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2006年9月18日 (月)

『責任』は、とらされるもの?

「あなたがやるって言ったんだから、ちゃんと自分で責任とりなさいよ」
先生や親から、こんなふうに言われた経験、ほとんどの人があるんではないでしょうか?

な〜んか嫌な言い方だなあ、と思います。だって、ほとんど脅しですもの。そして、こういうこと言う大人自体が、何かあると責任逃れすることばっかり考えてるみたいです。先日書いた修学旅行中止の件、然り。


Fが地元公立小で三年生のとき、担任の暴力が発覚し、クラスの中で問題になったことがありました。一番ひどい体罰を受けた子があるとき学校から逃げ出して、一時行方不明になったので、明るみにでたことでした。

私はいまどき体罰が堂々と行われていたことに驚き、また、「校長が“その子と担任との問題”にしてしまおうとしている」、というのを、その子の親御さんに聞いて、とても腹がたちました。

それで、校長に、こう言いました。

「今回たまたま問題が表面に出ましたが、これは学校全体の問題として、親も教師も考えなければならないと思います。自分の子どもを殴ってもいいと思ってる親もいるようですし、体罰する先生は、他にもいると思います。担任を指導して終わり、ではなくて、みんなで考えませんか?PTA総会で意見をだそうと思いますが、どうでしょうか。」

それに対する校長の答えは、
「それだけは勘弁してください。ことが大きくなると、またいろいろと面倒ですから・・・・、うんぬんかんぬん」

この人、自分の保身しか考えてないんだ、ということが、よ〜くわかって、もう、げんなりしちゃいました。校長にとって、責任をとるということは、教育委員会に知られて減給処分になる、ってことなんだろうな。つまり、体罰事件が公になったら、「責任をとらされる」っていう認識なのでしょう。

でも、「責任をとる」って、そういうことじゃないでしょう?もっと積極的で、問題を価値に変える力をもったものじゃないでしょうか?

この場合だったら、「私の意識が低かったから、こういう問題が起こった。繰り返さないために、何が必要だろうか。まず教員と話し合ってみようか。子どもの人権意識が低かったのだろうか。」などなど、積極的に考え、行動してみることが責任をとる、ということじゃないでしょうか?

脅しや管理の教育を受けてくると、「責任」というのが、とても嫌なものになるのです。「自由には責任が伴うんだよ」なんて、わかったようなことを言って、子どもの自発性を奪う教育のたまものなのだと思います。そして、自己中心で自己保身ばかり考える大人ができあがってしまうのですね。


 『自由学校の設計』 P.121より

【「自由には責任がともなう」。これまでにどれほど多くの子どもがこのことばを聞いて萎縮したことだろう。
「自由にしていいいよ。だけど責任は自分で取るんだよ。」
こんなふうに親や教師からいわれたら、子どもたちは、はたして自由の喜びを感じるだろうか。かえって結果に対する叱責や厳しい評価を予想してしまうのではないだろうか。

あえていえば、「自由には責任がともなう」ということばは、自発性を育てるどころか、むしろ脅しになっているのだ。この事実は、たいていの親や教師にとって、心理的に乗り越えにくい「躓きの石」となっている。

「子どもを自由にするのは大事だ、しかし、そこには責任が・・・」といいたくなる人は、早めに自由な学校に憧れるのはあきらめたほうがよい。】  (続きは本でお読みください。)

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