか?】

私も同感です。そして、ここが大きなポイントだと思います。一人一人考えが違うのは当然なのですが、きのくに子どもの村学園の基本理念に賛同できない人、もしくは賛同しようという努力ができない人までが、満足いくようにすることは無理だろう、ということを、私は思っています。


『自由学校の子どもたち』の270ページに、堀さんがこう書かれています。

《旗印を鮮明にして、それに合意する人だけが、学校づくりの仲間として仕事を続けるのがよい。間違っても「みんなのいろいろな意見を公平に取り入れて学校を作ろう」などと考えてはならない。そんなことをすると、仲間の間で異論がでてきて、対立やいさかいが起きるからだ。

みんなのいろいろな意見を公平に取り入れるのは、民主的でも何でもない。学校づくりにおける民主主義には、みんなが公平に発言はするけれど、冷静で知的な合意に到達し、その合意は厳密に守られることが前提になっていなくてはいけない。》

これは学校づくりをする場合のことについて述べてありますが、保護者の気持ちとしても、そのような心づもりが大事であろうと思うのです。


『きのくに子どもの村』のほうには、このように書いてあります。(59ページ)

《きのくには、親のすべての要望にこたえることはできない。そんな力もない。また、私たちのやり方が完全無欠のものだとか、教育はすべてこうでなければならない、とかいうつもりもない。たとえていえば、きのくには、百貨店でもなければコンビニエンスストアでもない。

小さな専門店である。私たちの特製の商品が気に入ってくださる方はどうぞ、というのが基本姿勢である。

特製の商品とは、自己決定と個性と体験学習によって、感情的にも知的にも社会的にも自由な人間への成長のお手伝いをするということだ。

きのくにで、しつけをきびしくとか、基礎学習の時間をふやしてほしいなどという人があれば、それは八百屋へ来て洋服を注文するようなものだ。》

私は、きのくにがこういうふうに、旗印をはっきり掲げてくれているのから、安心していられるのです。


○【わたしは子どもをきのくにに通わせられる経済力をいつも感謝しておりました。来たければ来ればいいじゃない、というふうに、傲慢にならないでほしいと思います。保育園がきのくにより高かったという書き込みをされた方もいらっしゃいましたが、その方の経済力の自慢をされたところで、何も解決になりません。】

5月13日の『きのくにの学費は高いのか』と18日の『学費のことから考えた』の記事、およびコメントを読んで書かれたのだと思います。

経済力の自慢をしている、という感想を持たれるかたがあるとは、かなりびっくりしました。でも、百人百様の受け取りかたがありますものね。

ただ、nyanさんのコメントだけ読まれて、オリジナル記事、コメントを読まれていないかたが多いとすれば、気がかりですので、どうぞ、この機会に読んでください。その上で「自慢している」「傲慢」と受け取られることには、異議申しません。

私はコメントを読んだとき、夜中近くまでの保育時間を見て、このかたが、どれだけ必死に働いてきたかを想像し、ちょっと涙がでました。


私がこのブログをつくろうと思ったのは、ひらおだい四季の丘小学校の入学を祝う会に行ったときでした。代表のよしのさんのことは、堀さんに紹介され、数年前から知っていました。

「きのくにみたいな学校をつくりたい」と熱く語りつつも、なかなか大変そうで、時間を要している様子を感じていました。それでも、くじけず、情熱の火を消さずに頑張り通したのです。(酒断ちして?)

堀さんが、「教育の改革に一石を投じたい」と始めたきのくにの波が、確かに少し大きな波になって、九州の地に新たな自由学校ができたのです。ものすごくうれしかったと同時に、私も何か役にたてるようなことをしたいな、と思ったのです。

こんな私でも、きのくにで良かったことなんかを書いていったら、保護者の生の声、として役にたつかな、感動話、どんどん忘れていっちゃうのももったいないし、という気持ちなのです。

常々堀さんは、「きのくにはきのくにの子だけのものじゃない」とおっしゃいます。ほんとうにそう思います。そして、保護者の多くも、「私たちはきのくにこれてよかったよね〜。」なんていう、自己中心な気持ちでは、決してないと思います。


○【誰もパーフェクトじゃないし、いわゆる成功例だけをあげて、誰もがこうなる、といったような話はやめたいです。】

そういうふうに受け取られる可能性があるのか、ということがわかりました。ありがとうございます。気をつけつつ文章を書こうと思います。

ところで、成功例、というからには、失敗例、もある、との認識なのでしょうか?そのほうがよほど子どもに失礼なような気がしますが・・・。

私は、子どものすてきなところがいっぱいいっぱい目に入ってきて、ほんとうに幸せです。それは子どもが変わった、(確かに変わった部分はあるでしょうが)、それより、私の価値観が変わったので、息子本来の良さが伸びて、よく見えるようになったということなのです。

「失敗例」というようなものが、もしあるとすれば、それは、その親御さんがご自分の価値観を転換することに失敗した、ということではないかと思います。


10月3日の『柔らかいアタマ』につけてくださった、piririさんのコメントが、私の言いたい事を代弁してくれているので、それを転載させていただきます。

《うちの息子たちの場合は、たまたま二人とも中学になってから、今までつけていた力を私が感じ取れるようになりました。
私にしたら、突如とした変化に見えたのですが、彼らの頭と体のなかに蓄えられていた力を私がやっと感じることができたのかもしれません。》


○【きのくにが、すごくエキセントリックな学校だと思われるといやだなと思って書きました。】

その思いがすごくうれしかったです。nyanさんとは、考え方の違いを感じましたが、〈きのくにを愛する〉という気持ちが通じているような気がしました。


長くなってしまいました。ここまで読んでくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。おつかれさまです。2、3日更新お休みしようかな、と、〈今は〉思っています。(笑)

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コメント

 mamiさんのブログを楽しく拝見しています。私は3人の子どもが11~15歳で、地元の学校に入学し、それぞれがそれぞれに不登校だったり、学校を楽しんだり、色々な過程を経て現在は地元の学校に皆毎日通っています。自由教育には興味があるので、ここの記事を読んで、「へー、そうなんだ、ふむふむ・・・」など、具体的な事柄を知ることが出来て嬉しく思っています。
 私は、mamiさんがFくんと一緒に生活することになってFくんのいいところがいっぱい見えて嬉しくてしょうがないんだな~と思っていました。親が自分の子が一番かわいい、自分の子が通っている学校が一番いいって思えるのはとっても喜ばしいことだと思います。
 私の子どもたちはきのくにではないけれど、とーってもやさしくて、思考が深くて素直、親の私たちよりよっぽど寛容力もありますよ(^^)*
 ま、子どもはどんな環境でも育つし成長するんです。子どもに最良の環境を、と望むのは親の常ですが、それが子どもにとってどうかというのは究極的にはわかりません。戦争や虐待という状況だけは避けたいけど、それ以外はほとんど運命的と開き直るしかないのでは? きのくにに通わせたいけど経済的に無理、ならそれでいい。逆に地元の公立校でいいところもいっぱいあるし、学校いかなくてもいいし、いろんな生き方があるから。逆境の方が子どもにとってプラスという時もあるし。
 私は子どもたちが学校に行かないことで色んなことに気づかされ、世界が広がり、子どもたちと多くの時間を共有することができて、本当に幸せだーと感じています。結果的に、私としてはこんなすてきな時期、時間を学校や寮にとられるのはもったいない、自分は得した、と思ってますが。これからどうなるかは、また、さっぱりわからないですね~。子どもの成長は予測不可能です。だから楽しいのかな。

投稿: ゆう | 2006年10月11日 (水) 10時37分

ゆうさん、コメントありがとう。

>戦争や虐待という状況だけは避けたいけど、それ以外はほとんど
>運命的と開き直るしかないのでは? 

同感です。そして、その運命の中で、人それぞれができること、良いと思うことをしていけばよいのではないかと思っています。

>逆境の方が子どもにとってプラスという時もあるし。

作家の柳美里さんは、とてもしんどい子ども時代を送ったけれど、それがあるから家族をテーマにした小説を書く事にこだわっている、という話しを聞いたことがあります。

運命に負けないで、そして、甘んじないで、生きていくことが大切なのかな。

投稿: mami | 2006年10月12日 (木) 23時59分

mamiさん、お久しぶりです。
久しぶりにブログを覗かせて頂いたら、な、な、なんと!当人にとって衝撃的なコメントを発見してしまいましたっ。(汗)
ので、当事者であるわたしも一言コメントさせて頂きますね。

nyanさんwrote
○【わたしは子どもをきのくにに通わせられる経済力をいつも感謝しておりました。来たければ来ればいいじゃない、というふうに、傲慢にならないでほしいと思います。保育園がきのくにより高かったという書き込みをされた方もいらっしゃいましたが、その方の経済力の自慢をされたところで、何も解決になりません。】

nyanさんが、【きのくにの学費は高いのか】へのわたしの投稿を読まれて「経済力を自慢している」と印象を持たれるのは自由だと思います。
だからnyanさんへの抗議ではありませんので、そこのところは誤解なさらないで下さいね。

うちは母子家庭です。
わたしは水商売の世界でホステスをしながら息子を育てていました。
稼ぎ手はわたし一人なので、学費の高い私立なんてこれっぽっちも考えていませんでした。
息子が幼稚園年長さんの時に「どうもお宅のお子さんは何かが違うように思います。しかるべき所へ相談に行ってください。」と薦められたので、半信半疑ながら出向いてみると、
「LD児の疑いがあります。普通の学校ではついていけないでしょう。」

保育園は小2までしか預かってくれません。
ホステスの子供は夜中まで一人でお留守番することになるので(皆がそうだとは言いませんが)寂しさのあまり不良のようになる子が多いです。
そんな環境的ハンデに加えて、「普通の学校ではついていけない」・・・息子のための学校探しに苦慮している時に「きのくに」を知りました。

女手一つのわたしにとって、正直、学費は厳しいものを感じました。
息子が小2の時に阪神大震災があり、わたしは仕事も住む家も失ってしまいました。
お客様の売掛金を被った為と生活費を工面する為に、借金は400万近くまで膨れあがってしまいました。
当然、学費も滞りがちになったので「支払いが遅れて申し訳ありません。」と謝りましたら、
きのくにからこんな言葉が返って来たのです。
「続けて下さるだけで良いのです。子どもさんを通わせて下さるだけで十分なのですよ。」

嬉しくて、ありがたくて、申し訳なくて、涙が出そうになりました・・・(今、思い出しても涙が出ます)
その時、心に誓ったのです。
「どんなことがあっても立ち直ってやる。どんなことがあっても息子のことを心から大切に見守って下さるこの学園との縁を切ってたまるか。」
自分で言うのも何ですが、希望と野望に燃えて昼の仕事を探し、見つけ、誠実に働き続けました。
(午後1時~9時までは自分で始めた小さな店、そして店の経営が軌道に乗るまでは午前12時~4時までコンビニパートの二足のわらじ状態)
借金の返済は、息子が中2の夏休みまでかかりました。
こんな経験をしたうえで感じる「きのくにの学費は高くない」だったのです。

現在も今年の春、他県の大学へ進学した息子の学費と仕送り費を稼ぐために元旦以外一年364日働いています。
きのくにとご縁を持つまでは、心にゆとりのない母子家庭でしたが、今は親子共々笑顔と会話の絶えない明るい母子家庭させてもらってます。(感謝)

「普通の学校ではついていけない」と宣告されたハズの息子は、きのくにのお陰でキャンパスライフを満喫しているようです。(笑)
中3の3学期まで教科書も満足に読めなかった子が、漢検・英検・色彩心理検3級ゲット。
きのくにで培われたコミュニケーション能力をフルに活用して人間関係を楽しみ、かけがえのない親友と語り合う喜びを得、
先日は社会人混成の地元フットサル大会で優勝したそうです。

「お母さん、大学に行かせてくれてありがとう♪」
もう、この言葉だけで、どれくらい我が子がキャンパスライフを楽しんでいるか察せられて、自分のことのように喜びにひたってます。
息子が、学ぶことが楽しい、挑戦することが楽しい、自分を表現することが楽しい、こんな明るい青年に育ってくれたのもひとえにきのくにでの12年間があればこそだと心から感謝しています。

物覚えは悪くても、分数計算どころか九九すらなかなか覚えられなくても、「自分を信じることの大切さ」だけは、しっかり覚えさせてくださったきのくにの教育理念「個性化・体験学習・自己決定」は、やはり真実の教育だったのだなぁとしみじみ感じる今日この頃です。

それもこれも一切合切含めて「きのくにの学費は高くない」で~す。(笑)


投稿: のんびり母さん | 2006年10月13日 (金) 02時55分

のんびり母さんの、明るい苦労話(?)、しみじみと読ませていただきました。息子さんの様子も、在校生の保護者としても、とてもうれしいことです。幸せな気持ちになりました。ありがとうございました。

投稿: mami | 2006年10月13日 (金) 22時35分

こんばんは。のんびり母さんの連投です。

ついさっき息子から電話がかかって来て楽しく盛り上がっていました。
「大学が楽しくて仕方がない♪」声が弾んでいました。(笑)

ゼミの代表に選ばれて堂々の海外研修発表をやらかしたおかげで、本人は知らなくても周りの学生達には知られた存在になったらしくお友達の輪がどんどん広がっているようです。
息子曰く(本人の許可を得ています)
きの高(きのくに国際高等専修学校)で地獄のレポート責めに痛めつけられたおかげで、大学でのレポート作成が苦にならないそうです。
きの高のムゴイっ!とも思える発表重視、レポート重視の追い込み教育?のおかげで大学生活に何の不安も感じないとか。
「何でみんなもっと発言しないのかな?」だって~。(爆)

春学期の成績は、社会学概論だったかな?知識量を試す筆記試験はいまいちだったのに、「質問の内容が鋭い」と言うことで優(内容的には100点満点中99点の高得点)をもらいました。
他の学科も本人なりに健闘して、一番下のレベルではありますが奨学金2万5千円也をゲットした模様です。

息子の弾んだ声を聞きながら、
「この子は、普通の学校ではついていけないと言われた子だけど、「普通の学校」っていったいどんな学校のことをお医者さんや他の人は言っていたのだろう・・・」そんな気持ちになりました。

他の子と比べて物覚えが悪く、学習スピードが遅いだけの子がついていけない学校のことを「普通の学校」と表現するなら、「普通」っていったい何なのだろう・・・そんな感じです。

音楽の好きな子もいれば、体操の好きな子もいる。
詩を書くことの好きな子もいれば、料理の好きな子もいる。
算数の好きな子もいれば、国語の好きな子もいる。
内向的な子もいれば、外向的な子もいる。
文章を書くことが好きな子もいれば、話すことが好きな子もいる。
リーダーシップを取ることが好きな子もいれば、裏方が好きな子もいる。
学習スピードの速い子もいれば、遅い子もいる・・・etc

わたしはきのくにほど「普通の学校」はないと思います。
教育というものが、ひとりひとりの子どもの個性と成長を当たり前のこととして見守り育んでいくものであるならば、
きのくには、本来の意味において「普通の学校」じゃないのかな~なんてね。(^^ゞ


投稿: のんびり母さん | 2006年10月14日 (土) 02時08分

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