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2006年8月30日 (水)

パスポート盗難事件

昨年(2005年)秋、Nはイギリスへの修学旅行に参加していました。

あと4、5日で帰国するんだなあ、と思っていたある晩、きのくに子どもの村学園の事務室から電話がかかってきました。私はちょうど外出していて、出たのは夫。

「今きのくにから電話があって、Nがパスポートを盗難にあったらしくて、渡航証明書を発行してもらわないといけないから、戸籍抄本をとってきて、ファックスしてくださいだって。」

ええ〜!?盗難?どうして〜? 詳しい状況がわからないまま、とにかく戸籍抄本をファックスし、数日後、「予定通り帰国しました」、との電話をいただきました。

その後の学園からの手紙と、N本人との話しから、車上盗難にあったということがわかりました。ほとんどの子がバスにおいていたリュックを取られ、Nを含め、4人の子が、パスポートの入ったポシェットまで置きっぱなしにしていたため、大変なことになったというのです。

荷物が盗難にあったのは、どうしようもなかったことかもしれませんが、パスポート、航空券まで取られたのは、本人の落ち度です。でも、きのくにの大人は、「どうして置きっぱなしにしたんだ!!」なんて怒鳴ったり、くどくどと子どもを責めたりはしなかったそうです。

警察、領事館、航空会社など、必要なところへ連絡をとった後、予定していたユースホステルへ急ぎ、そこで帰国までの日程をどうするかのミーティングをしました。

その結果、パスポートをなくした子は、とにかく渡航証明書の発行のために、領事館に行くなどし、他の子は近場にお出かけ。帰国直前に予定していたウェールズやバース、リバプールには行けない、ということになりました。リバプールではビートルズ記念館に行くのが目玉で、Nもとても楽しみにしていたのです。

でも、自分のせいでこんなことになって、みんなに迷惑をかけてしまった、という思いもあり、Nもあきらめるよししかたない、とつらい思いで覚悟していたそうです。

ところが、行けたのです!夢にまでみたビートルズ記念館へ!この一部始終は、掘さんのお便りと、Nの作文から抜粋します。


堀さんのお便り:「パスポート盗難事件の顛末」より

【帰国前の旅行は、けっきょく、ウェールズやバースがカットされ、リバプールも断念せざるを得なくなった。リバプールのみんなのお目当てはもちろビートルズ記念館(ストーリー)だ。これに大きな期待をかけていた子は多い。無理だとわかった途端、みるみる失望の表情に変わる。その時の何人かの顔は今も鮮明に私の脳裏に残っている。次の日、飛行機の時間を気にしながら、私は、だれにも相談せず、何の前触れもなく、とつぜんわき道にそれてリバプール行きを敢行したのだ。】


「きのくに子どもの村通信 第76号」中、Nの作文より

【修学旅行の最終日は朝早くにキリー(キルクハニティ)を出て、ロンドンに直行のはずだった。しかし、途中で高速を降りてどこかの町に入った。隣に座っていたM君が「ここってリバプールっぽくない?」と言ってきたので、「そんなわけないやろ」と言った。でも、ロンドンに着くには早すぎる。

なんで高速を降りたのだろうと思った。そしてバスがそこに止まった。そこに見えたのはなんと、行けるはずもなかった『ザ・ビートルズ・ストーリー』。うれしさのあまり飛び跳ねるほどだった。
中にはジョン・レノンが初めて手に入れたギターや、ジョージ・ハリスンのギターが飾ってあった。】


この顛末を聞いたときには、「子どものためにできるだけのことをしよう」という堀さんの気持ちがありがたくて、涙がでました。Nも「あのときは、ほんとうにうれしかった」としみじみ言っていました。


そして、このパスポート事件にはまだおまけがありまして、盗難後のミーティングで帰国までの予定を確認し終わった頃、ある子が「実は僕、パスポート落としたみたい・・・」と言い出したのです。

「あの時は堀さんもほんとうに困った顔してた。表情が変わってた」とNが言っていました。

もう夜も遅い時間だったのに、それから堀さんは落としたらしいところを探しに行ったそうです。ところが、途中の道が事故だか工事のために通れなくなっていて、引き返さざるを得ず、おまけに車が故障してしまい、さんざんな目にあったそうです。帰国までの数日間、いつにも増して堀さんの睡眠時間は少なくなったことでしょう。

普通、これだけのことが起こったら、寄り道はいっさいなしにして、いっこくも早く空港についてゆっくりしたいと思いますよね。ほんとに堀さんは偉大です。

そして、Nは、「もう絶対パスポートは肌身離さん!」と言っております。「どれだけ大切か、よ〜くわかった!」だそうです。

叱られなくったって、大人や友達に迷惑をかけてしまったことは、本人が一番よくわかっているのです。そして、大好きな大人が困った表情をした、それでも一生懸命自分のために動いてくれて、無事に帰ることができた、それだけで、もう、何も言わなくても、大切なことは心に染み通ったようです。

(家族旅行でこんなことがあったら、私なら100回くらい「どーしてパスポート置きっぱなしになんかしたのよ!!!!」と怒鳴っていたでしょう。)

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2006年8月27日 (日)

遅ればせながら夏休み

26,27日と、ちょっと遅めの夏休みをとりました。お盆のときは、14日だけお休みして、あとはお仕事。

今年の夏は特に予定もなかったし、Fは高校の試験(通信制なので、8月末に試験がある)、ギターとソルフェージュのレッスン、バイト、と予定いっぱいで、遠出はしませんでした。

26日は試験最終日だったので、Fを高校(福岡)に送り、その間はNと私はそれぞれ、ウインドウショッピングやギター屋さん、本屋さんで過ごし、その後全員集合。で、家族でボーリング大会。(というほどでもないが・・・)

ボーリング全盛期に育った夫と私なのに、息子たちには歯が立ちません。夫なんて、日頃タービン(歯科切削機)と尺八以外には、重いものを持ったことがないので、もう、足がよろけちゃって。私も人のこと言えません。三連続ストライクをだしたかと思えば、ガーターの連続。どうなってるのでしょう。

その後、食事、ホテルに戻って、トランプでナポレオン。

ナポレオンには思い出がありまして、子どもたちがもっと小さい頃から、家族でよくやっていました。で、負けると泣くんですよね、子どもたちが。これ、性格が現れまして、Nは負けず嫌いで、負けそうになっただけで、ぎゃ〜んと短気起こして、もう途中で放棄、なんてこともありました。Fは静かにしくしく泣くのです。

今回、和やかにナポレオンをしつつ、Fが言いました。

「お父さん以外、みんな泣いてたな。」

ハイ、実は私も泣きました。悔しくて。性格、Nに似てます。

で、今回、ボーリングの体力的な成長はもちろんなんですが、ナポレオンでの、子どもたちの、よく働く頭にも、脱帽でした。もう泣きませんし。(あたりまえか。今回泣いたのは私だけです。)

ところで、ここ数日早起き、長距離運転が続いたので、少々疲れ気味で、今、すでにかなり眠たいです。でも、堀さんのこと思えば、これくらいで眠たいだの、疲れただの言ってられませんね。いつも子どもたちのために働いてくださって、運転しまくって、睡眠時間、超短時間ですし。私もまた、明日から頑張らなくっちゃ。


そういえば、本屋さんでの立ち読みで、「自閉症だった私」とかいうタイトルの本を少し読んだのですが、これ、おもしろかったです。買えばよかった。私には理解できない、自閉症児がどんな心理状態だったのか、ということが書いてあるのです。これも、近いうちに読んで、ご紹介します。自分の知ってる世界なんて、狭いもんだなあ、と思いました。

ブログ、毎日のように見に来てくださっているみなさま、感動秘話第三弾は、次回書きます。今日は閑話休題にて、失礼いたします。


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2006年8月25日 (金)

電車をまちがえて

感動話の二つ目です。

1月からきのくにに行き始めたN、二回目のきのくに行きでのこと。朝8時発の飛行機で行く予定だったのですが、その日は全国的な大雪で、道路も完全凍結。スタッドレスタイヤをはいていたものの、とても無理な状況で、午後からの便で行くことにしました。

19時過ぎ、そろそろ寮に着いた頃かな、と思っていたら、電話が鳴りました。「おかあさん、電車まちがえてな・・・。うわ〜ん」と泣くNの声。

「どうしたの?今、どこなの?」と聞いても、泣いて返事ができない様子。Fに電話を変わってもらったら、「電車まちがえて、みさき公園、っていうところまで来てしまった。また、難波にもどって、そこからきのくにに行く」と言うのです。電話は車掌さんの携帯電話を借りたそうです。

こんなとき、離れている親はなんの役にもたちません。心を落ち着けて、
「じゃあ、きのくににはお母さんから電話しとくから、車掌さんに行き方を確認して、しっかり行ってね。難波に着いたらまた電話してね。」と言って、電話を切りました。

すぐ学園に電話をして、事情を話し、後はFからの連絡を待つしかありません。そして、その間に「みさき公園」というのがどのあたりなのか、地図で調べてみましたら、きのくにとはまったく別方向で、一時間くらい行ってしまったのだということがわかりました。

8時半近くになって、やっとFから電話がありました。

「8時半の電車に乗る。高野山行きって書いてあるけど、これでいいんやな?」落ち着いた声でした。

それにしても8時半の電車。ということは、橋本の駅につくのが21時半で、そこからタクシーに乗って、きのくにに着くのは22時頃。暗いなか、二人でタクシーに乗るのは心細いだろうな、おなかもすいただろうな、と思い、涙がこぼれました。

そして、21時半、担任の声で電話がありました。

「二人、今橋本駅に着きましたよ〜。これから寮に帰ります。お母さん、今回のことは、FくんNくんにとって、とてもよい経験だったと思いますよ。」

なんと、堀さんと女性担任が、雪の中、橋本駅まで迎えに来てくれていたのです。二人はどんなにうれしかったでしょう。近くのコンビニでおにぎりを買ってくれて、車の中で食べたそうです。

そしてこれは後から聞いた話しなのですが、堀さんは、二人の無事を確かめると、そのまま車で福井県に向かったそうです。その二日後に、きのくにでスキー旅行を予定していたのですが、今回の大雪で、道が大丈夫かどうか、子どもたちを連れていけるかどうか、まず堀さん一人で確かめに行ったというのです。

結局そのときの堀さんは、雪による大渋滞(立ち往生の車が続出)に巻き込まれ、10時間近く車に閉じ込められてしまったのです。

息子たちのことがなかったら、もっと早く出発できたはずです。それなのに、息子たちの安全を確認するために、待っていてくださったのです。そして、私にはそんなんこと一言も言わず、担任も、涙声の私を励ましてくれたくらいです。

FもNも、「あのとき駅に掘さんと○ちゃんが来てくれてて、すごくほっとした。」と言っていました。子どもたちにも、私たち親にも、忘れられない出来事となりました。

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2006年8月23日 (水)

上の子に下の子の面倒を見させないで。

きのくにでの感動話しは、それはもうたくさんあるのですが、やはり息子のプライバシーも関わってくることでもあり、全部書くわけにはいかないのが苦しいところです。それでも、大丈夫そうなもの、三つばかりピックアップしました。今日はまず一つ目です。

Fが4年生の4月にきのくに転入が決まり、入学を祝う会当日、新入、転入の保護者に向けて、説明、質問会、がありました。その中で、堀さんの、この話しが特に心に残っています。

【この中に、兄弟姉妹で入学されたところもありますね。その方たちにお願いですが、学園への行き帰りや、学園、寮で、お兄ちゃんお姉ちゃんに下のお子さんの面倒を見させないでください。「○○ちゃんのことお願いね」なんて、弟妹のことを頼まないでくださいね。

新しい学校で、寮生活、それはみんな緊張しますよ。慣れるだけで大変なんです。そのうえ弟妹の面倒まで頼まれたら、お兄ちゃんお姉ちゃんはたまりません。疲れてしまいます。】


うちは、最初Fだけがきのくにへ行けることになったのですが、翌年の1月から、次男のNも転入が決まりました。初めてNも一緒に行くという日の前日、Fの元気がなくなりだしました。

「きのくにでNがなんでもかんでも俺に聞いてきたらどうしよう。」としんどそうに言うのです。きのくにでNにべったり頼られることを考えて、もうはや疲れてしまっているようでした。

私からは、「ちゃんとNにも、何か困ったことやわからないことがあったら、Fじゃなくて、大人の人に聞きなさいね、と言ってあるから、大丈夫よ。」と話しをしましたが、息子たちがきのくにに向かった後、一応担任にも、Fが弟のことで心配しているようです、と電話して伝えました。

担任のかたは、「Fくん、気を遣いますものね。Nくんの体験入学のときも、すごく気疲れしてましたから。わかりました。朝のうちに、話しをしておきましょう。」と言ってくれました。

息子が次に帰宅したとき、「○ちゃん(担任)、あの日の朝、なにか言ってくれたの?」と聞きましたら、堀さんがこんなふうに言ってくれたそうです。

【きのくにには兄弟姉妹で入っている人がたくさんいるけど、ひとりひとり別の人間だからね。そして、きのくには自分のことは自分でするっていうところだからね。】

当時小四の息子が覚えていて話してくれたことなので、言葉どおりではないかもしれませんが、実際、この話しを聞いて、Fはほっとしたということですし、Nも【なんでもかんでも兄ちゃんに聞く】ということもなかったようです。幼いながらも、堀さんの話しを聞いて、「弟」という立場でなく、一人の人間としての自覚みたいなものを感じたのでしょう。


私自身、きのくにでこういう話しを聞くまでは、どうしても、【お兄ちゃん、弟】という視点で接していたことが多かったように思います。特にそのことで、ひどい仕打ちをしてしまったことが、今も忘れられません。

それは、まだきのくにへ行く前、Fが小三、Nが小一、くらいの頃でした。

三人でデパートに行きました。そのころ、よくかんしゃくを起こしていたNが、また例によって、機嫌をそこね、ぐずぐず言い始めました。私も、すぐいらいらするほうでしたので、怒り爆発で、「もう、あんたなんか、来なくていい。好きなところに行きなさい。」と言って、道の真ん中にNを残して、Fといっしょにずんずん先へ行ってしまいました。

しばらくして、振り返ってみると、Nの姿はどこにも見えません。私は、自分が悪いくせに、Fにこう言い放ったのです。

「どうしてあんたがちゃんとNを見てないの!!お兄ちゃんなんだから、あんたが見てないとだめじゃないの!お母さんはここで待ってるから、あんたが探してきなさい。6階のおもちゃ売り場にいるかもしれないから、見てきなさい。」

Fは泣きそうな顔になって、走って探しに行ったのです。文句も言わずに。ひどい母親でしょう?鬼母です。これ、誇張でなく、ほんとにそう言ったんです。ほんとにひどい親だったんです、私。

結局Nは、デパートの受付のお姉さんに連れられて歩いているところを、私が見つけて事無きをえたのですが、私、今これを書きながらも、FにもNにも申し訳なくて、涙がでてくるのです。Nをかんしゃく持ちにしていたのも私だし、Fを責めたて、【お兄ちゃん】の重圧をかけていたのも私です。


【すべての迷信と因習と偽善から解放された時、その時はじめて人は教育のある人間になったといえるのだ。】(A.S.ニイル)

Fはきのくにで、まず「お兄ちゃん」の呪縛から解き放たれ、心が解放されていったのだと思います。【心の解放】、このことの重要性を、きのくにに出会わなければ、私は気づくことはできなかったでしょう。

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2006年8月21日 (月)

カタログハウス

どっちがほんとうの名前なのかしら?通販生活?カタログハウス?ま、どっちでもいいんですが、私のお気に入りです。

通販雑誌なのですが、主張があるんですよね。良い商品、というだけでなく、環境に配慮した商品を扱っています。そして、商品紹介以外の記事の、中身が濃い。チェルノブイリのその後や自衛隊の海外派遣など、様々な問題について掘り下げています。今回(2006年秋号)で特によかったのが、「人生の失敗」という特集です。

前衆議院議員の城内実氏のインタビュー記事です。彼は自民党員でありながら、再三の説得にも関わらず郵政民営化に反対し、その結果、選挙では無所属でたつことになり、刺客(片山さつき氏)まで送り込まれ、700票という僅差で落選してしまいます。

【空気が読めない間抜けなやつだみたいな誹謗中傷はありました。私は、そういう人とはちょっと違う価値観、国家観を持っている人間だから、空気を読んで、あっちへついたり、勝ち馬についたりはできない。】

【郵政法案に当初は反対していながら土壇場で賛成にまわった同僚議員に対しては、卑怯だとは思いません。その人はその人、私は私です。】

いいじゃないですか、この実直さ。すっかりファンになりました。こういう議員さんが多くなれば、日本の政治も変わるかな、と期待できます。

「カタログハウス 2006年秋号」今、書店でも売ってます。みなさまどうぞ読んでみてください。ちなみに、読者による本の紹介コーナーというのもありまして、3年くらい前、私、『自由学校の設計』の紹介文を送ったのですが、ボツでした。どなたか、挑戦しませんか〜?

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2006年8月19日 (土)

そりゃ、殺人も起きるわな

昨夜のFは、いろいろと疲れがたまったのか、ちょっと無口で、無愛想。それを無視して、いつものようににぎやかに話しかけるワタシ。大分弁丸出しの、わたしたちの会話です。(一部熊本弁混入)

私:「ちょっとお、日曜日お客さん来るんやけん、あんたのもの、ちょっと片付けちょってよ。」

F:「後からするし。あんなあ、俺、今、反抗期なんやけんな。」

私:「そうなん?そりゃ失礼しました。じゃあ、なんも言わんとくわ。明日までに片付け頼んだで。」

             しばし、静かに過ごす。

F:「俺、体重46.5キロやったわ。お母さん、体重計乗ってみ。」(Fより背の低い私が、体重ではいい勝負なのを笑うつもりのF)

私:「ちょっと〜、私、今、反抗期なんやけんな。そんな、乗ってみ、とか言われたらムカつくんやけど。」

F:「いいけん、乗ってっちゃ。」

私:「そんならあんたもさっさと今片付けなさいよ。」

と、わざと命令口調の応酬。

私:「ほら、これしまって。もう歯ブラシして寝る時間やん。お勉強はどうなってるの?(わざといらいらした声で言う)・・・って、こんな調子の家庭って多いと思うよ。」

F:「・・・そりゃ、殺人も起きるわな」

お互い命令口調で言い合った私たちは、芝居がかっていたとはいえ、心が殺伐としてくるのを感じたのでした。家でも学校でも、こんなふうに言われたら、ほんと、たまらないね!


(それにしても、F体重軽過ぎ!)

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2006年8月17日 (木)

量より質、だよね!

【「そんなに遠いところに子どもを行かせて大丈夫だったの?」とよく聞かれます。そういう時、まず思うのは「子どもにとって何がいちばん大切か」です。子ども自身が自分で生きる道を見つけてほしい。楽しい思い出に満ちた子ども時代であってほしい。"one of them"ではなくて“the only one" を大切にする教育環境で育ってほしい。

そう考えた末にたどり着いたのがキルクハニティでした。子どもが行きたいといい、学校も受け入れるといってくださった。信頼して我が子を預けられる学校がたまたま遠かっただけなのです。】(きのくに子どもの村学園 04 教育研究シンポジウム資料集より)

この文章は、きのくにのスタッフのAさんが、2004年のシンポジウムで発表なさったものです。4人の娘さんのうち、上の二人がキルクハニティへ、下の二人がきのくに子どもの村学園へ行きました。

私も同じように思っていましたけれど、Aさんの落ち着いた、やさしい笑顔、そして自信に満ちた様子を見て、とても心強く感じました。

そして、Aさんは、このようにもおっしゃってくださいました。

【同じ時間に空を見上げれば、同じ太陽を見ることができます。どんなに遠くても日本の空はイギリスまでつながっていて、同じ時間を共有していると感じることができます。以前、ホームシックにかかった娘にも手紙にそう書きました。娘たちは、一人で不安な時、寂しい時、悲しい時には空を見上げ、同じ空の下にいる家族を思い、励まされたといいます。人と過ごす時間は、長さではなくて、その質が大切なのだと改めて思いました。】

ものすごく勇気づけられた言葉でした。

確かに、子どもがきのくにに行くようになってからは、心の絆が深くなったような気がします。以前は、子どもを自分より下に見ていましたし、心のどこかに「子どもを支配する」という気持ちがあったように思います。感情次第できつい言い方をしたりもしました。それが、きのくにと出会って、ニイルの本なども読むようになって、「子どもも私と対等な人間なんだ」ということがわかってきたのです。

「私って、今までなんてひどいこと、子どもにしてきたんだろう」とものすごく後悔しました。だけど、「子どもの自由や人格を尊重する」ってこと、誰からも教わらなかったし、考えもしなかったんですもの。

中学を卒業する前のFに、「きのくに入ってなかったら、どんなだったかな?」と聞いたら、「う〜ん、ダメな子って感じだったかな」と言われました。「ダメな子」にしていたのは、私です。ごめんよ。ごめん。

今は、かなり自信を持って言えます。
「一緒に過ごした時間は普通の家族と比べれば多くはなかったけど、対等の人間として、共に成長してきたね」って。(まだまだ成長途上ではありますが・・・。)

                    

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2006年8月16日 (水)

小学生のうちから寮生活なんて・・・

今まで何度このことばを聞いたことでしょう。
「きのくにはいいけど、小学生のうちから寮生活なんて・・・。大丈夫なの?」

ふ〜ん、普通の人(?)はそう思うのかあ。私は、そういうことをほとんど考えずにやってきたので、こういうことを聞かれると、返事に困ってしまします。

「全然問題ないよ」と言っても、「心配」と思っている人には、意味ないですものね。

私はまず、きのくに子どもの村学園長が書いた『自由学校の設計』を読み、それから『自由学校の子どもたち』を読んで、「ここ、絶対いい〜!」と思っちゃって、見学に行ったら、息子も気にいって、その場で体験入学の申し込みをしました。

だから「○○は大丈夫だろうか」なんて、不思議と全然考えなかったんですよね。とにかく、まず「きのくにに入りたい」っていうのが先にあったので、お金のこと、大分からの行き帰りのこと、など、「問題」と思えることは、どうやって解決しようか、というふうに考えました。


そういえば、見学に行ったときに、学園長の堀さんに質問したんでした。

「本を読むと、こういう学校では子どもを怒鳴るとか、怒るってことが、あまりないように感じたのですが、実際、子どもを怒ることってありますか?」と。

このときのお答えがまたすてきだったんです。

「そうですね、まず、子どもがなにか危険な状態にあるとき、たとえば、もう少し先に行ったら、高いところから落ちてしまうというようなとき、ちょっと大きな声をだすことがありますね。それから、子どもたちが私に上ってきて、それがとても痛いとき、やめて、と言いますねえ。(笑)よく子どもたちがじゃれて私の肩に乗ってきたりするんですよ。大きな男の子だったりすると、けっこう痛いからねえ。」

もう、この話しだけで、「ああ、すてきな校長先生やなあ。」と、堀さんにフォーリンラブでした。

「寮生活、大丈夫でしょうか」なんて、全然頭に浮かばなかったんです。

それでも、実際きのくに生活が始まって、多くの子は毎週帰るのに、うちの子たちは3週間に一度くらい(中学になると6週間に一度くらい)しか帰ってこない、という現実があって、そんなとき、「子どもと触れ合う時間が、こんなに少なくて、いいかしら」と気になったこともありました。

しかし、これも、数年前の、きのくにスタッフのことばにとても勇気づけられ、不安な気持ちもなくなりました。

その言葉は明日、ご紹介します。

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2006年8月14日 (月)

うれしかったこと

今朝、「きのくにのことを調べていたら、このブログにたどりつきました」という、関東在住のかたから、メールをいただきました。すっご〜くうれしかったです。他にも、もし、「個人的にこういうこと聞いてみたいな」なんてかたらおられたら、いつでもメールくださいね。あくまで私の個人的意見になってしまうかもしれませんが・・・。

もちろんコメント欄に書いてくださってもけっこうです。他のきのくに保護者さんやOBさんからお返事いただけるかもしれません。

それから、先日の教育講座でおしゃべりした、きのくにサマースクール参加の保護者さま〜、見てくださっていますでしょうか?あのとき、ちょっと話した、堀さんの大阪市立大学時代の幼児教室の様子は、『ニイルと自由な子どもたち ーサマーヒルの理論と実際』(黎明書房)のなかの、第九章【幼児のおもちゃ作り ーニイルの教育思想の実践化の試みー】に詳しくでています。ぜひ読んでみてください。

私、ここを読んだだけでも、きのくに子どもの村学園に安心して息子たちを託せる気持ちになりました。こんなふうに、よく考え、暖かく子どもを見守っているかたが学園長をしている学校なら、心配ない、って思ったんです。そして、私も一緒に成長していけるんじゃないかと思ったのです。あれから7年がたち、あのときの私の直感は間違っていなかったようです。

これからきのくにに行こうか、と思っているかたと話しをすると、当時の自分のことを思い出して、懐かしいものです。Iさん、思い切ってメールくださって、ほんとにありがとね。

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2006年8月13日 (日)

自由な子ども

【親から言われて塾通いを始めたり、家庭教師がついたりすると、とたんに学校での情緒の安定や学習意欲に支障が出ることが少なくない。】 ーきのくに子どもの村通信 第76号よりー

【困った行動を示す子は、無意識の奥深くで、本人も気付かない罪の意識や自己否定感に悩んでいます。力や脅しを背景にした躾が、本能的な願望や自然な興味と衝突し、内面の平安が失われています。】 ーきのくに子どもの村学園通信 第68号よりー


堀さんは常々、「ご家庭で学習を強要しないでください」とおっしゃっています。私も、それは当然だな、と思っていましたが、先日の教育講座で、深い意味があることに気がつきました。

自由学校の教育は、子どもたちの無意識の底にある、コンプレックスを取り去って、「自分自身である自由」、そして、「自分自身の生き方をする自由」を目指しています。そのコンプレックスは、親や社会からのきびしい躾や道徳教育と、本能とが葛藤して、心の底にたまってしまうのだそうです。

だから、せっかくきのくにで【自由な子ども】を目指した教育が行われているのに、家庭で「勉強しなければならない」と強制し、呪縛してしまうことは、せっかく取り去られつつあるコンプレックスを、また植え付けてしまうことになるのです。単に勉強をさせるさせないの問題ではないことに気がつきました。

そして、【自由な子ども】はほんとうに楽しく学びますね。Nは、あまり勉強、という意識がないようで、漫画を読んでたと思ったら、同じ寝転んだ姿勢で英検問題集をやっていたりします。先日は、いきなり私に関数の問題を出してきました。これは、むか〜しの秀才が、こうまでバカになるのか、というのを見たいがためだったりするのですが。(実際、全くわかりませんでした。トホホ)

ほかにも、理科の実験の話しや、社会で習ったことなど、国語のディベートのことなど、ほんとうに楽しそうに話してくれます。Nを見ていると、「勉強している」というより、「学んでいる」という言葉がぴったりきます。ああ、うらやましい。

「日本の先生はね、勉強を教えれば、子どもは頭がよくなると思ってるのかしら。」これは、サマーヒルの日本人生徒が堀さんに言った言葉だそうです。

名言ですね。

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2006年8月12日 (土)

自分が嫌いだった

【今いちばん急がれるのは、子どもたちが「ぼくは自分が好きだ」とか「生きるというのは、こんなに素晴らしいことだ」という実感を持って自発的に生きる場としての学校をつくることだ。私たちは、このような認識から学校づくりを始めた。】 ー『自由学校の設計』よりー

この文章を読んだだけで、私は、きのくに子どもの村学園にぐっと引きつけられた。今まで私が関わった教育者で、こんなことを言った人に出会ったことがなかったから。

私は小学校から高校、大学まで、なんども死にたいと思ってきた。小中学校時代は「勉強のできる、あかるい良い子」だったけれど、親や先生の期待が重荷で、それに応えられないかも、と思うと、恐くて死にたくなった。

母親が、勉強の面ではできの悪かった姉と比較して、私をほめたり、その反面、性格の面で、「おねえちゃんはやさしいけど、mamiは冷たい子だね」と言ったりして、家庭が「なんかムカつく場所」だった。実際私は姉をバカにしたりして、そういう自分にもムカついていた。

高校では落ちこぼれてしまって、授業は何にもわからず、毎日朝やっとの思いで起き上がって、学校に行った。中学までは、宿題をやっていかないなんて、考えられなかったのに、高校では、宿題をやろうにも、全くわけがわからなくて、どうしようもなくなった。ただ毎日下を向いて、「当たりませんように」と願って過ごした。そのうち、授業中に堂々と眠れるようになり、もう、どうでもよくなっていた。かといって、不良にもなれない臆病な自分が、殺したいほど嫌いだった。

三年間そうやって過ごして、親が喜ぶような大学には入れるわけもなく、一浪した。そして、とにかく家を出たいと強く思った。家をでるためには、親が認めるような大学に行くこと、それしか方法がなかった。一人暮らしをしたいがために、ものすごく勉強した一年間だった。

英語、国語、社会はなんとかなったが、どんなに頑張っても、数学と生物、化学はどうにもならなかった。それで、最終的に志望校を定めなければならない10月になって、国公立大学はあきらめ、親にも私立文系にしぼって受験することを許してもらった。

今はセンター試験というやつ、当時は共通一次と言っていた。この言葉を聞くだけで、むかむかしてくる。模試を受けるたびに、何もわからない試験問題に泣きたくなり、結果がかえってきてまた落ち込み、とにかく、受験というやつは、「お前はダメだ」ということをいやになるほど心に植え付けてくる。5教科7科目、まんべんなくやる必要がどこにあるのだろう。

結局、親が勧めるところに受かったので、私は家をでることができた。もっとも、「親が好きな大学」に私が入ったからといって、特に思い入れがあるわけでなく、またしても、無駄な4年間を過ごしてしまったのだが。しかし、親のもとから離れたというのは、私の人生にとって良かったと思う。

こんな学生時代を過ごして思うのは、今の教育システムや受験というものは、子どもの心に「私はだめなやつ」「自分が嫌い」という気持ちを刻み込むものだということ。そして、試験勉強は、いくらやってもダメなものはだめ、一方、多少センスのある分野なら、三年間もだらだらやらないで、一年間(もっと短くても可能と思う)集中すれば十分だ、ということ。

そして、高校資格をとる、というだけのことなら通信制高校で十分だということ。もっとも、私の親は「世間体」を気にする人だから、許してはもらえなかっただろうけれど。

それから、今思っても不思議なのは、「大学に行かずに就職する」という選択肢が、全くなかったことだ。親は、私が小学生の頃から、「こんな成績では行ける大学なんてないよ。」とよく言っていた。今、大人になって周りを見ると、どこの大学だろうと、中学までだろうと、高卒だろうと、すてきなひとはすてきで、かっこよく生きている。私なんかより、よほど大人で、たくましい人たちにたくさん出会った。

でも、当時は「大学に行けなければ人生終わり」と、本気で思っていた。なんて、バカなことよ!細いレールの上を、踏み外したら死ぬ、と思って、油汗流して歩いていた感じ。ほんとはそのレールの下に、ひろびろとお花畑が広がっていたのに!

「まず、親が心を解放しよう。子どもの幸福はその後に続く」 by mami

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2006年8月10日 (木)

『受験』て、何よ

きのくにの保護者でも、子どもを塾に行かせたりドリルをさせたりする親がいるそうです。中学になると、親のほうが焦って、「受験指導してください」と学園にお願いする様子を見ることもあります。

そういうの見聞きすると、あきれちゃうっていうか、「なんできのくに来たの?」って思います。親自身が、「私は不自由です」「私は心が解放されてません」って宣言しているようなものですし。

私がそういうふうに話したとき、ある保護者にこう言われました。

「中三でやりたいことが見つけられた子はいいけど、やりたいことが決まってないとか、高専(きのくに国際高等専修学校)に行かせたいけどその経済力がない家庭は、とりあえず、ある程度の公立に入ってもらわないといけないじゃない?そのためには前もって準備しないと・・・。そう思ってる親が多いんだと思うよ。」

きのくにで何年も過ごして、堀さんの本も読んで、話しも聞いて、どうしてそういう考えになるかなあ。

やりたいことがまだ見つからない、もしくはきの高に行けないとなれば、通信制高校へでも行って、空いた時間はバイトするなり、映画を見るなり、本を読むなり、コンサートに行くなりして、じっくりのんびり過ごせばいいじゃない?一日中学校にしばりつけられて、興味の持てない授業を上の空で聞いてるより、よほど人生が豊かになると思うんですけど。

もし、やりたいことが資格が必要だったり、大学に行かなければなれないようなものならば、最近はAO入試といって、その分野に必要な能力や人間的な器を見極めるような入試制度をとっている大学も増えています。きのくにの子なら、そういう制度にこそ強いはずです。

だから、親がおたおたして『受験、受験』と焦る必要なんて、なにもないのです。また、自由な子どもは、ここぞというときの集中力がすごいと思います。それに私は、特に自分がやりたい分野以外の教科学習は、中学課程までで十分だと思っています。あとは無駄。

きのくに子どもの村学園に小学一年生から入ったとしても、中学卒業までたったの9年間。その最後の数年を、まず受験ありき、で過ごすなんて、なんともったいないこと!

ちなみに、通信制高校というもの、Fが行くまでよく知らなかったのですが、こんなよいものがあったのか、という感じです。

最初に教科書を一年分渡されて、課題は教科書を読めば、なんとかできるくらいの問題を、月一回提出しなければなりません。そして、月一回のスクーリング。Fはそれでもフーフー言ってますが、地元の全日制高校に行った場合の時間的、精神的拘束を考えると、無駄がなくて、ほんとによかったと思います。

私の時代に、こういう選択肢があったなら・・・・。しみじみ思います。私の悲惨な高校生活、そのうちご紹介いたします。(誰も読みたくないかもしれないけど。)


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2006年8月 8日 (火)

幼稚園で教育勅語!

今日の朝日新聞朝刊、31面ご覧になりましたか?大阪の私立幼稚園で年長組に教育勅語を暗唱させている、という話しが、【国と私】というコラムの中に書いてありました。

園長(53)は「今の社会は国に奉じるという意識が欠けている。勅語によって、再認識させなければならない」と説いています。

なんという危険な発想!うちの子がそこへ行っていたら、断固反対するでしょうし、聞き入れられなければ退園するでしょう。もっとも、そういう園長がやっている幼稚園は、たぶん上から押さえつける教育でしょうから、ハナからそんなところにはやっていなかったでしょうけど。

鹿児島県川辺町教育委員会では04年に、家庭用の教材「名文集」に勅語全文を掲載し、配布後、指摘を受けて回収したそうです。

至る所で、じわじわと国に奉仕する子どもを育成するたくらみが企てられています。私たちはアンテナを鋭くしておかなければなりません。

先日の教育講座でも、加藤幸次さんが、「国は、国民教育をしようとしている。経済のための人間育成と、言うことをよくきく国民をつくろうとしている。百ます計算で、ストップウオッチでタイムをはかったりして。そういう教育は、人格の形成をないがしろにするんですね。」とおっしゃっていました。

確かに日本はその流れになっているようです。しかし、子どもひとりひとりの人格を尊重する、新しい教育も、確実に広がりつつあります。机に向かって教育勅語を読まなければならない子どもと、外にでて、体を動かし、友達と力を合わせて考える子どもと、どちらが豊かな人間に成長するでしょうか?


 ーその大阪の幼稚園に子どもを行かせている保護者さんたちへー
教育勅語の中身と歴史を学んでください。みなさんで一斉に反対して、教育勅語を頭に叩き込むなんてこと、どうぞやめさせてください。どうか子どもたちを守ってださい。

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2006年8月 7日 (月)

教育講座の感動と感想

8月5日6日と参加してきた、きのくに子どもの村学園主催の教育講座。(講師の紹介など、詳しいことはきのくにのHPをご覧ください。)

きのくにのOB保護者と久しぶりに会ったり、あちこちで産声を上げた、ユニークな学校の真摯な取り組みの様子を聞いたり、東京や鹿児島など、遠方から来た教育学部の学生さんや、きのくにに子どもを入れたい親御さんと話しをしたり、とにかく、みっちり充実した二日間を過ごしました。

特に心に残っているのが、長野県にある、グリーンヒルズ小学校です。ここは、かつやま子どもの村学園で教員をされたこともある、酒井義史さんが開校しました。現在二年目に入っているそうです。スタッフのかたも数人いらしていましたが、どのかたも生き生きとしていて、すてきな笑顔でした。

いろいろな人と出会ってきて思うのですが、心の解放されている人は、笑顔がすてき。心が解放されていない人は、顔がこわばっています。グリーンヒルズ小学校のスタッフの方々の、やわらかい笑顔を見て、きっとここの保護者のかたも安心して子どもを託しているだろうな、と思いました。

きのくにも、ほんとうにすてきなスタッフがそろっています。心が解放されている大人は子どもに寛容です。子どもを受容することができます。だから私は安心して息子をきのくにへ送り出すことができるのです。


さて、5日の夜は、夕食のとき、ビデオの上映がありました。普段のきのくにの様子をとったビデオです。いろんな場面で、胸が熱くなりました。それは根気よく子どもに寄り添っているスタッフの姿であり、自分で問題を解決しようとする子どもの姿です。

またある場面では、食べ残したものを三角コーナーに捨てようとしている女の子(小学3、4年生くらい)が、堀さんに「そんなに残すの?」か「もったいないね」と言われている様子。(そのときの言葉がよく聞き取れませんでした。)

その子はそう言われて、捨てるのをちょっと躊躇し、「堀さん食べる?」とその器を差し出します。堀さんは、「自分が捨てようと思っているものを、人にあげるのは失礼なんじゃない?」と、穏やかに言うのです。

結局その子は、堀さんが立ち去った後に捨てるのですが、私は、堀さんの態度に感動してしまいました。怒鳴るのでもなく、叱るのでもなく、かと言って迎合するのでもなく、穏やかに自分の意見を小学生の子どもに言うという態度にです。

うちの息子たちも、こうやって、堀さんや多くのスタッフに見守られ、受容され、対等の人間として、はっきり意見を言ってもらえ、尊重されてきたんだなあ、と思ったら、涙があふれてきたのです。

親ばかかもしれませんが、息子たちは落ち着いていて、自立していて、とてもすてきに育っています。なにより自己肯定感があるように感じられるのが、すばらしいことと思います。


長野のクリーンヒルズ小学校以外にも、各地で新たな試みの学校が開校されてきています。心が解放され、自己肯定感に満ちて成長できる子どもたちが、ひとりでも多くなることを、心から願っています。

最後に、今年三月にきのくに子どもの村学園中学校を卒業した、長男Fの、卒業のときの一言を記して、今日のところは終わりにしたいと思います。


【まず、きのくにを見つけてくれたお父さん、お母さん、ありがとうございました。きのくにに入っていなかったら、俺はまだ花を咲かせることがきなかったと思います。(会場から笑い)

中一でギターを始めて、高校になったらギターを本気でやって、プロのギタリストになりないなって思ってるんですけど(会場から拍手)、なったときはコンサート、見に来てくださいね。(拍手と、必ず行くよ〜、の声)
チケットはタダじゃありませんけど。(会場、笑い)

いろんなクラスに入って、いろんな体験して、大人のみんなや友達、いい人たちに会って、ほんとによかったです。ほんとうにありがとうございました。】

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2006年8月 5日 (土)

大阪にて

大阪にて

この教育講座のため、大阪に来ています。大阪は暑いだろなと思っていたけど、今のところぜんぜん汗かいていません。あちこち冷房がガンガンきいているから。ますます温暖化が進むじゃない!

Nは☆2学期は環境問題もっと調べたいな。彦谷の研究はもういいやろ。☆と言っていました。

★じゃあわらじ組のみんなとミーティングしないとね。★と私が言うと、Nは対策を考え始めたのか、一瞬目が遠くを見ていました。

どうなるかな。

ところで今日の記事は携帯で書いてます。あ〜疲れた。講座のご報告は後日パソコンから。

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2006年8月 3日 (木)

ゾーイさんのことば

昨日の「自分でいられる自由」の中に書いたFの様子、今日以下の文章を紹介したかったので、書きました。親ばかと思われるかなあ、と思いつつ。

サマーヒルスクールのゾーイ・レドヘッドさんの書かれた文章です。


【近代社会では、教育とは学業の成績と資格のことだと考えらがちです。しかし、そのために人々は自由を奪われることになりました。選別され、序列化され、生活のその他の大切な部分までコントロールされることになったのです。

サマーヒルでは、教科が唯一の学ぶべきものだとはみられていません。私たちは社会性の発達と情緒の安定のほうがもっと大事だと感じています。

私たちは、だれもがバランスのとれた一人の人間として行動できなくてはなりません。これば一番大切です。皆さんがどんな人物であるのかの方が、皆さんが何を知っているのかよりもずっと重要なのです。たとえどんなに高い資格を持っていたとしても、まわりの人とうまくやっていけなかったら、何にもなりません。】

その通りだと、思いませんか?

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2006年8月 2日 (水)

自分でいられる自由

今日から二泊三日でFは大阪の友達のうちに遊びに行っております。yasuさん、お世話になります。

ここんとこものすごく忙しい日々だったので、久しぶりに気の置けない友人たちと会うことができて、さぞうれしいことでしょう。現在彼の生活環境は、大人、もしくは自分より年上の人たちに囲まれています。先日は、疲れたのか、ふ〜っとため息をついて、「友達に飢えちょんのや」(大分弁)と言っていたのです。

どんだけ忙しかったかというと、

7月27日から30日まで、ゆふいん音楽祭があり、Fは今回初めて実行委員として仕事をしました。この音楽祭は、多くのボランティアに支えられいて、一流の音楽家もほとんどノーギャラで参加してくださっています。すばらしい音楽祭なのです。
http://www.coara.or.jp/~mieko/ymfj.htm

事前の準備会や当日の椅子運び、チケットのもぎりなど、大人に囲まれて働き、さらに、観光客にこの音楽祭をアピールするため、駅前や老舗旅館の中庭でギターを弾いたりしました。駅前では、フルート奏者の伴奏をしました。

そのうえ、実行委員長さんからは、「君はコンサートも全部聞きなさいね」と言われたらしく、仕事をして、コンサートを聞いて、の4日間でした。

30日は先日写真をアップした、サマーフェスタという別の催し物で、演奏。(一緒に映っているのは尺八を吹く父親です。)

次の日はソルフェージュのレッスンのため、福岡のギタースクールに泊まり込み、翌日、大萩康司さんというその世界ではかなり有名なギタリストの特別レッスンを受けることになり、昨夜は夜10時頃、へとへとになって帰ってきました。

それでも、自分が「腹くくって」決めた道だからなのか、不平不満、愚痴が全然聞かれないんですよね。へとへとなんだけど、生き生きしている、という感じで、安心して見ていられます。

また、音楽祭の打ち上げでも、近くで見ていた父親によると、「初対面の人とも普通に話してるよ」とのこと。「息子さん、15才なんですか!?20才くらいだと思ってました。」と多くの人に言われたそうです。

きのくにで他の子どもたちと話しても感じることですが、良いところ見せようとか、正しいことを言おうとか、そんな気負いが全然なくて、ものすごく自然体なんです。だからと言って無礼なこともなく、人間同士、普通にコミュニケーションがとれている、という感じなのです。

私は以前は、人からどう思われるかということのほうが気になって、相手によって自分の態度を変えたりして、自分でいられない感じがしていたものです。なんか落ち着かない、というか、心が固い、という感じです。

堀さんは「自分自身の生き方をする態度と能力を持った子ども」という表現をされますが、きの中を卒業したFが、いろんな社会でよい人間関係を築けているのを見ると、その言葉の意味がよくわかるし、自由教育がどれほどすばらしいことかを実感できます。


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コメントも読んでね。

記事は夜書きますが、とりあえず、お伝えしたいこと。

コメントつけてくださるみなさま、いつもありがとうございます。大変励みになっております。そして、いろんな立場のかたが書いてくださるので、ブログの奥行きもでるようで、うれしく思っています。

いつも記事だけしか読まないかたは、ぜひ、コメント欄もお読みくださいね。

今回、息子さんの学校を探しているというMazmotさんからコメントいただきました。思わず力入れてご返事してしまった私です。このかたのブログ、すてきですよ。
http://shougakkou.seesaa.net/

きのくにも見学に行かれたようです。きのくに、絶対よいです。ほんとに。なんたって、その気になれば、親が成長できます。(その気がなければ・・・。)

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