« 爆発してしまった・・・結果は? | トップページ | ゾーイ・レドヘッドのことば »

2006年7月17日 (月)

きの中卒後の社会生活

きのくにを見学した人の感想でよく見られるのが、
「教師を名前やニックネームで呼んだりしていて、社会にでたとき困らないのか」
「敬語が身に付かないのではないか」というもの。

ぜ〜んぜん、問題ないです!どうして一面だけを見て、そういうふうに思ってしまうんでしょうかねえ。

Fの現在の生活範囲は、ギター、バイト、通信制高校の三つが主になっていますが、いずれも周りはFより年上の人ばかりの世界です。

ちゃんと敬語を使い、「先生」と言い、それでいて、自然体で会話していて、周囲の人間関係は良好なようです。

昨夜はバイト先で演奏デビューさせてもらいましたが、その後、「デビューお祝いしましょう」と、お店の人たちが居酒屋で乾杯してくれたそうです。(Fだけウーロン茶で)「すごく楽しかった」とすっかり居酒屋好きになってしまった?

もっとも、連休のなかびだったので、お客さんがものすごく多くて、列ができてしまうほど。ほんとはFは夜は仕事なしで、演奏だけ、という話しだったのですが、それどころではなく、せっせとサラダをつくり、お皿を洗い、その合間に演奏、という状態だったそうです。

曲目も、小さい子どもがいる時間帯の演奏では、予定にいれていなかった『おおきなのっぽの古時計』を演奏するなど、臨機応変に対処したそう。
F:「古時計のときはな、その子たちが俺のすぐ真ん前に来て、歌うたうんや。おもしろかったよ。」

きのくにで、「自分で考えて行動する」というのが身に付いていますので、予定外のことが起こっても、落ち着いて状況をみて、行動できるのです。

きのくにをたった一日見学して、「卒業後は社会に適応できるのか」という感想を述べるかたは、子どもの力を過小評価しているのだと思います。まあもっとも、頭のカタイ大人が、子どもの自由を認めず、なんでも管理しようとすれば、子どもは大人の期待通り、【ひとりではなにもできない存在】になってしまうのでしょうけれど。


|

« 爆発してしまった・・・結果は? | トップページ | ゾーイ・レドヘッドのことば »

コメント

ゆうです。
 学校は子どもが成長する環境のひとつであって、必要条件ではないと思います。きのくにで育つ子どもたちはとても恵まれた条件にあるけど、他のいろんな学校でも、学校に行かなくても子どもたちは十分に育ちます。
 きのくにでは「将来困る」みたいに言う大人は、きっと学校に行かない子どもは大人になれないくらいに思っているのでしょうね。でも、実際は逆ですね。あいさつや大人の評価、テストの点など一生懸命大人にあわせてがんばった子どもたちほど内的矛盾が増大し、悲劇的な人生を送らざるを得なくなっています。かまいすぎるより全くかまわない方がまだまし、というところでしょう。
 「言いすぎ」はホント良くないです。私もついつい余計なことばっかり言いすぎて・・・でも子どもの方が上手です。全部わかってて聞き流してくれたり、相手になってくれたり・・・私も含めて未熟な大人、不幸な大人が多すぎるようです。
 なんだか書き始めると長くなって、まとまらなくて、スミマセン。とりあえず筆をおきます。では、また。

投稿: ゆう | 2006年7月18日 (火) 13時47分

ほんとに、日本の教育の画一的なこと、なんとかならないでしょうかねえ。

>学校は子どもが成長する環境のひとつであって、必要条件ではない
>と思います。

そうなんですよね。もっといろんな選択肢があるといいのに、と思います。

投稿: mami | 2006年7月18日 (火) 19時05分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/175659/10978512

この記事へのトラックバック一覧です: きの中卒後の社会生活:

« 爆発してしまった・・・結果は? | トップページ | ゾーイ・レドヘッドのことば »