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2006年7月31日 (月)

歯磨きしてあげるの、幸せ!

我が家では小さい頃から、本人が歯磨きした後、親が仕上げ磨きをしてきました。職業柄、やはり歯は大切だと思うし、歯医者のうちの子が、虫歯だらけではまずい、ということもありまして・・・。

現在息子たちは高一と中二ですが、ときどき、こちらに余裕のあるときは、「歯磨きしようか?」と言って、歯を磨いてあげたりします。小さいときからしているので、本人たちもあまり抵抗がないようです。

息子の頭を膝に乗せて、しゃかしゃか磨いてあげるの、楽しいですよ〜。意味もなくべたべたすると嫌がられますが、歯ブラシと耳掃除は大丈夫みたい。数少なくなった、スキンシップタイムです。

以前堀さんがこんなことをおっしゃっていました。

「子どもは十分だっこしてあげて、ほおずりしてあげることが大事ですね。親からしたら、だっこさせていただく、っていう気持ちなんですよ。私の息子はもうこんなに大きいですが(堀さんより大きい)、だっこして、と言われればしますよ。まあ、そうは言わないでしょうけど。(笑)」

うちも、さすがにだっこは無理ですが、歯磨き【させていただいて】います!

でもね、きのくに寮生活中は、全然磨いていなくても、叱ったりしませんでした。一ヶ月ぶりに帰ってきたときなど、雪のように積もっている歯垢、真っ赤にはれてる歯茎を見ても、「出血するなあ」とか「ぎゃほ〜、プラークべったりやんか〜」と笑いながら、しゃかしゃか歯ブラシ。子どもはニヤリ。楽しいものです。

今はある程度、美容(?)を気にするお年頃なのか、わりときれいに保って帰ってきます。

それにしても、お菓子しっかり食べて、ろくに歯磨きせずに、寮に長期滞在というのに、虫歯ができなかったのは、不思議です。私、思うんですけど、ストレスが少なくて、いっぱい笑って、いっぱいしゃべっていると、唾液もたくさんでて、虫歯になりにくいんかな。特に、親からガミガミ言われるっていうストレスがないのが一番じゃないかと・・・。

で、人の歯を磨くっていうのは、人の口の中、歯の並びを良く見ることになるわけで、自分の歯を磨くのにもイメージがつかめるので、役にたつんですよ。一石二鳥でございますよ〜。お子さんが無理なら、ご夫婦で、どうぞ。

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2006年7月30日 (日)

サマーフェスタ

サマーフェスタ

必死に練習した甲斐があったようです。

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2006年7月29日 (土)

ガムは助手席のとき食べるの

Nの話題、第三弾です。久々に家にいると、ちょっとした会話から、わおっと感動して、あれもこれも、書き留めておきたくなります。

持ち帰ったポシェットを片付けていたら、イギリスのガムの包み紙がたくさんでてきました。

私:「これ、どうしたん?たくさんあるなあ。向こうで食べたん?」

N :「ああ、それ、助手席に座るときに必要なんや。絶対寝たらだめやけん。」

私:「助手席で必要?なんで寝たらだめ?」

N:「堀さん(学園長)がずっと運転してくれるやろ?そのとき、全員寝てしまったら、堀さんも眠くなるやろ。俺ら、順番で助手席に座るんやけど、俺たちで話し合って、助手席の人は絶対眠らんようにしようってことになったんや。」

中学生で、こんな気遣いができるようになるんですね。やさしい気持ちにじ〜んとしました。


イギリスでは、主にキルクハニティに滞在してプロジェクト活動するのですが、日帰りで湖水地方に行ったり、ニイルの足跡をたどる、という二泊の旅行にも行きました。そのとき、車を運転してくれるのが学園長の堀さん自らなのです。

きのくにのことや、自由教育ということをよく知らないかたは、子どもたちが教師のことを名前やニックネームで呼ぶことに驚いたり、抵抗を感じたりするようです。「教師の権威がなくなるんじゃないか。子どもたちになめられるんじゃないか」って。

建前社会にどっぷりつかってしまうと、そういう考えになるんですね。

きのくにの子どもたちは、誰も「先生」とは呼ばないけれど、自分たちのために楽しい活動をたくさん用意してくれて、車を運転してあちこち連れて行ってくれて、いろいろ配慮してくれる大人たちのことが大好きなのです。

Fが小学六年生の修学旅行で九州に行き、熊本ラーメンを食べたときにはこんなことがありました。バスを止められるところがなかったので、運転していた大人(教師)は、子どもたちが食べ終わるまで、あたりをぐるぐる車で走っていたそうです。

そのときのことを、作文にこう書いていました。

「こむらさき(ラーメン屋)では車が止められなかったので、川ちん(教師のニックネーム)はラーメンを食べずに車を走らせて待っていてくれました。ぼくは川ちんを尊敬しています。」

「先生」と呼ばれてはいても、心の中で舌を出されているのと、名前やニックネームで呼ばれて、そして心からの愛情と尊敬を感じ取れるのとでは、どちらが幸せでしょうか?

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2006年7月28日 (金)

人参食べよ

引き続きNの話題

彼は好き嫌いがとっても多い。で、ちょっと変わってるのは、料理法によって食べられたりだめだったりする。

トマトは生はダメで、ソースになってるのならOK。椎茸はマヨネーズ焼きとフライのみ食べられる。人参は生ならいいけど、煮たの(カレーやシチュー、煮物)はダメ。ああ、こうやって書くだけでややこしい。

昨日人参がだぶつき気味だったので、牛肉、カボチャ、人参の煮物をつくった。いつものように、Nのお皿には、彩りの都合上、一個だけは人参を入れるが、「食べなくていいよ」というあま〜い私。いつも黙って私のお皿にいれてくる。

ところが、この日は、「俺、人参食べよ。イギリスにいるうちに、食えるようになったわ。」ですと!

私:「どうした〜ん、あれだけ嫌いやったのに〜」

N:「イギリスにいるときにな、友達に、これ食べてみたら?って言われてな、俺も、なんかそのときは食べてみようっかな、って気になったんや。けっこう食えるもんやな。もっと食べよ。」

と、おかわりして、ちゃ〜んと人参も普通についでる!おまけに今日は、生のトマトで、冷たいパスタをつくったのだけれど、ぺろりと食べてる!また私が驚いていると、「もう中二やしな。」とオトナな一言。かっこいい。

きのくにではバイキング方式なので、嫌いなものはとらなければ済む。それで、「好き嫌いがいつまでもなくならない」と心配する親がいるらしい。指導したって、強制したって、好き嫌いは治りませんて。

私は小学校時代、給食全般が嫌いで、いつも一人残って食べさせられていた。掃除の時間になっても許してもらえなくって、机を後ろにずらして、みんなが前からゴミを掃いてくるなかで、死ぬ思いで食べていた。吐いたこともあった。給食なんかダイッキライだ〜。それでも、今は自然と何でも食べられるようになっている。それは、学校で指導を受けたからじゃない。

大人はなんでもかんでも、叱ったり、指導したりすれば、よくなると思っているけど、大間違いだと思う。Nは保育園のころ、保育士さんに人参を食べるように強要されてから、食べられないものは下に落とすようになった。きびしい指導は、せいぜいそういう結果しか生まない。

食事に関して、堀さんのお考えはこんなふうです。以下、『自由学校の設計』より

【きのくにでは、できるだけ自分のことは自分で、自分たちのことは自分たちで決める、というのが基本原則だ。この方針に従って、食事はバイキング方式である。食事はしつけの場ではない。楽しみと社交の場である。偏食をする子があっても、すべての料理を食べるように強制したりしない。好きなだけ取って、好きなテーブルで、好きな人とたっぷり時間をかけて食べる。もちろんお替わりタイムを破ったり、暴れたりはできない。】

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2006年7月27日 (木)

ポテトチップス食べたいなんて、もう言わないよ

次男Nは5月13日から7月12日までイギリス滞在し、その後23日、やっと我が家に帰ってきました。

イギリスではわらじ組というプロジェクトで、キルクハニティの歴史を紹介する映画づくりをしたそうです。それ以外の時間は数学、英語の時間、そして、「個別」という時間があり、そのときには、主に環境問題に関する本を読んで過ごしたそうです。環境問題はわらじ組のテーマでもあります。

それでNも、地球温暖化や、環境破壊のことについて、すっかり詳しくなりました。どおりで、クーラーがなくて汗だくになっても、文句も言わないはずです。

「お菓子の袋も、こうやってできるだけ小さく折って捨てれば、かさばらなくて、ゴミ袋の節約になるよ」

「今のところ50年で0.5度気温が上昇してるから、このままだったら200年で4度上昇するんだって」

「俺、もうポテトチップス食べたいとか言わんわ。袋がゴミになるしな。」

なんともかわいい行動ですが、「まず自分ができることからやる」が基本ですものね。

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2006年7月25日 (火)

MAJOR メジャー

メジャーというのは、その名の通り、野球漫画です。現在59巻まででていますが、これは名作ですね。家族全員読んでいます。で、何度読んでも感動するし、わくわくするんです。

主人公の吾郎くんは「俺の人生は俺が決めるよ」とか、「リスクがあるほどわくわくするぜ」なんてことをサラッと言って、野球に邁進していきます。あえて逆境に立ち向かっていきます。

その吾郎くんが、中学三年生のとき、海堂高校という野球の名門高校に挑戦することになります。セレクションといって、体力や野球のセンスを見るための、非常にきびしいテストを受けるのです。5次試験まであるハードなものです。

もちろん吾郎くんは、そのセレクションにパスし、晴れて海堂高校入学と喜ぶのですが、なんとその後に、学科試験を受けなければならないことを知るのです。

吾郎くんは、野球バカで、勉強はからっきしだめ。友達に家庭教師をしてもらうものの、自分にはとても無理だと、いったんはあきらめます。しかし、母親の、「誰だって受験勉強なんて好きじゃないわよ!得意な体育系じゃなきゃ、もうあきらめるわけ!?あんたの野球って結局そんなもんなの!?」という言葉で、我に返り、必死で勉強を始めます。

試験のできは良くなかったものの、その頑張りを認められ、はれて合格。

受験勉強って、こうでなくっちゃ、と思います。昨日書いたように、きのくにでも「受験指導してください」とやきもきして口を出す保護者がいるようですが、本人がやりたいことも定めてないのに、「受験指導、受験指導」と親が騒ぐなんて、お門違いも甚だしい。

私の考えは、塾ダメ、家庭教師ダメ、という短絡的なことでなくて、まず「やりたいことありき」だということなんです。「やりたいこと」が定まって。そのためにこの勉強が必要だ、ということで各自が準備するのが本来のありかたなんだということです。

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2006年7月24日 (月)

甘いわね!

22日はきのくににて夜更かし会があり、堀さん、スタッフ、保護者といっぱいおしゃべりしました。昨年は貫徹したのですが、飲み過ぎもあり、帰りは頭がんがん、からだへろへろで、死にそうだったので、今回は朝4時半くらいから、2時間くらい寝ました。だいぶ楽でした。それでも、昨夜はパソコンに向かう気力がなかったです。

さて、いろいろあった夜更かし会ですが、印象に残った会話をふたつ。会話中、Cさんが私です。

【その1】
A:春祭りのときの懇談会でも、「受験指導してください」って言うひとたちがいたんよ。

B:そんなん、きのくにの方針と違うやん。それが嫌なら、きのくにやめはったらいいのにねえ。

C:でもさあ、きのくにはきのくにで好きなんだよ。きのくにで、自由でのびのび体験学習やらしてもらって、高校も親が自慢できるような、いいところに行ってほしい、って思ってるんじゃない?

D:甘いわね!

【その2】
E:なんか、まだ学力が心配とか言ってる保護者がいるんだって?

C:そうそう。堀さんもここんとこ、よくお便りだされて、「家庭で勉強を強要しないでください」とか「きのくには受験の相談にはのりますが、いわゆる受験指導はしません」とか書かれてるのにねえ。

E:でも私、そういうこと言ってる人の話し、直接聞いたことがないんよね・・・。

C:私も〜。やっぱ、私らみたいな、きのくに大好き人間に言うても反論されるだけ、と思ってるんやろか。

C&E:類友やね〜。

以上、会話二つ、ご紹介でした。

ほんとに、せっかくきのくにに入れたのに、田中眞紀子さんじゃありませんが、スカートのすそを踏んづけといて、さあ、自由にやってらっしゃい、と言っても、無理な話しです。子どもがかわいそうだし、きのくに効果は半減でしょう。それにしても、親が変わるのは、子どもの何倍も時間がかかるのでしょうね。

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2006年7月21日 (金)

ゾーイさん、大好き!

明日はきのくにへ行ってきま〜す。夜更かし会なのです。きのくににお泊まりです。次男Nとは2ヶ月半ぶりの再会!なんか、どきどきわくわく。すっごく変わっていたら、どうしよ〜。

というわけで、明日は更新できないので(もしかするとその次の日も)、今日は、ゾーイさんの文章、ちょっと長めに転載します。


【サマーヒルは1921年にスタートしました。まだ今日ほど個人の権利が大切にされていない時代のことです。どこの家でも、子どもはなんのかのといって叩かれていました。「しつけを厳しく」というのが、子育てのキーワードだったのです。

そのような厳格な環境の中で、ニイルは大胆な考えを実行に移したのです。なんと勇敢なことでしょう!

それから80年の間、サマーヒルは民主主義と自由という教育方針をつらぬいてきました。そして子どもたちに、より楽しい子ども時代を過ごしてもらうために、自分のことは自分でする生活を与えようと努力してきました。それによって子どもたちの「自由な子ども」への成長を援助しようとしたのです。

サマーヒルのこの考え方はシンプルな考え方です。私たちは子どもを尊敬し、子どもを認めます。子どもたちを対等にあつかい、意思決定を信頼します。私たちは、子どもが自分自身の生き方を選ぶのを認めます。とはいっても現実は一筋縄ではいきませんし、わずかな時間で説明するのもむずかしいのです。

私たちの経験では、だれか大人がサマーヒルへ来たとしても、自由な子どもの本当の意味と実際の姿をはっきり理解してもらうには、たぶん2年くらいはかかるでしょう。ですから、経験のない普通の親に、子どもにとって自由が大切だとわかってもらおうとしてもたいそう難しいのも無理はありません。

自由な生活だからといって、子どもたちがいつもいつもかわいらしくて、するべきことはキチンとして、芸術の才があって、創造性ゆたかでというような、そんな理想どおりにはいきません。現実はきびしいのです。ものごとは、すべての子どもの子ども時代を通して、ずっとうまくいくとは限りません。】  ーきのくに子どもの村学園創立10周年記念シンポジウム、講演資料よりー


最後の部分、はっきりすっきり書いてあって、好きです。「現実はきびしいのです」って。

私は「普通の親」だから、子どもがきのくにで学んだからといって、ほんとうの自由の意味、まだまだわかってないんだろうな。明日は、きのくににどっぷり浸かって、さらに探求してきま〜す。(とか言って、ビール飲みまくってるだけだったりして・・・。)

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2006年7月20日 (木)

昨日の記事、補足

昨日の『またよけいなことを!』の記事にゆうさんから コメントいただきました。
「Fくんはきっとぜ〜んぶわかっていて、ちっとも気にしていないことでしょう」と励ましてくださって、ありがとうございました。

そのことで、私の考えをちょっと補足したいので、ゾーイさんの文章はまた次回に。

確かに彼は、というか、多くの子どもたちは、親が「よけいなこと」言うのをいちいち気にしてはいないでしょう。でも、確実に、子ども自身が自分で考えるチャンスを奪っているのだということを、肝に銘じていなければならないんだと思うのです。

堀さんが講演会で、こんな話しをしてくれました。大阪市立大学教授時代、幼児教室おもちゃづくりをやっていたときの話しです。


【のこぎりで板を切っていた男の子が、なかなか切れなくて、疲れて私のとなりにきて座りました。

子ども:「もう、こののこぎり全然切れんわ〜」
私:「そうか、全然切れんか〜」
子ども:「手もこんなに疲れて、もう動かへんわ〜」
私:「ほんとや、動かへんなあ」
子ども:「もう、のこぎりが悪い。もっといいのこぎり買えへんの?大阪市立大学貧乏やなあ。」

私、ちょっとムカッとしながら(笑)
「そうかあ、大学貧乏か〜」と言いました。そうこうしているうちに、手の疲れもとれてきたんでしょうねえ、「こののこぎりさびてるやん。あっちのとかえてこよう!あれやったら、すぐ切れるで。」そう言って、取り替えてから、また切り始めたんです。

しばらくして、見事に切れた板を持ってきて、「見てみい。俺の言うた通りやろ。」と言いました。ほんとうに得意そうでしたねえ。

ここまでに私が言ったのは、共感的関心を示すことばだけです。「のこぎりかえたら?」とか「もうちょっと頑張ったら?」とは言っていません。彼が自分で考えて、解決したのです。】


このお話は、講演会で聞いただけですが、幼児教室での他のお話や考察は『ニイルと自由な子どもたちーサマーヒルの理論と実際』(堀真一郎 著 黎明書房)の第九章に詳しく書かれています。具体的な幼児の様子、大人がかける言葉など、大変興味深く、参考になります。

最近、なぜ私が「言い過ぎない」「よけいなことを言ってしまった」と、こだわるように書いているかというと、最近になってようやく、堀さんの講演会と、本で読んだこと、そして、今読んでいる親業訓練の内容が、重なり合ってきて、やはり大切なことなんだ、と強く思っているところだからなんです。その【重なり合う】っていう感じ、前述の本から一部引用します。

【幼児なりの知的探求と感情的解放が、統一的に行われるようにしたい。このように考えて指導上の基本方針として取り入れたのが、感情の解放の原則、肯定的評価の原則、そして能動的な聞き方の原則である。これらはいずれもニイルの具体的な実践から学んだものであると同時に、カウンセリングや、最近注目を集めている「親業訓練」の技法からヒントを与えられたものである。】  P.269


【子どもの自発性を尊重し余計な口出しをしないということと、全く無言で見守るということとは同じではない。子どもの行動にいつもこのように共感的関心をもち、それを表す心のこもったことばをかけてやることが、子どもが問題場面から逃避せずに、これに立ち向かう態度を身につけていく上で必要なのである。】  P.282

すべての大人が、こういう意識で子どもに接することができたら、私、世界が変わると思う。ホントに。


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2006年7月19日 (水)

またよけいなことを!!

もう、私ったら、何回反省すれば進歩するんじゃ〜!

さっきFが帰宅した。今年32回目という、歴史ある湯布院音楽祭の実行委員会に、父親と参加してきたのだ。Fは今回から委員になり、会合には三回目の参加。ほとんどのメンバーが長く活動していて、親しい間柄。

F:「あ〜、疲れたわ〜。俺は話すことないし、ずっと聞いとくだけで2時間もおるのは疲れるわ。」

ここで、受容のテクニックを学んできた私は、彼の疲れた気持ちを受け取って、

「そうやな、疲れたなあ」とだけ言えばよかった、と今は思うのだが、そのとき私の口をついてでてきた言葉は

「ほんとやなあ、そんなん参加せんでもいいんで。」

あちゃ〜。そこまで言う必要全然ないのに!

こうやって、ちょっと意識してみると、今までいかに無頓着に言葉をかけてきたことか、と思います。自分の言動を振り返って見ることって、大切だな、と感じています。この振り返りのために、『親業』は、とても参考になります。実践的で、おすすめです。(なかなか進歩のない私が言っても説得力ないか・・・?)


明日はまた、ゾーイさんの文章の中の、お気に入りのところ、ご紹介いたします。

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2006年7月18日 (火)

ゾーイ・レドヘッドのことば

ゾーイさんは、イギリスの自由学校、サマーヒルスクールの創設者、ニイルの娘さんで、現在はご夫婦で、サマーヒルを運営しておられます。

そのゾーイさんが、きのくに子どもの村学園10周年記念シンポジウムに来てくださいました。そのときの資料に、ゾーイさんのすてきなお話がたくさん書いてあります。昨日の記事と関連するところを、一部下記に転載いたします。

【私たちの社会では、子どもというものは、どうしようもなく頼りない存在なので、大人がその無能の状態から救い出してやらないといけない、と考えられています。これは有害な考え方です。これこそが、世界中の若者たちのさまざまな問題の原因なのです。

サマーヒルでみる限り、子どもたちは決してそのような頼りない哀れな存在ではありません。彼らは、びっくりするほど賢くて有能な存在なのです。しかしそうなるためには、子どもたちは生活の多くの面で、自分のことは自分でするのを認められなくてはいけません。

と同時に、まだ十分にその年齢に達していないことを無理強いされることなく、存分に子ども時代を堪能することも許されなくてはいけません。

普通の社会では、子どもは小さいときから、大人から、「ああせよ、こうせよ」と言われるのに慣れてしまっています。彼らは、いとも簡単に、「自分たちは何もできなくて、大人からかまってもらわないといけないのだ」と信じるようになります。】

肝心なことを、的確に書いてくださっていますよね。多くの親や教師が、ゾーイさんのこの言葉に共感できるなら、日本の教育は変われるんじゃないかと思います。

他にも、すてきな文章がたくさんなんです。読むたびに感動しますし、自由教育の原点に立ち返ることができます。子どもに対する向き合いかたで、自分が間違っていたことなども気づかされます。

このブログを見てくださってるかたのなかにも、このときの資料をお持ちのかたがおられると思いますが、それでもほんの一部の人たちですよね。もっともっと多くの人たちに、ゾーイさんの文章を読んでほしいな、と思います。

今後も少しずつ転載しますので(転載、大丈夫ですよね?著作権とか絡む?)、そのときは、お知り合いのかたにも、「すてきな言葉が書いてあるよ。読んでみて。」と紹介していただけるとうれしいです。

微々たる歩みですが、学歴偏重、管理教育の価値観を、少しでも変えていけたらいいな。(ノミの一歩かな?)

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2006年7月17日 (月)

きの中卒後の社会生活

きのくにを見学した人の感想でよく見られるのが、
「教師を名前やニックネームで呼んだりしていて、社会にでたとき困らないのか」
「敬語が身に付かないのではないか」というもの。

ぜ〜んぜん、問題ないです!どうして一面だけを見て、そういうふうに思ってしまうんでしょうかねえ。

Fの現在の生活範囲は、ギター、バイト、通信制高校の三つが主になっていますが、いずれも周りはFより年上の人ばかりの世界です。

ちゃんと敬語を使い、「先生」と言い、それでいて、自然体で会話していて、周囲の人間関係は良好なようです。

昨夜はバイト先で演奏デビューさせてもらいましたが、その後、「デビューお祝いしましょう」と、お店の人たちが居酒屋で乾杯してくれたそうです。(Fだけウーロン茶で)「すごく楽しかった」とすっかり居酒屋好きになってしまった?

もっとも、連休のなかびだったので、お客さんがものすごく多くて、列ができてしまうほど。ほんとはFは夜は仕事なしで、演奏だけ、という話しだったのですが、それどころではなく、せっせとサラダをつくり、お皿を洗い、その合間に演奏、という状態だったそうです。

曲目も、小さい子どもがいる時間帯の演奏では、予定にいれていなかった『おおきなのっぽの古時計』を演奏するなど、臨機応変に対処したそう。
F:「古時計のときはな、その子たちが俺のすぐ真ん前に来て、歌うたうんや。おもしろかったよ。」

きのくにで、「自分で考えて行動する」というのが身に付いていますので、予定外のことが起こっても、落ち着いて状況をみて、行動できるのです。

きのくにをたった一日見学して、「卒業後は社会に適応できるのか」という感想を述べるかたは、子どもの力を過小評価しているのだと思います。まあもっとも、頭のカタイ大人が、子どもの自由を認めず、なんでも管理しようとすれば、子どもは大人の期待通り、【ひとりではなにもできない存在】になってしまうのでしょうけれど。


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2006年7月15日 (土)

爆発してしまった・・・結果は?

先日書いたのに消えてしまった(消してしまった)「言い過ぎない」という記事。どんな内容だったかというと、「息子の言動に、以前はいろいろとよけいなことを口出ししていたが、今は言わずに見守っている。言い過ぎないほうがいい。」というようなことでした。

それを書いた時、我ながらええかっこしい、ちょっと無理してんじゃないの〜、と思いました。そうしたら、次の日には記事が消えてしまった。これって、やっぱり、「嘘書いたらあかんよ〜」という天の声なのか・・・。

そうこうしているうちに、私ったら、とても人様にお見せできないような、最悪母をやってしまいました。その一部始終を紹介しましょう!(私、イサギよい?)


13日木曜日。仕事は休み。午後から眼科に行く予定。Fはでかける用事はなく、在宅。

朝10時、朝から二回目の洗濯も終わるのに、まだ寝ているF。普段仕事をしているときは、意識に上らないので、Fが11時くらいまで寝ていてもあまり気にならないのだが、家にいると、妙に気になる。せっかく天気がいいんだから、Fのシーツも洗濯してしまいたい!

「もう起きてちょうだ〜い」いらつく気持ちを抑えて、猫なで声で起こす。Fは起きてきたものの、ぶどうを食べるとまたごろんと床に寝転がっている。(彼は朝に弱い)

もう11時。まだごろんとしている。この蒸し暑いときに、狭い部屋にごろんとされてるだけで、なんかムカつく。それに15日はクラーク(通信制高校)のスクーリングの日で、課題提出さないといけない。16日はレストランで演奏デビュー。

いい母演じるのも、もう限界や〜。
「ちょっとあんた、寝るんだったら、二階に行って!ここでごろごろされるとイライラする。」

言ってしまった!

しかし、「クラークの課題はやったの?ギターの練習だって、全然足りてないじゃん。」と言いたいのは、こらえた。これを言ったら、ダムが決壊するように、言いたい放題言ってしまいそうだったから。そして、仮にも「親業」を読んでいると公言している私、ちょっとずれているかもしれないが、「私メッセージ」で言わねば!「あなたメッセージ」はだめだよ、と自分で自分にブレーキをかけた。

でもFは、私の言わなかった言葉も、きっと感じたんだろう。むっとした顔で、起き上がり、ギターをつかむと、誰もいない休診の医院のほうへこもってしまった。(夫はすでに出かけていた。)

最悪の空気。私は予定より早く眼科へでかけ、喫茶店で本を読み、なるべくゆっくり家に帰るようにした。

ああ、自己嫌悪。私、ニイルの本や堀さんの本を何度も読み、堀さんの話しも一生懸命聞いてきたのに、なんにも変わってないじゃん。

FはFの人生なのに、結局私は自分の思うように彼に行動してほしいんだ。「朝すっきり目覚めて、自分のやるべきことに邁進する息子」という理想に、彼を当てはめようとしているだけ。

だいたい、息子に言う前に、自分はどれだけ時間を有効に使ってるわけ?50歩100歩じゃん。私は人生を無為に生きてる後ろめたさみたなものがあって、それをFに投影しているんだと思う。ああ、どうすればいいの〜?

帰宅後もFと私は気まずい空気。Fが犬の散歩に行ったのを追いかけて、私もついて行った。外のほうが、話しやすいような気がしたから。どうすればいいのか、何を言えばいいのかも決めずに、一緒に歩いた。そして、やっぱり、今の気持ちを素直に言うのがいいかな、と思って、切り出した。

「お母さん、どうすればいいんかなあ。あんたのギターのこととか、クラークのこととか、いろいろ心配になって、イライラしてきてさあ・・・」

Fはちょっと苦笑しながら、こう言った。
「心配せんでいいって。俺のことは俺がするけん。心配しても、お互い不幸になるだけやろ?」

ああ、そうだよね。人のこと心配して、自分の思うようにさせようとして、結局お互い不幸になるんだ。そういう家族がいっぱいあるじゃん。事件にもなってる。

Fに穏やかに言われて、私もなんだかすごく楽になった。明日からまた、自分の人生を生きる、笑顔の母ちゃんでいよう、そう思った。

爆発して、一皮むけたかな?

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2006年7月14日 (金)

わらじ組

昨日なにげなく【わらじ組】と書いてしまいましたが、???の方もおられたかもしれません。

【わらじ組】というのは、中学生のプロジェクトのひとつで、唯一担任がいないクラスです。テーマは主に環境問題なのですが、具体的に何をどうするか、というのは自分たちで話し合って、決めていきます。

なぜ【わらじ】なのかというと、当時の中学生が「二足のわらじ」という言葉から、「みんなでいろんなことをしよう」「みんなでたくさん、わらじを履こう」と言って、それがプロジェクトの名前になったということです。

昨年中学三年生のときわらじ組だったFに、「わらじ組にはいって、なにが一番よかった?」と聞いてみました。

F:「そうやな、やっぱりオゾン層破壊のこととか、地球温暖化のこと、森林破壊のこととか、たくさん調べたんやけど、環境問題がほんとうにたくさんあることがわかったし、その原因もたくさんあることがわかったな。それで、環境問題がすごく身近になったな。」とのこと。

我が家にはクーラーはありません。隣接する仕事場にはあるので、涼しく働いている私たち(親)に比べて、日中自宅にいることの多いFは、扇風機をかけながらギターを弾いています。昼休み、自宅に戻るとムッとする暑さが迫ってきて、Fもきついやろうな、と思います。でも、彼は言うのです。

「こっち(自宅)にはクーラーはいらんわ。俺、わらじ組やったから。クーラーって環境によくないやろ。」


ある卒業生が「きのくにで学んだことで、自分と社会がつながっていることが実感できた」と言っていました。こういう学びがホンモノなんだな、と思うのです。自分の成績のことだけが関心事で勉強するから、どんどん自己中心的な若者が育ってしまうのです。きのくにのように、いろんな体験、いろんな深い学習をすると、他人、環境との関係性がぐっと深くなるので、成熟した大人になれるのだと思います。

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2006年7月13日 (木)

キルクハニティときのくに

キルクハニティスクールは1997年に閉校してしまったのですが、2002年5月にきのくにがキルクハニティの施設を取得し、「キルクハニティ子どもの村」と命名しました。

以後、小・中学生の子どもたちが、1ヶ月から2ヶ月間滞在してプロジェクト活動を行ったり、中学校の修学旅行、高専の海外研修で滞在したりと、活用されています。

で、これまでほとんどこのブログに登場しなかった、次男Nは、5月13日から7月12日まで、中学校わらじ組のプロジェクトで、キルクハニティに滞在していたのです。昨夜帰国したとのこと、スタッフから電話がありましたが、本人とはまだ話しておりません。一学期最終日22日まで、そのままきのくににいる予定です。

わらじ組は、「ニイル(サマーヒルスクール創設者)の足跡をたどる」というテーマで映画づくりをしてきたそうです。どんなものができたのか、これから話しを聞くのが楽しみです。

それにしても、キルクハニティ滞在中の約二ヶ月間、スタッフはほとんど休みがないわけですよね。もう、頭が下がります。私だったら「一人になりた〜い」って、ストレスがたまってしまうような気がします。

堀さんはその二ヶ月の間に、はずせない用事のために、二度も帰国しています。

堀さん、スタッフのかたがたの、「子どもたちにいろんな体験をさせてあげたい」という気持ちのおかげで、Nもうちにいたのでは絶対できないような体験を、いろいろさせてもらいました。

彼の土産話、また後日、書こうと思います。

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2006年7月10日 (月)

お知らせ

1)昨日の記事「言い過ぎない」につけていただいたpiririさんからのコメントですが、操作トラブルにより、記事自体が削除されてしまいました。よって、コメントも消えてしまったので、こちらに転載致します。

「奈良の事件について」にも同じコメントが入っていますが、最新のコメントでないと、見落とされるかたが多いのではないか、との配慮から、再度いただいたコメントです。みなさま、どうぞご意見メールお願いします。

【2006年7月6日の朝日新聞地方版のページで、
朝日新聞奈良総局が奈良県田原本の放火事件への意見を募集しています。メールのあて先は、nara@asahi.comです。
名前と連絡先を明記してくださいとのことです。】


2)現在ココログ管理画面のアクセス状態が悪く、操作しにくくなっております。11日午後からメンテナンスが入るそうなので、更新も、それ以降にいたします。(13日以降)

削除したくないものが削除され、同じものが二重にアップなど、もうめちゃくちゃで、ストレスたまりま〜す!それ以上に、がんがん書きたいのに書けないのが苦しいです。メンテナンス後、使いやすくなってること、期待しています。

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ジョン・エッケンヘッドのことば

キルクハニティは、戦争の産物である。

私は考えた。
戦争は憎しみの時代である。
だから私は愛に基礎を置く学校をつくろう。
戦争は破壊の時代である。
だから私は創造を中心にした学校をつくろう。
戦争は国家主義の時代である。
だから国際主義の学校をつくろう。

人々は私に、戦争が終わるまで待てという。
しかし戦争の時代だからこそ、
こんな学校をつくらねばならない。

【キルクハニティは、サマーヒルスクール創設者ニイルの影響を受けたジョン・エッケンヘッド氏が、1940年にスコットランド南部に設立した自由学校である。
きのくに子どもの村学園長の堀さんは1972年に初めてキルクハニティを訪れて以来、交流を深め、きのくにの設立にあたっても、大きな影響を受けた。

しかし、キルクハニティは96年に行政から建物と教育内容のカリキュラムに関して指導をうけ、それに対してジョン校長は「設備の変更ならできるが、教育理念までは変えられない」と拒み、97年に閉校し、その翌年校長は死去した。】

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2006年7月 7日 (金)

腹をくくる

長男Fがきのくに卒業後に選んだ道はギタリスト。4月にギタースクールで、一般コースかプロコースかを決めなくてはならず、各コースの説明を受けた後、しばし考え、「腹くくらんとな」と一言。プロコースを選びました。

この話しをきのくにの保護者にしたら、「腹くくる、とはすごいね。私は初めて就職したときも、腹くくってはいなかったかも」と言ってくれました。確かに、よく考えたら、私も「腹くくった」ってこと、ほとんどない、というか、まだない、かも。(恥)

人間、「腹くくる」と、チャンスや人が向こうからやってくるものなんでしょうか?バイト先のレストランでは、「夜、お客さんのいるときに弾いてね」と言われ、16日がデビューです。

7月末には父親の尺八の伴奏で、二カ所で演奏することになっています。一つは湯布院音楽祭というのが開催されるので、その時期に、音楽祭の気分を演出するため、辻立ち演奏をするのです。もう一つは塚原という、草原の風の気持ちよいところで、野外コンサートがあり、いろんなグループがでるのですが、そこで演奏させてもらえるのです。

さて、昨日、そのデュオ演奏の指導を、音楽家の小林道夫先生にしていただきました。小林先生はカラヤンとも共演したことのある、大音楽家です。主に鍵盤楽器の演奏者なのですが、芸大楽理科卒業なので、音楽全体に精通しておられます。

帰ってくると、Fは「胃がいてえ」と言っていました。

父親によると
「Fはよく頑張ったよ。小林先生の要求に、逃げずに取り組んで、音をだしてたよ。俺だったら、逃げたくなっただろうな。それに、Fがクラシックギターを初めて手にしたのは去年の8月だし、本格的にやりだして、まだ三ヶ月だよ。腹くくるって、すごいな」とのこと。

夕食後、私の前で演奏してもらったのですが、この間まで、「間に合うの?」と思うような状態だったのが、ちゃんとできてる。すっごくよくなってる!

「あんた、寝てばっかりいるように見えて、いつの間にやってんの?」と言ってしまいました。Fはにやりと笑っていましたが、ほんとに、親が口を出すことは何もなさそうです。

まあ、親バカ的な話しですが、Fが「腹くくる」ようなやりたいことを見つけられたのも、やるときはやる、という集中力を持つのも、私が口うるさく言わずに踏みとどまっている(?)のも、きのくにで、親子で学んだおかげだなあ、と思うのです。

きのくに転入のとき、願書に「息子には偏差値とは無縁のところにいさせてやりたい」と書いたことを思い出しました。ほんとに、試験、偏差値にとらわれていたら、「やりたいこと」を見つける範囲が、かなり狭まっていただろうな。

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2006年7月 6日 (木)

夜更かし会の思い出ーその2

最近夜になると、ココログ管理ページへのアクセスがしにくくなり、記事の更新ができませんでした。訪問してくださったかた、ごめんなさい。全体的なトラブルだそうで、7月11日から2日間、メンテナンスが行われることになりました。その間も、更新はできませんので、ご了承ください。


さて、気を取り直して、夜更かし会のことにもどります。「夜更かし会」といっても、最初のころは11時とか12時くらいには寝ていました。寝るといっても、寝袋もって、あいてる教室の床にごろんとなるんですが。

あるとき、もう寝ようかな、と思っていたら、別のテーブルで話しをしていた夫が、「この人たちすごいんだよ。子どもたち4人をきのくにとかつやまに入れてるんだよ」といって、初めてお会いするご夫婦を紹介してくれました。

聞くと、長男さんがきのくに、あと二人はかつやま在学中、4人目は次の年入学予定で、かつやまへとのことでした。四人私立、というのもすごいし、おまけに二手に分かれている、というのもすごい!

「最初のころは、金、金、金、でノイローゼになりそうだっよ。でも、自由教育の良さを知ったら、お金がきついからあとの子は公立小に行かせる、なんてできないよ。」」と笑いながら話しておられました。私も、考えただけでくらくらしちゃいます。2人でいっぱいいっぱいだもんなあ。

でも私も、子どもが3人、4人でも、なんとしても、どんな苦労しても、全員自由教育を受けさせたいと思うだろうなあ。

うちは、長男Fが4月に転入できたけど、次男Nの学年はそのとき空きがなくて、三学期まで待ったんです。その間の9ヶ月、Nにはかなり気を配りました。親はもう、管理教育に耐えられなくなっているから、あほらしい宿題なんかやらなくていいと思ってるけど、Nが学校でつらい思いをしてはかわいそうだし。

どんな「あほらしい宿題」かというと、たとえば本読み。教科書の端っこに、メモ用紙くらいの紙がはってあります。見るとそれに、「声の大きさ・感情の込め方・正確さ・・・」などなど5つくらいの項目が書いてあって、それぞれの欄に◎、○、△を親がつけるようになってるんです。それも、毎日5回づつ読むようになってて、そのたびに親がチェックしないといけないようになってるんです。

他には、日記を書くのですが、【必ず】、「先生あのね」で文章をはじめなくてはならないのです。はあ〜?って感じでしょう?どこまで管理すりゃあ気が済むのよっ!(ああ、当時を思い出して、興奮してきた)
みなさん、聞いただけでストレスたまりません?

でも、Nは今、その中でやっていかなくちゃならないわけなので、担任には我が家の方針を伝え、Nには「宿題やらなくてもいいよ。それで叱られるなら、お母さんが話しにいくからね」と言っていました。Nは叱られることはなかったようですが、後から聞くと、肩身の狭い思いもしていたようです。

そんなことがありましたので、「どんなに大変でも、4人ともきのくに、かつやま」の親御さんと出会って、とってもうれしかったんです。結局意気投合して、その後3時か4時くらいまでお話しました。ご家庭での、オープンな性のお話も衝撃的で、楽しかったなあ。(この話し、ここで書いたらだめ・・・?)

さすがに、もう寝ようか、という時間になって、そのお父さんが「これからかつやまに行くんだ〜」と言ったときには、もう、尊敬のまなざしで見てしまいました。その週末は、きのくに、かつやまの行事が重なっていて、両親で夜更かし会に参加し、日曜日、お母さんはきのくに、お父さんはかつやまの運動会、帰りは途中で合流して帰る、という段取りだったのです。

こういう保護者さんと出会って、やっぱりきのくに、かつやまってすてきなところだなあ、ととってもうれしくなりました。最初のころ、先輩保護者さんが言ってくれた、「アタリもハズレもあるけど、夜更かし会、毎回来たらええですわ〜」の言葉の意味が、よ〜くわかりました。

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2006年7月 3日 (月)

テレビ復活!?

我が家にテレビがなくなって、もう10年くらいになります。これは、子どもへの教育的配慮ではなく、自堕落な私への配慮(?)なのです。

私はすご〜いテレビっ子。あればだらだら、ず〜っと見てしまっていました。10数年前のある日、「これじゃいかん!私の人生テレビに奪われる〜」と思い、夫と子どもたちが寝ている間に、コンセントを抜き、アンテナをブチッと切り、馬鹿力をだして、テレビを屋根裏にあげてしまったのです。

当時子どもたちは小さかったので、朝起きたらテレビがない、という状況も、「貧しくて、テレビが買えないおじさんにあげたのよ。」という私のひどい嘘を素直に信じてくれたのです。でも、ワールドカップフランス大会の時、地元のサッカーチームに入っていた子どもたちが「サッカー見たいよ〜」と言うので、真実を話し、降ろしたのです。でも、屋根裏の高温で、壊れてしまっていました。(涙)


さて、今回のワールドカップドイツ大会、Fが数ヶ月前から「W杯は絶対見たい!!」というので、テレビ復活!買ったのではありません。仕事場(歯科医院)に、口腔内写真を移すための小さいテレビがあるのです。これでビデオやDVDは見られます。それを自宅に持ってきて、夫がアンテナにつないでくれました。

でも、もちろん衛星なんてつないでないし、よくわからないんですが、NHKと総合と、あと民放一局しか映らないんです〜。要するに、チャンネル三つ。おまけに画面がノート型パソコンくらいの大きさなので、選手が豆くずみたい。それでも、Fは喜んで、好カードの試合、見てました。

普段、彼は朝にチョー弱くて、何も用事がないときは、11時くらいに起きるのですが、このあいだの日本対ブラジル戦のときは、けろっと起きて、見てるじゃあないですか。あの日はひどい土砂降りで、私はその音で目が覚めました。そして、裏口を網戸にしたままだったのを思い出して、それを閉めるために階下におりたら、Fが、ちゃ〜んとテレビの前に座っている!

つい先日も、その日は9時半からバイトだったのに、夜中に起き出して見ていました。「朝が弱い」なんて、気のせいだね。もう言い訳は使えないわよ〜。

それにしても、W杯が終わったら、この「テレビ」どうなるでしょう。私はもう機械からでてくる音というのに、すっかり弱くなって、テレビがついてるとうるさくてだめな体質になってしまいました。Fは「チャンネル三つなんて少なすぎ。W杯終わったら、もういいわ。」と言ってますが、次男Nが帰ってきたら、「俺は高校野球見たい」とか言いそうだし。

さあ、家族でミーティングを開くとしましょうか。

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2006年7月 1日 (土)

保護者会のこと

6月20日付け『生活と学習の記録』に、ひらおだい四季の丘小学校の保護者、kuuさんからコメントをいただきました。四季の丘でも、そろそろ「親の会」をつくろうか、という話しがあるそうで、そのあたりのこと、参考になる話しがあれば聞きたい、とのことです。

先日書いた「夜更かし会」は、保護者会である、「ひこたにプロジェクト」の主催です。でも、私自身は中心になって活動しているわけではないし、きのくに歴も、そう長くはないので、詳しいこと書けないんです。

きのくに、かつやまの、保護者さ〜ん、保護者会のできはじめとか、何か思い出話でも、アドバイスでもいいので、コメントしていただけると助かります。よろしくお願いします。すぐでなくてもかまいませんので。


ひとつ私が感じていることは、保護者の集まり、というのは、まとまって何かをしたり、学んだりするときに、とても有効なものだけれど、ひとつ歯車が狂うと、学校への不満を誰かが言いだして、それに同調する人でかたまってしまう、という危険性もあるのではないか、ということです。

子どものすてきな成長、感動話しなどは保護者全体で分かち合うけれど、基本的には保護者ひとりひとりと学園との関係なので、なにか疑問、不満がある場合は、保護者は他の保護者にそれを愚痴るのでなく、学園に直接問い合わせて解決する、という姿勢がいいのではないか、と思っているのです。

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