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2006年5月30日 (火)

人間育成の基礎

Amazonに注文していた、A.S.ニイルの「人間育成の基礎」(誠信書房)が今日届きました。すでに持っていたのですが、一年くらい前に紛失してしまったのです。どこかに紛れ込んでいるのか、誰かに貸したのか・・・。本屋さんにももう売っていなくて、Amazonでも、最後の一冊でした。

この本も大好きな本の一冊です。最後の部分にニイルに対してQ&Aがあるんです。これがおもしろい!

【質問:何故私の子どもはたびたび嘘をつくのであろうか。
 
ニイル:多分親を真似てであろう。】

【質問:私がうちの小さい女の子に、わずかのことで小言をいうと、あなたは私が子どもを憎んでいるとおっしゃるかもしれない。しかし実際には、ご存じの通り、私は子どもを憎んではいない。

ニイル:しかし、あなたは自分を憎んでいるに相違ない。わずかなことは大きなことの象徴である。わずかなことであなたが怒るのは、あなたが不幸な人だからである。】

簡潔で、鋭い返事ですね。きのくにに出会ってすぐの頃もうなずきながら読みましたが、今、より深くわかる気がします。

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2006年5月29日 (月)

関係性

今日は、東京の三鷹にある、フリースペース・コスモで、不登校の子どもたちの「学びと安心」の居場所を開設している佐藤洋作さんの講演会を聞いてきました。学校には行けないけれども、安心できる「居場所」を必要としている子どもたちはたくさんいるのでしょうね。

【居場所というのは、身体と心が侵害されることのない場所です。彼ら自身が変わるのでなく、競争から共存へ、というように、他との関係性が変わる場所なんです。そして、私たちは、大きなことをするのでなく、まず、身近な一人のサポートをする、という気持ちでよいのです。】という言葉がありました。

それで思い出したことがあります。

私が20代前半の頃のこと。人との待ち合わせに早く着いてしまったので、近くの川べりに座って、本を読んでいました。しばらくすると、若者が2,3人やってきて、シンナーの準備(?)を始めました。ビニール袋やら、なにやな。

うわ、どうしよう、と思ったけれど、急に立ち去るのも変かな、と思い、そのまま本を読んでいました。そしたら、若者のひとりが近づいてきて、「何読んでるんすか?」と尋ねたのです。そのとき私は大学の課題で、英語の本を読まなければならなくて、それを持っていたものですから、その人は、「わあ、すごいですね〜、英語とか読めるんだ〜」と、言いました。

そして、「いいなあ、俺なんか、全然だめなんすよ。俺みたいになったら、もう、だめですよ。」と、寂しそうに言って、私から離れていきました。そして、仲間たちと、シンナーを吸い始めました。

そのときの私は、シンナー吸ってからまれたら嫌だな、という思いのほうが強かったのですが、今思い出すと、彼は、とても寂しくて、つらくて、自分が嫌いで、苦しくて、というふうでした。

彼自身は、優しそうな人でした。彼をそのまま認めて、受け入れてくれる場所と出会いがあったならよいのだけれど・・・。あれから彼は、どんな関係性をつないで生きていっただろうか。

身近な一人をサポートする。忘れずにいたいものです。

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2006年5月27日 (土)

失敗する権利

昨夜の続きです。

結局、夜11時過ぎに課題を終え、後は名前や学籍番号、などを記入するだけとなりました。しかし、それが大変だった!地区コードや学籍番号、科目番号など、すべてマークシートで記入しなければならないのです。11枚の答案用紙すべてに。

マークシートに慣れないFは、丁寧にマークを塗りつぶしていて、いつ終わるともわからぬ作業に突入。結局私もいっしょにマークをぬりぬりしました。すべて終わったのが12時くらい。ここでFのひとこと。

「失敗から学ぶ、やな」

なんか、おかしくて笑ってしまいました。でも、ほんと、それが大切なんだよね。きのくにでもたくさん失敗から学んだよね。

『自由学校の設計』121ページ「失敗する権利」から一部抜粋します。

【失敗にかんしていえば、あまりに多くの学校と家庭では、失敗が否定的にみられ、子どもたちは叱責やはずかしめ、そして体罰さえ受けている。しかし失敗や後もどりは、成長の過程で生じる積極的な要素なのだ。大人が子どもに対して、失敗を許さないという態度を取れば、子どもは意欲や「やる気」を失う。 ー略ー

「自由にしていいよ。責任は大人がとってあげるから。」子どもたちは、このようにいってくれる大人が大好きだ。そして、内面の深刻な問題を抱えた子は別とすれば、たいていの子どもは、好きな大人が困るようなことはしない。決してわがままを通そうとしたり、わざと失敗したり、迷惑をかけたりしようとはしない。

もっとも、それにもかかわらず彼らは、大人が困ることをたくさんしてしまう。しかし長い時間をかけて、そこから多くを学んでいく。自由な学校とは、そんなふうに子どもを見ることのできる学校である。】


『自由学校の設計』は、私のバイブルなんですが、特にこの部分は大好きです。字数の関係で略してしまったところにも、すてきな文章が詰まっています。

きのくにに出会う前の私は、子どもにはできるだけ失敗させないように、先回りして、あれやこれや口と手をだしていました。そして、子どもが言う通りにしなくて、失敗したときには、「だからお母さんがあれほど言ったでしょ!」と【問題の親】まるだしでした。

今は、息子自身が「失敗から学ぶ、やな」と実感しているのを、うれしく思える親にりました!

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2006年5月26日 (金)

きのくに中学校卒業後ーその3

明日はFが行っている単位制高校の、一回目のスクーリング。朝6時30分のバスに乗って行く予定。そのときに、一回目の課題を提出しなければならないらしく、今、私の前で必死でやっております。(一階のリビングのテーブルで向かい合って、私はこのブログを、息子は課題をやっているのです。)

CDをかけるために立ち上がったFに、「ねえ、お茶入れて〜」と言いました。その後の会話です。

F:え〜、俺、今忙しいんやぞ。(と言いながら、お湯湧かしてくれてる)

私:私だって忙しいよ。これ(ブログ)せんといけんし。

F:そんなん、絶対せんといけんわけじゃないやろ。俺は今日中にせんといけんのや。

私:私だって今日中やもん。自分で決めてるし。あんたこそ、この間までのんびりしてたじゃん。今頃あせちゃって〜。(笑)

F:そうで、俺はそういうやりかたなんや。(堂々と言ってる)

私:そんなん、偉そうに言うことか〜?もっと余裕もってやっとけよ〜。

とまあ、こんな具合に、忌憚なく、楽しく(?)会話しながら、お互い自分の課題に取り組んでおります。
それでも、私が思っていた以上にきちんと自分のペースで課題を進めていたようで、結局親は口だししなかったのに、全部自分で管理しながらやって、偉いもんだな、と思っています。

やはり、きのくにで、自分のことは自分で考えてやる習慣ができているのでしょう。

と、ここで、「お母さん、この問題わからんのやけど・・・」とヘルプコール。どれどれ、任せなさ〜い、と見てみると、ひょえ〜、私の苦手な数学、ルートが・・・。私もわからん。Fとふたりで、「ルートなんか、何に必要なんかな」とおバカな会話をしつつ、お父さんにヘルプを出しました。あともう少しで課題も完成しそうです。

それにしても、ほんと、ルートって、何に必要なんですか?? 

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2006年5月24日 (水)

プロフィール更新しました

プロフィールを書き直しました。

このブログを見てくださっているかたは、きのくにの関係者、教育関係に興味のある友人、なんとなく知り合い、ネットで検索してたどり着いた、などなどいろいろでしょう。読んでくださっているかた、ありがとうございます。

そしてその中には「きのくにって何なの?」というかたもおられるでしょう。そういうかたが、途中から読まれても、まずプロフィールを読んでくだされば、多少、なんとなくわかるかな、というふうにしようと思いました。

それから、毎日いろいろ書きたいことがあって、話しがあっちこっちいってますが、もうちょっと長い目で見て、系統だって書いた方がいいのかな、などとも思っています。それで、更新が2、3日おきになるかもしれませんが、「継続は力なり」ということで、とにかく続けてみますので、どうぞよろしくお願いいたします。

出前戦争噺の、本多さんが、言っておられました。

「みなさん、今日の私の戦争体験話しを聞いて、平和のために、じゃあ、いったいどうすればいいの、何ができるの、と思われるかたがいるでしょう。そしたらね、今日のことを周りの人に話して、伝えてください。大きなことじゃなくて、それでいいんです。それから、本を読んでくださいね。」と言って、いろいろ本を紹介してくれたのでした。

私も、本多さんのおっしゃるように、「周りの人に話す」というつもりでこのブログを続けていきます。

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2006年5月22日 (月)

なんでこうなるの??

ネットで見た、今日の毎日新聞の記事です。

【児童生徒の指導のあり方を調査・研究していた国立教育政策研究所生徒指導研究センターと文部科学省は22日、問題行動を起こした小中学生を出席停止とするなど厳格な対応を求める報告書を公表した。ー略ー

現在の公立小中学校では、学校の秩序が維持できないほどの問題行動を起こす児童生徒がいたとしても、停学や退学などの処分は認められていない。このため、報告書は「居残り」「清掃」「訓告」などの懲戒や出席停止制度の活用、高校などでは停学・退学処分の適切な運用を求めている】

子どもの個性や個人差を無視した、教師中心の一斉授業。授業がわかろうとわかるまいと、とにかく朝から夕方まで机に向かうことを要求される。家庭ではほったらかしか、「よい子」を求められて過干渉のどちらか。ストレスのたまった子どもたちは、誰からも理解されず、社会からも排除される。

子どもがなぜ問題行動を起こしてしまうのか、その根本原因に目を向けないで、「居残り」「清掃」「訓告」などという対応で解決するわけないでしょう!子どもを変えようとするのでなく、親、学校、社会が変わらなくてはだめなのに、どうしてわからないんだろう。力や権力で押さえつけようとしたら、そのときは効果があったように見えるかもしれないけど、数年後、大変なことになるのに。すでにその兆候は現れているような気がしませんか?悲惨な事件の多さにそれを感じます。

きのくに子ども村学園長の堀さんは、こう書いています。

【今いちばん急がれるのは、子どもたちが「ぼくは自分が好きだ」とか「生きるというのは、こんなに素晴らしいことだ」という実感を持って自発的に生きる場としての学校をつくることだ。】 ー『自由学校の設計』ー

自分が好きな人、生きることの素晴らしさを実感できている人は、他人の迷惑になるような行動はしないものです。子どもたちがそういう人になれるような学校、社会をつくることのほうが、罰を与えるより、よほど効果的でしょう。

私がこんなところに、一生懸命書いても、なんになるんだろうと、ほんとうに無力感に襲われます。でも何もしないでいては社会は変わらない。きのくにのすばらしさを実感しているかたがた、いろんなところで声をあげましょう、ね!

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2006年5月21日 (日)

反抗期

まだ息子たちが小さかった頃、中学、高校くらいの子どもを持つ知り合いから、「今、反抗期がすごくて大変なのよ〜」とか「帰ったらすぐ子供部屋にこもっちゃって、ろくに話しもしないのよ」「特に男の子は大変よ〜」なんていう話しを聞かされました。だから、息子たちも中学くらいになったらそうなるのかな、と思っていました。

そしたら、全然そうなりませんでした!他のきのくにの保護者と話しても、「うちにいるときは、なごやかにいろいろおしゃべりするよ」というかたが多いです。

きのくにでは宿題もテストもないから、親がきりきりする必要がありません。息子が転入して三週間後、春祭りという行事があったときにきのくにへ出向いたのですが、そのとき担任から「どうぞ安心してきのくににお任せください」「お家に帰ったとき、勉強を強制しないでください」と、集まった保護者に向かって言われました。

私はそう言われるまでもなく、全幅の信頼を置いていましたから、家に帰ったときは、のんびり好きなことをして過ごせるようにだけ、気を配りました。きのくにでの生活を全て見ているわけでも知っているわけでもありませんが、帰宅するたびに、楽しかったことをたくさん話してくれて、自信に満ちた様子なので、心配する必要もなかったのです。

きのくに生活6年を終え、15才のFは今、我が家で暮らしているわけですが、本やコンサートの感想を話しあったり、新聞記事について質問してきたり、漫画の話題で盛り上がったりと、「反抗期って何?」と思うくらい穏やかな日々です。もし私が彼の自主性を無視して、「ギターをもっと練習しなさい」とか「高校の課題はもうやったの?」とか口うるさく言う親だったら、Fは貝のように口も心も閉ざしていったでしょう。

あるとき、きのくにの保護者が「きのくににお任せ、というのは理想かもしれないけど、やはり親が軌道修正する必要はある」と言われました。そのかたが、また別の機会に、「うちの娘は私が部屋に入っていくと、すっと出て行くんですよ。」「学校でのこともほとんどしゃべりません」と言っていました。女の子だし、そういう年頃だし、と思っているようでしたが、私は違うと思いました。

きのくにを選択しながら、「軌道修正は親がしなければ」という考えでは、子どもはきのくにで学んだ良さを満喫できないのです。せっかくきのくにで心が解放されて、自分で考えることができるようになっているのに、家に帰ると親が「軌道修正」では、子どもは混乱してしまいます。

きのくにの教育理念である、「感情的にも知的にも人間関係でも自由な子ども」になってほしいならば、親は「きのくににお任せ」するとともに、子どもの成長を「邪魔しない」ことが、もっとも大切であると感じています。

さらにその親御さんは、きのくに在籍5、6年の娘さんを見て「きのくにの成果があまり感じられない」と文章に残していました。ほんとうにお気の毒です。

『自由学校の子どもたち』という本のなかで、ある保護者がこう書いておられます。

【きのくには恐ろしい学校だ。親に自分の哲学が本物かどうかを、つねにためしてくる。子どもの幸せとは何か、生きることは何か、などの難問をいつも突きつけてくる。ー略ー ともかくきのくには、こんなふうに、親にも学びを強いる恐ろしい学校であることは間違いない。】

「きのくににお任せ」の意味は、親も心を解放して、自分の価値観を問い直し、自分の子どもが「自由な子ども」へと成長するのを邪魔せず見守る、ということではないかと思っているところです。

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芸術家、川畠成道さん

川畠さんは、師に、「ヴァイオリンを上手に弾ける人がヴァイオリニストで、音楽家というのはさらにそれに音楽的表現を加えて弾ける人で、芸術家というのはその音楽に魂を込めて弾ける人だ」と言われたことがあるそうです。ならば、川畠さんは芸術家だと思います。

先日CDに感動して以来、すっかり成道さんファンになってしまい、今日、Amazonから届いた本を二冊、一気に読みました。それで、ブログの更新が今になりました。(言い訳)

『成道のアヴェ・マリア』 川畠正雄著(成道さんのお父さん) 講談社
『僕は、涙の出ない目で泣いた。』 川畠成道著 扶桑社文庫

今までヴァイオリンは音がキーキーうるさくて嫌いだったのに、成道さんの音色はなぜこんなに美しくて心を打つのかがわかりました。

今日は教育とは関係ない話しですが、本を読み終えて興奮しているので、お許しください。

私、将来(というか、老後?)の不安があったり、今までの生き方に後悔することがあったりするのですが、そんなことをぼんやり考えてられる自分って、平和なんだなあ、そして、本気に生きてないんだなあ、としみじみ思いました。

さあ、やろうと思ったことはどんどんやってくぞ〜!

本もCDもほんとうにお勧めです。ほんとはコンサートに行くのが一番すてきなんでしょうけど。


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2006年5月19日 (金)

愛国心

今日の朝日新聞朝刊15面に、教育基本法の改正に伴って活発化してきている、愛国心論議が取り上げられています。三人のかたの意見が載せられていましたが、私は作家の雨宮処凛(あまみやかりん)氏の意見に特に共感しました。

雨宮さんは20代前半は熱烈な「愛国主義者」で、右翼団体で活動していたそうです。

【中学時代はいじめに遭い、高校時代はリストカットや家出の繰り返し。学校や社会から排除され、無力感の中で生きる意味を見いだせずにいた。そんな私の心を癒し、社会への反発心を満たしてくれたのが、右翼の人の言葉だったのだ。】

その後雨宮さんは、たくさんの人との出会いによって、【右翼思想に頼らなくても、生きづらさを感じなくなった。】のだそうです。その彼女が、今の社会の保守化、右傾化を憂えています。

【尊敬できない教師から、形式的な愛国思想を押しつけられる子どもは、いら立ちのはけ口をいじめに求める。愛国心という新しい物差しは、クラスの異端者の排除にはうってつけだ。より閉塞感が強まり、荒廃はさらにすすむだろう。特定の思想を強制するのではなく、授業に多様なゲストを招き、様々な価値観を伝え、居場所を見つける手助けをすることこそが必要だ。】

同感です。そもそも、教師自身が自分の意見を自由に言えない状況に追い込まれていながら、愛国心が持てるのでしょうか?

そして、私がもう一つ思うことは、思想は誰からも強制されたくはないけれど、どうしても教育基本法に盛り込みたいなら、それは【愛国心思想】、ではなくて、【人類愛思想】にすればいいのに、ということです。

政治家さんの言う【愛国心】には、非常に自己中な響きを感じます。日本が大好き、その日本が繁栄すればよい、日本が安全な国でであればよい。そんな【愛国心】がエスカレートすると、その日本を守るためには他国を傷つけてもいい、必ずそうなります。

同じ地球上の人間どうしなんだから、私は人類愛思想でいきたいです。きれいごとだと思いますか?

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2006年5月18日 (木)

学費のことから考えた

「きのくにの学費は高いのか」にいただいた、むさしさんのコメントから、ちょっと考えました。

「どの子も自分にあった環境で学べる社会になるといいな」というのは、ほんとうに共感します。特に地方はほとんど選択肢がありません。小学校は近くの公立小学校しかありませんし、中学になって選ぶとすれば、公立か、(ちょっとイイところの子が行く)私立の進学校か、という選択だけです。私はどちらも魅力を感じませんでした。

『自由学校の設計』を読んだとき、「そう、これよ、私が求めていたのはこういう学校なのよ〜」という感じでしたもの。

今、リヒテルズ直子さんの『オランダの教育』を読み途中なのですが、オランダでは「校区」がなく、特色のある学校がたくさんあって、親は自由に選べるのだそうです。そして、学費も、私立と公立でそれほど違わないのだそうです。直子さんのハズバンドは「校区なんてものあるわけないじゃないか。学校は一つひとつ違うもので、学校を選ぶのは親の自由なんだよ。親が学校に行って校長先生と相談してきめるのさ。」と言うのです。

【学校の特徴や雰囲気というのは、オランダ人の親が子供の学校を選ぶ際の重要な要因であると思います、親もまた、一般的に評判の良い学校というだけでなく、自分にとって、自分の子供にとって、もっとも共感を覚える学校を選んでいるのでしょう。】    と書いてあります。いいな〜、選べるって。

でも、日本人て、「みんなと一緒が安心安全」という感覚を、子どもの頃からの【教育によって】しっかりすりこまれているから、「さあ、お子さんのために自由に学校を選んでください」って言われたら、困ってしまうのかな・・・?


それから、「公立や他の私学に通学するよりはお金がかかる」というのも事実ではありますよね。

日本の教育制度が問題なんでしょうね。のんびり母さんからもコメントが入りましたが、学費が高いのはきのくにのせいじゃなくて、企業努力(?)しない公立ばっかりに税金使って、高い志で頑張ってる私立にちょびっとしか助成金をださないからだと思うんです。

でも、たぶん、今の政治を見ていると、変わりそうもない気がします。首相は、国民が「多様な考え」を持つことは拒否しているようですから。きのくにの卒業生のように、自分の頭でものを考えられる若者が増えるのは、歓迎していないんじゃないでしょうか。

っと、悲観的な考えになってきましたが、川畠成道さんの「未来は私たちが創り上げていくものなのだから」という言葉を思い出して、気持ちを上向きにしています!

みなさん、またいろいろご意見よろしくお願いいたします。

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2006年5月17日 (水)

親業ーその1

トマス・ゴードンさんの「親業ーParent Effectiveness Training」という本を買いました。本を読む前にも、親業で使われている「わたしメッセージ」「あなたメッセージ」という言葉などは聞いたことがありますが、「親業」創始者の書いた本を、きちんと読むのは初めてです。

親子の関係をよりよいものにするために、どんなコミュニケーションをとったらよいのか、具体的に、論理的に書かれていて、大変参考になります。第一章【親業にも訓練がいるー二千年前と同じでよいか】に、こんなふうに書いてあります。

【親は批難されるが訓練は受けていない。何百万という新しい父親や母親が毎年生まれ、人間の仕事のなかでもいちばんむずかしい仕事につくーほとんどなにも自分でできない小さな人間の肉体的、精神的健康に全責任を負い、生産的、協調的で、なにか貢献のできる社会人に育て上げるという親業に。これほど困難で、能力や努力を必要とする仕事がほかにあるだろうか。

 しかも、そのための特別な訓練を受けた親が何人いるだろう。親業者のためにどんな訓練プログラムがあるというのか。親業を効果的に果たすのに必要な知識や技能を、いったいどこで手に入れたらよいだろう。】


昨日書いた「受容的聞き方」も親業のなかのテクニックのようです。きのくに子どもの村学園のスタッフも、親業学び、そのコミュニケーションの仕方を使うことがある、と聞きました。どおりで、という感じです。子どもたちは「受容されている」という安心感に満ちているように見えますから。

親子の関係は、その人の価値観、生き方が大きく関わってきますが、それと同時に、無神経に発していた言葉に意識を向けて、どうすればよりよい関係を築くことができるかを学ぶことも、とても大事なのです。

そうそう、今日一回だけ夫が受容的に話しを聞いてくれました。そのときは、とても心が満たされて、落ち着きました。「言葉の力】を実感しました。

「で、あなたはだんなさんの話しを受容的に聞いたの?」って私に聞かないで〜!
はい、明日こそは、「親業」を読んで、鬼門の夫で実践します!後日ご報告いたします。

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2006年5月16日 (火)

受容的聞き方

歯科医院で仕事を始めた十数年前は、子どもの患者さんが、「こわいよ〜」と言ったら、「大丈夫だよ〜。こわくないよ。」と言っていた。

きのくに子どもの村学園に出会って、堀さんの講演会を聞いたり、本を読んだり、きのくにスタッフの子どもとの話し方を見たりして、受容的聞き方の大切さに気がついた。

それから患者さんとの受け答えに気をつけるようになった。

「こわいよ〜」と言われたら、「そう、こわいのね。こわかったのに、よく頑張って歯医者さんに来たね。偉かったね。」と、まずその子の気持ちを受け止めて、そしてよいところをほめてあげる。それまで泣いてた子が、ちょっと落ち着く。

「治療いや〜、したくない〜」と泣く子には、「そうなの、治療したくないのね」、と受け取る。そして、「治療しないでこのままお家帰ったら、晩ご飯のとき、また昨日みたいに痛くなっちゃうと思うよ。おばちゃん、それが心配なんだ。どうしよっか〜。」と尋ねてみる。

そうすると、それまで「いやいや」ばかりで聞く耳がなさそうだった子どもも、しばし考える顔になる。その後治療ができるかどうかは、その子にもよるが、まず、落ち着いてコミュニケーションがとれるようになることが、とても大切だ。

それまでどんなになだめても、気持ちが通わなかったのは、その子が悪いんじゃなくて、私がその子の気持ちを受け止めていなかったからなんだ。自分の子どもにも、こういうふうに接してあげればよかった・・・。30才も半ばを過ぎてからきのくにに出会い、大切な学習をさせてもらった。

それにしても、受容的聞き方、患者さんや息子たちにはだいぶできるようになったのに、夫にはできないのはなぜだろう・・・。

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2006年5月15日 (月)

大丈夫?

長男Fがきのくに中学三年生になると、周囲の人たちから良く聞かれた。
「そろそろ受験ね、卒業したらどうするの?」

小学生のうちから子どもを寮にいれて、自由だかなんだか、変わった学校に入れてる、変な親子、のことが周囲の人たちは気になるらしい。

「高校資格は単位制高校で通信でとって、将来はギターでやっていくために、ギタースクールに行く」という話しをすると、「へえ、やりたいことがあっていいね」という反応は10分の1くらい。あとは「よく許したね」とか「大丈夫なの?ギターなんかじゃ食べていけないよ」とか「通信制高校じゃあ、昼夜逆転生活になっちゃうよ」などなどの反応。

私も夫も、Fがギターでやっていきたい、と言ったとき、彼はセンスがあると思っていたし、14才でやりたいことを見つけたことがうれしくて、できるだけの応援はしたいと思った。それに、やりたいこともないのに普通の高校にはいって、朝早くうちをでて、夜遅く帰ってくる、ということになったら嫌だな、と思っていた。(当地は郡部なので、市内の高校に行くためには6時くらいの電車に乗らないといけないのです。)

そんな私たちだったから、周囲の反応に、あらためて「へえ〜、フツーの人って、そういうふうに思うんだ〜」と再認識した。

毎日高校に行かなくてもいいから、先日の川畠成道さんのコンサートにも、昼間出かけることができた。CDに聞きほれている私に、Fは、「やっぱり生で見て、聞くのがいいよ」という。感性豊かなこのときに、彼がこういう時間を持てることがとてもうれしい。

きのくにのスタッフも、「Fくんのギターを聞いたとき、Fくんはギターから世界へ、人の中へ入っていくのだと思いました。」と寄せ書きに書いてくれた。子どもの選択を、認め、応援してくれている。

5月に入ってから、週に1,2回、イタリアンレストランでバイトも始めた。今日はギターのレッスン、今日はオフだから練習と高校の課題をする、今日はスクールに泊まり込んでソルフェージュのレッスン、今日はバイト、今日はコンサート、と毎日自分でスケジュール帳を見て動いている。私は口を出す必要がない。

夕食どき、「今日のレッスンは新しいところで、大変やった」とか「今日は忙しかった〜。お客さんが並んでるんで〜。皿洗いが間に合わんくなりそうやった」などなど、その日の話しを聞くのが楽しい。

若くてエネルギーあふれる時に、ずーっと机に向かうか、はちゃめちゃの部活漬け。「大丈夫?」って聞きたいのは私のほうだ。


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2006年5月13日 (土)

きのくにの学費は高いのか?

「きのくに子どもの村学園」をネットで検索すると、たくさんヒットします。そのうちのいくつかに、きのくにを見学した感想や、報告がありました。その中で、「教育理念はよいが、授業料が高すぎる」という意見をいくつか見ました。

きのくにの授業料は、小学生で月曜から金曜まで寮で生活し、週末は家で過ごすという子の場合、教材費、寮費、食費、施設拡充費、とにかく全て含んで132万円です。我が家は特別裕福というわけではありませんが、きのくにの充実度を考えると、この金額が特別高額だとは思いません。

ひとクラス20人〜30人の子どもに対し、2人から3人の教師がつきます。教師は子どもの気持ちを汲み取れるかたばかりで、「やりたいことがたくさん」の活動からしたいことを選ぶことができ、怒鳴られたり叩かれたりすることなく、のびのび学ぶことができます。

そして子どもたちは、幸福に生きていくうえでなにより大切な、自己肯定感を持って育っています。

きのくにのスタッフは薄給(失礼!)なのに、仕事に誇りを持って、「きのくにが楽しくて仕方がない」「ここで働けてほんとうに幸せ」という気持ちで仕事をしてくださっています。

地元の小学校に入学したときは、ランドセル、習字道具、小さくなってすぐ買いかえなきゃいけない体操服、ほんのちょっとしか使わない算数セットなどなど、無駄なものをやまほど買わされました。おまけに算数セットなんて、プラスティックでできていて、使用後ゴミにだすにも環境に悪すぎ!そして、一個一個に名前を書かされる。小学一年生の娘さんを持つ友人は、「数えたら、新入学のとき、168回名前書いたわ」だそうです。

きのくにに入るときは、そんな無駄なお金はいっさい使わなくていいし、塾なんかに行かせる必要もないので、公立小学校に行っても、強制的に無駄なものを買わされて、さらに塾だ英語だ、とお月謝を払っている人のことを考えると、「高い」とは全く思えません。

それどころか、子どもたちの人間的な成長をみると、お金にかえられない価値があると、心底思います。それに、毎年先生の当たり外れに一喜一憂する必要もないのでストレスフリーです。

お子さん4人きのくにやかつやま(福井県)子どもの村学園に入れているご家庭もあります。
「大変だけど、ここの良さを知ったら、一人だけ公立小なんてできないよ」とおっしゃっていました。もちろん共働きで頑張っておられます。

要は、心からきのくにの教育理念に賛同しているかどうかでしょう。子どもを入れる気もない人が、ちょこっと見学して、「授業料が高い」なんて言う筋合いのものではないと思います。

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2006年5月12日 (金)

ヴァイオリニスト 川畠成道さん

ヴァイオリニストの川畠成道さん、ご存知でしょうか?私が説明するより、まずHPをご覧ください。
http://www.narimichi.jp

私は最近知りました。三月末頃の朝日新聞の日曜版で、川畠さんの大好きな本、ということでシャーロックホームズシリーズが取り上げられていて、そのときは、次男にホームズを勧めようと思って記事を切り抜いたのです。8才のときに飲んだ風邪薬がもとで、視覚を失い、その入院中に読んでもらったのだそうです。そして、退院後、将来目が見えなくても続けられるものを、ということで、ヴァイオリンの道に進んだということが書いてありました。

それから数週間後、福岡でコンサートが開かれるという記事が目にとまり、本日長男Fが聴きに行ってきました。往復4時間かけて。

「すごくよかったよ。ヴァイオリンは音が高くて疲れるときがあるけど、今日のは全然そんなことなかった。お母さん、今度は絶対聞きに行ったほうがいいよ。」と言っています。

私はCDを聞きましたが、すばらしいです。生でないのに、胸があつくなります。そのCDジャケットに、すてきな文章が書いてありました。ご紹介します。

【動乱の時代を経て、平和を取り戻したベルリンでこのCDの収録を行った。究極の美の理論で創り上げられた、そして私が心から愛してやまない作品を、荘厳な雰囲気で包み込んでくれた歴史あるエヴァンゲリッシュ教会で、心の底から表現してみたつもりである。

難解に感じられる部分も、もしかしたらあるかもしれない。しかし、そのような気持ちを含めた、このCDを聴きながら感じた全ての感情を、大切に心に留めておいていただきたい。一見無関係に思える、そうした人の自然な感情が、無味乾燥で混沌とした時代を変えて行くと私は信じる。未来は私たちが創り上げて行くものなのだから。】

ーJ.S.バッハ/B.バルトーク 『シャコンヌ』  録音に寄せて、川畠成道

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2006年5月11日 (木)

進路を決めるということ

きのくにでは普通の進路指導はいっさいありません。

【学校が持っている情報はいつでも提供する。相談にもいつでも乗る。しかし普通の学校のような進路指導は一切しない。進路は、自分で探して決めなければならない。その準備も自分でしなくてはいけない。】   ー『自由学校の設計』よりー

試験がないから、偏差値を割り出してそれをもとに「はいれる高校」をすすめられることもありません。授業中も「試験にでるから覚えておけ」というような指導はないので、子どもたちは興味に応じて生き生きと学ぶことができるのです。「進路説明会」なども開かれません。

きのくにのこの方針は、とてもすばらしいことです。自分の中学生の頃を思い出すと、いつもテスト、模擬試験、偏差値が頭にありました。そして、進路、といえば、「偏差値がこれくらいだからこの高校に入れる。」「この偏差値ではちょっとあぶないから、高校のランクを一段階落とそうかな。」というような問題でしかありませんでした。

長男(以下F)は、中学二年生になってしばらくして、「俺、きのくに卒業したらどうしようっかな〜。ギターもやりたいし、サッカーも好きだし・・・。」と言うようになりました。私は、「ふむふむ、悩みだしたのね〜」と心の中でにんまりしつつ、「そうねえ、どうするかねえ。」と答えていました。

その秋、あるコンサートに行ったとき、終わってから、「俺、音楽でやっていくわ」とぽつりと言いました。

中三の夏、とてもフィーリングの合うギタースクールを見つけて、アコースティックギター一本だったのが、クラシックギターも始めることになりました。「先生に習うとうまくなる気がする。」「クラシックギターって奥が深いんやな。」と、クラシックギターの魅力に開眼。

結局中三の11月くらいまでに、卒業後はギタースクールでギターの修行をするのを第一に考え、高校資格は単位制高校の通信でとる、ということに決めました。

最終決定する前に、この選択でほんとうにいいのかな、と私は少しの不安があったので、「ほんとにもうギター1本、って決めちゃっていいいの?」と行ったら、「俺は、自分のためだけにギターやりたいっていうわけじゃないよ。」と言ったのです。

彼はきのくにで、ギターソロの発表を何度かさせてもらったことがあるのですが、そのとき、きのくにのスタッフから、「すごく癒されて、花粉症が治ったよ!」とか「また弾いてね」と言われ、人が喜んでくれる喜び、を感じたようです。寮母さんに「Fくん、ちょっと疲れちゃったから、ギター弾いてくれない?」などと言われたこともあったそうです。それを聞いて、「俺のためだけにギターをやるわけじゃない」という言葉の意味が理解できました。

「ああ、この子はほんとうにギターが好きで、それで人に感動を与えられたらいいな、って思ってるんだな。純粋な気持ちなんだな。」と、Fの気持ちがよくわかり、それで私の気持ちもどっしり落ち着き、迷いはなくなったのです。

多分、普通の中学校に行っていたら、親がいくら子どもに好きなことをさせたい、と思っていても、迫ってくる試験、三者面談、偏差値、の嵐に巻き込まれて、結局は点数でFの進路を決めていたでしょう。そもそもギターに出会っていたかどうかもわかりません。

「進路指導しない」、これはとても幸せなことだったと、心から感じています。

最後に、再び『自由学校の設計』からの抜粋を少し載せておきます。こういう考えたかの大切さに、多くの大人が気づいてほしいと、願っています。

【きのくには、自分のことは自分で決める学校だ。そして進路こそは自分で決めなくてはいけない最も大切な問題だ。どんなに苦しくても、自分で考え自分で選択しなくてはならない。そして実際、きのくにの中学生たちは、苦しい思いに耐えて、自分の進べき道を選んだのである。】

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2006年5月 8日 (月)

きのくに中学校卒業後ーその2

昨日の続きです。

「俺、卒業できんでもいいわ〜」になんでむかっとしてしまったか、それをじっくり考えてみました。まず、自己分析です。

自分の息子が高校卒業してない、いわゆる中卒の肩書きは恥ずかしい、という気持ちは、意外となかったです。高校卒業資格がないと、後になってなにかと苦労するんじゃないかなあ、という心配の気持ちは大きいです。そして、それより「むか〜っ」の要因は、彼が、困難に立ち向かわずに一度決めたことをあきらめる、という根性なしだとしたら、それがむかつく、ということでした。

でも、よくよく考えたら、それって、誰にも迷惑かけないわけなんだから、別にいいじゃん、と思えてきたのです。要するに、私が私の理想に彼をあてはめようとして、その通りじゃないといらいらするっていう構造のようです。それが見えてくると、なんだかすっきりしてしまって、腹がたたなくなっちゃいました。

それからもう一つ見えてきたのは、私自身が、やると決めたフランス語の勉強をやらないで、だらだら無駄な時間を過ごしてしまったとき、自己嫌悪に陥ります。その、自分が嫌だと思っているだらしない言動を、息子が目の前でしてくれると、嫌な自分を見ているようで、むかむかするのです。投影、というやつですね。

もちろん、彼の行動が、私の迷惑になるのだったら、はっきり言うでしょう。あとは、家族の一員として、彼がその役割をしていないとしたら、「それは困る」と言うでしょう。でも、それ以外は彼次第。彼の人生なんだもの、私が口だすことじゃないんです。

きのくにに出会う前だったら、「そんなことでどうするの!!」と、ぎゃ〜んとわめいていたかもしれません。私にとってのきのくに効果は、まず、わめく前に自分を振り返れるようになる、ということでした。


それでもって、彼は目一杯睡眠をとり、ギターを弾き、読書をし、漫画を読み、バイトを始め、たっぷりの時間をしっかりのんびり過ごしています。あれだけ本を読むのが苦手だった息子が、この一ヶ月で、

・春山満さんの「僕にできないこと、僕にしかできないこと」(幻冬舍)
・イングリッド・フジコ・ヘミングさんの「天使への扉」(知恵の森文庫)
・同じくフジコ・ヘミングさんの「魂のピアニスト」(求龍堂)

などを読み、とても感銘をうけたと言っていました。本の内容について話しをするのも楽しいひとときです。
(上記の本、いずれも二重丸のおすすめ本です。)

私は高校時代、いわゆる偏差値の高い高校に行ってしまい、早々に落ちこぼれ、授業中は何もわからず、地獄でした。毎日、好きな人のことを考えるか、「ああ眠い。思いっきり寝たいなあ」とか「どうか先生に指されませんように」などと思いながら過ごしていました。なんと時間の無駄をしたことよ!

あれだけの時間、本を読んだり映画を見たりしたほうが、絶対自分の肥やしになったと思います!結局一浪しましたが、受験に必要な勉強は、浪人時代の一年間だけで十分でした。はっきりいって、高校時代の三年間、目的もなく進学校にはいり、わからない授業にでていたあの時間は、全く無駄でした。

長男の卒業後から話しがそれてしまいました。続きはまた明日。

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2006年5月 7日 (日)

きのくに中学校卒業後ーその1

長男は今年きのくに中学校を卒業。現在、ギタリストになるべく、修行の傍ら、通信制高校で勉強中。

先日、その高校から、教科書と課題がど〜んと送られてきました。もともとのんぴりタイプの息子は、ちらっと見ただけで、それを自分の部屋へ持っていき、きれいに並べています。(ただ並べているだけ)。この数日、チャレンジした気配はない。

通信制高校というのは、月に1、2回のスクーリングで学校に出向く以外は自分で勉強し、課題を提出しなければならないのです。ちょろいな、と思うのは甘い!スクーリングに5分でも遅刻したら教室にいれてもらえず、課題も遅れたら単位を落としてしまいます。

取りかかる様子のない息子がちょっと気になりつつ、ここで、「あんた、課題やらなくていいの?」とか「ちゃんと、いつまでにやるとか決めた方がいいよ。」なんて言うのは、まだ未熟な親なのです!ここはぐっとこらえて、放っておくことが大切です。(と、きのくに流で学んだつもり。違うかしらん?)

こんなふうに、私がじりじりしながらもこらえているのに、夫が「教材もう見た?」「手伝ってやろうか?」と声をかけているではありませんか!「手伝ってやろうか?」は冗談まじりではありましたが、本人が「やろうかな」という気になり、「間に合わん!」と青ざめるまで、親は口出ししないほうがよいと思うんですよね。それで、「あなたは余計なこと言い過ぎるのよ。きのくにで学んできたでしょ?本人が気づいてアクション起こすまで、口出しせずに見守らないとだめなのよ。」と、ちょっと口論になってしまいました。

それにしても、のんびり長男を見守るのって、根性いりまっせ〜。

おまけに昨夜の夕食のとき、私が「通信制高校って、単位を落とすってことあるらしいけど、もしあなたも単位落として三年で卒業できないときは、四年目の学費は自分でバイトして払ってな。」と言ったら、にやっと笑って、「俺、別に卒業できんでもいいわ〜」ですって!むか〜っ!

と、ここでムカッとくる私は、やはり、「中卒より高卒のほうがいいな」なんていう、低い価値観が身に付いているのだろうか・・・。これじゃあ、夫のことをいろいろ言えないなあ、などと、考えさせられてしまいました。

この続きはまた明日。

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2006年5月 6日 (土)

子どもをまるごと肯定する

いくら本でお勉強しても、実践するのが難しいのが心のこもった育児、教育です。森田氏の本を読む前にも、【条件付きの愛情でなく、「そのままのあなたが好きよ」というメッセージを送ることが大切です】、というようなことを読んだことがありました。

頭ではそう思っているのに、態度が全然違うだろーと自分で突っ込みたくなるくらい、まだ小さかった二人の息子を叱りとばしたものです。仕事の前に、子どもを保育園に送っていってたのですが、朝からぐずぐずされると、「さっさとしなさい!」「なんであんたはいつもぐずなの!」「泣き虫!」なんて。(ああ、深く懺悔)

でも、反省だけなら猿でもできる、ではありませんが、これでは進歩がありませんよね。あるとき、ちょっとイライラしたのですが、子どもを膝に乗せて、「あなたのことが大好きだよ。朝の準備が遅くても、すぐ泣いても、怒っても、悪いことしても、それでもあなたのことがだ〜い好き」と言ってみたのです。

このときは、本で学習したことをまず実践してみる、という感じでしたが、言った自分も心が落ち着いたし、だっこされてる子どもの安心したかわいい顔ったら、久しく見ない表情でした。ものすごく幸せな気持ちになりました。ほんとうに、宝物を抱いている気持ちでした。

まず、形から入る、よいやりかたの真似をしてみる、というのも、けっこういいかも、と思ったことでした。

今、息子は14才と15才になり、お膝にだっこ、はちょっと無理ですが(彼らが望めばやりますよ!)、「どんなあなたでも大切よ。愛しているよ。」というメッセージは、ちゃんと言葉と態度で送り続けたいと思っています。

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2006年5月 5日 (金)

しつけとは?

昨日引用した、森田ゆり氏の『しつけと体罰ー子どもの内なる力を育てる道すじ』をもう一度読み直していて、ほんといいこと書いてあるわあ、と再認識してます。それで、また一部引用致します。

【しつけの第一目的とは何なのでしょうか。いうまでもなく、それは、自立です。家庭教育も学校教育も、その最終的な目的は、子どもが自分で社会生活をおくれるように、自ら立ち、自ら律していくようにおおまかにガイドすることです。そして、そのガイドには、三つの要素があると思います。ひとつは「子どもをまるごと肯定する」。「ふたつは「子どもの、自分への自信を育てる」。三つは「子どもが自分で選ぶように援助する」です。】

こういうことを、親になる前に学びたかったなあ。自分では「しつけ」のつもりでも、実際は人目を気にして、「子どものしつけをしっかりしている、えらいお母さん」と言われたくて、子どもにあれやこれや口をだしてたようなところがあったなあ、と今になって思います。

私は歯科医院で働いているのですが、子どもを連れて来たお母さんが、子どもの頭を上から押さえて、「さあ、先生にご挨拶は!」と、挨拶を強制するのをよく見ます。「あなたは人から頭を押さえつけられたら屈辱を感じませんか?」と言いたいです。

頑張ってやっと治療が終わったところなのに、「先生にありがとうは?」と追い打ちをかけ、子どもは疲れ果てて、感情のこもらない、ぼーとした様子で、機械的に「ありがとうございました」と言うのです。だいたい、4,5才の子どもにしてみたら、楽しくもない、どちらかと言えばしんどい治療を受けて、どうして「ありがとうなの?」という気持ちでしょう。直してもらってありがたい、という気持ちがでてくるのは、もう少し年齢がいかないと無理なのです。

こういった親の言動には、森田氏の言う「三つの要素」のどれもみられません。「おりこうさんに挨拶する子なら好き」という感じです。そして、親が口うるさいところの子どもさんは、たいてい、小学中、高学年になると、表情が乏しく、無口な子になります。

一方、親がおおらかで挨拶もしなきゃしないで、しょうがないわ、みたいなところは、大きくなると、自然と自分から「ばいば〜い」とか「ありがとう」とか言うようになるのです。不思議です。そして、そういう子は、ほがらかで、よくおしゃべりします。自己肯定感があるなあ、という感じがします。

私たちは親だから偉い、のではないんですよね。何も学ばないうちに親になってしまったんですもの、これから謙虚に学ばなくっちゃ、ですね!

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2006年5月 4日 (木)

しつけの思い出

実家に帰っていろいろ思い出しました。

私の父の教育方針の一つに、「絶対に嘘をつくな」というのがありました。どんな小さな嘘でも、こっぴどく怒られたなあ。小学生の頃のある晩、姉と二人でこっそり夜更かしして遊んでたら、二段ベッドの上から目覚まし時計を落としてしまって、深夜に大音響。となりの部屋の親が目を覚ましたらしく、「何をやってるんだ!」。とっさに私は、「勉強してて、本を落としちゃった〜」と答えました。親は私が勉強しているのが一番うれしいようだったので、こう言えば怒られないと思ったのです。子どもの浅知恵ですね。

父はおかしいと思ったようで、部屋までやってきて、落ちている目覚ましを急いで拾い上げようとしている私を発見してしまいました。「なんで嘘をつくんだ!」と、父の怒ること怒ること。お尻をこっぴどく叩かれました。

でもね、私、「嘘ついちゃいけないんだ」と思うより、「なんでばれちゃったんだろう」「今度はばれない嘘にしよう」って思ったんです。その後、成長するとともに、嘘も上手になって、「ばれない」嘘をいっぱいつきました。

父は厳しくすることで自分の教育方針を子どもに叩き込もうとしたけれど、私の心には響かなかったようです。

もし父が、「お勉強頑張るmamiちゃん」じゃなくて、「そのままのmamiちゃんまるごと」を愛してくれていたなら、嘘をつく必要なんてなかっただろうし、もし一度ついたとしても、「お父さんはお前に嘘をつかれて悲しいよ」と寂しそうに言われたなら、もう二度と嘘はつかなかっただろうな、と思うのです。

そんなことを思い出しながら、父のお墓参りをしてきました。

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2006年5月 3日 (水)

こむらさき

こむらさき

こむらさき

今日は実家のある熊本県へ。楽しみは☆こむらさき☆のラーメン。つゆも残さず飲めちゃいます。

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2006年5月 2日 (火)

体罰は教育だ〜!?

4月30日付け朝日新聞の記事より抜粋

【愛知県美浜町の「戸塚ヨットスクール」で80年代初め、訓練生4人が死亡・行方不明になった事件で、傷害致死や監禁致死の罪に問われ、懲役6年の実刑判決を受けた戸塚宏校長(65)が29日朝、刑期を終え、静岡刑務所を出所した。戸塚校長は記者会見で「体罰は教育だ。正しい教育論がないから教育荒廃が起こる」と持論を展開。】ー以下略ー

以下には、森田ゆり氏著の「しつけと体罰」(童話館出版)の第二章の見出しを抜粋します。

【第二章 体罰の六つの問題性
1.体罰は、それをしている大人の感情のはけ口であることが多い
2.体罰は、恐怖感を与えることで子どもの言動をコントロールする方法である
3.体罰は、即効性があるので、他のしつけの方法がわからなくなる
4.体罰は、しばしばエスカレートする
5.体罰は、それを見ているほかの子どもに深い心理的ダメージを与える
6.体罰は、ときに、とり返しのつかない事故を引きおこす】

二つの抜粋、二つのご意見、みなさんは、どうお感じになられるでしょうか?

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2006年5月 1日 (月)

自由って?

春祭りにて、学園長、堀さんのお話がありました。そのなかで、きのくにの教育理念の三本柱のうちのひとつ、「自己決定」についてこういうお話をされました。(テープ起こしをしたわけではないので、微妙に違うかもしれません。)

【自己決定というのは、何かをする自由、しない自由、というのでなくて、「したいことがたくさんできる自由」のことです。できることがたくさんあって、それから選べる自由、そして、最後に何もしなくてもいい自由、があるのです。何もない部屋に子どもを置いて、さあ、なんでも好きなことをしていいよ、というのとは違うのです。】

「したくなることがたくさん」を用意してくれているのが、きのくにのスタッフなのです。ほんとうに忙しそう。そして楽しそうです。スタッフと話していて、いつも感動するのが、みなさんきのくにで働くことに誇りを持っておられることです。

「ここで働けてほんとうに幸せです。」「スタッフの空きがなかったら、掃除のおばさんでもなんでもいいから、きのくにに置いてほしい、っていう気持ちだったんです。」「堀さんはほんとうに子どもたちのことをよく見ていて、すごいんです。私も堀さんのようになりたいと思います。」

スタッフ歴1、2年のお若いかたから10年以上のかたまで、このようにおっしゃるのです。

例えば、公立小で自分の学級運営に精神誠意頑張っておられて、子どもや保護者の信頼も厚く、教師、という仕事に誇りを持っておられるかたはたくさんいるでしょう。しかし、校長や、自分が勤める学校自体を誇りに思える教師はどれくらいいるのでしょうか?

堀さんの本を読んで、それだけできのくに行きたくなったけれど、職場の理念を誇りに思えるスタッフがいるから、より心強いのです。私は全面的にきのくにを信頼し、何の迷いもなくきのくにを選択しました。

うちの子たちが寮生活をしていると知った人からは、「寂しくないの?」とか「よく手放せるわね」「育児放棄じゃないの?」などと、いろいろなことを言われました。きっとそういう方たちは、自分以外に信頼して子どもを託せる人に出会えなかったのだろうな、と思います。いえ、もしかしたら、自分のことも信頼していないのかもしれません。自分を信頼できない人は、人も信頼できないですもの。

ああ、そういえば、私の好きな五味太郎さんの『大人は・が・の問題』という本にこんなことが書いてありました。

【人を信じられない人というのは、自分が自分を信じられない人のことです。自分はほっとくとサボるので、みんなもそうだと思って、だから宿題をだしたり目標を決めさせたりするのです。サボらせないように。】

自由の真の意味を知らない大人には、自由主義の教育は受け入れられないのだろうな・・・。


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