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2006年6月 5日 (月)

体罰は愛のムチじゃない!

朝日新聞本日朝刊に、全国4214校を対象とした、高校野球指導者へのアンケート結果がでていました。(回答率60%)

その結果、体罰を容認する回答は6割にのぼっていました。そして選手時代に体罰を受けた体験があり、それを肯定的にとらえる人ほど、指導者になってからも体罰をする割合が高い、という結果がでています。

【高校時代の体罰の体験が「自分のためになった」「当時は嫌だったが、今はためになったと思う」と感じている人は81%に達し、そのうち体罰をふるった人は85%】 ー13面よりー


息子が地元の小学校に行ってた頃、保護者会では、私は「子どもを絶対殴らないでください」とお願いしていましたが、「子どもは叩いてでもわからせる必要がある」とか「自分も子どものころ先生に叩かれて、自分が悪かったことがよくわかったから、うちの子は、悪いことをしたら叩いてもいいです」という親が、必ずいました。

そして、それに対して、感情でなく、論理的に反論できなくて、くやしい思いをしたものです。でも、今なら大丈夫。森田ゆり氏の本を読んだから、ちゃ〜んと反論できます!

アンケートの回答にもありましたが、 【子育てと一緒。愛情があればこそで、それは体罰と呼ばれるものではない】 などという論理のすりかえに、怒りが込み上げました。


以下、『しつけと体罰』より抜粋します。


【・子ども時代に体罰を受けたことが、自分にとってよかったと思う人 
 あなたは、体罰は子どものしつけに必要という、体罰容認派の中核をなす人です。

「家にいることも少なく、あまり会話もなかった父親が、わたしが万引きをしたときには、本気で怒ってくれて、張り倒されました。そのとき、わたしは父親の愛を強く感じて、二度と万引きをすることはありませんでした」と、語った人がいました。 ー略ー

「張り倒されたから、あなたは二度と万引きをしなくなったのですか?」と、私は質問を投げかけ、次のように話しました。

「子どもって、親から注目してもらうこと、気にかけてもらうことを求めていますね。そのとき、父親の愛情を強く感じたのは、いつもは気にかけてくれない父親が、本気であなたに向き合ってくれたからでしょ。あなたにとって重要だったのは、張り倒してくれたことよりも、父親が本気であなたに向き合ってくれた、ということだったのではないですか。

その真剣な向きあいは、体罰以外の方法ではできなかったのでしょうか。他の方法でも、父親の真剣さがあなたに伝わりさえすれば、同じように愛情を感じたのではないでしょうか。」】

野球部指導者の、体罰容認派の人へも、こう問いかけたいものです。


そして、森田氏は、こう、きっぱり書いてくださっています。

【いけないことをしたから、なぐられてあたりまえの人間は、ただひとりとしていません。体罰は、社会における子どもの地位が、いかに低いかを示すバロメーターです。大人に対しては許されない行為が、相手が子どもだと許されてしまうのです。同じ行為が大人に対して為されれば、暴行罪や傷害罪という、れっきとした犯罪とみなされても、相手が子どもだと、それは「しつけ」や「教育的配慮」や「熱心さのあまり」となってしまうのです。】


ほんとにそうですね。子どもも尊厳を持つひとりの人間なのです。それを大人が踏みにじっておいて、自己肯定感のある、まともな人間に育つわけがありません。

もっとも、言葉の暴力というのもありますけれども。


きのくにの体験入学に行ったとき、同じく当時小学三年生を持つお母さんと知り合い、お話しました。私が、地元の小学校で体罰が普通に行われていることを話したら、「体罰もいけないけど、言葉の暴力もすごいでっせ〜。うちの子の担任(きのくにに転入する前の学校の)、女の人なんやけど、この前、算数の〈余り〉を教えるとき、いつも悪さするから一番前の席に、一人で座ってる子を指差して、“みなさんは、み〜んな二人づつ並んですわっているでしょう。でもAくんは一人で座っていますね。こういうのを〈余り〉というのです。わかりますか〜?”って言ったんでっせ〜。」


子どもの人権はどこにあるんだ〜!!


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コメント

子供と大人を同じに説明するのは論理に飛躍を感じます。
大人は悪いことしたら、法的にも社会的にも罰を受けるのですから。
「体罰はだめ」イコール甘やかすことではありません。体罰以外で子供に悪いと悟らせる手段を考えた方が前向きじゃないかな?

投稿: | 2008年6月19日 (木) 08時49分

一方では子ども同士で殺しあう事件があり、それまでをわれわれ大人が、努めて、体罰もせず、涙を流して説教だけで、ほんとにわかってくれるのか?

投稿: | 2008年6月19日 (木) 09時08分

私も体罰には絶対反対です。私の母はとても厳しく、よくたたかれました。悪いことをしてたたかれたという記憶よりも、叩かれたという記憶しか残っていません。私は子供には愛すること認めることが一番大切だとおもいます。親が見ていてあげれば、子供はたいてい悪いことはしません。少しずつ社会のルールを丁寧に教えていけばいいのです。子供は愛されることで強くなります。大人だって愛されることでつよくなる。だから、社会にも子供を認め愛してあげてほしいと思います。

投稿: 二児の母 | 2008年6月19日 (木) 09時11分

初めまして、こんにちは。
別のブログで少年野球のあれこれについて書いているredsox555です。
事後報告になりますが、
現在、私自身が抱えている問題のヒントとして、今回、mamiさんのこのブログの記事を紹介させていただきました。よろしくお願いします!
問題があるようでしたら、
修正いたしますので、
お手数ですが、ご一報ください。

投稿: redsox555 | 2008年6月19日 (木) 09時16分

gawkアホじゃないか?子供は教えてくれる人がいて育つんだろ.だったら体罰どうのこうの言ってる前に,まともに子供を育てる確実な方法を言ってみろよ.
 子供の人権だ!?そんな物は親がちゃんと育ててりゃ必要ないんだよ.頭の悪い親に育てられた子供だから体罰受けなきゃわからないんだろ.全部親の責任だろ.自分の子供が体罰受ける=自分が批判されていると思うんだろうな.その通りだよ.体罰を受けるような子供にした親が悪い.
所詮,人間はただの動物だろうーが!体罰でしかわからないバカなガキに体罰で教えるのは,一種の愛だよ.

投稿: まろ | 2008年6月19日 (木) 09時22分

内容がうさんくさい記事ですね。恐らくあなたの子供がいれば、躾もろくにできず、猿がそのまま育ったような、善悪の判断もできない大人になるんでしょうね。
言葉で言っても分からないなら体を通してっていうのは自然な流れです。子供は何も知りません。大人に対しては許される行為が子供には許される。当たり前です。やってはいけないことを子供が分かってくれないなら、体罰を通してでも分からせて立派な大人にするのが僕らの役目でしょう。

子供の人権とかありません。猿と同じだからです。何も知らないし、できない。国民の義務すら果たせません。

あなたのような保護者が増えていくことを非常に憂慮しています。

投稿: かつお | 2008年6月19日 (木) 09時41分

具体的にどういう風に子供に分からせる手段がありますか?
言っても聞かない、分かろうとしない子供に対してのしつけの具体的案を教えてください。
ただ体罰が悪いとは一概には言えないと思います。ただ行き過ぎの行為には憤慨は覚えますが。
今の子供たちに共通していることは、「理不尽」に対しての抵抗が少なすぎることだと思います。
一昔前に当たり前にあった「理不尽」という名の体罰や暴力が、今は「人権」という無謀な権利によって失われています。
だからといって、体罰や暴力が良しというわけではありません。が、必要最低限の範囲というのはあるのではないでしょうか?
やはり、万人が見て悪しと思える行動に対しての抑止力には、身をもって悪だと覚えさせることも重要だと考えます。
原題の話にもあった親と子の件で例えるとすれば、子供に対して「100の愛情の言葉」を投げかけるより、「無言の平手打ち」一発のほうが心に響くことがあります。ただ、そう思えるには状況と環境が大事だと思います。
親を少なからず尊敬していなければ「自分のことを見てほしい」とは思えませんし、殴られても憎悪しか感じないと思います。
やはり家庭も学校も環境を作ることが大切なのではないでしょうか?
ただ権利を主張しても意味がありません。
どう足掻いても人間は「上下関係」を無視することはできないのです。どこまで行っても、上下・支配という枠からは逃れられないのです。人権というものはその中で、どこまで自分を護ることができるかという権利だと思います。人権を声高に発する人は、その辺を履き違えており、理不尽な環境を無視しているだけだと思います。
長文となりましたが、まず家庭環境、社会環境を上下ありきの社会に立ち返らせ、そこでどこまでが最低のラインなのかを見極める作業が大切なのではないかと考えます。
駄文、失礼致しました。

投稿: | 2008年6月19日 (木) 09時48分

五億円を収賄した、この国の元首相は裁判所で有罪判決が出ても体罰どころか刑務所さえも行きませんでしたが悪いことをした人間は殴られるべきという体罰容認派の人は、なぜ殴りにでも行かなかったのですか?

投稿: 藤原欽也 | 2008年6月19日 (木) 09時54分

暴力=絶対悪い!を前提に考えてませんか?
目くじら立てて体罰を否定する人の気持ちが解りません!別に骨折させたり、歯を折ったりしてる訳じゃないんだから!
多少の怪我ならすぐ治る!
でも悪ガキが善悪もまともに理解せずに大人になったら中々治らないですよ・・
怪我よりそっちの方がよっぽど痛いし怖い!
その時には何のせいにするんでしょーね?社会が悪いとか?
繰り返しますが多少の暴力なんて何にも悪い事じゃないです!
暴力以外で人を傷つけて事の方がはるかに多いと思います、でもそれは明確な線引きがないから抑止出来ない、暴力は線引きが出来るから悪の象徴みたいにされる!それだけの事だと思います。

ちょっと脱線しますが本音と建前の二極化がどんどん深まる現代においてその壁を少しでも壊せるのは痛みとか感情とかそういうリアルですよ!

投稿: 不幸男 | 2008年6月19日 (木) 10時06分

本気を見せるって人それぞれ。子供も人それぞれ。

変な先生の話はあるとは思うが、本気に向き合う時には喝も必要だと思う。子供ってこの大人どこまで本気出してくるかなって見てるやんちゃな子供もいるし。

本気で子供と向き合えば体罰なんていらない、という意見はなんかロジックすぎると思う。

話をちゃんと聞いてくれる大人。ちゃんとしていないとこわい大人。どっちも必要。
人間だから言葉で改心するが、人は動物でもあるから。

注意する大人も、される子供も人間であり、動物。
人それぞれいいバランスみつけてくしかないよね。

投稿: kei | 2008年6月19日 (木) 10時07分

体罰=暴力
そんな短絡的な考えしか出来ない、その方に問題があると思います。話してわからないから体で教えるのはアリだと思います。話してわかるような子なら体罰なんて始めから必要無いんですから。問題は、体罰と暴力の違いがわからない大人が「体罰だ」と言って暴力を振るう事です。そんな大人の方をどうにかする方法こそ真剣に考えて下さい。

投稿: mayu | 2008年6月19日 (木) 10時16分

俺もビンタ食らったりゲンコツ喰らったりして育った記憶はあるが、決して悪かったとは思わない。
少なくとも、悪いことをした時にしかされなかったからだ。
普段いいことをしたら、親はほめてくれた。
悪いことをしたら叱ってくれて、それでも俺が屁理屈こねたらビンタが飛んできたし、ゲンコツも降ってきた。

こういうのは当たり前の流れだろう。
行き過ぎた体罰(怪我をするまで殴ったりする)とかは論外だが。

今はビンタやゲンコツですら出来ない大人が多く、それをやっただけでギャーギャー騒ぐ親が問題だろうが。
今のガキは情報化に伴って、俺らの頃に比べていろんな知識を身につけているが、それ故に性根の腐りきったガキばっか。
しかも言っても分からない、分かろうともしない、あれやこれやと屁理屈を並べ立てて改心しようとしない。

こんなのに理論だけで分からせるなんて、土台無理な話。
こういうガキ共のためのビンタやゲンコツだろうが。

道を正してやるべき大人がガキの屁理屈に媚び諂ってどうするんだかねー。ブログ主さん?

投稿: | 2008年6月19日 (木) 10時21分

教育で生徒に叱る事は当然だ、それを止めさせてどんな教育ができるか、何処でよい悪いの判断ができる人間に生長できるか心配だ。勝手気ままな人生が送れられれば良いが人間社会はそうは行かない、何もできない大人達が議論ばかりして、子供達は他を向いているのが現状だ、下手な議論よりもっと愛情あるムチを打つべきだ、教育者もその様な教育下で育ってないのが、問題だ。

投稿: | 2008年6月19日 (木) 10時25分

言葉だけで伝えきれないものってあるはずです。私は我が子を叩いていますが、同じくらい抱きしめています。別に体罰を推奨しているわけではないですよ。何でも叩けばよいとは考えていませんし、体罰が好きなわけでもないです。でも、自分の命よりも世界の何よりも大切な我が子に真剣に向き合えば、手が出るという場面もあるはずです。体罰=虐待、体罰=愛のムチと一律に決めつけるのは簡単です。どちらにしても簡単なロジックの組み上げでそれらしく根拠付けができてしまいます。世の親たちにはそのような定義に惑わされること無く最後まで自分で考え欲しいと思います。

投稿: かほこ | 2008年6月19日 (木) 10時29分

自分のことを本気で思って怒ってくれているのなら、たとえ殴られても暴力だ、体罰だ、なんて言えないですよ。
愛のムチだからこそ、受けた方もためになった、良かったって思うんでしょ?

100万言の言葉よりも、一つの行動の方が雄弁なんてことはいくらでもあるし、行動じゃないと伝わらないことなんてたくさんあります。
いつもは怒らない父親が自分を殴るほどに怒った、だからこそ、その真剣さが伝わったんであって、
「他に方法があったのでは?」って言うのは本末転倒ではないでしょうか。

それに大人と子供をもっともらしく対比していますけど、愛のムチは大人でもありえますよ。
大人同士であっても、自分のことを真剣に考えて怒ってくれている人ならば、たとえ殴られても訴えないと思うんですが。
暴行罪も傷害罪も申告罪なので訴えなければ、誰も罰せられません。

結局、お互いに気持ちがどれだけ通じてるか、通じ合うかなんでしょうね・・・違いは。
正直、なんでも体罰、体罰って言う人は、希薄な人間関係しか作ってこれなかったかわいそうな人にしか思えませんね。

あなたのような人が、ホンの一握りであることを祈ってます。

投稿: ゆたか | 2008年6月19日 (木) 10時33分

物事を理解できるようになるまでは、人間とて動物と同じであり、
子供と大人を同じ理論で語るのは間違っております。
大人は殴らないのに子供は殴るのがおかしいというならば、
少年法はなんであるのかということになります。
子供のうちは「叩かれるからしない」ということで行動を制限するのも子供のためなのです。
話し合いだけでなんでも解決できるなら、犯罪も戦争もなくなっているはずです。
大人ですら話し合いで解決できないのですから、子供なんかもっとできません。
よって効果的な体罰を与えるのは、正しい教育法といってよいかと思います。
問題なのは、「子供のための体罰」と「自分が怒っているだけ」
を区別できない人が、暴力を使うことです。
親や先生も大変でしょうが、頑張っていただきたいものです。

投稿: njmy | 2008年6月19日 (木) 10時36分

私は体罰のすべてをを容認するわけではありませんが、自分の体験上一つだけ役に立っていることもあります。

それは「理由は様々だが、赤の他人に殴られる(危害を加えられる)ことがこの世にはザラにある」という事を思い知ったことです。

そういう危機感の有る無しは、大人になって大変役に立っております。(該当する人物に感謝まではしてないですが…)

あと、「人権を尊重すること」と「大人と子供を並列にとらえること」は全く別だと思います。
子供だけ見れないから可哀そうと考え、映画や出版物の規制を無くしたりはしないでしょう。

投稿: | 2008年6月19日 (木) 10時42分

褒めるだけでは子供は教育できませんよね。

叱ることが必要ですよね。

叱る場合にどうやって叱るかが問題になるのですよね。


言い聞かせることにより、理性で理解してくれて、以降、
その行動をしなくなる子供もいるでしょう。

その一方で、理性で理解できない子供もいますよね(大人も
いますね)。

何らかの罰が与えられることによって、叱られる元となった
行動と、「負」の気持ちが結びついて、以降、その行動を
躊躇するようになるわけですね。
大人の世界でも、刑罰はこれにあたりますね。


子供にはどんな罰が適切か?

 漢字ドリルをたくさんやらせる?

 教室の後ろに立たせる?

 校庭を走らせる?

 つねる?

 ビンタ?


ブログ主さんは、どこからがアウト?全部アウト?

私は子供の理解度によって、アウトの境を決めれば
よいと思う考えを持っています。

投稿: ヒロ | 2008年6月19日 (木) 10時56分

「体罰」の定義を見直して欲しいと思います。
私の個人的な定義は、子供に悪行のリスクを学んでもらうために「げんこつ」をくれたり、少し強い口調で諭すのは「教育」または「躾」だと思ってます。

子供は、大人が考えているよるもずる賢いところがあり、悪行を言葉で諭すだけでは何の効果も無い場合が多いです。
大人が犯罪を犯せば法律によりペナルティを科されます。
悪行にはペナルティが伴う事を子供に理解させるのも、大人の役割ではないでしょうか?
私は、地域の少年サッカークラブの世話役をやっていますが、練習試合の引率の時などは、教えを守れない子供は他人の子であっても叱りますし、げんこつもくれてやります。
子供が教えを守れない時は、本人を含む誰かが傷つく(事故など)可能性があるからです。

子供の悪行に腹を立てて感情的になって叩いたりするのは大人のストレス発散であり「体罰」の名を借りた「暴力」だと思います。
怒る、または叱る基準がその日の気分で異なる親御さんを多く目にしますが、良くない事だと思います。
親も人間ですから、完璧は無理でしょうが、完璧を目指す気持ちは大切だと思います。
子供を叱った後で、自分に反省点は無いかを必ず見直して欲しいと思います。

体育会系の部活で指導者の期待通りに上達しない部員に対する体罰は、単なる暴力付きの脅迫です。
「罰」というのは、悪行に対するペナルティであって、なかなか上達できないのは悪行ではありませんから。
暴力を恐れるあまり、死ぬ気で練習するようになり、結果として上達するという事はあるかもしれませんが、私はあまり感心しません。
ただ、何事もある程度上達してみると面白さや楽しさに気がつく事がありますので、ある程度上達するまでは力ずくで頑張らせるというのも一つの手法かもしれませんね。

日本では、上記3例を全て「体罰」という言葉で集約してしまっています。
体罰絶対反対を唱える方が多いようですが、体罰という言葉の定義を見直した上で議論すべきだと思います。

投稿: SnowMan | 2008年6月19日 (木) 10時58分

私も親父や学校の先生方に愛のむちをうけてそだちました。結婚して子供ができて父親になって、お袋から当時の親父の子育て論を聞きました。「まず小学校入学まで基本的生活ができるように徹底的に教え込む。それまでに出来なかったことは小学校卒業までに教え込む。中学生になって以降は、叱っても絶対に手をあげずに育てる」私も、同じ子育てをしてきました、息子たちを張り倒したりしたこともありました。息子たちには、「お父さんは、お前たちがいい子になってもらいたいから怒るんだよ」と言い続けてました。今、高校生になった息子たちが「お父さんは昔も怖かったし今も怖いけど、将来結婚して子供ができたら同じように育てる。」と言ってくれた時は、涙がでそうになりました。親ばかですけど、いい息子たちに育ってくれました。ブログ主さん。私は愛の鞭ではなくて親父の愛で育ちましたし、息子たちを愛で育ててます。暴力を受けたこともないし、暴力を振るったこともありません。

投稿: | 2008年6月19日 (木) 11時00分

貴女のプロファイルも拝見しました。
お子様達はギタリストなど自身の夢を目指して頑張っておられるのは、素晴らしい事だと思います。
ただ、夢を持って頑張る事も大事ですが、子供が自立できるように生活力を身につけさせるのも親の役目だと思います。
ギターで食っていければいいですが、挫折した時のリスクや社会から受ける評価をお子さんは理解されていますか?
ここは日本であって、ネバーランドではありません。
ブログ主さんの「教育観」が「現実逃避」でない事を祈ります。
このまま名ギタリストが誕生してくれると喜ばしいのですが、生活保護受給者の予備軍にならない事を祈ります。

投稿: | 2008年6月19日 (木) 11時22分

ブログ主さんの言う体罰って、具体的になんですか?
私は悪いことをしたとき、軽く叩かれることがありました。
殴るのではありませんよ。「怒ってる」と分からせるためです。
相手が何を考えているのかなんて、経験の少ない子どもの時分に、正確に分かりました?
「こらっ」と言って、手をぺちっと叩くことすら許されないのでしょうか?
大人が子どもに触れるときは、細心の注意を払って、そっと触れなければならないということなのでしょうか。腫れ物に触れるように?
ブログ主は、叩かれたら痛い、ということをどうやって学びました?
転んだら痛いと知っているのは、転んだからです。転んで膝を擦りむいて、怪我をして痛いと思うから、次は転ばないようにするんでしょう?
「転んだら怪我をして、痛い思いをして怪我をするし、傷口から細菌が入ったら化膿するかもしれないのよ」なんて子どもに言って、理解します?
説得と説明だけで全て事足りるというのは、上記の例と同じだと思うのですが。
言葉で物事を捉えきれないからこそ、行動で伝えようとする。
体罰も、ボディランゲージの一種としての行動であれば、必要であると思うのですが。

投稿: | 2008年6月19日 (木) 12時50分

くだらない、議論です。
体罰がどうのこうのと議論する前に、躾ける役の大人の教育から始めないと現代は無理でしょう。
体罰はダメですが、愛情のこもった愛のムチなら、何も問題ありません。
でも、残念ながら、今の時代は、その愛を表現できる大人が少ないのが現状です。

投稿: | 2008年6月19日 (木) 14時01分

みなさま、たくさんのコメント、ありがとうございます。
誰がなんと言おうと、私は、子どもも一人の人間として尊重すべき、しつけはたたかなくてもできる、というスタンスです。

関心のあるかたは、2008年6月19日の『しつけと体罰』および、そのコメントをご覧ください。

投稿: mami | 2008年6月21日 (土) 23時36分

犬とて殴られれば脳が委縮するとわかっている時代に、体罰しか方法がないと思考停止状態の程度の低い連中が多いですね。
委縮した脳って怖いです。
私も体罰受けて、脳が委縮してるかもしれないんで、なんだか感情的なないようかもしれませんがごめんなさい。

>体罰がどうのこうのと議論する前に、躾ける役の大人の教育から始めないと現代は無理でしょう。

この意見は真理でしょう。
教育は、対象者の人生を左右するリスクの甚大な作業です。
それなのに、ろくに勉強もせずに子を育てようなどというのは大きな間違いです。
その行く末が、引き出しがなくなって手に負えずに体罰。
ではないでしょうか。

投稿: faxfax | 2009年3月22日 (日) 22時10分

少年犯罪データベース
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Satujin.htm

体罰が減るにつれて、殺人も減ってる気がするのは気のせいですかね?
本当に体罰に教育的効果があるのなら、体罰をあまり受けずに育ってる現代の子供たちの犯罪が多くなるはずですよね。ところが昔の子供の方が圧倒的に犯罪率が高い。

投稿: 少年犯罪データベース | 2009年6月18日 (木) 07時28分

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